武装兵器 -Gear Frame-

早見一也

1章:虚像落日 -Ideal Collapse-

第1話:曇天

 黒煙があちこちに立ち込め、今しがた廃墟と化した街の中で、瓦礫の中に倒れ伏した巨人が居た。それだけでも印象的だというのに、あろうことかその巨人の上に腰を下ろして談笑し合う彼ら2人は、衝撃的ですらあった。

 この非現実的な中で。誰もが誰かに助けを願うであろう中で、彼らはいつも通りの態度であった。

 一人は端正な美貌に澄んだ碧眼を持つ男で、もう一人は夜闇でなお煌めく黒髪に凍てつくような蒼眼を持つ少年だった。

 外見は対照的だが、少なくとも性格的な相性は良いのだろう。「一仕事」をやり終えた彼らは楽しそうに、何事かを話していた。

 周囲を見渡せば瓦礫と死体があちこちに山積している地獄風景の中で、こんなにも自然体で接する二人。

 私は、ある種幻想的といってもいいその光景を目にしながら、周囲の炎熱が肌にこびりつき、脳の一部が現実通りの地獄へと引き戻される冷静に、今までの事を思い出し、これからの事を考えた。


 全ては、この地獄から始まるのだろう。これまでの全てを終わらせて。




 この世界には「魔素マジック・エレメンタル」と呼ばれる粒子で満ちている。

 現在からおよそ1000年前、体内に存在する因子で魔素を変容させる「魔道」が発見された。これにより、目の前に炎を生み出したり、水を凍らせたり等、自然現象をある程度制御する事が出来た。

 因子の事を「魔元」と呼び、魔道が使えるかどうかは魔元を生まれつき体内に宿しているかどうかで決まる。魔元を持つ親から生まれた子供が魔元を持っていない事があったし、逆の事例も幾度となく発見された。

 要は安定のしない便利術であり、であるからこそ、「選ばれた者」にしか扱えない儀式という神秘性を持っていた。


 そして現在からおよそ500年前、魔元の有無によらず魔素を変容させる技術、「魔術」が発見された。

 魔術式と呼ばれる魔方陣を体内に宿す儀式を施す事によって、その人間は魔術を扱い、魔素を変容させる事ができる。


 これらの技術によって発生する現象を総称して「魔素変換現象」という味気のない名前が付けられ、その通称を人々は「魔法」と呼んだ。

 魔法に共通する欠点として、周囲の環境に左右されやすいという点があった。

 すなわち、魔素が周囲に存在しない場合、発動する事が出来ないのだ。

 魔素を運搬する方法が発見されたのがつい50年前なのだから、無理もなかった。


 しかし、現在からおよそ30年前。人類は魔法の変革期を迎えた。

 最初に設定しておいた「魔素変換現象」を任意な時に何度も正確に反復する道具である「魔導器」を発明したのだ。

 人類の生活レベルは向上したが、それよりも先に魔導器が活躍した舞台があった。

 軍事である。



「かくして魔導器の応用によって生み出された武装兵器、〈GFギアフレーム〉が生み出され、昨今の戦争に著しい影響を与えたのである…」

 教科書を読んでいた男子生徒は書物から目を離し、真新しい学舎の見事な純白の壁の装飾とは対照的な、灰色に染まった曇り空を窓越しに見上げた。

 短く整った黒髪と理性を体現したような蒼眼には憂いとも悲哀ともつかない表情をたたえており、とりあえずのところ、美形と呼んで差し支えなかった。

 ただし、彼の手元には史学試験の採点済み答案があり、その紙面右上には20と赤で記されていたので、今の彼を見て「憂いを帯びる美少年」と称する者は皆無だろう。


 魔導器が軍事転用されてからというもの、世間の花形たる存在として君臨したのが、〈GF〉である。

 太古の戦争で使われていた金属製の全身鎧に、魔導器を組み込む。最初に生み出された試験機はその程度の付け焼き刃に過ぎなかった。当初計画されていたGFは医療・介護の世界で大いに活躍する事を前提として作られていた。重量のある物を持ち上げた時にかかる身体への負荷が軽くなるだとか、身体が不自由な人の義手や義足として動かせるだとか、そういったものだった。

