わがヴィーン時代の一般的政治考察24

 汎ドイツ主義運動がカトリック教会との闘争を戦い抜いたことは民衆の精神的素質の理解が不十分であったということから説明できる。


 この新しい党がローマに猛烈な攻撃を行った原因は次の点にある。


 すなわち、ハプスブルク王家がオーストリアをスラブ国家に改造するように決心するやいなや、適当と思えるあらゆる手段に訴えたのだ。宗教上の制度もこの上もなく非良心的な支配王家によって新しい「国家理念」に利用された。


 チェコの主任司祭を利用したことはオーストリアのスラブ化というこの目標のためにとった多くの手段の一つにすぎなかった。


 その経過は次のように起こった。すなわち、純粋なドイツ人の聖堂区にチェコ人の主任司祭が任命された。彼らは徐々に、しかし着実にチェコ人の利益を教会の利益の上に置き始め、非ドイツ化の胚細胞になったのだ。


 ドイツ人聖職者はこの処置に対して、遺憾ながらまったく思うようにならなかった。彼ら自身がドイツ的意味における同様な闘争にまったく役に立たなかったばかりではなく、相手の攻撃にも抵抗を起こすことがなかったのである。


 そのようにしてドイツ主義は一方では宗派の濫用という回り道をしながら、他方では防衛が不十分なために徐々に、だが絶え間なく押し返されたのだ。


 これは先ほど述べたように小さなことで起こったのだが、遺憾ながら大きなことにおいても事情はたいして変わらなかった。ここでもハプスブルク王家の反ドイツ的な企ては――第一に上級の聖職者によって行われたが――ドイツ人の利益代表自身が背後に隠れている間、はっきりした妨害にあわなかったのである。


 一般の印象はカトリック聖職者によってドイツ人の権利がひどく損なわれているという以外にあり得なかった。


 しかしそれとともに協会がドイツ民族と一緒と感じることもなく、ドイツの敵に立ったように見えた。だがすべての悪の根源はシェーネラーの意見によればカトリック教会の指導庁がドイツになく、そのために生じている我が民族の利害に対立する敵性にあるのだった。


 その際、いわゆる文化問題はすでに当時のオーストリアがそうであったが、まったく背後に隠れていた。カトリック教会に対する汎ドイツ運動の態度に対して決定的になったものは教会の科学などに対する態度よりもむしろドイツ人の権利を十分に代表していないことや、反対にスラブ的越権と貪欲に絶えず促進した点にあった。


 ところがゲオルク・シェーネラーは中途半端でやめる男ではなかった。彼は自分だけがドイツ民族をまた救うことができると確信を持って教会に対して戦いを始めたのだ。「ローマからの分離」運動は敵の牙城を粉砕すべき強力無比な、だがまた極度に困難な攻撃行動と思われた。もし成功したならばドイツにおける不幸な教会分裂も克服され、ドイツ帝国とドイツ国民の内的な力がその勝利によって途方もなく巨大になることだろう。


 だが、この闘争の前提も結果も正しくなかった。


 疑いようもなくドイツ人に関するすべての問題は、ドイツ国籍を持つカトリック聖職者の帝国力は、非ドイツ国籍の、特にチェコの同職者に比べてはるかに少なかった。


 同様にドイツ人聖職者がドイツ人の利益をはっきり代表して一肌脱ごうなどと考えてもいなかったことは馬鹿でなければわかっていたことだ。


 同じく盲目でなければ誰でも、何よりもまず我々ドイツ人がこの上もなく苦しまなければならない事情がここにあるということを認めなければならなかった。その事情は他の者に対しても同様であるが、自分の民族に対しても、我々の態度が客観的であるということである。


 チェコ人の聖職者は彼の民族に対しては主観的な態度をとり、教会に対しては客観的であるが、ドイツの司祭は教会には主観的に身をゆだね、国民に対しては常に客観的であった。この現象は他の場合にも見受けられる不幸な現象である。


 これは決してカトリック派に見られる遺伝的素質ではなく、我々の場合短期間にすべての国家的あるいは理念的制度を蝕んでいくのである。


 例えば我が国の官僚が国家を再興しようとする試みに対してとる態度を、こういう場合に他の民族の官吏がとる態度と比較するだけでいい。あるいはまったく別の世界の将校団が同様に国民の利害を「国家の権威」の決まり文句のもとに無視しでしまう――これは我々の場合五年来自明のことであり、しかもなお特に功績のあることとされていた――ということが信じられるだろうか。


 例えばユダヤ人問題においても今日両宗派は国民の利益にも宗教上の要求にも対応しない立場をとっているのではないだろうか? ユダヤ人のラビ師が人種としてユダヤ人のためにはほんの僅かの忌みしかないあらゆる問題においてとる態度と、我が大部分の――しかし親切極まりない両宗派の――聖職者の態度を比較してみるがいい!


