75話 ガトーショコラを食べよう

 ギルドがにわかに騒がしくなった。

 ブラッドガルドの迷宮に『レア』が出現したらしく、討伐したパーティが凱旋したのである。今回のレアは砂糖で出来たゴーレムだったらしく、ギルドもかなり沸いていた。どうも外側は黒糖、内側に白砂糖が詰まっていたらしく、汚れた部分を残してきてもかなりのものだった。

 宵闇迷宮の後遺症か、あるいはブラッドガルドが宵闇迷宮だった頃の一部をどういうわけか保存しているせいか、たまにそうした魔法生物が現れるのである。

 討伐したパーティは、最初はバカ強いせいで擬態型だと思っていたら本物の『レア』だったという経緯を興奮気味に語っていた。


 わいわいと賑わうギルドを宿屋の窓から眺め、アンジェリカは後ろを振り向いた。


「とりあえず、ご機嫌はとれてるみたいね」

「魔法生物であいつの機嫌がわかるの、マジでなんなんだ」


 こっちに来た当初は、魔法や魔物の存在するファンタジーの世界に戸惑いはしたものの、ゲームや漫画と似たようなものと思えば理解は簡単だった。だがブラッドガルドに瑠璃が絡んでからはそれ以上に理解しがたい現象が普通に起きている。


「本当に機嫌がいいからなのかはわからないけどね。でも機嫌が良くなるのはわかるわ。最初はびっくりしたけど、甘くて美味しかったもの」


 四角くて茶色いチョコレートは、見た感じ食べ物にも思えない。溶けてどろりとした液体になるところなんかは、それ以上に引いてしまう。いくら加工品だといっても、魚の干物やソーセージなんかとはまったく違うのだ。

 けれども、そのすべての印象を振り払ってしまった。


「確かに甘いものなら元気も出ますね!」

「それは人と変わらないということですか」


 アンジェリカはテーブルに座る仲間たちへと目を向けた。

 オルギス、シャルロット、ナンシーの三人だ。


「さあ、そこはどうかしら」


 アンジェリカが首をかしげる。


「それで、……いったい何があったの?」


 やや和やかな空気の中で、ナンシーだけが尋ねる。

 仲間を全員集めるには理由があるはずなのだ。のっぴきならない理由が。


「ああ。まずどこから話せばいいかな……」


 リクが声をあげるその肩に、窓の外から飛んできた白い鳥がとまった。







「貴様……」


 地上と違い、当のブラッドガルドは怒りに満ちていた。

 目は見開き、その矛先はテーブルの向こう側にいる瑠璃に向けられていた。闇色の魔力が炎のようにゆらめき、立ち上っては消えていく。


「よくもそんなものをまだ隠していたな……」

「うーん、理不尽」


 そしてそれを理不尽の一言で片付ける瑠璃。

 魔力とともにとりあえず放たれた影蛇は、特に瑠璃を害すことはなかった。むしろ瑠璃の背後や隣からじっと白い箱を眺めている。瑠璃はそのうちの一匹を軽く撫でてから、白い箱を開けた。

 中からテーブルの紙皿に出されたのは、ガトーショコラと呼ばれるチョコレートケーキだ。ケーキというにはあまりにチョコレートが自己主張する深い色合いに、上にはシュガーパウダーがまぶしてある。まるで雪でも降ったかのようだ。どこかへ向かう足跡がついていてもおかしくない。