 GFのプロトタイプ第一号が完成した時、革新的魔導器の誕生だとして一躍脚光を浴びた。そして、次々に改良品、または当初の思惑から全く外れている物が出来上がっていった。

 まずは、関節部が軽い力で動くようになり、背部から推進力を発生させて足を地面からほんの少し浮かび上がらせる事で、「滑る」ように移動できるGF。これは競技用として開発され、完成してから1年後に考案された〈スピードランナー〉という競技で国内外を大いに賑わせた。この競技者を特に〈ランナー〉と呼び、一種のステータスとまでされた。

 次にGFではない魔導器、魔素を固着させて射出する「射撃バレット魔導器・ギア」が開発された。現象としては単純で、周囲の魔素を収集して凝縮した弾丸を真っすぐに射出するという物だった。無論、研究によって様々な種類・用途・性能の異なる射撃魔導器が開発されはしたが後年の話である。

 その射撃魔導器はGFの頭部装甲視認器ヘッドセンサーデバイスと連動する魔導器に改造し、射撃の際に自動照準する代物を開発した。

 つまるところ、射撃の下手な兵士でも簡単に遠距離の敵を撃ち抜けるようになったのだ。


 人間の探求心はまだ止まらない。

 GFを粒子に変換し、その粒子を逆変換する技術が発見されると、粒子を封じ込める球形物質「ギアスフィア」が開発された。これにより、GF本体の運搬がはるかに楽になったのは勿論、使用者が粒子を上手く操る事で粒子解放と同時にGFを装着することも可能となった。

 そしてこれまでの技術研究・開発によって得られた成果の結晶として、軍事用GFが開発された。滑るような高速機動、正確無比な射撃、運用に際しての軽すぎる負荷。戦争方法は一変し、剣士と魔法使いが轡を並べる時代は終わった。金属鎧に魔導器がくっ付いただけの代物は、いつの間にか人間を機動兵器たらしめる程の昇華を遂げた。


 GFに関する研究開発は一気に進み、今や戦場の花形となった。

 そうして人間は、目にもとまらぬ速さを、岩をも破壊する腕力を、遠くを射抜く眼力を得た。

 GFの技術そのものに対して世界からの注目を浴びる中で、その技術に携わる人間に対して憧憬の念が生じるのも、自然な流れと言える。



 その憧憬の念と技術革新に対する需要の高まりは、専門教育機関を作るべしという帰結に落ち着いた。

 その教育機関の一つである魔導技術総合学園はそういった声にいち早く対応して設立された。いや、正確に言うならばそうした時代が来るだろう事を予見した一部の軍上層部と教育関係者による協力関係のもと設立された。

 必要性を求める事も、そして何より資金提供は主に各国の軍部が行っている。とはいえ、大っぴらに軍事転用の為の教育機関とするわけにもいかない。世間体というものがあるし、現在から1000年ほど前の時代、〈黎明期〉に定められた神典協定ロウ・コードに、「破壊・殺人を目的とした民間施設を禁ずる」と明記されている。その為、建前として「政府の施策として」軍部からの資金提供を受けている。が、実情としては軍部の影響は受けるしかない。

 研究成果などは公の場にて公開、有望な若者は専門機関に職業を斡旋しつつも、志願者に対してのみ士官学校への編入が認められる。ひとまずはこの取り決めで落ち着いた。まあ、士官学校編入者に対してのみ保証されている各種手当・学舎提供などの分かりやすい厚遇こそが「実情」を現しているのだが。



