80話 バームブラックを食べよう
「うーん……」
その日、瑠璃はキッチンでスマホを見ながら格闘していた。
その姿を、珍しく二人そろった両親が、キッチンでうなる娘をこそこそと見ていた。
「……なんだあれは? どうしたんだ」
「なんかねえ、友達に言われたんですって」
「なにを?」
父のほうが母に問う。
「ええっと……。受験勉強の息抜きみたいな感じで、前から友達とお菓子を持ち寄って食べてたらしいんだけどね」
「へえ。いいんじゃないか?」
「それが、その友達がね。ハロウィンだからといって、気を抜きすぎなんじゃないか――って言ったらしくて」
「なんの?」
「お菓子の」
「は?」
話の筋が見えず、父は頭に疑問符を浮かべる。
「ほら、ハロウィンって、ハロウィン風にしたお菓子がいっぱい出るじゃない。チョコレートとかクッキーもそうだし」
「そうだなあ。最近は昔と違って賑やかだし」
仮装という意味でも、お菓子という意味でもそうだ。
日本の元からある風習とちがって、イベントというか、金になると踏んだ菓子屋の陰謀ととられる節もある。
「そればっかり持ってったら、ざっくりと手抜きって言われたらしくて。それでああやって手作りのお菓子にせいを出してるってわけよ」
「そ、それは……大丈夫なのか!?」
「うーん。まあたまにはいいんじゃないの? あれで何日も悩むならどうかと思うけど」
「じゃなくて!」
「じゃなくて?」
「まさか男じゃないだろうな!!?!?」
「……。普通に友達って言ってたわよ」
自分の伴侶が焦っていく様を見ながら、母が言う。
「本当か!? 本当に友達かそいつは!?」
「知らないけど、友達って言ってるから友達なんでしょ。チョコレートさえ持っていけば満足してるらしいから、瑠璃もチョコだけ持ってけばいいのにねえ」
「チョコレートといえばバレンタイン!?」
「うーん。飛躍した発想」
ツッコミを入れるように冷静に言ったが、伴侶のほうはまったく冷静になる気配がない。
一人娘の手作りお菓子が男の友人に渡るとなれば、この焦りようもなんとなく理解できる。だが同時に気にしすぎだろう、とも思った。同じ性別でだけ付き合わなければいけないわけでもなし、ひとりふたり男の友人がいても別にどうということはない。
「それに、今更でしょ。瑠璃には――、ん?」
瑠璃には――なんだっただろう?
その後がどうにも言葉が出てこなかった。いま、自分がなにを言おうとしたのかあまりぴんとこない。そりゃあ、瑠璃にだって男の友人くらいいるだろう。けれども、もっとずっと昔からいたような気がする。
いなかっただろうか。その母親ともよく互いに話をしたような存在が――。
「瑠璃! 瑠璃ー! そいつは本当に友達なのか!? 瑠璃!!」
「いま行かないほうがいいと思うけど」
勢い勇んでキッチンにすっとんでいく自分の伴侶を見ながら言った。対面キッチンなので何が起きているかは聞こえているし見えているのだが、あえて母は聞こえないし見えないふりをした。その後に何が起きるかは明白だった。
「おとーさん、静かにしてっ!!」
即座にキッチンから追い出された伴侶は、四つん這いのまま半泣きで落ち込んでいた。その様子をなんとも言えない憐憫の目で見つめ、母は一言だけ口を開いた。
「ほらね」
*
「そういうわけで――今日のお菓子はこれです」
鬼気迫る表情の瑠璃を、ブラッドガルドは面倒臭そうな目で見た。
およそ世界を混沌の渦に巻き込んだ魔王に挑む勇者のような表情だが、持っているものは剣ではない。持ってこられたものが何かは――中身が何かはともかく、どういう作られ方をしたのか、ある程度検討がつく。
「待って。言いたいことはわかる」
瑠璃はまるで先手を打つように、片手を出して牽制する。
「だけどこれは――作らないと売ってないんだっ!!」
「……ほう」
ブラッドガルドは、世界の命運を背負った勇者の挑戦を受けて立つ魔王のような声色で返事をした。
「というか、日本であんまり知られてない……?」
「そんなものがあるのか」
「だって、私も知らなかったからね。というより、ハロウィンの定番ケーキがあるなんてあんまり思いもよらなかったというか……」
