仕事

 人がごった返し、波となってうねる。

 石畳の道はまともに見ることはできず、慣れない者が歩けばすぐに迷子になるのは必至だろう。

 しかしその労力に見合う物がその都市にある。

 豪華絢爛な衣服。

 普段使いを意識した宝石。

 男女関係なく衣服と装飾品が立ち並ぶ。

 あまりの店の多さにソドムで探せば必ずあると言わしめるほどだ。

「じゃ、三人はソドムで買い物をしててくれ。用事が終わったらそのまま家に帰っていいぞ」

「よーし! 撫子、あなたの服もついでに買うわよ!」

「え!? ま、待ってください。えーっと………」

 自分が買うなど思っても見なかったのだろう。撫子は袖口からガマ口財布を取り出すとお金を数えだした。

「私が買ってあげる」

「しかし――」

「気にしないで」

 撫子も好意を受け取ったようで、深々と頭を垂れた。

「かたじけない」

「もう………そういう堅苦しいの止めて。お兄ちゃんも気をつけてね」

 やはりそこは生真面目。ベリーにとって見慣れない故に少し戸惑う。

「変なおじさんについて行っちゃダメだからね。パンティ盗られないようにね。もし何かあったらこのジョンおじ――」

「人がいるからって憂さ晴らしができないと思わないことよ………」

「…………はーい」

 元気よく答えるハンチング帽の初老。一見しても少しおかしいというのは傍からでも見て取れる。


「それで? 例の施設は?」

 しかし踵を返して、咥えたタバコが映える、ダンディの一言に尽きる表情に一変した。

「ゴモラだ。使われているかも怪しいが、概ね撫子の情報通りだろう」

「撫子殿、もうちょっと女子女子してもいいと思うんだがなぁ………まずはあの口調を――」

「ジョン、聞いてないからって言いたい放題言ってると後で痛い目見るの分かってるだろ?」

 しかしそこから漏れる言葉はいつも通り。

「まあ、その時はその時だ。さっさと片付けてアンと撫子のファッションショーに行こう」

 また勝手にそんな事を言っていると――とここまで考えてトニーは思考を遮った。

 どの道ジョンはやられるのだ。気にしても苦労するだけ。そう割り切って鼻で笑う。




「ねえ、これどう? こっちもいいわね。これも着てみて」

「重い………」

 アンの顔が隠れてしまうほどに盛られた服の山を自力で持てるはずもなく、ずるずると倒れ込む。

「ベリー殿、アン殿が潰れております。それにこんなに買わなくてもよろしいのでは?」

 服の山からアンを助け出してため息を一つ。撫子にはこれほどの量を買う意味が理解できない様子。

「あら、ごめんなさい。でもね、女の子だったらこれぐらい揃えないと。おしゃれしてこそなんだから!」

「はぁ………?」

 ソドムにある服屋の一つ。既に他店の袋を持った状態で更に買い込む。

 さすがの店員も驚きを隠せないが、なんのその。人目も気にせずにアンだけのために服を選ぶ。

「ベリー殿! ベリー殿! この服はどうですか?」

 そう言って持ってきたのは鎖帷子。一体この店のどこにそんなものがあったのか、さすがのベリーもため息を吐く。

「撫子………やっぱりあなたも服買いましょ。ね?」

「え?」

 キョトンとさせて、疑問符しか湧かないと再度鎖帷子を見やる。

「良いと思ったのですが………」

「アン! じゃあ一度試着してみて」

 踵を返し、服の山を見つめるアンを呼ぶ。

「分かった」

 どうやらアンも買い物が楽しいらしい。あまり顔には出さないが、行動でそれが分かる。

「おやおやおや。ベリー・レインではないですか」

 その嫌味の籠った言い方で誰かはすぐに分かった。

「あーら、ガヴリエルじゃない。五千年ぶりかしら。というよりあなた一応男神よね? ここ、女性ものの店よ?」

 ガヴリエルと言われたスーツ姿の男はその見下す目を止めなかった。

「あなたには関係のない事です。それより、まだ下界でおままごとをしているのですか? いい加減こちらに帰ってはもらえないですか? 僕もあなた方が下界に居るとやりにくいのです」