 朝から灰白色だった空は、昼過ぎからだんだんと鈍色となっていた。夕方あたり、ひょっとしたら雨が降るのかもしれない。

 城ノきのしま織人おりひとは、追試の為の勉強中であった。曇天に己の胸中を思い浮かべずには居られなかった。あるいは、単に現実逃避かもしれなかったが。

 身体を動かす実技試験は、まあそこそこといった手応えだった。「落第ではないだろう」という程度でしかないが。

 しかし筆記試験の方は、採点した教官が顔を真っ赤にして何言か叫んだ後、深いため息を吐いて、今の空模様と同じような表情になったものだ。

「城ノ島、少しいい?」

 透き通るような声が織人の耳に響く。


 声の主はやなぎかえでといい、可憐なのは声だけでなく、透き通るような金髪に整った目鼻立ちをしており、美貌の持ち主であった。

 教養についても非の打ち所のない彼女は、一見華奢だが魔導器における実技において「射撃格闘術」に関してずば抜けていた。動く標的に対し正確無比な狙いを定められるその技術は誰から見ても超一流である。

 しかし他者との交流には暗く、その一点だけは改善を求められていた。


「どうした、柳」

 今では聞きなれた美声に、織人は向き直る。

「岩蔵教官から伝言。小隊演説の原稿出来たのかって」

 織人は内心で自虐的な笑みを浮かべた。

「教官はどこだ?」

「第3資料室に居ると思う。原稿あるの?持って行ってもいいけど」

「無い、そんなものは」

 当然だとばかりに言い放った。楓が眉をひそめ、何かを言おうとしたので、織人は更に説明してやることにした。

「俺たちはまだ小隊じゃない。小隊じゃないなら、小隊演説などするべきではない」


 魔導技術総合学園は「小隊制度」というものがあり、生徒同士で小隊を組み、様々な教練を積んでいく制度が実施されている。

 とはいっても、軍隊で使用されている小隊の定義とは些か異なる。学園での小隊とは、隊長と副隊長、そして隊員2名以上8名未満で構成される「集団」である。この小隊制の狙いはGFを扱う際に必要不可欠な要素である協調性と、学園が掲げる教育理念である〈実践教育〉を遂行するためのものである。

 小隊の編成は自主性が問われる。

 まず隊長を志願するか隊員を志願するかが問われる。隊長志願者を募った時、織人も手を挙げて、小隊長候補となった。

 次に隊員志望者はどの隊長の下につくかを決める。

 あぶれた隊長候補者達は更にどの隊に行くかを決め、行った先の隊の副隊長となる。

 織人の隊の志望者は皆無のまま、織人はどの隊も志願しなかった。そして自主性を重んじるがゆえにどこかの小隊に入れと強制も出来ない。

 隊員ゼロ名、副隊長不在の「小隊」が、史上初めて出来上がった瞬間だった。


 教官も生意気な新入生を相手に考えなしではないらしい、と織人が思ったのはその3日後だった。

 諸事の事情によって入学が数日遅れた女学生が入学したのだ。

 優秀かつ可憐な転入生に、男子連中は夢中になった。

 その転入生である楓は人員不足を理由に第05小隊へと入隊「させられた」。少なくとも織人はそう思っていた。

 小隊というのは単なる個人の集まりではなく、「ひとつの集団」である。そこに個人の意思が介入しえない場合が多々存在している。

 しかし、楓が入隊に当たって何の不満も言わなかった理由としては乏しかった。05小隊ははっきりいって小隊である必要条件さえ満たせていない。この小隊にいる事で何らかのプラスはもちろん望めない。

