17話 きみと外出をしよう(後)

「飽きないの?」


 瑠璃が隣で尋ねると、ブラッドガルドは目を水槽から動かさずに口を開いた。


「興味深い。鳥なのに空を飛ばず、水の中を飛ぶ、というところが」

「ふうん……?」


 イルカショーから戻った二人は、順路の最後にある南極エリアにいた。

 ショーが終わったあたりから、ブラッドガルドは奇妙に不機嫌というか、苦々しい色が見えていた。

 聞かないほうがいいのかな、と瑠璃は視線を水槽に戻す。

 横に広い水槽の中には数種類のペンギンが突っ立っていた。南極の自然環境を再現するという名目の水槽は、背景の壁はもちろん、足場も氷河のようになっていて目を引く。硝子の下半分はプールになっていて、ペンギンが泳ぐところを間近で見られる。

 こっそりと尋ねたところ、こうした氷の大地は地上にしか存在しないらしい。


 ――お腹減った……。


 既に昼の一時を過ぎている。

 瑠璃はペンギンが横切るのを見ながら、この後どうしようか考える。


「ねえ。この後のことなんだけどさ」

「何だ、この後とは。これ以上は付き合わんぞ」

「何で私が連れてきたみたいな言い方なの!? せっかくここまで来たんだから、パフェ食べに行こうよ」

「……はあ?」

「こないだ友達と来た時に割引チケット貰ってたんだよねー。あ、パフェっていうのはこの間みたいにアイスに色々トッピングしたみたいな……」


 そこまで言うと、急に上から視線が降り注いだ。


「それを先に言え。さっさと口直しに行くぞ」

「えっ。なにそれ?」


 どういう理屈なんだと思ったが、返事はなかった。

 ブラッドガルドはどこで覚えたのか、順路の方へとさっさと歩いていく。ロングシャツが翻るとマントのようだ。端から見ればモデルのようなその姿に、微妙に視線が集まる。


「……」


 瑠璃はその後ろ姿をしばらく見つめていた。







「……」


 チョコレートパフェが運ばれてくると、ブラッドガルドは黙したまま固まった。

 物凄く睨まれている気分になる。


「……これを作った奴は相当の馬鹿……あるいは相当の切れ者……」

「そこまで言う!?」


 二人は水族館の近くにあるアミューズメント施設の中で、パフェで有名なカフェにいた。とりあえずパフェというのを食わせろというので、瑠璃が適当に注文したのだが、ここまで混乱するとは思わなかった。

 縦長のグラスには、下からクリーム、チョコ味のスポンジ、再びクリームという層が作られている。その上にバニラアイスとチョコレートアイス。生クリームの上にはチョコレートソースがかけられ、ミントとサクランボが添えられている。更にスライスアーモンドが上からまぶしてあり、後ろ側になる部分にはウェハースが二本差し込まれている。


「馬鹿と天才が紙一重っていうのはわかるけど」

「発想力が常識外れという意味ではそうだな……」


 常識外れの範疇なのこれ、と一瞬思ったが、突っ込むのはやめておいた。


「これは……何だ。こういうアレなのか……」

「急に語彙が減ってるけど何!?」

「こういう魔術……なのか?」

「お菓子だよ」


 そこは言っておく。


「まあでもこういう料理っていう意味ではそうなのかなあ。別のお店に行けば、同じ材料でも細部が違うとかあるし」


 サクランボじゃなくてイチゴだったり、下のほうにシリアルが入ってたりする。


「なんと言うことだ……」

「それショック受けること? それともショックじゃなくて混乱してる?」


 瑠璃の声には答えず、持ち手の長いスプーンを掴んでチョコレートアイスを崩し始める。チョコレートアイスは冷たくも柔らかくすくい取れた。三口目あたりから上の生クリームがバランスを崩し始めたらしく、一度チョコアイスに突っ込んだスプーンを外していた。


