閑話8

 その報せは瞬く間に千里を越えた。


 当然だ。なにしろほとんどの国が、対ブラッドガルドに向けて準備を整えていたのだから。とはいっても、どちらかいえば宵闇の魔女捕縛を重点に置いていたのだが。いずれにせよ戦力を整えつつあった諸外国すべてにとっての衝撃となった。


 すべてはヴァルカニアの地を手に入れるため。

 小さくも地下に広がる迷宮からの魔力によって、恩恵を得られていた国。魔物の脅威と引き換えに、豊穣な土地となった国。

 だが確かに人間のものであった国――。

 迷宮の拡大によってかすめ取られた土地を、人間の手に取り戻す。それは表面上の目的ではあるものの、決して間違ってはいなかった。一度は教会とバッセンブルグに渡りかけたものの、ブラッドガルドの復活によって有耶無耶にせざるをえなかった地。


 それがあろうことか、ヴァルカニアの末裔を名乗る存在によって取り返されたというのだ。


 ある国では誤報であると断じて激高し、知らせを持ってきた兵士をことごとく鞭打ちにした挙げ句、磔にまでしようとした。ようやく落ち着いた時には口をだらしなく開けたまま力なく玉座に座りこみ、腰が抜けたように天井を仰ぎ見た。


 またある国では同様に内容を信じられず、何かの罠ではないかと魔術師まで引っ張り出して調査させた。


 ある国では、吊り目の若い王がその瞳を細くして玉座を小さく叩き。

 ある国では、美しい女王がやや引きつった顔で急いで庭に向かっていた。


 それをどう受け止めるべきか、即座の判断を迫られたのだ。


 そして、当のヴァルカニアでは。


「――勇者殿がここへ来るようですが、どうされます? お逢いしますか?」

「ここで逢ってどうする。どうせ此方へ来るのだ」

「そうですか」


 相変わらず唐突にやってくるブラッドガルドを、カインが迎えていた。

 新たに国民となった者たちは、ときおり見るこの光景に引き、恐れ、戦いていた。カインがここまで成し遂げるのに何を犠牲にしたのかと震え上がる者もいたが、たいていは元村人たちが笑い飛ばした。

 だが、真昼の太陽の下で見ているというのに、そこだけは暗い。本来ならブラッドガルドこそが異物として排除されても良さそうなのに、だ。カインと合わさってようやく、夕暮れ時のようなバランスを取り戻す。

 二人は歩きながら、話を続けた。


「僕らとしても、ここでお二人に戦争状態になられても困りますからね。ありがたいことではありますが」

「馬鹿な事を。奴のほうからふっかけてきたのだ」


 ブラッドガルドからすればそいう認識でしかない。


「では、勇者殿にこれといった思いは無いと?」

「是非とも殺したいが」

「……それは……彼女は……ご承知で?」

「いつも言っている」

「ははあ、なるほど……」


 ではその時が近づきつつあるいま、彼女は――瑠璃はどうするのだろう、とカインは思う。できることなら死んでほしくない、と願う彼女が、いままでどうやって生きていたのか不思議に思った。もちろんカインだって、できれば生きていてほしい人間くらいいる。だが、瑠璃のそれはカインとは少し性質が違う。まるで、まったく違う価値観を持つところからやってきたようではないか。それが最悪の迷宮主と呼ばれる魔人であっても適用されるなら、勇者にも適用されるのではないか。

 反対に、ブラッドガルドがどこまで本気なのか、それはきっと誰にもわからない。二人がぶつかる事になったとき、何が起きるのだろう。

 カインは少しだけ息を吐いたあと、話題を変えることにした。


「そういえば、あの鉄の道ですが……貴方は驚くものばかり作り上げますね」

「そうだな。今のところあの小娘のせいで貴様たちに都合がいい」

「彼女のせいなら諦めてください」


 飄々と言うのを、ブラッドガルドはぎろりと睨む。


「……魔石をああいう風に……直接の燃料として使うとは、考えもしませんでした。あくまで魔道具、魔術師のための媒体……。そういう認識でしたから」

「……」

「あれは……貴方の知恵なのですか。それとも……?」


 その問いかけに、ブラッドガルドは不適に笑っただけだった。どちらであっても同じことだ、と言いたげに。

 あるいは、それ以上は簡単には知識を譲渡できないとでも言いたげに。


「……まあ、簡単には教えていただけないことはわかりました」


 結局、カインはそっけなく返すしかなかった。


「ですが、あなたの作り上げた機関は、必ず僕たちのすべてを変えてしまうでしょう」

「そうか?」

「あなたにとっては児戯にも等しいものであっても、僕たちにとってはそうではありません」


 ブラッドガルドは鼻で笑う。


「ふん。では、どう使うか――見ものだな」

「……手厳しいことで」


 カインはそう言うと、立ち止まった。


「この駅舎もいったいどこから出てきたものやら」

「さてな」


 ブラッドガルドが答えをはぐらかしたのに、カインは何も言わなかった。


 国民のほとんどが、その異様な建物を見ていた。煉瓦造りの建物は、外から見ればただ巨大だというだけで、変わったところはない。中央に時計塔を頂き、左右対称の作りは、むしろ教会的でもある。

 中に入ると、騎士たちがほんの少しだけ興味深そうに周囲に目を配りつつ出迎えた。カインに続いてあらわれた闇に、ギョッとした者までいる。のちに改札となる場所を通り抜けると、続く階段で石造りの床に上がれるようになっている。下には当然鉄の道が敷かれていて、そこには黒い鉄の塊もあった。


 黒鉄の扉の向こうは細長い部屋のようになっていて、まるで教会のように両側に椅子が並んでいる。だが座って見る先には特にこれといったものもなく、祭壇のようなものもない。窓は広くとってあり、どこに座っても明かりが差し込むようになっている。それでも夜でも大丈夫なようにか、壁にはランタンが掛けられていた。ひとまずこれに座ればいいというのは理解できるだろうが、これから何が起きるかまではすべて理解できている者は少なかった。


 国民の中でひとり、茫然とそれを見上げていたハンスも、思わず呟いた。


「……あれは……一体、なんなんだ」

「いやもう、理解の範疇を超えてるよなあ」


 隣にいた男たちが笑う。


「あれ、どうやって動くっていうんだろう」

「なー」


 ――誰の差し金だ。やっぱりあの女か……!

 ――奴の作るものが、なぜこれほど人間に都合がいい?

 ――あの女……、何を考えてる!?


 ハンスは目眩を覚えた。


 そんな彼を群衆の中でめざとく見つけたブラッドガルドは、ニタリと笑ってから視線を逸らす。現状ではそれはけして理解されないだろう。

 そんなことよりも、ブラッドガルドは黒い塊を見上げる。


 それは現代日本においては蒸気機関車と呼ばれるそれにも類似しているが、現状ブラッドガルド以外にそれを指摘できる者はいない。そもそも蒸気ではなく別の機関で動くものだ。


「では、魔導機関車のお披露目といきましょう。ブラッド公」

「……おい。なぜ貴様までその名で呼び出すんだ」


 ブラッドと呼ばれたことにツッコミつつ、二人は選別された一部の騎士たちと共に列車に乗り込んだ。

 腹に響くような音がする。動力炉では、固定された大きな魔力石が光を帯びた。ボゥッと黒い塊に映るように光る。


 そうして誰の目にも届かないところへ来ると、ブラッドガルドはおもむろに影の中から瑠璃を引っ張りあげた。

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