「……貴様まさか、まだ隠しているものがあるのではなかろうな?」

「人聞き悪いなあ!?」


 後ろからのぞき込む影蛇の頭を撫でてやりつつ、瑠璃は続ける。


「そもそもチョコレートってだけでどんだけ種類があると思ってるんだよ。ちょっとずつ私が飽きない程度に持ってきてるって言ってもらいたい」

「ふん、どうだか」

「ブラッド君こそどうなんだよ。足りてるの? 魔力」

「なぜこれで足りていると思っているのだ貴様は……。この世界そのものから集める方が早いわ」

「じゃあなんで毎回持ってこさせてんの!?」

「貴様が我の奴隷だからだが」

「私とブラッド君は友達だろ。というかその設定はいつ生えてきたの?」


 瑠璃からすれば突然生えてきた奴隷設定は、完全に謎のままだ。田舎でもないのに部屋の隅に唐突にキノコが生えたようなレベルで理解不能である。


「だいたい、ほんとにこんなことしてていいのかなあ。リクとかアズさんとか、こっちの世界が大変かもしれないのに」

「今更なにを言う、無能。貴様には我に菓子と娯楽を提供するしか能がないのだから、グダグダ抜かすな」

「いつから娯楽も増えたの?」


 それは本当に謎だった。


「それに、面倒ごとは奴らに任せておけばいい。あの魚も土塊も、出てこない分せいぜい働けば良いのだ」

「それたぶんブラッド君に一番言われたくない台詞だ」


 しかも労働どころか世界を手中におさめようというのだから余計にたちが悪い。

 とはいえ一応気にしてんのかな、と瑠璃は思った。


 ――やる気はなさそうだけど、世界が壊れると困るのはブラッド君も一緒なのかも。


 うんうんと頷いていると、ブラッドガルドがその様子を冷めた目で見つめた。


「まあいい。早く寄越せ」

「おう」


 どうでもいいのでブラッドガルドは流し、そして瑠璃も乗った。


 ケーキをのせた紙皿をひとつ、ブラッドガルドの方へと滑らせる。

 そして自分のほうへはスプーンを置いておき、それから飲み物の準備を始めた。その間にブラッドガルドは紙皿を手に取り、まじまじとガトーショコラを眺めた。


「……シンプルだな」


 ケーキの一種――と聞いていたので、もっと装飾があると思ったのである。


「ん~。お店とか作り方にもよるんじゃない? もっと装飾がいっぱいあったほうがうれしい?」

「嬉しいとか嬉しくないとかそういう問題ではない」


 紅茶をいれたカップをブラッドガルドの方へと滑らせると、瑠璃は自分のスプーンをてにとった。


 スプーンでケーキを突き崩すと、牙城はあっけなく崩れてほろほろとこぼれていった。じゅうぶんに溶け込んだチョコレートのおかげか、こぼれながらも中はしっとりとしていた。スプーンですくいあげた端っこを、遠慮なく口の中に入れる。

 チョコレートをそのままケーキにしたかのような濃厚な味わいが広がった。

 それからこぼれた欠片を集めて、スプーンですくい取る。ぱくっと口の中に入れたあと、じいっとこっちを見ている小さめの影蛇を見つめた。目があう。こぼれた欠片をちょいとスプーンですくって、小さい影蛇の前に出す。小型の影蛇はつぶらな瞳で瑠璃を見上げたあと、スプーンの上にある小さな塊をつまんでもきゅもきゅと飲み込んでいった。少しだけ口角があがり、思わず笑いそうになる。

 その途端、まわりにいた影蛇たちが全員省エネ状態になったかと思うと、瑠璃の紙皿の周りに集った。全員目が輝いている。


「きみたち」


 さすがに牽制の声をあげる瑠璃。

 ブラッドガルドは素手で掴んだガトーショコラにかじりつきながら、その様子を冷めた目で見つめた。


 それからブラッドガルドが二個目のガトーショコラを要求したあたりで、瑠璃は手元にあったスマホに手を伸ばした。


「ところでさあ。改めて聞くけど、ブラッド君はこれ聞いてて面白いの?」

「貴様はそんなことを気にするな。言え。知っていることを話せ」

「ほーん?」


 とりあえず嫌ではないんだなあ、ということを確認する瑠璃。

 これだけゲームだの映画だの現代日本の様々な刺激に慣れておきながら、お菓子を食べる時の話題はこれなのだから、ひとまず飽きてはいないのだろう。

 瑠璃は咳払いしてから続ける。


「えっと、ガトーショコラはフランス語で『焼きチョコレート』って意味だよ。そもそも『ガトー』が焼いたとかケーキって意味で、ショコラがチョコレートだから、広い意味でチョコレートケーキのことともいえるね」

「……広い意味で……?」


 びきりと音がしそうな深い声を瑠璃は無視する。


「本来の呼び方は『ガトー・クラシック・オ・ショコラ』っていうらしいね」

「クラシック?」

「『クラシック』は古典的とか歴史が長くて格式があるって意味だね。もともとは階級を表す『クラス』から、最高の、とか一流の、とかいう意味だったんだけど、それが転じて古典。そのうちに最高とか一流って意味は外れたみたい」

