第2話

 ジュリアス様と初めてお会いしたのは、十二歳の時でした。六つ上の長兄であるレオンハルト兄様の騎士団入団を祝ってパーティーを開いた時のことだったと思います。

 いつもは静かな家が煩すぎて、本を読むことに集中できなくなって来ましたので、調理場でおやつ代わりのミニキッシュとクッキーを焼き、紅茶を持って東屋で本を読んでいる時のことでした。

 バタバタとこちらに向かって走る音がしたのです。

 そちらに目を向けると、見知らぬ男性が必死の形相でこちらに走って参りました。

 驚いて固まっておりますと「すまん、匿ってくれ!」と仰られ、慌てて侍女と一緒に東屋の裏の木の蔭を示しました。


「ちょうどわたくしの後ろになるので、見えないはずです。音を立てたりしないよう、気配を消してくださいませ」

「わかった」


 そう仰ったその男性の胸には、白いコサージュが飾られておりました。


 白いコサージュ……ということは、レオン兄様のご友人です。

 コサージュの色でレオン兄様とどんな関係か一目でわかるようになっているのは、招待客には内緒です。


 ちなみに、わたくしはレオン兄様の関係者を示す、黄色いコサージュを着けております。もちろん、レオン兄様も黄色いコサージュを着けておりますので、聡い方はすぐに関係者とわかってくださるのです。中にはお顔を見知っておられる方もおりますが、わたくしを知っているとなると、今のところ一族の者くらいしかおりません……デビュタントはまだでしたので。


 それはともかく、男性ににこりと笑顔を向けて座り直し、読みかけの本を広げて紅茶の入ったカップに手をかけたところで、パタパタと三人の女性たちがかけて参りました。


「こちらに……見目麗しい男性が来なかったかしら?」


 そのうちのお一人の方が代表で声をかけてくださったのですが……その形相は、わたくしにはとても怖く見えたのです。後ろに隠れていらっしゃる方はレオン兄様のご友人ですし、助けなければ! という思いが勝ちました。

 ですが、どうやって助けたらいいのかと悩み、五つ上の姉であるマリュー姉様の真似をすればと考えました。

 心の中で、姉の所作を思い出しながら、姉のように姉のようにと心の中で呪文のように呟き、優雅に紅茶を飲みながら、笑顔を浮かべます。


「いいえ? いらしたとしても本を読んでおりましたので、わかりませんわ」


 わたくしの言葉に、話しかけて来た女性の目が眇められました。どうしてそのようなお顔をなさるのか、わかりません。


「隠すとためになりませんわよ? このスーザン・オークレーに逆らうと、どうなるか……」

「どうなりますの?」


 にこにこにこにこ。わたくしは怖いと思う心を隠し、ひたすら笑顔を浮かべて紅茶を飲みます。近くにいる侍女のうちの一人が動き、屋敷へと移動するのが見えました。警備の者を呼びに行くのでしょう。もう一人の侍女も、すぐに動けるよう、わたくしの背後へと移動して参りました。


