後編

 洋子がお見舞いに来てからさらに二週間たった。傷の抜糸は終わったけれど、動かしてると時々ひきつるような感じがするくらいで、それほど気にならない。

 今は体力をつけるための散歩をしつつ、腕のリハビリをしている。

 製菓学校は、あと半年だからと卒業だけを目指すことにした。入院してる間の遅れを取り戻すのは大変だろうけど、卒業を目指すだけならなんとか頑張れる気がする。

 就職はたぶん無理だろうなぁ……。


 あの日以降、洋子からメールは来るけれど、本人は来ていない。他の子も顔を出してくれたけれど、洋子は自分の結婚式があるからともかく、他のみんなも忙しいのか、その時以降は病院には来ていない。そのぶんメールがたくさん来るが。

 当然のことながら、浩輔さんは一度も顔を出していない。徐々に気持ちの整理がつき始めたころ、洋子が浩輔さんと彼女さんを連れて病室に顔を出した。

 今更何の用かと思わなくもないけれど、病室じゃなんだからと病院内にあるコンビニのイートインに案内した。


「中井さん、彼女さん、ご結婚おめでとうございます。結婚するお二人が今更私に何の用ですか? あれから邪魔してませんよね。それとも、籍を入れましたって報告ですか?」

「紗希」

「まさかさらに釘を刺しに来たとか? とっくに諦めてますし、結婚してる人を寝とるなんて非常識なことはしませんから、安心し……むぐっ……ちょっと洋子、何するのよ」

「いいから、紗希はちょっと黙って」


 洋子にジト目で言われて黙りこむ。

 私の隣には洋子が、目の前には浩輔さん、斜め前には彼女さんが座っているけれど、彼女さんは私の言葉でなぜかどんよりしていた。それに首を傾げつつも、洋子と彼女さんの話を聞く。


 彼女さんは、実は彼女ではなく二人の父方の従姉だそうで、かなりの悪戯好きらしい。二人から私の話を聞いて興味を持ったらしく、あの日は私と浩輔さんをからかうつもりであんなことを言ったそうだ。

 浩輔さんが戻って来たら種明かしをするつもりが、戻って来る前に私が『おめでとうございます。お幸せに』とその場を立ち去ってしまったものだから、焦ってしまったらしい。

 その話をたまたま噂話好きな近所のおばさんが聞いていたもんだから、近所中に広まってしまった。冗談だったと私に話そうにも、私は二人を避けてたから捕まえることができず、洋子や浩輔さんに相談しようかどうしようか迷っているうちに発覚し、洋子にガッツリ怒られたそうだ。


「本当にごめんなさい!」

「……別にいいです。もう終わったことですから。それに、今更ですし」


 そう言った私に従姉さんが項垂れる。


「あの、別に怒ってるわけじゃないですし、貴女に言われたからどうこうってわけじゃないですよ?」


 だから気にしないでくださいと伝えたのに、なぜか従姉さんはどんよりしたままだった。コンビニの時計を見るともうじき夕飯が来る時間だったため、「もうじき夕飯なので」と席を立つ。

 話がそれだけならばここで解散することを告げて商品が置いてあるほうへと行くと、水と缶コーヒー、お菓子を数種類買ってコンビニを出た。


 従姉さんと洋子が話をしている間、浩輔さんが私をずっと見ていたことは知っていた。けれど、敢えてそれに気付かないようにしてた。

 それに、諦めて折り合いをつけている以上、「彼女じゃありません、結婚しません」と言われても、今更感が強すぎて、私にはどうしようもできない。

 もっと早く言ってくれれば……とは思ったものの、彼女でもない私に何か言う権利はないし。


 病室に戻って夕飯を食べ、それが終わると退院した人が置いていった本が置いてある場所へと行き、何か本がないかと真剣に探していたら、後ろから声をかけられた。


「紗希ちゃん……」


 その声は、浩輔さんの声。……諦めた人。でも、諦められなかった人の声だった。


「うわ……っ! びっくりした! ……帰ったんじゃなかったんですか?」

「二人を最寄り駅に置いて戻って来た。どうしても紗希ちゃんと話したかったから」


 そう言われて振り向けば、すごく真剣な顔をした浩輔さんが立っていた。それに内心ビビりつつ、リハビリがてらの散歩に誘って病院内の中庭へと足を運ぶ。


「なかなかお見舞いに来れなくてごめんね」

「洋子から「中井さんは忙しい」と聞いていましたから、大丈夫ですよ。来ないと思っていたので、驚いてますけど」


 淡々とそう言えば、浩輔さんは溜息をついたあと、近くにあったベンチへ移動して座ると、私を引っ張って浩輔さんの膝の上に乗せた。その行動が理解できず、焦る。


「ちょ、中井さん!?」

「……なんで前みたいに名前で呼んでくれないの? そんなに僕が嫌いになった?」

「ちが……っ」


 違う。妹扱いでも好きだった。諦められないほどに、今も好きだ。


「……あの日、僕がどれだけびっくりしたか、紗希ちゃんにわかる? 気を失った紗希ちゃんが死んでしまうんじゃないかって、どれだけ肝を冷やしたかわかる!?」

「な、かい……さん……?」


 どうして浩輔さんが激昂しているのかがわからない。そして、大事なものを抱え込むように私を抱き締めているのも。


「ずっと妹だと思ってた。でも、少女から女性へ、そしてどんどん綺麗になっていく紗希ちゃんが眩しかった。徐々に僕から離れていく紗希ちゃんに、なぜか恐怖が湧いた。それがどんな気持ちだったのかずっとわからなかったよ、あの脱線事故で、血塗れの紗希ちゃんを見るまでは」

