迷宮探査団の顛末(4)
「クソッ……全員いるか?」
オルギスは肩で息をしながら尋ねた。
「いえ、何人かいないようです」
「途中で数名が別れたようですね。ええと――」
それぞれの人員を確認し、名前と顔を確認しあう。
「おそらくは、イーノック、セス、カインの三名かと。別ルートと思われます。残りは全員ここにいます」
「そうか……」
まだ撤退地点までは距離があるが、ここで止まったのは理由がある。
「……まさか、迷宮の壁が変化するとは……」
撤退のさなか、迷宮の壁が大きく変化した。
これまでもブラッドガルドの迷宮は拡大や縮小を繰り返してきた。その最たるものが迷宮戦争のきっかけとなった大拡張だが、今回の変化はそれらとは違っていた。拡大や縮小を外部的な構造とすると、今回は壁や床といった内部の構造までもが変化したのだ。
それは驚きというほかなかった。
実際それに巻き込まれた三名の人員が別ルートへと渡ってしまった。そのうちの二名は新人という状況だが、もう一人聖騎士がついているのは不幸中の幸いだろう。
「ともあれ、ひとまずは約束の場所まで向かいましょう。別働隊となってしまいましたが、三人もそこを目指すでしょうし」
「私もそれがいいと思います」
「……しかし、ブラッドガルドがこのような手を使うなど、はじめて知りました」
その言葉に、全員がハッとしてオルギスを見る。
「……だろうな。私も初めてだ」
彼は厳しい表情をしながら、呻くように言った。
「今までブラッドガルドが迷宮の内部構造に手を加えたことはない。もちろん迷宮は拡大することもある……が、直接迷宮の内部を変化させたのは初めてだ」
その言葉に、一同は一瞬詰まった。
「……ということは……」
「ああ。この情報は必ず持ち帰らねばならない」
「……わかりました。なんとしてでも、一人でも無事にたどり着きましょう」
「何が起きているのかわからない。気をつけて進んだほうが良さそうだ」
はっ、と全員の声が揃った。
そして、改めて前を向いて進み始めた。しばらく行くと、扉のようなものが目に入った。地図と照らし合わせてみると、ちょうど通路があった場所に扉が出来ている。この先を行かねば先へは進めない。
「どうしてこんなところに扉……?」
疑問に思いながらも、カンテラを持った者が先に暗い室内へと入り込む。
中を照らすと、彼は声をあげた。
「誰だっ!」
その声にハッとして全員が武器を構えた。
だが、反応はない。おそるおそるカンテラ持ちが中へと進むと、ため息をついた。
「……来てください。問題はありません。ありませんが……」
「いったいなんだ?」
言いながらオルギスは前へと進んだ。その途端、驚きに目を丸くした。
「……なんだこれは。鏡……?」
目の前には壁を覆い尽くすほどの巨大な鏡があり、オルギスたちの姿が映っている。
「うわあっ!?」
背後から聞こえた悲鳴に、視線を向ける。
「オルギス様っ、鏡の中に、オレの背中に、誰かが!」
「落ち着け! こいつは――」
「あ、ああ、団長の後ろにも! こ、こっちにも!」
鏡をあまり見たことがないらしく、合わせ鏡に映った自分に翻弄されている。
「落ち着けと言っている! これは合わせ鏡になっているだけだ。ただの自然現象だ、恐れることはない」
「う、うう……」
「なんだ、大人げない!」
他の騎士はため息をついた。
人騒がせな奴だ――という空気があたりを包む。
だがここまでの反応はなくとも、他の騎士も微妙な表情になっていたのは事実だ。
「ですが、これほどの鏡……凄いですね」
「こんなにあると、不安になってくるのはわかりますな」
騎士の一人が眉を顰めた。
なにしろ鏡は一枚だけではない。自分達を取り囲んでいる。
周りだけではなく、天井にも複雑な形の鏡がそれぞれはめ込まれ、それがまっすぐではなく複雑な形で垂れ下がっている。感覚がおかしくなりそうだ。
奥のほうに行くにつれ暗くぼんやりとしていて、ひどく不気味に見える。
大型の鏡など王侯貴族の中でもほんの一握りが見られる程度。さすがに見たことが無い者はいないが、これほどあると困惑するしかない。
「一体なんのつもりで……痛えっ」
ごちんと音がして、一人が声をあげた。
「おい、気をつけろよ」
目の前に自分が映っているにもかかわらず、どこへ行けば正解なのかがわからない。