「謎解きか何かか……!」


 そういう概念がある事のほうが驚きだ。

 チョコアイスに専念できない、という主張のようだが、そもそもそういうものではない。

 瑠璃も自分の所に来たイチゴパフェをつついた。見た目はほぼ同じだが、チョコアイスがイチゴアイスになっていたり、上のソースがイチゴソースだったりと構成は似通っている。


「ところで小娘……」

「んえ?」

「これには何かあるのか」

「えー。ここで聞く?」


 いくらボックス席とはいっても、隣には普通にお客さんもいる。

 こんな話して変に思われないかと思ったが、まず何より(人間に擬態しているとはいえ)ブラッドガルドのほうが目立つな、と思い直した。


「まあでも、調べてみるだけみるよ。私も食べるけど」


 スマホを取り出してテーブルに乗せると、片手で生クリームをほおばりながら操作しはじめた。


「名前の由来はフランス語。『完璧』『完全な』とか『この上ない』って意味のパルフェっていう言葉から取られたみたい。それが英語圏でパフェになって日本語に輸入、の流れみたいだね」

「確かに史上の名に相応しくはあるな」

「それ知ってるものが全部入ってるから?」


 一応尋ねてみたが、無視された。


「ただフランスでのパルフェは全然違うものみたい。卵黄に砂糖やホイップクリームを混ぜて冷やした、アイスみたいな冷菓のことだって。それにソースや果物を添えて出す」

「……まあ、アイスは確かに入っているな」

「うーん。まあ、他にもサンデーっていうパフェとほぼ同じものがあるしね……」

「サンデー……も、意味は同じか?」

「ううん。こっちは日曜って意味」


 アメリカでの日曜日に販売したとか、当時は宗教的な意味で甘い物は日曜日だけ食べても良かったので、サンデーアイスクリームを呼ばれていたとか。

 ただ、キリスト教圏での安息日にあたるサンデー(Sunday)と同じであるのは不謹慎であるとして、後に綴りが変わったとも言われている。


「はっきり言うとこっちも区別はほぼなくて、器とか内容の違いでなんとなーく違いをつけてたりするんだって。ただ、それらの器の違いを明確にしてる場合もあるよ」

「どのようにだ」

「こーいう背の高くて深い器がパフェ。反対に、こう――」


 瑠璃は手で見えない皿を撫でるような仕草をする。


「浅い器がサンデー」

「……その違いに意味はあるのか?」

「……さあ……」


 瑠璃の答えを聞いてどう思ったのかはわからなかった。だがしばらく無言になったあと、スプーンを持った手を伸ばす。そのまま瑠璃のイチゴパフェのイチゴをかっ攫っていった。


「あー! 私のイチゴ!」

「うるさい」

「それなら私がチョコアイスを貰ってもいいというのか……!」

「殺すぞ」

「じゃあサクランボ」

「……」

「そこは悩むんだ……」


 その間に一口ぶんスプーンでかっ攫うと、瑠璃はこっそりとチョコアイスを堪能した。

 ブラッドガルドの目がぎょろりと瑠璃のほうを向いたのは、その直後のことだった。


 二人はそれぞれのグラスを空にしたあと、カフェを出た。他の店を少しだけ見回りながら外に出る。潮風がぶわりと吹き付けた。

 施設の中は人が多かったが、外はそうでもなかった。

 そういえば近くに大型の商業施設ができたっけ――瑠璃は隣を歩きながら、そんなことを思い出していた。

 驚くほど会話が無い。

 波止場から見える海は、小さな波がコンクリートにぶつかっているばかりだ。遙か向こうには船がいくつか浮かんでいるのが見える。ブラッドガルドは急に立ち止まると、どこか興味深い目でそれを見ていた。