 教官の考えている事はなんとなく予想がついていた。何らかの事情で、自分を退学させたくないのだろうと織人は見ている(そして、おおむねその理由はわかっている)。

 だが、柳が考えていることが分からなかった。

 織人は若干の薄ら寒さを感じた。そして、構成員2名の小隊長となった。

 周囲に羨む者は多かったが、1名が2名になったからといって、何も喜べなかった。

 実際、小隊同士の演習は散々なものだった。

 2名を相手に銃撃戦をしていると背後から2名に襲われた織人が撃ち抜かれて敗北。

 楓の高い能力をもってしても、戦闘要員が圧倒的劣勢では、彼らの勝率は2割以下であった。


 あの時感じた寒さも和らがないまま、今は新たな転入生に聞かせる小隊演説を考えろと言うのか。織人は訝しんだ。

 小隊演説はその名の通りで、「我が小隊を見よ、そして一緒に卒業出来るよう頑張ろう」という演説をする場の事だ。

 学園への転入希望者は初秋、一斉に入学する事となっている。その方が小隊編成の都合上、楽が出来るからだ。

 この制度自体に、今のところ反対者は居ない。学園関係者はもちろんだが、転入者にとっても「同期」が出来るというのは気楽さが違う。

 この者らも小隊に入るわけだが、彼らがどの小隊に入るかという基準の一つとして、小隊長自らの演説を聞いて選ぶ、というものがある。

 過去、様々な演説が行われた。小隊の長所を理路整然と話す者、ユーモアを発揮して笑いを引き出した者、緊張で何も話せない者、なげやりな姿勢で話す者。

 無論の事、この場も教官の小隊評価となっている為、おおっぴらにおろそかには出来ない。

 それを、あろうことか「演説をするべきではない」と言う織人の姿勢を、楓は批判せざるを得ない。

「そんなわけにいかないでしょ」

「話す事は何も無いさ。レイゴに入るのは罰の一環。そう言われているのは知ってるだろう」

 レイゴ、という言葉を耳にした楓は険しい目つきで織人を睨んだ。それは彼ら第05小隊の通称であり、蔑称なのだ。

 隊員はたった一人。教官に小賢しくも歯向かう、退学秒読みの不良隊長。まぐれでしか勝つことの出来ない小隊。

 第05小隊は悪目立ちしすぎた。恐らく学外でも噂ぐらいは流布されているだろう。学生達は、年に数回は実家に帰る上に、箝口令を敷いているわけでもない。

 今更何も知らない転入生など期待出来ないし、織人としても騙して入隊させる事はしたくなかった。

「じゃあどうするの」鋭い目つきと言葉で織人を責める楓だが、彼女にも打開策は無かった。

「どうもしない。現状で対応していこう」さらりと織人は応じた。敵に基地を攻められて平然としている司令官のような態度だった。

「このところ、機動射撃戦実習の勝率が少しずつ上がっていってる。何とか卒業させてやるさ」

「何言ってるの、城ノ島。それじゃまるで」

「教官のような言い方だな」

 重く響く声で割り入ったのは教官その人だった。

「岩蔵教官」大して驚きもせず、織人は向き直った。

「その様子では、史学の復習も演説の原稿も出来ておらんようだな」

 復習か。この教科書の今開いているページは初めて目にしたんだが、それでも復習と言えるのかな。

 どうでもいいような事に思いを巡らせつつ、冷静な表情で織人は応じた。

「小隊演説は辞退致します」

「貴様、私に歯向かうのは何度目だ」 教官の声には怒りも戸惑いも無かった。「ああ、そうかい」とでも言いたげですらあった。

「我々は小隊としての最低限を満たしておりません」教官の言葉を完全に無視して、言った。

「だからこそだ」岩蔵は頭を痛めたように親指を額に当てた。

「今のところ隊長が貴様、隊員が柳という事になっとるが、貴様の言う通りだ。副隊長がおらず、隊員が1名というのは小隊ではない」

 戦場で隊長が死ぬのは日常茶飯事だが、隊員にとっては死活問題だ。隊長が死んだ場合に指揮を引き継ぐ副隊長は、部隊にとって無くてはならない。それに、隊員というのは複数名でなければ意味がない。たった1人の隊員では、どんな敵であれ数で負けてしまう。常識以前の問題だった。

