第13話 ねこのまねき
小さな頃から両親は忙しくて、食事はインスタントが多かった。べつにそれを悲しいと思った事はない。何故なら、親の手料理よりもインスタントの方が食べやすいから。
決して、両親は料理が下手な訳じゃない。むしろ、上手すぎるのだ。
「僕は時々、お嬢さんの食生活が心配になります」
コンビニ帰りにバッタリと出会ったお隣さんにそう言われる。
「私は、お隣さんの食生活も気になりますが。食器が基本どんぶりってどうなんですか?」
私が袋からうまい棒を出して、かじりながらそう言うとお隣さんは少し拗ねた。
「そうだ、よかったら晩御飯でも食べに行きませんか?行きつけの店があるんです」
唐突にお隣さんはそう言い出した。私はインスタントは好きだけれど、お店に食べに行くのは苦手な訳で……
「遠慮しておきます」
私はそう返事をする。しかし、お隣さんは悪戯を思いついた様に
「お嬢さんは必ず、食事に行きますよ」
と言った。
お隣さんがそう言うと、確かに必ずになりそうなので、私は警戒しておくことにしよう。
別の日の夕方、冷蔵庫を開けると飲み物が切れていた。べつに水を飲めばいいのだが、なんだかその日は無性にオレンジジュースが飲みたくて仕方がなかったので、私は近所のコンビニ774へ向かう。
その途中で、一匹の黒猫が私の前に現れた。ごく普通の住宅街なので、どこかの飼い猫だと思いながら、猫に手を伸ばしてみた。とっても、綺麗な黒猫で、黒猫は目を細めながらこちらをみる。
猫は完全に私を見下している様子で、手を伸ばすとすっと、その腕を避け、一歩進むとふらりと避ける。なんだか、私は無性にその猫を捕まえたくなってしまい、その猫を追いかけて、走った。猫は後ろを時々確認しながら道を走る。完全に舐められている。そして、猫は一本の木製の電柱の前で止まって、爪とぎを始めた。
電柱の隣は山茶花の垣根だったので、私は勢いをつけて、猫を掻っ攫う様にその隙間に突撃をかけた。
もちろん猫は華麗にその攻撃を避ける。
「お嬢さんはやっぱり面白い」
地面にこける寸前のおかしな姿勢になっている、私の頭上から聞き慣れた声が……『この男どこから現れた』私は心の中でそう呟く。
咳払いしながら、立ち上がると、周りの景色が変わって、何処となく、昭和を思い出させる裏路地になっていた。山茶花の垣根は木製の壁に変わっていて、何だかいい匂いが換気扇から漏れ出し、自然とお腹が減る。
「お客さん、早くしないと席うまっちゃいますよ」
先程の黒猫が大通りの方でそう言って手招きしている。
「喋った」
指差しながら、そう言うと猫はまるで髪を掻き上げる様な仕草をすると
「常識になんの意味があります?」
と言って、フッと笑われた。
私はすこし顔を赤くしながら猫について通りに出た。通りを歩いているのは普通のスーツを着た、会社帰りっぽい人間だったが、猫とお隣さんが喋っていても、全く驚いている様子はない。そして、ここはどうやら商店街の様だ。
先程の店はせんべい屋で、その場でせんべいを焼いていた。そして、時より《みたらし商店街へようこそ》という看板があり、昭和くさい八百屋や魚屋なんかがあり、駄菓子屋もあった。私がふらふらとそちらに吸い寄せられていると、パーカーのフードをお隣さんに捕まれて逃げられない様にされてしまう。
籠に入ったニワトリが置かれた肉屋の角を曲がって商店街から少し外れた所に、木製の食堂が現れた。
《ねこのまねき》
トタンにペンキで書かれた、看板にはそう書かれている。ずっと案内をしてくれていた黒猫は二本脚で立ち上がると、木とすりガラスでできた引き戸を開いて、「お客様、二名入りまーす」と叫んだ。
先程から思っていたが、なかなかこの猫はさわやかな良い声をしている。
扉を一歩入った瞬間に、お腹がなった。店の中は少し湿気が多い様な気がするが、その湿気すら、食欲をそそる。
「いらっしゃいませー」
複数の声がそう言ったが、店員の姿は見えない。かわりに、沢山のネコがいた。
お隣さんの足元に、美人そうな三毛猫が駆け寄ってきて、「あら、お客さん久しぶりですね」と声を掛けてくる。
「奥の席、空いてる?」
お隣さんがそう言うと、
「奥の座敷席、二名様はいりまーす」
と三毛猫は綺麗な声で叫んだ。
「はーい」
また複数の声がそう言った。店はあまり広くはないが、入ってすぐの左手に四人掛けのテーブル席が一つあり、その向こうには厨房を囲む様に、カウンター席がコの字型に作られていた。右側はには座敷で四人掛けのテーブルが五つ置いてある。
三毛猫は手を広げて、数を数える様に短い指を折ると、「じゃあ、すぐにお持ちしますね」と言いカウンターに飛び乗って、厨房に入って行く。
私が唖然としていると、お隣さんは注文票に目を通しながら、嬉しそうな表情をしている。そして、ちらりとこちらをみて、「こんな晩もありでしょ?満月ですし」と言い笑った。
それから、色んな模様の猫達が運んできてくれた料理はとてもにおいしかった。なんというか、家庭の味という感じ。店の雰囲気も、すこし騒がしかったが、嫌いにはならなかった。
お腹が満腹になり、お会計は割り勘を推奨したのだが、お隣さんに通貨が違うと押し切られ、ごちそうになってしまった。
レジの隣のマッチのデザインが可愛かったので、私は一つ貰う事にする。
猫達にお礼を言いながら外にでると、外は綺麗な満月で、眩しいくらいだった。そんな月を眺めていると、段々と、店の喧騒が遠くなっていく。
『またの起こしをお待ちしています』
最後に聞いたのは、そんな黒猫の声だった気がする……
「お嬢さん?聞いてます?」
お隣さんのそんな声にハッとして、周りを見回すと、いつものコンビニの帰り道だった。手にはオレンジジュースの入ったビニール袋がある。
そして、空にはオレンジの様な真ん丸の月が浮かんでいた。
「昨日言っていたゴールデンオレンジが届いたので、よかったらこのまま寄って下さい。一人じゃ食べきれないんで」
お隣さんは、同じコンビニ帰りという様子でそう言う。
「あぁ、それで、私オレンジが食べたかったんですか」
私がそう返事をすると、お隣さんは少し困った様に
「僕に聞かれましても」
と言う。
私の記憶からはなにか大きな物が抜け落ちている気がする。
「そう言えば、お隣さん。こないだ言っていた食事、連れて行ってもらえますか?」
私がそう言うと、お隣さんは最初は驚いた顔をしたけれどすぐに微笑んで、
「よろこんで」
と言った。
何故、自分がそんな気持ちになれたのかはよく分からないけれど、素敵な出会いがある気がするのだ。
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