ケナドニア忌譚

猫田芳仁

リカントロープの夜 あるいは横暴なる女刑吏

「全員いますね」

「はい、大丈夫です」

「どきどきしますね」

「でも、こういうのって結構期待外れですよ」

「そういうこと言わないでくださいよ、盛り下がっちゃう」


 顔を見合わせる五人の若い男女。親しげに会話しながら、彼らは同じ方向を見ている。

 その先に茂る、森。

 いつだったか、猟奇殺人事件があったと言われている、森である。


「確か、肝試しに来た若者が異常者に襲われて死んだとかそういうのでしたよね」

「そうそう。そんなでした」

「正に同じ状況ってわけですか。大丈夫かなぁ」


 彼らに面識はない。ついさっき、初めて会ったばかりだ。この肝試しは所謂オフ会というやつであり、ネットの掲示板で希望者を募り、開催されたものだ。

 その舞台に選ばれた森はそこそこ有名な心霊スポットで、五人中三人が知っていた。うち一人が、そこでやらないか、と提案したわけだ。誰かが言った通り猟奇殺人があったとされる場所で、調べれば間違いなく、実際に事件があったのだとわかる。しかも、複数。年代の開きこそあるが「肝試しに来た若者たちが惨殺される」というパターンの事件が五年から一〇年おきに三、四回も起きているらしい。さすがにあまり前の話になると正式な記録を探すのは困難だが、一番最近の事件はちゃんと、確かな情報がある。つまりこの森で、確実に、若者が何人か死んでいる。自分と同じ年代の人間が、何人か死んでいる。

 そう考えると、嫌な気分になるのが普通だろうが、彼らはあろうことか、わくわくしているのであった。はしゃいでいるのであった。つまり、同年代の死を面白がるくらいには、退屈していたのであった。


「じゃ、行きますか。幸い何日か雨とか降ってないんで、ぐちゃぐちゃってことはないと思うんですけど、いちお足下とか気を付けてくださいね」


 はーい。間の抜けた返事。ざくざくざくと、土と草を踏む足音が五人分。陽気な声を響かせる若者たちの一団は、静まり返った森の中へ食われていった。


 ***


 期待に満ちて森に入った一同だったが、そんなに行かないうちに一人があることに気付いた。


「あれっ、ローさんいます?」


 本名をお互いに知らないので、呼び合うのはハンドルネームだ。ロー、というのは、ちょっと変わった服装をした若い女性だったはずだ。誰かの呼びかけに呼応して、残りの顔触れが周囲を見回す。だがさっきまでいたはずの、彼女の姿がどこにも見えない。


「はぐれちゃいましたか」

「どうしましょうね。探すって言っても、この森だし」」

「でも、置いていくのもまずいんじゃないですか」

「ですよねえ。迷ってたら大変ですし」


 困った困ったで堂々めぐりしているうちに、誰かの携帯電話が鳴った。


「あっ、ローさんからです。メール」


 受信者の言葉に、全員が注意を向ける。

 ふっと、受信者の空気が緩む。受信者が内容を呼びあげると、その緩みは周り中に伝播した。


――いきなりはぐれちゃってごめんなさい。今、入口まで戻れました。追いかけて迷子になったら大変なので、残念だけど私はここから帰ります。何か面白いことあったら、教えてくださいね。


「なんか、心配して損した感じですね」

「でも、無事でよかったですよ」

「じゃあ続行ってことで。ローさんへのお土産さがしも兼ねて」

「了解でーす」


 華やかにさんざめく笑い声を落としながら、一同は森のさらに奥へと向かった。

 このあと全員が、ここで帰ればよかったと思うことなどとはつゆ知らずに。


 ***

 

 めいめい携えた懐中電灯であたりを照らしながら、けもの道を進む。さすがに夜の森とは不気味なものであるが、彼らはその不気味さを楽しみに来たのだから世話はない。しかし「夜の森の不気味さ」以上のもの――具体的にいえば、いわくありげな落としものだとか、もっとはっきりいえば心霊現象だとか――は一向に姿を見せず、やがて顔を出し始めた疲労も相まって一同の会話には文句が増えだした。