「……?」


 瑠璃は隣から覗き込むようにして、その様子を眺めた。その心境がいかばかりなのかはさすがにわからない。


 ――船が珍しいのかなあ……。


 とはいえ、何かあるなら聞いてくるだろうと黙っておくことにした。

 初夏とはいえ、潮風は少し冷たく心地が良かった。でもきっとこれから暑くなるだろう。そうしたら何を食べよう、と思った。

 アイスはもう食べたから、味を変えてみるか。

 それともかき氷も市販品があるからそれを出してみようか。


「……そういえばもう一つさあ……」

「何だ」


 瑠璃が思わずといったように出した声に、即返答がかえってくる。

 そのことに驚く瑠璃。


「貴様から話しかけておきながら何故驚く」

「え。いや……聞いていいことか、わかんないから」

「ふん。下らん事なら答えんぞ」

「うーーん……」


 潮風が吹き、ウミネコの声が微かに響く。

 瑠璃は悩みに悩んだ末に、海を見ながら言った。


「右足、大丈夫なの?」


 純粋な疑問だった。

 少なくとも、瑠璃はそのつもりだった。

 だが瑠璃を見下ろすブラッドガルドの目は見開かれ、瞳孔が赤みを帯びた。縦に細く伸び、まだ明るい時間だというのにそこだけ暗闇が落ちる。僅かにうねる茶色い髪は、下から赤黒い色が顔を出し、潮風に不吉な色が混ざった。

 そのとき、波止場にいたカラスやハトが一斉に飛び立った。ガァガァと急に騒ぎ出し、瑠璃の近くにいた鳥が目の前を突っ切っていく。


「ヴォアーッ!? 何、なに!?」


 鳥たちの勢いに、思わずブラッドガルドを盾にする。

 ブラッドガルドはそれでもしばらく突っ立っていたが、急に力を抜くように息を吐いた。瑠璃は気が付かなかったが、波止場に集っていたカラスやハトたちはブラッドガルドから放たれた殺気を敏感に感じ取ったらしい。

 その瑠璃の頭に、不意に手が乗った。

 もとい、正しくは「頭を掴まれた」だ。


「いつ気付いた」

「待ってこの状況でそれ聞く!?」

「いいから答えろ」

「え……ええー?」


 瑠璃は思い返すように眉間に皺を寄せる。


「きみが急に私の家にいた時くらい……?」

「……そんな頃からか?」

「いやだって、あのときは気のせいかなっていうか、まだ回復してないのかなーぐらいだったから、あんまり突っ込んで聞かなかったけど……」

「見てわかるものか?」

「うーん。見た目だけだとあんまりわかんないけど、歩いてるのをずっと見てたら、かな。今日も全然わかんなかったけど、ほら、イルカショーのあたりから不機嫌だったでしょ。だからなんか調子悪いのかなって」

「……あれは……違う」


 つまみ食いした魔力がことごとく酷い味がしていたからだ、というのは黙っておいた。

 そもそもつまみ食いという表現自体が気に入らなかったが、それ以外に適切な表現がないのも腹が立ってくる。

 瑠璃はキョトンとしたままだった。

 やがてブラッドガルドは諦めたように息を吐くと、掴んだ後頭部をそのまま平手でぐっと押した。


「ちょっ、何!? 縮む! 私の身長が縮む!」

「安心しろ、そう変わらん」

「それはきみが高いから言えるだけだよ!?」


 ぐぎぎ、と腕を押し戻そうとする様子に一通り満足すると、ブラッドガルドはパッと手を離した。


「……まあ、だいぶ無茶苦茶やったからな」

「絶対今ので縮んだ……。でも、そういう傷とかって、ヒール! ってやったら全部治るイメージだったんだけど。ほら、回復魔法的なの」

「後遺症のようなものだ。これで固定化されてしまった」


 人間に変身している間はそうでもないが、元の顔には頬から喉にかけた傷が残っている。元々は無かった傷らしいのだが、どうにもいくつかが消えないらしい。

 勇者との戦いは熾烈を極め、崩れかけた体を無理に再生させ続けた結果、本来の形が崩れて異形と成り果てた。体が異形の肉体を棄ててからも残り、そのままで固定されてしまった。角は片方が途中で折れたまま戻らず、翼はもがれた。そして右足は……。