 しかしベリーはその挑発を笑いで返した。

「下界をおままごとなんて………ここでそれ言うとか、あなた託宣者のクセしてボロが出やすいのね」

 しまったと思ったのだろう。汗を一滴流し、眉をピクッとさせた。

「ふん、いいでしょう。今日のお誘いはこれぐらいにしておきます。それでは――」

「ベリー、どう?」

「!?」

 そこへ丁度アンが試着室から現れた。少し恥じていながら身体を回す辺り、自分で気に入っているようだ。

「あら! いいじゃない! これは買いね。じゃ、次に――」

「その少女を返してくれないか?」

 アンを一目見た時から驚きが隠せないガヴリエルは手を差し伸べて言うも、まず言っている意味が伝わらず、ベリーは呆然とした。

「まさか、あなたにそういう趣味があるとは――」

「違う! なぜ貴様はその少女と一緒にいる!? 貴様はそいつがなんなのか分かっているのか!?」

「知らないわ。でもお兄ちゃんがいいと言ったからいいの」

 怖がるアンはベリーの腕にしがみ付くも、ガヴリエルからの物言いにベリーは怖気づくどころか、堂々と立ち向かった。

「トニー・レイン…………裏切り者の名前を忘れた日など一度たりともない…………まさかこれにも関わっているとは、神への冒涜では済まされないぞ………………」

 浮き出る血管と歯が砕けるほどの歯噛みは相当の憎悪が吹き出しているのは容易に分かる。

 しかしその様は店中に伝播し、外からでも分かるほど。店員もトラブルどころの騒ぎでないと身を低くする。

「ホント、あなたってなんで託宣やってるのか不思議で堪らないわ。店員見なさい。警察呼んだわよ」

 ハッと気付いて周りに目が行く。

 怖気づいた店員はカウンターにある電話を使って誰かと話している。

 外から携帯を取り出してこちらに向ける人も居た。

「…………最後の忠告だ。その小娘を匿う事は神族を越え、世界を敵に回す事だと知れ。もし小娘を手放し、我らの元に戻るのならば――」

「嫌よ」

 遮った言葉は彼の中で一つの決断をさせた。

 スッとガヴリエルの姿は消え失せ、電話をしていた店員も、携帯で動画を撮っていた人も、自分が今まで何をしていたのだろうと首を傾げていた。

「怖い………」

 しがみ付く腕を再度力強く握るアンにベリーは優しく答えた。

「大丈夫よ。もういなくなったわ。それより早く出ましょ。ここに長居しすぎたわ。撫子!」

「はい。なんでしょう?」

「お会計済ませて行くわよ。向かいに美味しそうなケーキ屋さん見つけたの」

 しかしそれに撫子は顔を歪めた。

「私は遠慮致します。前にも言ったかと思いますが、くりーむというのは――」

「和菓子もあるわよ」

「行きます」




 ソドムの隣、同じ規模の大都市がもう一つある。

 名をゴモラ。そこは兵器から車まで、あらゆる工業が集う都市。

 常に金切り音が鳴り響き、油の臭いが充満し、火花が明滅する。

 その一角。金切り音の騒がしさも、油の臭いも、明滅する火花さえない。

 静寂の中に佇む建物。

 工場と言うには無骨さがない。しかし研究所と言うには潔白さがない。

 ゴモラにありながらその異様さは、到着した男二人にも肌をピリピリと伝わった。

「誰かいそうな感じは――」

「しないよな」

 相槌の様に言い合う二人は警戒しつつも、正面にある扉に向かった。

「パス」

「エルドリッチ553278――」

 饒舌に、メモの一つも介さずジョンは呪文の様に長いパスワードを言い、トニーは扉の隣に取り付けられたパネルにそれを打ち込む。

「行くぞ」

 一拍の間を置いて扉は開いた。

 暗闇の廊下に明かりが灯り、その行く道を示す。

「電気は通ってるようだな」

「ここ寒い………」

 ジャケットを重ね着しているにも関わらず寒いと言い張るジョン。これはもう呪いだろうとトニーは決め付けている。

 ピチャピチャと、変に濡れている廊下を歩くこと数分。

 次に見える扉は開いていた。しかしその先は薄暗がり。

「まるでお化け屋敷だな」

「おい、そういうこと言うなよ。俺苦手なんだ」

 口から白い吐息を出して身体を震わす様は極寒を思わせるも、実際はそこまで寒くない。現にトニーも白い吐息が出るもイートンコート一枚で身震いもしていない。

「……………なんだこれ」

「……………《何か》があったな」

 一面の水溜り。

 明かりを灯すはずの照明はそのほとんどが砕かれ、通電したケーブルがぶらぶらと垂れて火花を散らす。

 奥にある大画面のモニターもいくつか割れて、実験の装置だろう機械は無造作に倒れている。

 そしてそれらの中央、上下六本の太い管に繋がれた円筒状のガラス。

 未だに液体の供給でもしているのか、ダラダラと水が滴るも、すぐ地面に溢れる。

 人一人入れるサイズのガラスの筒はすでに割れていた。

「ジョン、今回の仕事――」

「降りよう。これは触っちゃいけない案件だ」

 二人の意見は一致した。

 廃墟となっていた施設をすぐさま飛び出て退散する。


 依頼主はこの場所が今どうなっているか教えて欲しいと言った。

 もちろんそれは達成した。しかし、その代償として見てはいけないものを見てしまった。

 報酬の一年分の生活費では割に合わない。

 依頼主は怪しすぎる。首を突っ込みすぎた。

 今までの事柄が走馬灯の様にトニーの頭に流れるも既に後手。

 焦燥に滲む汗を拭く暇もなく、トニーらはヘブンズケイブに直行した。

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