 私たちは抽象的な理念の擁護が問題になるといつもこういう現象を見るのである。「国家の権威」、「民主主義」、「平和主義」、「国際的連帯」などは我々の場合、いつも固く純粋な教義的観念になった公然の概念である。すなわち一般の国民生活に必要な判断がすべてこの観点から生じるのである。


 一度入り込んだ先入観という視覚のもとにあらゆる利害を考察するやり方は、客観的には自己の信条に矛盾することを主観的に考えてみるという能力をすべて殺し、手段と目的を完全にひっくり返すことになるだろう。


 国家的高揚に対してもこれがただ悪質な腐敗した政府をまず廃止することから始まるならば人々は「国家の権威」に対する違反だと反対するだろう。しかし「国家の権威」はこういう客観性狂信者から見ると、目的のための手段ではなく、むしろ自分の憐れむべき生活を満たしてくれる目的となっている。


 それゆえに例えば独裁を試みる場合に、その担い手がフリードリッヒ大王のような人物で、そして議会の多数を占めるような国家の技巧派が無能な小人物であるか、あるいは低能な人間であったとしてもこういう原則には民主主義の原則のほうが国民の福祉よりも神聖に見えるので、彼らは憤慨して抵抗するであろう。


 このようにあるものは最も祝福すべき政府でさえ、それが彼の「民主主義」の観念に対応しない限り、拒否している間に民衆を破滅させるこの上もなく悪質な暴君政治を「国家の権威」がそこに具体化されているという理由で擁護するであろう。


 それとまったく同様に、我がドイツの平和主義者たちは国民に対する血のにじむような圧制にもすべて――最も邪悪な軍隊の権力から出たものであっても――抗争によらなければ、すなわち暴力によらなければこの運命を変えることができない場合は黙って見ているだけであろう。というのは暴力は実際彼の平和の精神に反するからである。


 ドイツの国際的社会主義者は連隊的な他の世界からいろいろ巻き上げるかもしれないが、彼自身それに兄弟のような好意で答え、報復や抗議すらも、彼がまさしくドイツ人であるがゆえに考えないのだ。


 これは悲しむべきことかもしれない。だが事態を変えようとするならばあらかじめそれを認識していなければならない。ドイツ人の利害が一部の聖職者によって細々と代表されているのも同様な事情なのである。


 これはそれ自体意地の悪い悪意でもなければ、我々に言わせれば「上」からの命令によって制約されているわけでもなく、そのようにっ国家の決断が不足している中に、若い頃のドイツ精神に関する教育が欠けていた結果であり、しかし地方偶像にまでなっていた理念に徹底的に征服されていた結果なのである。


 民主主義、国際的な色合いを帯びた社会主義、平和主義への教育は非常に強固で排他的で、それゆえ彼らから見れば純粋に主観的である。それとともにまた他の一般的な世界像もドイツ主義に対する態度が若い時から非常に客観的であったので、この原則的観念に影響されているのだ。


 このように平和主義者は自己の理念に身をゆだねているのに(彼がドイツ人である限り)、自己の民族に公正でない脅威が加えられた場合にも、いつもまず客観的な正当さを求め、純粋な自己保存衝動から自分と同じ群衆の線に身を置いて一緒に戦おうとはしないのである。


 これがまた個々の週は二どれほどよく当てはまるか、次のことが示すだろう。


 プロテスタンティズムはこれが確かにその発生とその後の伝統の中に基礎を持つ限り、もともとドイツ人の利害をよく代表している。しかし、プロテスタンティズムはこの国家の利益の擁護がその観念の世界や伝統の発展の一般的な線になかったり、あるいは何らかの理由でまったく拒否される分野で行われなければならなくなるとたちまち断念してしまうのである。


 だからプロテスタンティズムは国内の純粋な問題だとか、国家への専心の問題だとか、ドイツ的本質、ドイツ語、さらにはドイツの自由が問題になるや否や、これらのすべてがプロテスタント自体の中に基礎を持っているために常にあらゆるドイツ主義の促進のために乗り出してくるだろう。