「やっぱり、心霊スポットなんてデマなんでしょうねー」

「ま、そんなに心霊スポットがたくさんあったら、幽霊の存在はもっと早く、科学的に解明されてるしみたいな」

「事件の痕跡だって、そりゃ警察がもってっちゃうんだから残ってるわけないですもんね」

「唯でさえ何年もたってますしねー。廃病院とかのほうが雰囲気あって良かったかもですよ」


 きゃらきゃらと響く場違いな笑い声。

 それがふいに途切れた。


「――あれ」


 先頭を歩いていた青年が立ち止り、残りの二人はどうしたのといぶかしがる。


「1人、いなくない?」

「え」

「え」


 振り返る。

 そうだ。最初は五人。ローが欠けて、四人。だがいまここには、三人しかいない。


「えと、サキ、さん……? いない……」


 好きな作家から取った、と女性名を名乗る線の細い青年がいなくなっていた。見かけどおり体力がなく、さっきから「足が痛い」と言っていたのだが、休憩したかったら一声かけるだろう。


「サキさん!」


 大声で呼びかけてみても、帰ってくるのは静寂ばかり。


「もう、結構前にはぐれちゃってたとか」

「かも。あ、メールしてみますね」


 せわしげに安否を気遣うメールを打ち、送信。少し待つ。焦りのためか、腕時計の秒針の進みがひどく遅い。三分。五分。返事はない。気付いていないのか。それとも、圏外なのか。電話もかけてみた。着信音は鳴るので、ああ、圏内だ、とほっとするのもつかの間。出ない。何度かかけ直してみる。出ない。


「戻り、ます?」

「どうしよう。そうします?」

「じゃあ、戻りましょう。で、ときどきサキさんに電話とかメールとかして……戻ったってこと伝えたらいいと思います。何回かすれば、そのうち気付いてくれるだろうし」

「あ、いいですね。それで」


 かかわった人物が行方不明になってしまうかもというのは、幽霊だの、殺人現場だのより彼らを怖がらせた。自分に面倒が回ってくるかもしれないという、現実的な恐怖で持って脅かした。雁首そろえておどおどと、今後の算段をしていた三人だが、なかなか動き出そうとはしない。責任を負うのが怖いからだ。だがその膠着状態は、そう長く続かなかった。

 少し、本当に少し、数歩だけ離れたところに立っていたのが運のつきだ。一番背の高い、アウトドアが趣味だという屈強な青年だった。彼は突然間抜け面で前のめりに倒れ、少し遅れて爆発したような絶叫を上げた。その背中に人影がわだかまっているのを見て、残りの二人も夜を引き裂く悲鳴をあげて、一目散に走って逃げた。逃げた。出来うる限りの速さで逃げた。なにぶん道が悪い。何度も足を取られ、転がるように、しかし奇跡的に転ぶことなく二人は走った。やがて脚と肺が悲鳴を上げて――どちらからともなく立ち止まる。

 獣のように荒い息をつきながら、2人は恐怖にひきつった顔を見合わせた。


「どうしよう……おいてきちゃった」

「でも、しょうがないです……」

「ですよね……しょうがない……」


 あの状況じゃあ、しょうがない。確かに、しょうがなかった。誰も彼らを責められないだろう。親兄弟ならいざ知らず、ついさっきまで見ず知らずだった人間を、置いて、逃げたことなんて。


