世界大戦2

 フランツ・フェルディナント大公暗殺の報がミュンヘンにとどいた時――私はちょうど家にいてただ亡くなった経過を不正確に聞いただけであった――まずこの王位継承者が絶えずスラブ化工作を行っていたことに対する怒りから、ドイツ人学生がドイツ民族を解放しようとして発射したピストルの弾によって倒れたのではないかということがまず心配になった。


 その結果がどうなるかはすぐに予想できた。今や全世界に「正当と認められ」そして「論拠を明らかにされ」た新しい追及が来るに決まっていた。


 しかしその後まもなく容疑者の名前を聞き、さらにセルビア人と確定したことを読んだとき、計り知れない運命の罰に軽い戦慄を覚えた。


 スラブの最大の友人が、狂信的スラブ主義者の凶弾に倒れたのだ。


 最近数年間におけるオーストリアのセルビアに対する関係を観察してきたものならば、もはや誰も止めることができないことを疑うことはできないだろう。


 人々はヴィーン政府が発した最後通牒の形式と内容について非難を浴びせるが、それは正しくない。世界のいかかる国も同じ状態や立場にあったならばこれ以外のやり方はなかっただろう。


 オーストリアは南部の国境に冷酷な宿敵があり、最近は常に王国を挑発し、そしてオーストリアの崩壊に好都合な時が来るまで少しもその挑発を緩めようとしなかった。


 こんなことが遅くとも老いた皇帝の死とともに来るに違いないと人々が怖れていたことには根拠があった。しかし、そのときにはおそらく王国は対抗できる地位にはもはやなかったのだ。


 全オーストリア国家は最近数年間間違いなくフランツ・ヨーゼフの睨みによって成り立っていた。この国の年老いた化身の死は大衆の感情として帝国自体の死として通用したのだった。


 その上、それは特にスラブ政治の最も狡猾な技術に属したのであり、オーストリア国家の存続はこの君主の驚嘆すべき独自の技術に頼っているという外聞を呼び起こした。


 お世辞だ。このお世辞は皇帝の功績がそれ以上だったのでヴィーンの宮廷は大変いい気でいた。


 この称賛の中に隠れている棘を人々は発見することができなかった。


 王国があらゆる時代を通じてこの「最も賢明な君主」のすぐれた統治術の上に立っていればいるほど、いつか運命が貢物を奪い取るために扉を叩き、事態がますます悪化するに違いないということを人々は見なかった。あるいはもはやそこを見ようとしなかったのかもしれない。


 旧オーストリアは老帝なしにその場合を考えることができただろうか。


 かつてマリア・テレジアが遭遇したような悲劇が繰り返されなかっただろうか。あるいは避けられたかもしれない戦争に参加したことでヴィーン政府が非難されるならば、人々は実際にヴィーン政府に対して誤りを為したことになる。


 戦争はもはや避けることはできず、せいぜい一年か二年先に追いやることができたぐらいのものであろう。


 しかし避けることができない決算をいつも先延ばしにして、それがついに最も不利な時に先端を開くことになったのは本当にドイツとオーストリア外交の災難であった。


 人々は平和を維持しようとする試みが戦争を最も不利な時に勃発させてしまったのに違いないと固く信じてしまった。


 そうだ、戦争を望んでいなかったものはその結果を負うべき勇気を持たなければならなかった。しかしそれはオーストリアを犠牲にしてのみ成り立つことだっただろう。


 それでもなお戦争は起こっただろう。ただ世界を敵に回す戦いにはならなかったかもしれないが、その代わりハプスブルク王国の分割という形で起こったに違いない。


 その際人々はともに戦うか、あるいは手をこまねいて運命に任せて傍観しているかを決しなければならなかった。


 しかし、今日戦争の勃発を誰よりも呪い、誰よりも賢そうに判断しているものこそ戦争に介入するという最も運命的な手助けをしたものなのである。


 社会民主党は数十年来、ロシアに対して最も破廉恥な戦争を扇動してきた。


 しかし、中央党は宗教的観点からオーストリア国家をドイツ政治の大切な軸であり、要点であるとしていた。


 今や人々はこの狂気の結果を背負うべきであった。来るべきものは来なければならず、もはや回避できない状態だったのである。


 ドイツ政府の責任はただ平和を維持するために開戦に好都合な時期を逸していたこと、世界平和の維持のために同盟に誘い込まれ、そしてついに世界大戦を決意してまでも世界平和に対抗した世界連合の犠牲になったことであった。


 だが、ヴィーン政府が当時、もっと柔らかい形の最後通牒を発したとしても、事態は変わらなかっただろう。せいぜい政府が民衆の憤激によって捨てられたくらいである。


 というのは大衆の目から見れば最後通牒は慎重で、決して行き過ぎた物でも粗暴なものでもなかったからである。今日これを否定しようとするものは忘れっぽい頭のものか、あるいは意識的な嘘つきである。


 一九一四年の戦いは誓って大衆に押し付けられたものではなく、全民衆が自ら希望したものなのだ。


 人々はこの不安について結論を出そうとした。この最も困難な闘争に二百万人を超えるドイツの男や少年が最後の血の一滴まで守ろうと自発的に国旗の下に立ったことが、それだけで理解できる。

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