「私が転入生であるならば、第05小隊だけは避けます。それは万人共通の…」

「いや、もし貴様であれば、第05小隊を志願するよ」織人が言い終わらないうちに岩蔵は断言した。もはや諦めたような顔をしていたが、反論を許さぬ強い口調であった。万人共通の常識論など貴様が口にするなと続けたそうだなと織人は思った。

「時間が無い。原稿は出さなくていい、だが演説はしろ。命令だ」

 岩蔵は背を向けて立ち去った。


 岩蔵の態度に、織人は腹を立てない。いや、それどころか感謝の念すら感じていた。本来、織人が兵士なら、岩蔵は上官であり、口答えはおろか異議を唱える事すら処罰の対象となるだろう。それなのに「頭の痛む問題」として向き合ってくれているのは、ひとえにこの場所が「学園」であるからだろう。士官学校であれば厳罰が下っているに違いない。

 しかし。織人は感謝しつつもまったく別の思考も進めつつある。演説をしない場合の算段である。確かに現状、厳罰は下っていない。しかし命令違反には、出頭と反省文提出とその後に実処罰がある。分かりやすく言うと「死ぬほど面倒くさい」事を何日にも渡ってさせられる。士官学校との違いは、「罰則ラインの緩さ」である。口答えは意見交換。しかしそれも行き過ぎてしまった時の罰則はきっちりと存在している。

 それにしても、命令ときたか。織人も諦めたようなため息を吐いた。

 原稿が書けない理由は、織人が怠惰である以外にも理由はあった。本当に何も言う事が無いのだった。

「織人」

 楓の声が背後から響く。責めるような口調には不安の成分がたっぷりと含まれていた。

 小隊長としては、隊員の不安をいたずらに増やさない方がいい。織人の胸中に諦めのガスがゆっくりと充満していくようだった。

「しょうがない。まあ、真面目に演説してる奴らばかりじゃないしな」

 どうやら人前に出るのが嫌なのだろうが、本当のところ、教官に逆らいたいだけでは?楓は喉まで出かかった疑問を奥底に引っ込めた。あっさりと同意されてしまいそうで怖かったのだ。

 それにしても、教官が自らここに来たのは、優しさだったのかもしれない、と織人はそう思った。織人の「姉君」が来なかったのだから、恐らくまだ話が回っていないのだろう。だとするならば。

(どうやら、俺以外にも姉を怖がる連中は多いらしい)

 さもありなん。そう思い、織人は胸中で苦笑していた。しかしその表情は、あくまでも無表情のままだった。

 織人は窓を見やった。曇天は更にくすんでいき、今にも雨が降り出しそうだった。




 学園の執務室は、理事と教官以外は入室が禁じられている。教官にしても、理事の許可が無い限りはみだりに入室することは出来ない。

 国から授与された賞状が掛けられ、学園規則や各種報告書を綴じたファイルが棚に並び、堅苦しい調度品が置かれている。娯楽を糧とする真っ当な生徒からしてみれば「眠くなる部屋」だろう。

 その部屋のデスクには城ノ島姫華理事官が、普段は見せる事のない深刻な表情で座り、手にした書類を慎重に読んでいる。一言一句読み違えぬといった集中であった。


 ―――北部外洋から突如として未確認飛行生物「ダスク」が大量に飛来。有無を言わせぬ攻勢により、大陸北部の都市ヴェルミリオンはほとんど壊滅した。


「ダスク」とはそもそも、大陸の西端にある海洋国家ルタカーノが、貿易船団を「空を飛ぶ怪物」に襲われた事に端を発する。

 襲われた船員達が言うには、それらには翼が生えていて、耳は奇怪に長く、拳大ほどの大きな目を持ち、皆一様に黒かったという。

 ルタカーノでは「汚れた者」に対する差別用語として「ダスク」という言葉が使われており、生き残った船員達は自分達を襲った怪物の事に侮蔑を込めてダスクと呼んだ。そしてそれが、その怪物達に使われる正式名称となった。

