《瑠璃とブラッドガルドのよくわかる世界講座 金貨と勇者編》

 その日は久々に暇というものがあった。


 瑠璃が持ってきたのは紅茶と、マドレーヌとフィナンシェの詰め合わせだった。瑠璃のところ――というか親のところ――に届いた贈り物を貰ってきたらこうなったのだ。一通り久々の食べ比べをして、紅茶を飲んで、古い雑誌を渡したあとは、ブラッドガルドは雑誌を手に黙り込んでしまった。

 瑠璃はテーブルに伏しながらスマホを見て、ゲームに夢中になっていた。

 スマホゲームの体力が尽きる前に瑠璃の方が飽きて、顔をあげた。

 まだ残っていたフィナンシェを手に、かさかさと包装を剥く。


「ねえ」


 そんな中で、先に声をあげたのは瑠璃だった。

 小さな衣擦れの音を立てて、ブラッドガルドが雑誌から視線をあげる。


「そういえば前に、単位とか言葉はバラバラだって話したじゃんね?」

「……そういえばしたな。それがどうかしたか?」

「金貨とかは統一されてるんじゃなかったっけ?」


 フィナンシェを半分ほど外に出して、瑠璃は口に含む。じんわりとしたバターの味が口の中に広がる。


「されてるな」

「それはなんで?」


 純粋な疑問だった。

 ブラッドガルドはしばし考えるように視線を彷徨わせた。


「……ふむ。では、我がひととおり把握していることまでを教えるか」

「ほんと!?」

「気が向いたからな」


 本当に気が向いただけなのか、読み終わったのかどうかは定かではない。後ろのほうのページが開いていたのを閉じ、雑誌を横へ押しやる。


「じゃあ頼んだ!」

「……」


 瑠璃の態度に一瞬冷たい目を向けたものの、気を取り直した――そういうことである。


「我が覚えている限りで、だが――当初から大まかに金貨・銀貨・銅貨の三つが混在していたようだな。本当に最初の成り立ちは知らんが……既に商人などが使っていた」


 金貨は材料の面からも扱う国はむしろ少数だったらしい。だがその少数は大国がほとんどとなれば話は別だ。反対に小国では銀貨、というような使い方だったが、多くの市民が利用するのは軽さや少額決算のできる銅貨が中心となっていった。

 国によっては鉄を材料にした鉄貨も存在したが、次第に駆逐されていったようだ。他にも国によって様々な少額貨幣や独自の貨幣が存在した。現代にあるような紙幣は紙自体がまだ高級品の部類なので、現状、「あったかもしれないが駆逐された貨幣」の部類に入っている。


「そんな色々と存在してて大丈夫なの?」

「まったく大丈夫ではないが」

「ってことは、今は統一されてるのは……」

「……まあ、キッカケはあるな」


 当初、この三つの硬貨の変換レートも国によって様々だった。

 国によっても貨幣の形や大きさが違ったので、銅貨三百枚で銀貨一枚というところもあれば、銅貨五十枚で銀貨一枚というところもあった。その銀貨の形も円形だったり四角だったり、半円型の銀貨を「半銀貨」などと呼んで使ったりとばらばらだったのだ。

 銀と金のレートも同じで、銀貨十二で金貨一枚とするところもあれば、銀の含有量がどうとかで見た目は同じ銀貨でも違うレートになることまであった。


「材料が同じでも外国に行くとまったく違う通貨なのは普通だよね」

「そうか。貴様のところはそうなのだな」

「まあねー。ってか、きみはなんでそんなことまで知ってるの?」

「ひとつは、ゴブリンどもが光り物が好きだからだ。我が迷宮にも落ちてくる」


 瑠璃は物凄く納得した。

 たいていのファンタジーで、ゴブリンが光り物が好きなのは共通していたからだ。


「二つ目の理由は……、冒険者の存在だ」

「おお、冒険者!」

「奴らはダンジョン探索を生業にしている。……当然、各地を移動する存在だ。奴らの噂が耳に入ってくるというのもあるが……重要なのはそこではない」


 ブラッドガルドの迷宮拡大に端を発した迷宮戦争のあと、冒険者を擁護した国がいくつかあった。迷宮戦争によって疲弊した国々では、国を建て直すのに兵士だけではままならなかったらしい。

