荒れ地にて

逃ゲ水

正午

 見渡す限りの荒れ地の只中、獣すらも寄り付かない不毛の土地。そこに二人の人間がいた。


 一人は全身を板金鎧に包んだ騎士然とした出で立ち。磨き上げられた鈍色の輝きを放つ鎧は、シンプルでありながら強度と運動性を両立させた傑作であり、生半可な武器では傷すら付けられないような頑丈さが見て取れるようだった。さらには首や手足の付け根、肘や膝の内側といった機能性のために装甲を付けられない部位には、板金に負けるとも劣らない防御性能を発揮する緻密な鎖帷子が編み込まれており、一分の隙すらもない難攻不落の要塞と化していた。

 そんな無敵の鎧とは反対に、携えた武器は傑作とは程遠いものだった。というのも、身に付けた武器は斜めに背負った大剣一本きりで、無骨なそれはよく使い込まれているのは誰の目にも明らかだったが、それ以上特筆すべきことはないようなありふれた剣であった。


 もう一人は旅人のような服装をした、しかし羽織ったマントとベルトから下げた小さな革袋以外に荷物らしい荷物を持っていない、奇妙な身なりの人間だった。風にたなびく髪は緑で、両の瞳は輝くような黄金色。肌は日に焼けたような赤銅色で、唇の隙間から覗く歯は目を引くほどに白い。そしてそれらからなる顔は、美形であるのは確かなのに男とも女とも付かない不思議な顔立ちをしていた。それは体についても同様で、ほっそりとした体形からは男らしさも女らしさも意図的に削ぎ落されたかのようだった。

 そんな緑髪の人間は、向かい合う鎧の騎士とは違って武器も防具も身に付けてはいなかった。しかしその手が――群青に染め上げられた爪が虚空をつまんだ瞬間、そこには天を焼くほどに燃え上がる炎があった。そして指先が炎から離れると、一瞬にして何もなかったかのように炎は消え去った。


「もう間もなく正午だ。始めようじゃないか」

 さえずる様に緑髪の人間が声を放った。その言葉に、しかし鎧の騎士は声を返さない。

 代わりに背中の剣を一息で抜き放ち、切っ先を真正面の相手へ向けて正眼に構えた。

 それが始まりの合図だった。


 武器を持たない両の手が、さっと頭上へ振り上げられる。同時に鎧の脚がどうっと地面を蹴る。両者の間合いは十数歩ほどあったが、その実に三分の一を鎧の騎士は一歩で詰めた。

 しかし、それでさえも遅すぎた。

「灼熱よ打ち倒せ」

 掲げられた両腕の先から黄金色の輝きが吹き上がる。突然の高温に焼かれた空気が断末魔のような轟音を響かせる。その熱量は鋼鉄を溶かす炉でさえも及ばない、人の業ならぬもの。瞬時にしてこれだけの事象を現出させる力は人ならぬ魔の領域の力、魔法と呼ばれる業であった。

 そして灼熱を創造した魔法使いは、無造作にその両手を振り下ろす。熱の柱は僅かにも遅れることなく両手を追随し、巨大な剣のように鎧の騎士に襲い掛かった。


 だが、それを目の当たりにしてもなお、鎧の騎士に恐れはなかった。そして、むしろこれが当たり前だと言わんばかりに一瞬の硬直もなく迎撃に移る。

 踏み込んだ右足を地面にめり込ませんばかりに踏み締め、中段にあった大剣をほんの一瞬だけ地面すれすれまで振り下げた。直後、上から降ってくる灼熱の柱にも劣らぬほどの轟音と爆風が大剣を中心として巻き起こった。

 それは、何の工夫もない斬り上げだった。ただ、斬ることをほとんど考えていないような武骨で鈍な大剣が、空気の壁を捉えるほどの超高速で振り上げられたというだけ。しかしその一振りは魔の業を打ち消すに足る一撃であった。

 爆風が荒れ狂い、引っ掻き回された高熱が周囲を無差別に焼き焦がす。だが、緑髪の魔法使いは指の一振りでこれを掻き消し、鎧の騎士に至っては防御行動すらせず鈍色の板金鎧が跳ね返し受け流すに任せるのみ。そしてこの一瞬の差を利と見たか、焼け焦げた地面を蹴って鎧の騎士はさらに接近する。

 大剣を脇に構えた鎧の騎士は、もう一度三分の一の距離を詰めた。そして最後の三分の一を残したまま、横一文字に大剣を振るおうとする。

 先程の灼熱の柱を迎撃したのと同様に、鈍の切っ先が超音速に達する。直接刀身を当てずとも衝撃波による攻撃で十分に有効打になりうる。そう判断しての一撃だったが、

「甘い!」

 苛烈な叫び声を上げて、緑髪の魔法使いが左手を前へ、そして右手を下へと別々に突き出した。

 前に突き出された左手の先では無色の球が編み上げられる。それは空気を高密度に圧縮したいわば暴風の爆弾。しかしそんなものには構わずに無骨な大剣は風を纏って迫ってくる。剣の衝撃波による暴風に魔法による暴風が重なれば、確かに鎧の騎士であってもいくらかは傷を負うだろう。だが、何の防護もなしで同じ距離にいる魔法使いは比べ物にならないダメージを受ける。だからこれは悪手のはずだった。

 しかしその悪手を、魔法使いの右腕が塗り替える。

 続けて振り上げられた右手の先に追随して現れたのは、黒色の壁。地面から立ち上がったそれは人一人を隠して余りある大きさで、球面のように反り返った形をしていた。ただし、反り返っているのは鎧の騎士の側。二重の暴風を受け流し身を守るのではなく、その威力を残さず跳ね返すための凶悪な盾。暴風の爆弾と共に凹型の壁の前に取り残された鎧の騎士は、吹き荒れる突風に為すすべなく蹂躙され、叩き飛ばされた。

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荒れ地にて 逃ゲ水 @nige-mizu

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