「ほう」

「音楽とかだとジャンルの一つになってたり、古典的なタイプのファッションとかデザインを『クラシックスタイル』って呼んだり」

「つまり歴史があって格式がある。なるほど。我に相応しい名だ」

「改名する?」

「やらんぞ」


 釘は刺されたようだ。


「それにしてもクラシックと言えるほど長いか、チョコレートは?」

「そもそもチョコレートが今の形になったのって、1879年くらいのことらしいからね……」


 チョコレートが入ってきたのはもっと前だが、それはいまのようになめらかで口当たりの柔らかいものではなかった。当時、スイスの薬剤師の息子だったロドルフ・リンツの手によって作られたのが現在のなめらかなチョコレートだ。「コンチング」と呼ばれる作業で、チョコレートを練り上げる工程を発見したことで、チョコレートは劇的に変化した。


「そういう斬新なお菓子を使って作れる家庭料理が、ここまで残って『おばあちゃんのチョコレートケーキ』って呼ばれるようになったのは、なんかこう感慨深いというか、へえ~ってなるけどね」


 ブラッドガルドは二個目のガトーショコラにかじりつきながら、口を動かしてきいていた。


「日本では独自のアレンジが入ってるらしいよ。フランスはレアで濃厚。日本だとメレンゲが入ってふんわり、しっとりって感じなんだって。これはちょっと濃いめなのかなあ……」

「比べてみないとわからんだろう。そのフランスというのはいい加減どこにあるんだ」

「待ってナチュラルにフランスに行こうとしてる!?」


 いままで散々お菓子の話で出てきた場所ではあるが、説明は難しい。


「えー? 結構かかるんじゃないかなあ。それにブラッド君てパスポートとか無いでしょ」

「わけがわからん。場所さえわかれば飛んで行けるだろうが。もしくは貴様の影に入る」

「それ一緒じゃない?」

「は?」

「え?」


 自力で飛ぶことも想定しているブラッドガルドと、完全に飛行機に乗ることしか想定していない瑠璃の間で微妙な沈黙が降りた。


「……とにかく、今行くのはやめよう。情報ゼロだし」

「そうか。集めておけ」

「今年は受験もあるから、早くて来年以降……いや待って、そもそもフランスに行くのってどれくらいかかるの!?」

「我に聞くな」


 丸投げされた気分だ。

 というか完全に丸投げされている。


「うぬぬ……」

「ところで小娘――」

「お、おう? なに?」

「以前、ブラウニーを食っただろう。あれとどう違うんだ」

「あー。ブラウニーは確かアメリカ産とかじゃなかったっけ?」


 瑠璃はスマホの画面を上にあげて、目を通す。


「他は……そうだな~。作り方とか形状とかじゃないかなぁ。ガトーショコラはなんでもアリだけど、ブラウニーはほとんど四角いとかさ。あと材料。ブラウニーはナッツとか入れるけど、ガトーショコラは入れないとかもありそう」

「ふむ」


 確かにブラウニーも同じような感じだったな、と思い出す。


「ブラウニーの方がもっとしっとりずっしり感はあった気がするね?」

「……やはり食べ比べをせんとわからんな」


 何を言ってもその結論になりそうだった。


「そういえば、ブラッド君の迷宮にも工場がまだあるじゃん。あそこで作れたりしない? まだ魔力の変換とやらはやってんの?」

「やっている。おかげで」

「ブラッド君、そういうとこで魔力の無駄遣いするのやめなよ……」


 だから魔力が戻ってこない説が急浮上する。


「誰が無駄遣いだ。貴様がそもそも魔力があれば譲渡するだけで済んだのだぞ」

「そんなことを言われても困る……」

「それにあそこは警備を重ねておかねば……。人間どもに神の実を易々と渡してなるものか……!」

「ミミック追加するのはやめてね」


 とりあえず釘は刺しておくと、小さな舌打ちが聞こえた。


 だがその数日後、『レア』を求めてブラッドガルドの迷宮に喜び勇んで入ったパーティが、強化されたゴーレムにぶち当たって壊滅寸前になったという。彼らは『ぬし』だの『中ボス』だの呼ばれ、冒険者たちの乗り越えるべき壁になったとか、なってないとか――。

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