 特に迷宮に近いバッセンブルグは旧市街を含めた三分の二に近い土地が迷宮の魔力に侵され『荒野』と化していて、魔力が渦巻き人の住める土地ではなくなっていた。


「それが魔力渦、だったね。どう考えてもきみのせいなんだけど」

「心外だな、結果的にそうなっただけだ。この場合は……拡大しようとする我が迷宮の魔力と、地上の魔力がぶつかり合って渦になったものだな。今はどうなっているか知らないが……それでなくとも『死の呪い』が伝搬して、人間はばたばた死んでいたようだからな」

「……へえ」

「……おい、少なくとも『死の呪い』は我のせいではないと言っただろうが」


 加えて自国の銀貨がいつ使えなくなるかという不安から、まだきちんと機能している国の貨幣に交換する者まで現れた。

 そもそも「死の呪い」を抑えるために関所の検問を厳しくしたものの、呪いから逃れようと新天地を求める人々が難民となって関所をくぐり抜けたり、賄賂の横行などもあり、結果的に関所がほぼ機能しなくなったのが原因だ。


 そこから、迷宮戦争の休戦協定からしばらくした後、硬貨の統一が図られた。

 反対する国も出たかもしれないが、自国の硬貨ですら金・銀の含有量が無茶苦茶になっている有様だ。金と銀の価値すら不安定になっては国を建て直すどころではない。


「この時期に落ちてきた硬貨は面白いぞ。同じ硬貨であるのに、色が違ったりする。その辺に置いておいたら勝手に持って行く奴がいたが」


 瑠璃は何も言わなかったが、ダンジョンゲームで道ばたに置いてある宝箱の理由を見た気がした。

 そもそも迷宮そのものがブラッドガルドの家というか庭のようなものと考えれば不思議なことではないが、広すぎて感覚が麻痺しそうだ。


「……まあ、これが原因で冒険者の存在を際立たせたようだがな」

「えっ、そうなの?」

「当時の冒険者はその辺の荒くれ者と変わらん。我にとっては何と呼ぼうが盗賊のようなものだが」


 人間から見て、魔物を倒して素材や魔晶石を売ってくれる、という意味ではありがたくもあるが、身を立てられなければ浮浪者や泥棒となって治安を乱す。

 それだけならまだしも、依頼をしても依頼料を持ってトンズラ、ということがあっては擁護した以上信頼に関わる。


「できればそのままゴチャゴチャやっていて欲しかったんだがな」

「無理でしょそれは」

「だろうな。そこでできたのが冒険者ギルドだ」


 当時各地にあった商工ギルドや鍛冶ギルドなどの組合を参考に、依頼を斡旋し、ランク付けも行って対応できる依頼を制限し、正規の冒険者とそれ以外の荒くれ者と変わらないモグリをきちんと分けた。