不気味な光景にきょろきょろとしている間に、自分の進んでのが鏡なのか道なのかがわからなくなったのだ。それどころか鏡の道はまっすぐに伸びてはおらず、ちょうど三角形になるように建てられている。
それが奥までずっと続いていた。
手を翳していれば何とか鏡の無い道を探し当てられるが、ずっとそうしているわけにもいかない。
オルギスたちは隊列を組むのが不可能になった上に、彼らの武器である槍を振り回すことすら困難になってきた。鏡を壊すにしても、構え方によってはつっかえてしまう。いまのままでは無理だ。それでも、やらねばならない。
「壊せる場所だけ鏡を壊そう。こうも自分たちが映ってると混乱してくる」
オルギスはため息をついて言った。
「し、しかし。いいのですか? これほどの見事な鏡、教会どころか、王宮にも存在しないかと……」
「どうせ迷宮のものだ。どれほど貴重で見事であろうと、必ず拒否反応は出る」
「そうだ、どうせあの迷宮の主が作ったものなぞ碌なものではない」
反応は様々だった。
ブラッドガルドから離れて多少は落ち着くかと思ったが、今度は鏡に惑わされている。これでは混乱が続くようなものだ。
それに、オルギスは嫌な予感を覚えていた。
「よし、オレがこんなもの壊してやる!」
一人が前に立ち、鏡に向かって槍を構えた。
「――破ッ!」
凄まじい音が響き、鏡が一枚、粉々になった。
それはあたりに反響し、どこまでも続く鏡のように、どこまでも続いていた。
景気の良い音だったはずだ。
それなのに、どこか不気味な音色を響かせた。
「――シッ!」
それを振り払うように、鏡を破壊しながら進んでいく。
一行は鏡を踏みながら歩く。だがしばらく進んでも、奥へはたどり着かない。この一帯すべてが鏡でできているのだ。加えて、鏡がお互いを写し合ってどこまでも永遠に続いているように見える。
不安感が逐一刺激され、このまま迷って出られないのではないかとすら思えてしまう。
それどころか、そこにあるのは通常の鏡だけではなかった。
「うわああああっ! オレの、オレの姿があっ!」
歪曲した鏡に映る、歪んだ自分。
理解している子供が見れば楽しめるそれも、ただでさえパニック状態になった調査団をますます混乱させるばかりだった。
「団長! あそこに扉があります。いや、あっちにも……うわっ!?」
調査団の一人は再び武器を構えた。
扉のうちのいくつかは、少し開いていた。その隙間から、真っ白な顔の奇妙な人物が体を覗かせていたのだ。それどころか鼻は赤い丸のようなもので、髪はざんばらに伸びた真っ赤な色をしている。衣服は紫と黄色のひらひらとした布が交互に首回りにあり、その下は緑色の派手な衣装で、胴体だけがぶうっと膨れたような奇妙な格好だ。隙間から覗く手は人間のものではなく、真っ黒で異形か蜘蛛のように伸びている。
全員が息を呑んだ。
「何者だっ!」
「……一人ではないようだ」
緊張感がぴんと張り、警戒の糸で繋がれる。
『それ』があまりに異質すぎたからだ。
「待て、あれは鏡に映っているのではないか?」
「だが、複数いることも考えられるぞ」
その指先だけが、時折人差し指から小指まで波打つように動くのだ。
全員がじりじりと戸惑う。
「クソッ……馬鹿にしやがって」
「お、オルギス様。あの魔物は、い、いえ、あれは魔人なのですか?」
「……わからない。あんなもの、見たことがない」
モチーフとしては、言ってしまえば遊園地によくいるただのピエロだ。もっとシンプルな姿であれば、道化のようなものとして受け止めもしただろう。
だがブラッドガルドは現代に氾濫するピエロをモチーフとしたホラー映画すら呑み込んでいる。遊園地などという生やさしいものではなく、不気味な怪人物として描くのは当然だ。むしろ狙ったふしすらある。
そして、こちらを見ているピエロに対して抱く不安感。
誰かの中で、鏡の中の悪魔――という詠唱が重なり合った。
「さては悪魔とは貴様のことかっ!」
武器を構えて突撃しても、悪魔は見つからない。それどころかいつの間にか鏡は修復され、悪魔の姿を探しているうちに一人また一人とはぐれていく。
何もしてこない、ということに気が付かないのだ。
しかも絵であるがゆえに、魔力の感知ができない。
