砂礫の王冠

ユキガミ シガ

第1話 Le rideau de l'opéra se lève

「うーん、右かな?」

「いいや、左だね」

唯蓮ゆいれんが正解です」

 また外した。がっくりとうなだれるが、残りの二人は全く反応を返してくれない。昼日中ひるひなかだというのに暗い室内に男が三人。一人は朱塗りの長椅子に半分寝そべるようにして座り、一人はその傍らに立っている。最後の一人は何故か場違いなパイプ椅子に座っていた。

「だから君は駄目なんだよ、シド」

 長椅子に掛けていた男はそう付け足す。男と言っても一目には男と判別がつかない。手指の先は黒く染められ、長く伸ばした髪も美しく結われている。幾本もの高そうな簪を挿し、どうやら化粧までしているらしい。纏う服こそ地味な長袍で、きっちり男物であったが物腰すらどこか女性的だ。

 人は見かけによらないもので…否、或いはぴったりだったかもしれないが、彼はこの古めかしい店の主だった。

 ここはロンドンの中心部。と、言っても東洋の香り溢れる町、中華街。大きな門を潜ってすぐの路地を曲がったところにひっそりと建つ、小さく古ぼけた店だ。

 傍らに立つ男は唯蓮と呼んだ。しかし、彼はその名から連想される様な東洋的な容姿はしていない。銀色の髪と青い瞳を持っている。小意地の悪い笑みを除けば全く、非の打ちようのない容貌といえた。

 辟易しながらそんな彼を見つめるのが右だと主張していたパイプ椅子に掛ける男である。短い髪は硬いし癖が強くて、水をかぶれば大人しくなるものの、普段はツンツンと天を刺している。

 そばかすは比較的多めだが、イギリスのパンクスとしては全く特徴のない顔立ち。綺麗でも汚くもない。痩せぎすの体で、耐えずうろたえているから背も低く見えるが実際は長身だ。彼は大変気が弱い。大体シドと呼ばれているが彼の名前はジョンだ。全く意味が判らない。あだ名をつけたのは唯蓮で幾度も訂正したが勿論聞き入れられなかった。

 彼がこの店に流れ着いてもう半年になる。けれど、いつまでたっても店主は偉そうで、使用人は掴み所がない。給与は勿論与えられていないし、食費や滞在費まで出しているのだからいわば宿泊客も同然だが、当然のように扱き使われ、あるときは楯にされ、あるときは打ち据えられ、日々馬鹿にされて、何故ここに留まっているのかもあやしく思えてきた。

 シドは救いを求めるように、姿勢を正して立っている男の方を見る。髪を後ろに撫で付け、耐えず愛想笑いを浮かべて、唇からは礼儀正しい敬語と歯の浮きそうなおべっかしかでてこない。調子がいいのではなくてこういう性格なのだろう。

 ただし、実はこの男、この三人を並べてみれば一番若そうな顔立ちをしているのだった。身形も一番しっかりとしていて紳士然としており、風格も有るが、童顔なわけでもない。しかし、その印象に反して、その顔は二十歳にも達していないように見える。彼はシドに対しても終始柔らかい物腰ではあったが、歳を聴いてもはぐらかすだけで教えてはくれないし、優しげに接しながらも唯蓮から護ってくれるようなことは一度足りともなかった。

 名を

桂花クィフォア、客だ」

 桂花という字面から秋に咲く橙の花を浮かべるが、本人は鴉のように黒い髪を持つ紳士であった。

 彼は店主に一度礼をして戸口に向かう。全く気配はなかったが言われて見れば、確かに朱塗りの格子戸に影が指している。桂花は両脇に無造作に積みあげられた数々の骨董品(或いは単にガラクタ)を器用に避けながら扉に手をかけた。軽く軋んで開いた扉の向こうには黒い人影。逆光でよく見えない。シドは目を凝らしたが結局当人が目の前に来るまで何一つ判別できなかった。

「どうぞおかけくださいレディ」

 言いながら唯蓮は長椅子を明け渡す。桂花に連れられて入ってきた少女は戸惑い気味に辺りを見回しながら素直に腰掛けた。

 当の唯蓮といえばそのあたりにおいてあったこれまた高級そうな朱塗りの椅子を桂花に引っ張り出させ、悠々と座る。全く、シドにはパイプ椅子がお似合いだとでも言いたげなふてぶてしい態度に僅かに苛立ちを覚えながら睨みすえるが、唯蓮は少女に愛想良く笑いかけるだけでシドには目もくれない。

 暫く客など来なかったためにシドも忘れていたが、この男、女と見れば本当に見境がないのだ。今回目の前に座っている少女もまだ青さが残るものの五年後には匂いたつような美女となるに違いない。金糸の髪を肩まで伸ばし、薄桃色のワンピースを纏っている。始終落ち着かない風情だが、それも無理のない話。こんな胡散臭い店の奥で男三人に取り囲まれればイヤでも警戒するだろう。

「何かお探しですかな?フロイライン」

「ミシェルです」

 少女は即座に名乗り、頬に掛かった髪をそっと掻き揚げた。真っ直ぐ伸ばされた見事なブロンドは耳に掛けられてもすぐに落ちてきてしまう。さらりと零れるそれは夕日に染まる小麦畑がそよぐように美しい。シドに詩的精神は皆無だが彼の中では最高の賛辞だった。

 大きな瞳は水底のような濃い緑。魅惑的なそれを覗き込んで、唯蓮は幸せそうに笑っている。まったく、あんなに鼻の下を伸ばしても見目が綺麗なものだから違和感がない。シドは恨めしそうに見つめながら深く息を吐いた。

「あの…」

「なんですか?」

 唯蓮はニコニコと笑いながら問い返す。少女は戸惑ったように眉根を顰めながら非常に小さな声で続けた。

「ここは、骨董品店――じゃ、ないですよね?」

 唯蓮の表情が一瞬妖しげに艶めいた。シドも久々にピリピリとした緊張を感じ、思わず自分の手首を握り締める。桂花だけがいつもの調子で薄っすらと笑っていた。

 唯蓮は優雅に小首を傾げ、さて、とはぐらかす。少女の目に怯えの色が見えるが、唯蓮は敢えて答えず、逆に質問を返した。

「して、フロイライン。ご用向きはなんですか?」

 その言葉に、少女の表情が代わる。不安げな様相に変化はないが、何かを決意したようなそんな表情をした。

 少し間をおいてから、少女は緊張の面持ちで答える。

「私・・・わたくし、メフィストフェレスにオペラをお持ちしましたの」

 彼女はテーブルの上に白い箱を出した。小さなその箱はこの町にただ一件存在するパン屋のものである。

 震える指が箱を開いた。

 中身はたった一切れのチョコレートケーキ。本人の申告どおり、それはオペラに他ならない。

 シドは息を呑む。桂花は意味ありげな微笑を浮かべて背筋を正した。唯蓮は少し身を乗り出してにっこりと微笑む。

「用件を伺いましょうフロイライン。お察しの通りここは」

 意味ありげに切られた言葉。ミッシェルは息を飲む。唯蓮は満足げにそれを眺めてから、静かに続けた。

「何でも屋ですよ」

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