 また、以前は冒険者と同じかあまり区別がつけられていなかった傭兵も分化したという。


「……というのが大まかな流れだ」


 ブラッドガルドはそこまで言って、黙っている瑠璃へと視線を流す。

 瑠璃の目が今までになく輝いて見えた。


 無言のまま一瞬で指先の間合いを詰め、その額を中指で軽く弾く。


「なんで!?」

「なんでもだ」


 額を抑える瑠璃に対して類を見ないほどの理不尽な答え方をしたあと、瑠璃の回復を待ってから気を取り直す。


「それで、ずっと聞きそびれていたことがあるが」

「きみだけ話を再開されてもちょっと私は言いたいことが山ほどあるぞ……?」

「知らん。いちいち話に囚われるな。話が先に進まん」

「ブラッド君に一番言われたくない台詞だ」

「貴様のところでは砂糖はずいぶんと広まっているのだろう。どの程度だ? おおよその値段でいい」

「えっ。物にもよるけど、だいたい一キロで二、三百円ぐらいが普通じゃないかなあ」


 瑠璃は自分が買うスーパーを思い浮かべながら言う。

 たいてい砂糖なんていつも同じものを使っているから、他のメーカーのものなんて気にしたことがない。


「物にもよる……?」

「砂糖を作ってるのは一カ所だけじゃないし、値段も変わるからね。同じ砂糖でも飲み物用で個包装されてるのだとまた違ってくるし」


 砂糖の精製具合によっても種類や値段が変動することはこの際置いておく。


「それは……キロという単位が不明だが、安いほうなのか」

「一般家庭なら一キロあればしばらくは充分じゃない? お菓子や料理をよく作るとか、そういう所だと一般家庭でも話は違ってくると思うけど」


 瑠璃は一拍おいてから考える。


「それに、こっちの百円がそっちのいくらなのかがわかんないと、こういうのって意味ないんじゃない?」

「……。我が知っているのは……、パン一つが銅貨一枚、ということだが」

「パン一つって結構な開きがあるんだけど……でもスーパーで売ってるやつなら百二十円前後ってところかな?」

「銅貨二、三枚と考えると、かなり安いほうではあるな。生活に必要な物、という括りのうちだろう?」


 瑠璃は頷く。


「それより、最小単位が百というのも不思議な話だが」

「えっ。ああ、一円とかじゃないってこと? 駄菓子とかだと十円二十円で買えるものも多分まだあると思うよ。おまんじゅうとか一個売りだと百円以下のものも結構あるし……」


 瑠璃が言うと、ブラッドガルドは黙ったまま瑠璃を見ていた。


「さすがに一円単位ってなると……お母さんとかが子供の頃……とかはともかく、今はどうかなあ」


 そう続けてから、瑠璃は顔をあげる。

 その目線は睨むようでもあるし、確実に人を射抜き、萎縮させる力があった。


「なんで期待の目で見てるの」

「別に期待はしていないが、いずれ貴様は持ってくるだろうと予言をしておこう」

「それは百パーセント予言じゃないからね?」


 瑠璃は真顔で答えておいた。


「……しかし、冒険者どもの余計な知識がこんなところで……」


 ブラッドガルドは不機嫌そうにぶつくさ言っていたが、瑠璃はへらりと笑った。


「ファンタジーだなあ……」

「……我からすれば貴様のほうがファンタジーだが」

「んあっ」


 そうだった、というような意味と、ファンタジーの言葉の意味するところを理解されたことにも呻いた。


「まあ勇者に比べれば良い」

「ほんと嫌いだよね勇者」

「女神が気に入らんからな。……勇者の話はどこまでした?」

「えー? きみを倒して封印したのと、最初は詐欺師として王様の前に突き出されて……そこを女神に助けられた、って事ぐらいかな?」


 もっと話しているかもしれないが、そこは瑠璃の頭の中に印象として強く残っている。


「あとはきみを倒せるくらいなんだから……すごく強い?」


 とはいえ純粋な強さだけでははかれないかもしれない、と瑠璃は思っている。

 世の中には低レベルクリアを目指すゲーマーだってたくさんいるし、実際の戦闘になれば単純な戦闘能力だけでなく、絡め手を使う人間だっているかもしれない。

 そのあたりはどうなのかと尋ねようとして、先にブラッドガルドが口を開いた。


「……リクだ」

「えっ」

「奴の名はリク。勇者リク、と名乗った。髪の色は黒、瞳もほとんど同じように見えたがわからん。人の顔の区別は微妙につかん故教えることはできん」


 瑠璃がついていけずに同じ言葉で聞き返している合間にも、ブラッドガルドはすらすらと続けた。


「身長は貴様よりも高いが年の頃は変わらず、見た目は貧相でまるで勇猛さに欠けている。だがそれ故に油断し、侮る。……その内部に女神の力を秘めているなど考えもしないからな」