 ちなみに、他の国ではダストゴミと呼ばれる事もある。


 ダスク達は、大陸の外海から海を渡ってくる。まるで渡り鳥のように。

 彼らは残忍で、人間の喉では発することの出来ない、がさがさとした不快音を口から発し、牙や爪、手に持った「槍らしきもの」などで人間を殺していく。

 織人の父親、城ノ島則人のりひとは港湾守備部隊に勤めており、GFを駆って勇敢にダスクと渡り合った。

 1度目の戦闘で2体のダスクを倒し、2度目の戦闘で4体を倒した。そして3度目の戦闘であっけなく死んだ。海上戦闘だった為、遺体は引き揚げられなかった。

 織人が8歳の時の事だった。当時の同僚達は一様に、勇敢な最後を遂げたと言っていた。

 母親の城ノ島杏璃あんりは、織人にとって、この世の誰よりも優しく温かい人だったが、則人の死から人が変わった。この世のすべてに絶望し、家の中で凶暴を振るった。ある日に織人が家に帰ると、台風が通過したかのような様相になった事がある。ただ、則人が愛用したコーヒーカップだけは何事もなかったかのように棚に収められていた。

 凶暴に晒されたのは、織人だけではない。黎理と姫華という名の姉がいる。3人とも、母親を恨んだ事は無かった。それというのも、杏璃は確かにヒステリックを存分に振るったが、直接子供に手を上げる事は、ついに一度もなかったのだ。



 そして今、姫華の目の前には、そのダスクによってもたらされた破壊状況をまとめた報告書と、その報告書を持ってきた、不気味な程ににこやかな美青年が居た。

 姫華の傍らには、妹である黎理も控えている。学園長の補佐が主な役割である黎理は、事この場において、自分から何かを発言する事は出来ない。

「その報告書に書かれている事を端的に申しますと…」

 青年がにこやかなまま口を開いた。まるで何らかの商品を売りに来た営業のようだったが、彼の役割は報告であり、本来愛想笑いなどは不必要なはずである。

 更に言うと、彼とは初対面ではない。名をレイス・ロードアーツと言い、バルトシエナ帝国軍において優秀な参謀。

 青年の意図するところが分からず、姫華は若干の困惑を覚えていた。

「化け物どもの手によってヴェルミリオンは攻撃を受けました。今から2日前の事です」

「その日のうちにヴェルミリオンが落ちたと?」

 震えを隠した低い声で姫華が尋ねた。

 あってはならない事だった。魔道都市ヴェルミリオンは、大帝国バルトシエナ以上に、軍事的技術水準が高いはずだった。GFの配備もかなり進んでいたはず。それが事実なら、人類の武装であるGFは全く歯が立たなかった事になる。

「いえ、1日半は防衛戦が展開されました。ですが、不利を悟ったヴェルミリオン法王様は大規模な撤退を御決断なさいましてね。今頃は、バルトシエナにて今後の対策を検討なさっておられるでしょう」

 バルトシエナの城塞首都からこの学園まで、早くても2日はかかる。つまり、本来はダスク襲来を知らせるだけの報告だったが、途中で報告内容に修正を入れたのだろう。姫華は瞬時に推測した。

 しかしだとするならば、緊急事態に過ぎる。尋常な神経をしていれば、多少は情緒不安定になろうというもの。だというのに、この落ち着き払った態度は何を意味しているのだろうか。だが、今はこの男よりも気にすべき事がある。

「バルトシエナの、今後の対応は?」

「遺憾ながら、防衛戦しか無いかと」困ったような笑顔でレイスは応えた。

 どうにも癪に障る態度だった。しかし、とりあえず今は人の表情が読み取れない間抜けの振る舞いに徹する事とした。姫華も今は手札を見せられる状況に無いのだった。

「圧倒的不利な状況、と見て間違いありませんか」問いかけてはいるものの、口調は断定していた。

 防衛戦しかない。つまり、こちらから打って出るような攻勢を掛けられないという事であり、壁の中で縮こまっている以上の事が出来ないという事だ。

「ええ、法王様、及びヴェルミリオン将兵がたの話によりますと、圧倒的な規模であり、見た事の無い魔素変換現象を操り、GF以上の機動性を持った尖兵達が、ダスクの先遣隊であると。非公式の発言ながら、法王様は更に、本隊が後に控えていると予見しておられます」