「ねえ、どうなりますの?」

「なっ?!」


 首を傾げて問いかけるわたくしに、スーザン・オークレーと名乗った方が絶句なさいました。


「それに、ここがどこだか、わかっておられますか?」

「えっ?!」

「あら。知らないでその見目麗しい男性を追いかけて来ましたの?」

「なんですって?! もう許しませんわ! たかが侍女の分際で……!」


 ドレスを着ておりますし後ろに侍女が控えておりますのに、どうして侍女と言われなければならないのでしょうか。聞いていた侍女からも怒りが伝わって参ります。

 そのことに怒りが沸いて目を細め、傍らにあった護身用のサーベルを引き寄せると、わざとらしく音を立てながらゆっくりと引き抜きました。


「あら。不法侵入に加えて、不敬罪も追加ですわね」


 サーベルをスーザン・オークレー様に向けると同時に、誰何すいかの声が上がりました。どうやら侍女は間に合ったようで、そのことに安堵いたします。


「貴様ら、何をしている! どこから入った?!」

「えっ?!」


 レオン兄様と共に警護についていた我が家の護衛何人かと一緒に来て、あっという間に女性たちを捕らえました。


「ルナ、大丈夫か?」

「はい、お兄様」


 サーベルを元に戻しながらレオン兄様に笑顔を向けますと、わたくしを支えるように肩を抱かれます。


「ちょっと! 離しなさいよ! そこの侍女のほうがよっぽど失礼じゃないの! わたくしを誰だと思ってるの?! オークレー男爵家の娘、スーザンよ! 離しなさい!」

「ほう……? 不法侵入の挙げ句、たかが男爵家の分際で、我が妹を侍女呼ばわりとはな」

「不法侵入? 妹? 何を言ってるの?」


 彼女の言葉に、レオン兄様の声が冷たく響きます。そして一緒に来た護衛の一人が、呆れたように言い放ちました。


「貴様は馬鹿か? ここはホルクロフト家の私有地で、こちらの方はレオンハルト・ウル・ホルクロフト様と、その妹、ルナマリア様だぞ! 口を慎め!」

「えっ?!」


 その言葉に、スーザン・オークレー様たち三人は青ざめました。

 ホルクロフト家といえば、古くから――建国当初から連綿と続く大貴族であり、伯爵家なのです。本来ならば侯爵や公爵でもおかしくはないのですが、そこは不思議と代々「伯爵のままが楽だ」と仰っていると伺っております。

 それはともかく、男性を追いかけて私有地に勝手に入った挙げ句、その名に連ねる者を侮辱したのです……つまり、わたくしやレオン兄様が言った、不法侵入と不敬罪がそうなのです。


「そ、そんな…!」

「連れていけ」

「はっ!」

「し、知らなかったの! お願いだから、許して!」

「それを決めるのは我々ではない。騎士団とそなたの父親だ」


 スーザン・オークレー様は、青ざめながらもわたくしを見ました。確かにあの様子では知らなかったことが伺えます。ですが、そのようなお顔をされても、わたくしにはどうにもできないのです。自分でやったこととはいえ、とても悲しかったのです。



 ***



 わたくしことスーザン・オークレーは、レオンハルト様と名乗った男性にしがみつきながら何かを訴え、悲しげな目をして怯えている方を見ました。その女性はわたくしよりも小さな、か弱い女性でした。わたくしよりも年下であることが窺えます。


 きちんと見ればよかったと後悔します。『きちんと周囲や服装をよく見なさい』と両親に言われていましたのに……。

 よくみれば彼女の後ろには侍女がいます。そしてピンク色のドレスを着て、胸元にはホルクロフト家の紋章――盾の前にクロスした二本の剣、それを背負うようなグリフォンの出で立ちが描かれたペンダントが揺れていたのですから。


「ごめ……申し訳、ありません」


 わたくしがポツリと呟いたにも拘わらず、その女性がパッと顔をあげました。


「剣を向けられて怖かったですよね? わたくしも申し訳ありませんでした」


 そう言った彼女の顔は、泣きそうになりながらも、淡く微笑んでおりました。


 わたくしはその後、これと言ったひどい罰はありませんでしが、騎士団(特に、両親や兄)にさんざんお説教されました。そして両親監視のもとに、泣きながら彼女――ルナマリア様にお詫びの手紙を書き、それが元で二人が親友になったこと、わたくしがルナマリア様の二番目の兄であるエルンスト様に恋をするのは、また別の話です。



 ***



 連れていかれた女性たちを見ておりましたら「大丈夫か、ルナ」と、もう一度かけられたレオン兄様の言葉に、今になって震えが来ました。


「こ、怖かったです……。お姉さまのように、と思って頑張ったのですが……」

「大丈夫、マリューみたいにできていたよ」

「ほんとうですか? よかったです。あ! 忘れるところでした。あの、もう大丈夫ですから、こちらへどうぞ」


 その言葉と同時に、先ほど匿った男性が茂みから出て参ります。その姿にレオン兄様の体が一瞬強ばりましたが、そのお顔を見てすぐにほぐれました。


「ジュリアス! こんなところにいたのか……」


 その言葉に、やはり兄の友人だったのだと思い、ほっと胸を撫で下ろしました。


「すまん、先程のご婦人方に追いかけられていたところを、彼女に助けてもらった」

「そうか。ルナ、よくやった」


 滅多に誉めないレオン兄様に誉められながら頭を撫でられますと、なんだかとても嬉しく感じます。

 レオン兄様にはにかんだ笑顔を向けますと、ジュリアスと呼ばれた男性がレオン兄様に声をかけました。


「レオン、迷惑をかけた」

「構わない」

「で、こちらのご婦人は?」


 その言葉にわたくしを紹介しようとして、レオン兄様が異変に気づいたようです。わたくしは、今にも倒れそうなほど、真っ青になっていたと、あとになってレオン兄様や侍女からお聞きいたしました。