「おう……、なんか急に詳しく話し出すからびっくりした……」


 瑠璃はブラッドガルドの言葉が止まったのを見計らって声をあげた。

 ブラッドガルドはしばらく無言のまま瑠璃を見ていたが、やがて


「そうか。聞きたそうだったから話しただけだが。二度と話さなくてもいいようにな」

「ほんと嫌いだよね!?」

「逸話は多々あるが、奴はそれ以上に……、……我を見ても恐れなかった」

「ああ、きみを目の前にすると怖がるってやつ?」


 ブラッドガルドを目の前にした瞬間に、ほとんどの人間が感じるという恐怖。

 それを感じなかったというだけで、確かに勇者だったのかもしれない。


「うーん……確かに初めて見た時は怖いと思ったけど……それって暗闇の中に正体不明のものがいたから、だと思うし」

「理解している。人間が感じる恐怖にも種類があり、未知のものを怖がることもな」

「理解したならアマプラでホラー映画見るのそろそろやめない……?」


 ブラッドガルドがそれを理解した原因がそれだ。

 アマプラは通販サイトに月額から入会できるプレミアム会員が見られるもので、人気の映画やアニメが一定期間見られる。

 一人で見ているのならまだいいが、操作面がおぼつかないため、結局一緒に見る羽目になるのだ。


「この間の女の人を解剖する奴、夢に見たんだけど」

「そうか。良かったな」

「良くないけど!? なんでよりによって怖くなってるシーンで声かけたの!?」

「黙れ、貴様が最初に持ってきたものより遙かにマシだ。それにあのパソコンとやらは貴様の持ち物だろうが」


 これ、まだ見る気だ。

 瑠璃の表情が変わって抗議が入る前に、ブラッドガルドはすかさず話題を逸らした。


「……ところで、ギルドでは奴の為だけに上位ランクができた、という話はしたか?」

「強いな勇者!?」


 そして瑠璃の思考は逸れた。


「ギルドの話は前にしたか。冒険者どもの統括組織であり、女神の加護を受けた勇者がどういうわけか所属した組織だ。依頼の仲介もしているな」

「成功確率がめちゃくちゃ高かったってこと?」

「そんなところまで把握しているわけがなかろう。だが、奴らが上位種、と分類している魔物ですらも難なく倒していたからな」

「きみはその時点でもっと危機感を持っても良かったのでは……?」

「別に何が来ても薙ぎ払えば同じだろうが」

「そういうとこだよ!?」


 さすがにつっこみを入れてしまう。

 いくらブラッドガルドが強靱で無敵で最強でも――いやむしろそれだからこそ、変なところで思考停止していると瑠璃は思っていた。

 確かに、ブラッドガルドに挑むというそれだけで命を賭けることになる。それに彼なりに誠実に応えた結果が今の状態なのだろうが、限度がある。


「もっとこう……なんか……あるだろ! 迷宮に仕掛け作るとか!」

「貴様の持っているゲームのような?」

「そう。でもあんまり凶悪なのは人が死ぬから困る……」

「何がしたいんだ貴様は」


 困惑というよりも冷静なツッコミが飛んでくる。


「……いや、ほら……、迷宮に潜るほうとしても仕掛けがいっぱいあったほうが楽しい……?」

「貴様は我が迷宮をなんだと思っているのだ」


 ブラッドガルドはそこまで言うと、目の前でひとつだけ残っていたマドレーヌを手にした。包装を破ってかじりつきながら咀嚼する。


「しかし、そうだな。いちいち相手をしているのも疲れる。我が迷宮に戻った時には、作り替えてみよう――我が力があれば可能だ」


 その一言が今後どんな事になるのか、今はまだ想像もつかなかった。

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