「……わからんと思っていたがな」

「普通に見えるけどね。でももしつらいなら言ってよ。元の姿はわかんないけど、今なら手を繋ぐくらいはできるから」


 そう続けると、ブラッドガルドはまた張り詰めた表情をした。ただでさえ良くない目つきがますます険しくなっている。というより、形容しがたい不機嫌さをもって瑠璃を見下ろす。


「……ちょっと、人がせっかく心配してるのに何でそんな顔してるの」

「貴様が変なところで鈍いからだ」

「なんでいま急にバカにしたの!?」

「うるさい」

「ごあーっ!?」


 片手が頭に伸びたと思ったら、頭を掴まれた上に髪の毛を見事にぐちゃぐちゃにされた。

 せっかくセットしたのに台無しだ。

 しかも今度は瑠璃がその腕を掴む前、というより掴もうとした直前にパッと離した。


「面白くない奴め」

「きみほんとそういうとこどうかと思うよ!?」


 クシを持ってなかったら普通に怒っているところだ。

 ひとまずぼさぼさになった髪の毛を手グシで整える。人が通っていないのが救いだ。


「ひとまず気にするな、これはもうどうにもならん」

「……」

「そも、貴様がいちいち気にしていてはどこにも行けんだろうが」

「え、まだ気になるところあるの?」

「ある。あれとかな」


 ブラッドガルドが目線で示した先を追うと、掲示板に刀剣展の広告があった。

 剣の類に目を奪われるのは、向こうと共通した武器だからだろうか。それとも刀は日本のものだから気になるのかと瑠璃は推測する。


「あれは……季節的にまだ先じゃなかったかな」

「そうか。楽しみにしているぞ」

「どうして迷い無く私が案内する前提なの!? ねえ!?」


 それに対する返答は、まるで当然とでも言わんばかりの態度で示された。


「大体、手を貸すというなら小娘……、貴様の影を借せ」

「は?」


 どういう意味、と聞く前に、ブラッドガルドの姿が揺らいで真っ黒な闇になった。当然のように角の生えた人影だったが、その闇は、液体のように溶けて地面に消えていく。


「うっ……!?」


 そんな瑠璃は、急にずしっとした疲労を感じていた。

 心労ではなく、肩のあたりが重たいような感覚だ。さすがに人を担いでいるというほどではないが、運動会の後のような、微妙なだるさがある。

 実際そんなことはないが、霊が取り憑いたようなものだ。相手は霊ではなく実体もあるが、人間ではないということは共通している。


「ちょ、ちょっと、ブラッド君?」

『うるさいと言っているだろうに。……ここだ』


 あたりを見回すと、地面に映る瑠璃の影が、自分の物でなくブラッドガルドに似た影になっていた。簡単に言えば、瑠璃よりだいぶでかくて角がある。


「ちょっ……何これ!?」

『影に入っているだけだ。我は休む、貴様はきりきり歩け』


 それどころか、瑠璃の動きとはまったく違う動きをする。

 瑠璃がわたわたと手を振ってみているのに対し、影は腕組みをしている。


「なんかめっちゃ疲労感がくる……」

『それはそうだ。我を一人背負っていると思え』

「ほんとにその例えで合ってんの!? というかそれは私が死ぬから!?」

『いいから黙れ。変に思われると困るんだろう』

「あ」


 瑠璃はハッとあたりを見回した。

 誰もいない。

 よし、ととりあえずは安心する。


「というか、こんな手があるなら人間に変身しなくても良かったんじゃあないの……?」


 瑠璃は影に向かって尋ねたが、既に影は瑠璃の物に戻っていた。

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