「なるほど。ハロウィンの定番ケーキか」
確かにそれはブラッドガルドもあまり印象になかった。
基本的にハロウィンのお菓子といえばなんでもありだ。キャンディやクッキー、チョコレート、マシュマロにグミ。ドーナツにゼリー、果ては和菓子に至るまで、そのほとんどがハロウィンっぽい形にされている。つまるところ、ドクロやクモ、シーツお化けに黒猫、コウモリと墓。そして当然のようにジャック・オ・ランタンの形。もっと付け加えるならその色合いだ。オレンジ、紫、黒に白。色合いと、お化けとがかさなればもうそれはハロウィンのお菓子になりえる。
では、ハロウィンの定番のお菓子となると――また話は違ってくる。
「えー。今日のお菓子は『バームブラック』。もしくはアイルランド語で『バイリン・ブラク』。バームは発酵、ブラックは「小さな斑点のある」みたいな言葉で、そのままドライフルーツ入りのケーキのことも指すみたい。ちなみに黒の『black』じゃなくて、ちゃんとしたスペルでいうと『brack』ね」
瑠璃はそういいながら、少し焦げた香りのするドライフルーツケーキを取り出した。パウンドケーキのようだが、少し焦げた中から紅茶の香りがした。
「アイルランド……というのは初めて出てきた名前だな」
「そもそもハロウィンって、古代アイルランドに住んでたケルト人のお祭りが起源だって言われてるんだよね」
「ほう」
瑠璃がバームブラックを真ん中から切り分ける。
中からはややアンバランスに配置されたドライフルーツが顔を出した。
「古代ケルトの旧暦だと、11月1日が元日だったんだって。その前夜祭の10月31日とひっくるめて『サウィン』ってお祭りね。アイルランド語だとサヴァン。本来は夏の終わりって意味の言葉で、夏の終わりと冬のはじまりを祝うみたい。向こうだと季節が夏と冬しかなくて、同じように光と闇って二分されてたらしいよ」
「……」
「めっちゃイヤそうな顔するじゃん」
苦虫を噛み潰さんばかりのブラッドガルドに、思わず言う瑠璃。
「まあとにかく、その夏の終わりの日っていうのがよーするに一年の終わり。日本で言う大晦日なんだけど、そこに秋の収穫祭とお盆をひっくるめたようなお祭りだよね。死後の世界の扉が開いて、先祖の霊が帰ってくる日だから」
「一日に詰め込みすぎじゃないのか」
「あと先祖に混ざってくる悪霊とかも追い出す」
「……」
節分も混ざってないか、という言葉は飲み込んだ。ブラッドガルドからすれば瑠璃には感謝してもらいたいくらいだ。
「まあとにかく、死者の魂が帰ってくるにあたって、幽霊とか妖精とか悪魔の姿をしてるから、機嫌を損ねないようにごちそうを用意しておくんだよ。悪霊もいるからお菓子を渡して追い出したりするのかな。特に子供はお化けの仮装をして、彼らに気付かれないようにするんだ」
実際のところ、ハロウィンにおいてもアイルランドでは伝統的な食べ物というものは存在する。そのなかのひとつがバームブラックだ。
しかし、仮装やお菓子に比べるとあまり知られていない。
「ほとんどこの国のハロウィンと同じような気がするが――」
「アメリカに渡った時に、また変わっちゃったんじゃないかなあ。そもそもクリスマスもそうだけど、ハロウィンもヨーロッパのものがアメリカに渡って、そこから日本に渡ってるからね」
「ふむ?」
「ほら、ハロウィンのジャック・オ・ランタンてあるじゃん。カボチャくりぬいて作るやつ」
「そうだな」
「あれもアイルランドだともともとはカブを使ってたらしいよ。だけどアメリカだとカボチャのほうがいっぱいあったから、それでカボチャになったみたい」
「……」
日本のハロウィンはあくまでアメリカから渡ってきたものなのである。
「だからバームブラックも本来は丸い形らしいけど、うちには四角い入れ物があったからそれも歴史の変化」
「なるほど殺すぞ」
殺されはしなかったので、そのまま話を続ける。
「で、バームブラックって、中にいろいろと埋め込むらしいんだよ」
「埋め込む? ドライフルーツのことか」
「じゃなくて、指輪とかコインとか」
「……なんの意味があるんだ」