 先遣隊によって北端に位置するヴェルミリオンを屠り、その勢いを以て南下。大陸中央に位置する、人類の中枢たるバルトシエナを潰す。法王の予見が正しければ、更なる規模の後詰も存在する。

 そして人類は今のところ、先遣隊に手も足も出ていない。今後、手をこまねいて時間を浪費した場合、待っているのは何か?これ以上に分かりやすい状況も無いだろう。

「GFが必要です」レイスが機先を制するように言った。

 それは姫華も分かっていた。言われるまでも無い、どうしようもない現状であった。

 人類の所持している現在の武装がGFであるとするのであれば、前時代の武装とは何か?

 剣、槍、もしくは歴史の中で淘汰され、学術的価値しか見出されていない魔道や魔術。もはやとっくに通過した時代とばかり思っていた連中にとっては、笑おうにも笑えない。しかも、GFですら既に敗北しているのだ。それでも、人類の武器足りえるものは、もはやGFしかない。退くに退けず、だからといって進んでもいない。閉塞感が姫華の心を包み込む。

「機動歩兵も、という事ですね」

 低い声で応じた姫華に、レイスはにこりとした。

 GFそのものは貴重だが、それ以上に、GFを駆って戦闘を行う、所謂〈機動歩兵〉が足りていない。それは自明の理だった。軍部の教育怠慢というわけではない。そもそもGFを大っぴらに軍事転用したのはほんの数年前に過ぎない。未だに熟練兵と呼べる者が存在しない世界なのだ。

「まさに、そうです。配備するGFはいくつか目処が立っています。技術工廠との揉め事は回避しえないでしょうが、まあ、解決可能の範疇でしょう。ですが、兵士は急造出来ない」

「期待されても困ります。我らは学園であり、此処に居るのはいずれも生徒であり、士官候補生ではありません」

「承知しております」動じずに応えるレイス。この返し方は予想していたのだろうが、嘲るような態度は微塵も匂わせない。あるいは本当に恐縮しているのか。

「我々としても、前途ある若者達を徴用するのは全くもって不本意。ですが、とにかく時間が無い。ダスクの先遣隊がバルトシエナの国境に到達するまで、幾ばくも無いのです」

 事実、レイスとしても帝国としても不本意だった。あと数年、最低あと三年もあれば文句なしに機動歩兵の新兵として階級章を付けさせてやれるはずの彼らを、わざわざひな鳥の状態で使い潰そうというのだ。練度など期待できようはずもなく、士官教育も受けていない人間を前線守備部隊の為に徴兵するなど、最悪の人事に他ならない。だが戦火の最中において三年という時間は長すぎる。

 それにしても、と隅に控える黎理は思った。

 前途ある若者達?まるで人務課に居る中年のような言い草だ。目の前にいる愛想のよい若き参謀が、どうにも気に入らなかった。形の整った目鼻立ちが、何もかもを馬鹿にしているようにすら感じる。しかし、自身の抱いた印象など、発言するべき理由にはならない。明確な意図をもって抗弁が出来なかった。