「ルナ!?」

「だ、いじょ……安心したら立ちくらみが……」

「そこの東屋で休ませよう」


 目の前が真っ暗になり、ふらつくわたくしをレオン兄様が抱きかかえ、その男性と並んで東屋まで歩いているようです。


「レオン兄様……ごめ……」

「喋らなくていいから」


 そう言われて頷き、体の力を抜いて息を吐きます。


 ――レオン兄さまが主役なのに……やってしまいました。体の弱い自分が恨めしいです。


 東屋のベンチで、レオン兄様に膝枕をされました。その上から侍女が持ってきてくださった毛布がかけられ、その温かさにほうっと息を吐きます。どうやら体も冷えていたようで、それも原因のひとつなのでしょう。

 そしてテーブルの上にあるミニキッシュやクッキーを見たレオン兄様が声をかけてきました。


「お、美味しそうだな。ルナが作ったのか?」

「うん」

「食べていいか?」

「うん。こ、うちゃも、ある、よ」


 具合が悪い時は、どうしても幼い話し方になってしまいます。これではいけないと思っているのですが、油断するとどうしてもそうなってしまうのです。ですが、レオン兄様は何も仰いませんので、今はそのままにいたします。


「ん、わかった。ジュリアスも食べるか?」

「いいのか?」

「構わない。な?」


 喋るのがつらくて、頭を撫でていたレオン兄様の袖を、皺にならない程度にキュッと掴みます。レオン兄様はそれだけでわかってくださったようで、再び頭を撫でてくださいました。


「いいってさ。さあ、どうぞ」


 目を開けてその男性の様子を見ます。パクリと一口食べたあと、目が見開かれました。それは驚きに満ちた顔でした。


「ほう……これは美味しいな。しかも見た目に反してしつこくない」


 その男性がさらにミニキッシュを頬張ってから一言告げ、お顔を綻ばせました。その言葉に嬉しくなります。


「この子の手作りさ」

「そうか。彼女は?」

「俺の下の妹で、ルナマリアというんだ。末っ子なんだが、病弱でな」


 レオン兄様の紹介に体を起こし、何とか立って「ルナマリア・ウル・ホルクロフトです」とスカートを摘まみ、膝を曲げて挨拶をします。


「ジュリアス・ホワイト・ライオールだ」

「公爵家の嫡男で、俺の親友だよ」


 レオン兄様の言葉に驚きます。そして、彼のふわりと笑ったお顔がとても素敵だったので、鼓動が跳ねます。


「……迷惑をかけてしまって、ごめんなさい」

「迷惑じゃないさ。むしろもっと甘えろ。ルナは聞き分けがよすぎる」


 レオン兄様にくしゃりと頭を撫でられ、また寝かしつけられました。


 そして二人の穏やかな声を子守唄に、いつの間にか眠っていたのです。



 ***



「ルナ? 起きられる? もうじき屋敷に着くよ」


 エル兄様に起こされ、目を覚まします。


 ずいぶん懐かしい夢を見ました。


 彼の笑顔を見ましたのは、あの挨拶の時の他には数えるほどだけでした。数えるほどしか会ったことはありませんでしたが、わたくしが彼に恋をするのに時間はかからなかったのです。


 けれど……会うたびに、だんだん彼の眉間には皺が寄っていくのです。


 だからきっと、あの時は社交辞令の挨拶だったのです。


 煌びやかなホルクロフト家の兄妹の中で、病弱で、全てが平凡な末っ子のわたくし。

 面と向かって言われるよりはマシですが、眉間に皺が寄ったジュリアス様のお顔を見たくなくて……。いつしか、レオン兄様を訪ねて屋敷に来ても、ジュリアス様に会わないように人気ひとけのない庭の隅で本を読んだり、自室から出ないようにするようになりました。


 このまま会わずにいられると思っておりました。

 父かレオン兄様が持って来た縁談で、その場所に嫁ぐとさえ思っておりました。



 ――数週間後、ジュリアス様がお怪我をなされたとの知らせがなければ。


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