My HERO

饕餮

西の場合

一話目

『……あ、風船葛だ』

『あら、よく知っているわね。この種、見たことある?』

『ううん』

『じゃあ……ちょっと待ってて』


 家に帰りたくなくてブラブラしていたら、窓が見えないくらいにびっしり生えた風船葛を見つけたのは偶然だった。写真では見たことがあったけれど、本物を見たのは初めてだった。

 そんな私の呟きに声をかけて来たのは、わりと大きなこの家に住んでいると思われる妊婦さんだと思しきお腹の大きなお姉さんで、わざわざ庭先で作業をしていた手を止めて話しかけてくれたのだ。


 ちょっと待っててと言われて待っていると、お姉さんはチャックの付いた小さなビニール袋を私に手渡してくれた。


『はい、どうぞ』

『うわあ、可愛い!』

『でしょう? ここにハートの模様があるでしょう? だから、海外ではハートシードとも呼ばれているの』

『へえ……』


 お姉さんに手渡された袋の中には、茶色い小さな風船が五つと、小さな黒い種にハート模様がくっついているのが六つ入っていた。それを眺めながら、お姉さんの説明を聞いていた。


『よかったら、貴女にあげるわ』

『え!? でも……』

『うちはグリーンカーテンにもなってるからまだまだたくさんできるし、それに、貴女に幸せのお裾分け、かな?』


 そんなことを話していると、家の中からすごく身体の大きな、目付きの鋭いお兄さんが出てきた。


『彩、オブケさんから連絡入った。お宮入り直前のヤマが動いて人手が足りないらしいからちょっと行って来る』


 私を見たお兄さんは、鋭かった目を緩めてにっこり笑い、『暗くなってきてるから、気をつけて帰りなさい』と言って車で出て行った。


『オブケ……さん?』


 オブケさんとか、お宮入り直前の山ってなに? てか、山にあるのがお宮なのでは? と首を捻っていたら、お姉さんが苦笑していた。


『ああ、ごめんなさい。あの人、私の旦那で警察官なの。上司から連絡があったから、仕事に行くってことなの』

『警察官て、お巡りさんのことだよね? だからあのお兄さんは身体が大きいんだね』

『そうね』

『それでお姉さん、幸せのお裾分けってなに?』

『ああ。この風船葛はね、旦那がくれたの。これをもらうまではすごく辛いことがたくさんあったけれど、この種をもらってからすごく幸せになれたから、貴女にもお裾分け。植木鉢でも育てられるから、よかったらもらってくれる?』


 そう言ったお姉さんにどうしてと呟けば、お姉さんは『泣きそうな顔をしてたから』とにっこり笑う。それにつられるように明日引っ越しをするから友達と会えなくなるのと言えば、『だったら、尚更ね。今は辛くても、いつかきっといいことがあるわ』と言われ、素直にお礼を言って風船葛の種をもらったのは中学一年の時。

 そしてウキウキしながら引っ越した先で種を蒔いたら、芽が出た途端に雑草に間違われてお母さんに引っこ抜かれた。


『ここにお花の種を蒔いたから抜かないでって言ったじゃん! 立札も立てといたのに!』

『立札なんか……』

『お母さんの足元にあるのは何よ!』

『え? ……あ……』

『お兄ちゃんの話はちゃんと聞くのに、私の話はちっとも聞いてないじゃん! もういい! お母さんとはもう口聞かない!』

『あ……! 待って! 麻衣!』


 いつだってお母さんはお兄ちゃんが優先で、私は二の次。お兄ちゃんが生まれてからはお姉ちゃんに対してもそうだったらしいから呆れ、仕事するようになったら家から出て独り暮らしを始めた。お父さんは話は聞いてくれるけど、仕事が大変だからあまり会わないし。


 それに、また種を蒔こうにも種は全部使ってしまった。


(あのお姉さんのところに行って、『また種をください』って言ったらくれるかな……)


 お小遣いは貯めてあったから、引っ越す前のところに行って帰って来るくらいの電車代やバス代はある。


(まだ午前中だし……行ってみようかな)


 そう思ったのか間違いだったのかもしれないし、罰が当たったのかもしれない。どうせ聞いてないだろうと思いつつも『でかけて来るから』とお母さんに声をかけて家を出て、電車に乗ってすぐに私は脱線事故に巻き込まれた。

 身体中のあちこちが痛い中でぼんやりと覚えているのは、誰かが叫んだその人の名前と、『もう大丈夫だ』と笑ってくれた顔と、オレンジ色の制服とヘルメットを被ったお兄さんのことだった。