 長い沈黙ののち、姫華は深く息をつき、言葉を放った。

「他の戦力は?」

 それは事実上の降参だった。

「魔導砲兵の配備と、機雷による足止め程度が現状の精一杯ですね。自由な空間機動を行うダスクも存在する以上、地上に建設した要塞などは足止め程度にしかならんでしょう」

 レイスは全くの無表情で応えた。先とは打って変わって剣呑である。

「魔術師や、魔道士の方は?」

「それも期待は出来そうにありません。なんせ絶対数が少なすぎる上に、破壊を目的とした変換現象を使用出来る者は殆ど居ないでしょうから」

 魔道も魔術も、そして魔導器も、過程は異なるが魔素変換現象を引き起こすという結果は変わらない。しかし魔道と魔術は過去の技術。大学などで考古学として、あるいは魔導器作成のために学ぶ者が大半であり、言うなれば「過去の遺産」として扱われている。必然的にその道の専門を志す者は少ない。

 魔導器は魔術の使用に必要な「魔術式」と呼ばれる特殊な言語を何度も浮かび上がらせて疑似的に魔術を使用するものであり、もはや魔術師は不要だと世間一般では信じられている。

 そこには当然、機動歩兵が用いるための魔導器を作成する為に破壊魔術を使用出来る魔術師も居るだろう。だが、その魔術を使用させるために前線に出るぐらいならば、その魔術を封じた魔導器を持たせた一般歩兵を立たせた方が確実に戦力となる。

 それとも、剣や槍、鎧で武装させた兵士を並べる?相手が人間であればその方が効果的だろう。だが状況が違う。攻撃力、防御力共に絶望的なまでの差があるのだ。生身での吶喊は、自殺願望者しかしない。

 冷静に考えれば考える程、レイスの言は正しく、反論の余地は無い事が分かる。しかし、それでも躊躇するのは、性格的な甘さ以外にも理由があった。

 彼らは学生で、子供であるという根本的な問題。まだ責任の意味も、覚悟という準備すら済ませていない新兵以下の存在。

 無論、それは悪ではない。彼らが学生で子供であるのは当然のことであり、状況次第で大人になれるほど、人間という存在は便利には出来ていないのは彼らのせいでもなんでもない。

「戦えない味方は、敵にも勝る敗因です」

「まったくその通り。そこで、ですが」

 レイスは姫華の正論を自前の笑顔で受け止め、更に言葉を続けようとしている。

 まったくこの男には何枚の手札があるのか!内心で憤然する姫華は、黎理の静かさに負けじと口を噤んだ。



 結果として、姫華は敗北したと感じていた。

 時は夕刻だが、何もかもを霞ませるかのような灰色の曇天が時間感覚を狂わせる。

「まるで予見していたかのようでしたね」

 慰めるでもなく黎理は「敵」の分析を始める。

 ずいぶんと頼もしいこと、昔はずっと後ろをくっ付いてきたのに。姫華はほんの少しだけ平常心を取り戻した。

「そうね、恐らくはこの学園の事は悉く調べ上げたのでしょう」

 もちろん自分達の事も。そして織人の事も。

「目を付けられていますよ、織人は」

 内心を見透かしたような黎理の言に、姫華は驚かなかった。発言こそしてはいないが、内心を隠すような事もしていないのだから、黎理が見透かして当然だと思っていた。この姉妹は、言語を介さなくても意図を読み取れるほどの信頼関係を築いていた。

「でも、適性ありとは限らないわ」

 姫華は自身で信じても居ないことを口にした。

「織人が、無能であればよいのですが」珍しく、どこか諦めたような口調で黎理は言った。

「おかしなものね」

 そう、おかしなものだ。目を付けられてほしくないと思いつつ―――あんなに頼りになる者も居ないだろうとも思っている。レイスという若者が彼に可能性を見出す事を確信すらしている。

 織人の危険性と能力。つまり、「使いで」。目を付けられて当然といえば当然だが、馬鹿馬鹿しいことだ。

「弟に失敗して欲しいと思う姉なんて、なりたくなかったわ」

「私は、弟に英雄となって欲しがる姉にはなりたくないものです」

 黎理の言葉に、姫華は曖昧に応じた。

 姫華が虚ろな目で外を見やると、灰色の曇天は今にも雨が降り出しそうな様相のまま、夜を迎えようとしていた。


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