 しかし国民がその最も憎い敵にしがみついているからこそ救い出そうとするといつもユダヤ主義に対して多少とも独断的な態度をとっているためにすぐさま強い反感をあらわして反対するのである。


 しかしその場合はこのユダヤ人問題を解決することなしにドイツの再生や興隆を別に試みることはまったくの無意味であり、不可能であり続けるだろう。


 私はヴィーン時代にこの問題を先入観にとらわれず検討するのに十分な暇と機会を持った。またその際、毎日の交際の中でこの考えの正しさを何度も確認したのである。


 この雑多極まりない民族の中心点では、すぐに次のことが明らかになった。すなわちドイツの平和主義者だけが自国民の利益をいつも客観的に観察しようとするのであって、およそユダヤ人は決してユダヤ民族の利害をそういうふうには見ないのだ。


 またドイツの社会主義者だけがある意味で「国際的」であり、彼らは国政的な仲間に泣いてみせたり、泣かなければ自分の民族の正当性を言えないと思っている。しかしチェコ人やポーランド人などはそんなことはしない。


 要するに当時すでに私は災いの一部はこれらの信条自体の中にあるが、他の一部は自己の民族に対する我々の不十分な教育と、そのために自己の民族に対する献身が制限されて少ない点にあるということを理解したのだ。


 以上でカトリシズム自体に対する汎ドイツ主義運動の闘争の最初の理論的根拠がなくなった。


 人々はドイツ民族をすでに少年時代から自己の民族の権利を承認するように教育し、ましてや自己を維持することにおいても我々の「客観性」という呪いで童心を汚してはならない。


 そのようにしてやがては(さらに急進的な国家主義政府があるならば)アイルランド、ポーランドあるいはフランスにおけるのと同様にドイツでもカトリックがますますドイツ的になってくることが示されるであろう。


 しかしこれに対する最も強い根拠をついにわが民族が歴史の審判の前に自分たちの存在を守るために提供したのだ。


 当時、上からの指導が失われない限り民族は実目覚ましくその義務と責任を果たした。一プロテスタントの牧師だろうが、カトリックの主任司祭だろうが、彼らはともに前線においてのみならず、銃後においても我々の戦力を長く維持するために限りなく貢献した。


 この数年間、特に最初の勃発時に両陣営には唯一神聖なドイツ帝国があるだけであった。その存立と未来のために各人は同じように自分の神にすがったのだ。


 オーストリアにおける汎ドイツ主義運動は一度次のように問うべきだった。すなわち、オーストリアのドイツ主義の維持はカトリックの信仰のもとで可能かどうか、と。もし可能ならば政党は宗教上あるいは宗派上のことに煩わされてはならないし、もし不可能ならば宗教改革がなされなければならず、決して政党が介入してはならないのである。


 政治組織という回り道を通って宗教改革に達することができると信じる者は、それは彼が宗教的観念の成長が教義や教会の影響がどういうものかということについて何も知らないということを示しているだけである。


 この場合実際に二君に仕えることはできない。私は一つの宗教の建設や破壊を一国の建設や破壊よりも大きいと考えている。いわんや一政党においてもやである。


 これらの攻撃が他の攻撃を防ぐためだけだったと言ってはならない。


 もちろんいつの時代にも非良心的な男が宗教を自己の政治商売の(というのは商売だけがほとんどいつもこういう者には問題なのだが)道具にして平気でいるのだ。だがその上に、おそらく何か他のことでも自分の下劣な本能を利用するように宗教や宗派を濫用するルンペンに対して、宗教や宗派自体の責任だとすることも同様に間違いなのだ。


 こういう議会の無能者や怠け者には、あとから自分の政治的不正取引を合理化するような機会を提供されたときほど好都合なことはあり得ない。というのは人々が宗教や宗派に彼の個人的な劣悪な言行に対する責任を負わせ、そのために攻撃するやいなやこの嘘つき男は直ちに大声をあげて世界中に今までの処置がいかに正しかったかを、また宗教と教会の救済がいかに彼と彼の口先のおかげかという証言を求めるからである。


 馬鹿な忘れっぽい同時代の人々は叫び声が大きいためにたいていはもう全闘争の主謀者を記憶していないか、忘れてしまっている。そこでこのルンペンは今や本来の目的を達成するのだった。