「えっとね、出てきたものによって違う意味があるんだよ。指輪は『結婚する』とか、『パートナーとの幸せな一年』、コインはお金持ちになる、ぼろきれは『貧乏』とか」
「ほう」
「要は占いケーキなんだよね、これ。特に大晦日に食べるものだから、来年の一年がどんな年になるかを、出てきた小物によって占うってわけ」
更に大人数になれば、入れる小物も増えるという。
「占いケーキっていうとフォーチュンクッキーとか、もっと近いのだとガレット・デ・ロワとかあるけど」
「ほう」
フォーチュンクッキーは中に運勢が紙が入ったお菓子のことだ。
名前からして海外のものだと思われやすいが、そのルーツは日本にあるのだという。もともとは北陸などで新年に神社で配られていた辻占煎餅というものが発祥で、江戸時代などには娯楽としてよく使われていたらしい。それがアメリカに持ち込まれたあと、第二次大戦後に日系の店舗がなくなり、代わりに中華系の店が出すようになった。二つ折りの菓子に包むタイプは中国の広東地方に原型があるようで、もはや複数の文化が混ざり合って新しい形になっているといっても過言ではない。
対してガレット・デ・ロワはフランスの菓子だ。
生地の中にクリームが入ったパイ菓子で、「王様の菓子」という意味を持つ。新年に食べるお菓子で、中にはフェーブと呼ばれる陶器製の人形が入っている。それを当てた人は宴の王となり、一年の幸福を約束されるというものだ。
アメリカでも地域によっては存在し、中にはバームブラックのように指輪、硬貨、ぼろきれを入れるところもあるらしい。
ブラッドガルドは説明を聞きながら、視線を少しだけ下に下げた。バームブラックは真ん中で二つに分けられたままだ。それ以上切り分けられないし、瑠璃がそれ以上何かすることもない。そのくせ一向にこちらに捧げられる気配はないし、瑠璃もまた手をつける気配もない。
「……」
わずかばかりに目を細めてから、ブラッドガルドは急に脳裏にひらめくものがあった。
「……貴様、さては……」
「……だって占いケーキっていうから!」
何かを入れたのだ、とブラッドガルドは思った。
そしてどちらに何が入っているのかも、おそらく瑠璃は感知していない。焼いた時はどのあたりに入れたくらいは覚えていたかもしれないが、いまそれが左右どちらに入っているのかもきっとわからなくなっている。
瑠璃は付け合わせのマーガリンを出しつつ、バームブラックを乗せた紙皿をちょうどテーブルの真ん中になるように滑らせる。
「選んだら、あとで私の分を切るから」
「待て貴様、とりあえず何を入れた?」
「変なものは入れてないよ!! ちゃんと紙にも包んだし!」
珍しく、お菓子を中央においてにらみ合う二人。
その様子を、ヨナルをはじめとした影蛇たちとカメラアイがまじまじと物珍しげに見つめた。
どんな幸運をどちらが手に入れるのか。
こんなものは遊びだ。
そもそもいまは新年でもないし、かといって年末でもない。そもそもハロウィン当日ですらない。
だが遊びだと理解していながら、二人はわずかばかりにお互いの出方を見た。相手にとって不足はない。二人にとっては本気である。出来や味がどうであるとかそんなものは二の次で、いまはどちらが幸運を手にするかの瀬戸際なのだ。
瑠璃とブラッドガルドは同時に手を出し、それぞれのケーキを手にした。
味のほうだって、失敗したかどうかもよくわからない。けれど紅茶の香りがした。できたてや、そうでなくともレンジで温めればもっといい香りがするに違いない。そこにマーガリンを付ければ、きっといまよりも美味しくなるはずだ。ドライフルーツだって、じっくりと浸したわけではないが、そこに本気はこめた。スパイスもちゃんと入れた。レシピ通りにはできているはずなのだ。
ブラッドガルドが瑠璃の手作りにどんな悪態をつくかはともかく、いまはそんなことはどうでもよかった。
瑠璃はケーキにそっとナイフで切り込みを入れ、ブラッドガルドは口の中で直接ケーキをかじりとった。
そのどちらが幸運を手にしたのかは、さておく。
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