「でも、やばいんじゃないですか、あれ。警察に連絡しましょうよ。大きい動物とかじゃなくて、明らかに人でしたよね」

「でしたでした。マジ、やばいですよ。肝試しとか怒られるかもしれないけど……背に腹は代えられないっていうか」


 110番をコールしようとして、指が止まった。


「――圏外です」

「嘘」

「いや、ほんとに……さっきまで、電波あったのに」

「うわ、マジですね……最悪」


 不幸中の幸いというか、二人はちょうど来た道を戻る格好で逃げた。車を止めてある森の入り口までそう遠くはない。もう走りはしないが、早足で進む。頻繁にスマートフォンの画面を確認しながらだ。サキの安否。先ほど置いてきた青年の安否。それを確認したいという気持ちも隅っこにはあったが、何より二人とも警察を呼びたくて仕方がなかった。怒られるかもしれないなど些細な問題だ。二人はただ、助けてくれて守ってくれる、そんな存在を切望していた。

 ざくざくと耳障りな足音が夜の静寂を乱す。顔を見合わせ、電波を確認し、そして――足音が多いことに気付く。

 思わず足が止まった。

 余分な足音も止まる。

 顔を見合わせる。

 こわごわ1歩踏み出す。

 足音は、1歩分ついてくる。

 ゆっくり歩き出す。

 同じリズムで、足音はついてくる。

 顔を見合わせて――2人は再び走りだした。全力で。しかし足音は止まらない。どこまでも付いてくる。距離は開かず縮まず、嘲笑うように2人にあわせて追ってくる。幸い2人は遊ばれていることに気付く余地もなかった。気付いたらもう、どうしようもないほど悲惨なことになっていただろう。本当に幸いなことに、気付く前に、ひらけた場所に出た。森の入口だ。車もあるべき場所に止まっている。少しだけ余裕が生まれて、二人は振り返った。人影。漠然と、筋骨隆々の大男を想像していた二人だが、予想に反してその人影は小柄で、華奢だった。あの大柄な青年を押さえつけたのにしては、拍子抜けだ。そして、知った顔でもあった。


「――ローさん」

「はい。ローです」


 片手をあげて、軽薄なポーズ。

 二人は肩の荷が下りるという言葉の意味を、これ以上ないほど実感した。


「いや、ちょっと、マジやばかったんですから。洒落にならないですよ」

「ウチら以外はぐれちゃって、ヤバいんですって。変質者? 出たし、警察呼ぶんでローさんも一緒にいてくださいよ。あ、ラッキー。電波来てる」


 状況が分かっていないらしいローは、陽気な笑い声を洩らしながら足早に近寄ってくる。二人して、そんな場合じゃないのにと、少し、腹を立てた。年ごろの女性としてはよくある、面白がりの笑顔を浮かべながら歩み寄るローは止まらない。眼と鼻の先まで近寄ってきて、今まさに百十番をコールしようとしていた女性の手を強く引く。バランスを崩す女性。顔が歪む。この一大事に、何をふざけているのか。ローに対して準備された罵倒の言葉は、吐き出される前に彼女の肺で死んだ。

 特に大きな予備動作もなく、落としたポーチを拾うような気軽さで、ローは彼女の喉を食い破っていた。そのまま強く、顔を引く。彼女はマネキンのように倒れ、遺された青年のほうを振り向くローは血みどろの口元をぐちゃぐちゃと動かしていた。

 食べている。

 彼女を、食べている。

 青年は今度こそ、声も出なかった。

 彼女を嚥下し、唇の周りを下品に舐めまわしながら、ローは雑誌のモデルのように腰に手を当てた。いつの間にか尻もちをついている青年を、大上段から見下ろす。


「いやー、見た目通りのチキンですね。もうちょっと頑張ってほしかったですよぉ。こんなところで肝試ししようなんて罰あたりのくそったれのくせして、ほんと……もうね」


 森の入り口、開けた小さな広場。薄雲越しの月明かりは、場合によってはロマンチックですらあった。そんな素敵な情景の中で、異様な形に膨張していくローのシルエットを、青年はあっけにとられたまま見つめていた。


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


同人誌「マヨナカ洋行團 罰の部」のサンプルとして公開

2016年執筆

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