「待てお前たちッ、迷ってしまうぞ、帰ってこいっ!」
「大丈夫ですよオルギス様。あなたはすぐそこにいらっしゃるではありませんか!」
鏡に映った大勢の騎士が、誰一人としてオルギスのいる正しい方向を見ないまま吼えた。
「お、おい、あいつまずいぞ」
「連れ戻しましょう。私が行きますので、オルギス様はここに!」
「いや待て、あの魔人をなんとかしなければ――」
騎士団の中にパニックが広がりつつあった。
一人一人迷っていく仲間たち。
そしてそれに焦ったことで、更に動揺が広がっていく。
「待てっ、戻れ。戻るんだっ!」
オルギスの言葉も、遠く響くだけだった。
あまりの事態に、オルギスは一瞬だけ途方に暮れた。
何かがおかしい。決定的な何かが。
「お、オルギス様。これは――」
「今度はなんだ!?」
振り向くと、今まで壊してきたはずの鏡がすべて元に戻っていた。
「鏡がすべて……元通りに……」
このままでは、自分たちがどこを通ってやってきたのかも見失ってしまう。
「……これはいったい、どんな魔術が……!?」
「落ち着け。これはおそらく迷宮の壁そのものなのだ。迷宮の壁は時間が経つと自己修復をはじめる。ゆえに、地図が成立するのだ。奴が迷宮の内部を作り替えたことを考えると……」
「これは魔術の類ではなく、本当に迷宮そのものだと……!?」
耳を澄ますと、何らかの仕掛けに引っかかったと思われる騎士の声が、僅かに聞こえてきた。
「助けてくれ、助けてくれえ! オレが……オレの顔が! オレがもう一人いて……」
「おい、一体どこにいるんだ!」
「頼む、そっちに行かないでくれえ!」
「くそっ、こいつは鏡じゃねえか!」
狭い通路に所狭しと並んだ鏡。
その虚像たちに翻弄され、調査団は僅かな間に統制を崩された。
――なんだ。なんだこれは。なんなんだこれは……!
オルギスの胸に恐怖とは違う戸惑いが湧き上がる。
――ま、まさか……鏡の中の悪魔というのは……。
この状況そのものではないのか。
鏡を知っている人間――つまりある程度の地位のある人間ならば、この状況を不気味と思いつつも理解しただろう。だが、彼らは違う。彼らはせいぜいお互いに姿を確認するだけだ。鏡だということはわかっても、合わせ鏡も知らず、しかもこれだけの量だ。あたりに映る自分達にまったく翻弄されてしまっている。
闇雲に鏡を壊して回っても、この鏡が迷宮の壁であるなら、すぐに元に戻ってしまう。迷宮の壁に穴を掘って近道を作ったりできないのがこれが原因だ。迷宮が迷宮たりえるのは、その修正機能を備えているからなのだ。
では、進路を失った人間はどうなる。
退路すら見失った人間はどうなる。
この状況にパニックになった人間は――。
いや、それ以前に。
――あれは本当にブラッドガルドなのか!?
確かに本人――本人である、とは思う。
しかしオルギスが知っているブラッドガルドは、『何もなかった』。尽きぬ怒りをまき散らすか、そうでなければ突撃した人間をただただ無感動に薙ぎ払うだけだった。その胸の内には何も無い。思考、考えるための思いはあれど、人どころか生物らしき情動は何も無いのだと。
だからリクは言ったのだ。
ブラッドガルドは強大な力を持つがゆえに、ねじ曲がっている。
奴は戦いを、戦いそのものを、奴が勝つか、冒険者が命乞いをするかしかないものだと思っていると。ブラッドガルドが抱いている命への敬意とやらは、本当に強い者なら、もっと違う方法をとるはずで、ただの思い上がりに過ぎないと。
だからブラッドガルドには本当は何も無い。
あの尽きぬ怒りは、虚無の内から無理矢理に選び出した不安定なものなのだ。
だから奴は自らの感情すらコントロールできず、最後は自らの力に呑み込まれた。
リクに負けた。
だが今はなんだ。
今はなんだというんだ。
最後まで自ら直接手を下すよりも、逃走という希望を見せながら恐怖を与えることを選んだ。
そんなことができるはずがない。
そんなことが、怒り散らすしかないブラッドガルドにできるはずがない。
――これが宵闇の魔女の力……?
そうであるなら、宵闇の魔女はいったい何をしたのか。
オルギスはますます絶望に沈んだ。
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