 病院で目が覚めた時、お姉ちゃんとお母さんに泣かれた。お父さんとお兄ちゃんに怒られた。四人に『なんで何も言わずにでかけ、電車にに乗っていたのか』と言われてカチンと来た。


『ちゃんとお母さんにでかけて来るからって言ったよ! 喧嘩して口を聞かないって言ったって、それくらいは言うよ!? 結局お母さんは私の話を聞いてないし、聞く気もないんでしょ!?』


 私がそう言ったら、お父さんもお姉ちゃんもお兄ちゃんもお母さんを呆れたように見てた。


『相変わらずね、お母さん。いくらなんでも酷すぎない?』

『僕もそう思う。それに最近、麻衣の話をシカトしてる時があるよね? 種の話をしてる時だって、心ここにあらずって感じでボケっとしてたじゃん』

『……』


 お姉ちゃんとお兄ちゃんに指摘されて黙り込むお母さんに、お父さんは溜息をついただけだった。

 お兄ちゃんとは別に仲が悪いわけじゃない。むしろお母さんよりも話を聞いてくれる。だからいろんな話をしてるし、種をもらった話もした。

 以前のお母さんは、やっぱり話は聞いてなかったけど、今より酷いわけじゃなかった。そのことはお姉ちゃんもお兄ちゃんも感じてるようで、お母さんをちょっと睨んでいたっけ。


 入院中は退屈だった。でも、リハビリとかしなきゃなんなかったし、それなりに大変だった。お見舞いもいろんな人が来てくれた。もちろん家族も。

 でも、お母さんは来なかった。来ても、せいぜい一週間に一回くらい。

 お兄ちゃんに聞いたら、お兄ちゃんも最近はお母さんとあまり話さなくなったし、話していても遠くを見てボケっとしていて、たまに溜息をついたりしてるらしい。

 そんなある日、お母さんが病院に来て、洋服の洗濯とか乾燥を待ってる間ポツリと呟いた。


『あのね、麻衣に怒られたあの一角からね、また芽が出て来たの』


 そう言われて一瞬なんだっけ? と思ってしばらく考えてたら風船葛のことを思い出した。


『え? 嘘っ!』

『本当。写真、見る?』

『見たい!』


 お母さんがスマホを出して、写真を見せてくれた。写真にはかなり伸びた風船葛と、白くて小さな花と緑色の風船と茶色の風船が写っていた。


『うわあ、可愛い! 早く実物が見たい!』

『そうね。とっても可愛いわね。これ、何て言うの?』

『風船葛って言うんだよ』

『風船葛……?』

『うん』


 風船葛の種をもらった経緯と名前の由来を教えてあげたら、お母さんは私の顔をじっくりみながら、『ハートシード……』って呟いた。


『茶色い袋を破くとね、種が三つ入っていて、その種は黒いんだけどハート模様がついてるんだよ。その種をくれたお姉さんも、すっごく幸せそうだったよ?』


 その時のお姉さんの様子を話すと、お母さんが突然泣き出した。


『お母さん?』

『……お父さんがね、話を聞いてくれないの。仕事が忙しいとか、疲れてるとか……』

『うん。でも、お母さんも同じことしてるよね?』

『……え?』

『私にもだけど、お父さんにも疲れてるからって言って、お父さんが話したそうにしてるのに話を聞いてあげてないよね? だからどっちもどっちだと思うよ? お父さんもそう思うでしょ?』

『え!?』


 私の言葉にびっくりしたお母さんは、後ろを振り返ってさらにびっくりしていた。そこにはお父さんとお兄ちゃんがいたから。


『麻衣……』

『そうだね、僕もそう思う』

『でしょ? そう言うわけで、お兄ちゃん、ジュースおごって!』

『……なるほど。いいよ。この部屋には麻衣しかいないしね』

『は?』

『え?』

『二人で話せってこと!』


 お兄ちゃんとハモって病室を出る。病院内にある売店に行って、ジュースを探しながら時間を潰して。帰って来た時には、二人ともすっきりした顔をしていた。

 本当に、あの風船葛が風船をつけてから、皆が幸せになっていくのが嬉しかった。お姉ちゃんの結婚も決まったし、お兄ちゃんも行きたい大学のA判定をもらって嬉しそうだった。

 お父さんもお母さんも、いろいろ話すようになったみたいだし。もちろん、お母さんは私の話をちゃんと聞いてくれるようになった。

 私以外の皆が幸せで、嬉しい。……嬉しかった。


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