「……」


 ふっと息を吐いた浩輔さんが、私の頭を引き寄せた。


「紗希ちゃん……好きだ」


 耳元でそう囁かれ、身体がビクリと跳ねる。


「なか、……」

「あの日、紗希ちゃんを……紗希をいつの間にか好きになってたことに気づいた。先輩のハイパーに『私情を挟むな! 落ち着け!』と怒鳴られるほど、紗希の血塗れの姿を見て、動揺して取り乱した」


 スッと浩輔さんの指先が伸びて来て、私の腕に残っている傷をそっと撫でる。それがとても擽ったい。


「紗希の内面を好きになった僕にとって、体に傷があろうとなかろうと関係ないよ」

「……っ」

「好きだ、紗希。紗希は?」


 そう聞いて来た浩輔さんの声は、私を絡めとるような切なくて甘い声。そして顔も目も真剣で……。

 そんな顔をされて、そんな声で名前を呼ばれてしまったら、蓋をしていた気持ちが溢れてしまう。


「私、わ、たし……もっ、好き……っ」

「……うん、言わなくても紗希の気持ちはバレバレだから知ってたけどね」


 そう言った浩輔さんは、どこか安心したように私を抱き締める。

 つい勢いで「私も好きだ」と言ったけれど、今まで妹扱いされて来たぶん、いきなり「好きだ」と言われても素直になれなくて。


「……何か、僕の気持ちを信じてない顔だよね」

「……そんなこと……」

「まあ、いいけど。紗希の両親には結婚を前提に紗希と付き合うことを許してもらったし、これから口説けばいいよね?」

「へ?」

「あ、その前に、もう一度。紗希、好きだ。結婚を前提に、僕と付き合ってください」

「はい」


 普通の会話の口調で言われたから、思わずいつもの通りに返事をしたあとで慌てる。


「私よりも両親を先に口説いてどうするんですか!」

「だって、紗希と付き合い始めてから反対されたら困るでしょ? もっとも、ご両親はいつ言い出すのか待ってたっぽいけど」

「な、な、な、」

「と、いうことで……。元気になるおまじない」


 浩輔さんは私の頭を固定し、顔が近付いて来たかと思うとそのままキスをされる。


「中井、さ……んぅ……ん……」

「名字で呼ぶの禁止。名字で呼ぶ度にキスするよ? 紗希、昔みたいに名前で呼んでよ」

「こ、浩輔、さん……」

「よくできました」


 満面の笑みで「ご褒美」と言って私にキスをする浩輔さん。どっちにしてもキスしたいだけなんじゃ……とも思ったけれど、敢えてそれは言わなかった。


 付き合いを承諾したあとは大変だった。入院している時は、浩輔さんが忙しいこともあってキスはあの日以来していなかった。けれど、退院したあとは私が学校が休みの前日に学校まで車で迎えに来てそのまま食事だった。

 それがいつの間にかそれにプラスドライブデートだの、泊まり掛けデートだの、プチ旅行だのが徐々に増え、付き合い始めてから一ヶ月後の最初のお泊まりデートで美味しくいただかれてしまった。


 製菓学校もなんとか卒業し、バイトだったけれど近所にある小さなケーキ屋さんに就職することができた。就職は諦めていただけに嬉しい。

 大量のケーキは無理だけれど、たまに試作品としてケーキを作らせてくれるのが嬉しい。そして、それが採用されることもあるから、やり甲斐はある。


 卒業して三ヶ月後に結婚。浩輔さんはレスキュー隊が着るオレンジ色の制服を、私は白いドレスを着て式を挙げた。ケーキはもちろん、バイト先のケーキ屋さんに発注。

 マジパンでできた消防車とか、浩輔さんと私に似せた砂糖菓子とかあって可愛かった。



 ――あれから十年。浩輔さんはレスキューからハイパーレスキューへと昇格した。

 そして私の隣には相変わらず浩輔さんがいて、本日の主役である浩輔さんと同じ隊に所属している西さんたちの結婚式を、ニヤニヤしながら眺めている。

 西さんとその奥さんになる麻衣さんとの歳の差はなんと十四歳。そのこともあり、西さんは消防署内でも「幼な妻をもらった」とよくからかわれているらしい。そんな西さんの奥さんも、私と同じ脱線事故にあった人だと聞いている。


(あとで彼女に話しかけてみようかな……)


 どうせなら、二人の馴れ初めも聞きたいし。

 出歯亀かなあと思いつつ、指笛を鳴らす夫の浩輔さんを、呆れたように見つめた。


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