 これが宗教と無関係であることを狡猾な狐は十分承知している。だから彼は正直だが、不器用な相手が演技に失敗し、いつか人間の誠実さと信仰心に絶望してすべてのことから手を引いてしまう間に密かに笑うのだった。


 しかし他の点から見ても、宗教そのものが、あるいは教会すらも個人の過失に対して責任があるというのは正しくないであろう。目の前にある目に見える組織の偉大さを人間の不完全さと比較して、善と悪殿関係がどこかで他のものよりも良いことを認めなければならない。


 もちろん司祭自身の中にもまたその神聖な職務をたんに自分の政治的野心を満足させるための手段であるとして、そのうえ政治闘争においては自分達より高い真理の守護者であり、虚偽と誹謗の代弁者であるべきでないということを嘆かわしい以上に忘れているものもいるのだ。


 だが、そのような体面を汚す一人に対して何千人もの正直で自分の使命に最も誠実に身をささげている牧師もいる。彼らは今日の虚偽にみち堕落した時代に一面の泥海に孤島の如くそびえているのである。


 司祭服を纏った一人の堕落したものが一度汚らわしいやり方で人倫に悖ることをしたとしても私は教会それ自体を有罪とはしないし、またしてはならない。そのように多数の中の一人が民族性を汚し、裏切ったとしてももともとこういうことが日常茶飯事である時代においては罪としてはならないのである。


 特に今日、そういう一人のエフィルテスに対して民族の不幸を断腸の思いで共感し、そしてわが国民の中の第一流の人々とまったく同じように天が我々に微笑む時が来るのを願っている何千人もの人がいることを忘れてはならない。


 しかしここではそういう日常の出来事が問題ではなく、真実や教義的内容が問題だと答える者にはもう一つの他の問題を示して必要な答えを与えるだけだ。


 あなたがもし運命によってここで真理をつげるために選ばれたと信じるなら、それを為すのだ。だがさらに勇気をもって政党という回り道によってこれを為そうとしてはならず――というのはこれは姦策であるから――まさしく今日の悪しきものの代わりに、未来のより良きものを置けと。


 もし勇気に欠けるところがあれば、あるいはあなたのより良いものすらはっきりしていないならば、手を引け。しかしいずれの場合にもあなたが堂々と為すべきことをあえてしないならば、政治運動の回り道を通って陰険な手段で手に入れようとするな。


 政党は宗教問題が民族に疎遠で自己の人種の慣習や道徳を破壊しない限り、関与するべきではない。それは宗教が政党の不法行為と結合してはならないのとまったく同じである。


 教会の威厳を担っているものが民族を害するために宗教的な制度や教義を利用しても、決して同じ方法を真似したり、同じ武器で戦ってはいけない。


 政治的指導者には自己の民族の宗教的な教義や制度が常に不可侵なものでなければならない。さもなければ彼は政治家でなく、もし彼にその能力があれば宗教改革者になるべきなのである。それ以外はドイツを破滅に導くであろう。


 汎ドイツ主義運動とローマに対する闘争を研究して、私は当時、そして特にその後年を経るにしたがって次のような確信を得た。この運動は社会問題への意義に関する理解が少なかったので、民族の仲での実際に闘争力のある大衆を失った。


 議会へ入っていったことが力強い情熱を奪い、運動はこの全ての制度に独特の弱さを背負い込ませた。カトリック教会に対する闘争が多くの中、下層階級の中でこの運動を不可能にし、それとともに国民が自己に固有のものと称する最善の要素を無数に奪ったのだ。


 オーストリアの文化闘争の効果はほとんどゼロに等しかった。


 確かに教会から十万人の信者を奪い取ることはできた。しかし、協会はそれによって特別な被害は受けなかった。この場合協会は失われた「小事」に一滴の涙も流す必要はなかった。というのは、教会はずっと前から教会に完全に心服していない者ばかりを失ったからである。


 これが新しい宗教改革との相違点であった。かつては教会の最善のメンバーが多くが、宗教的確信から教会を見捨てた。なので今度はもともと雪崩が起きたに、それも実に政治的な「打算」からであった。


 しかし政治的な視点から見ても、この結果は笑うべきであると同時に悲しむべきものでもあった。


 成功の見込みのあった政治的なドイツ国民救済運動は再び壊滅した。それが容赦のない冷静さで行われず、ただ分裂を導くに違いない領域に迷い込んでしまっていた。

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