第4話 「このまま時が過ぎれば」

 約束の期日まで残り3日と迫った日。

 俺は朝早くから食事を取ることもなく、一心不乱に鍛冶に打ち込んだ。

 普段ならユウあたりが飯食べろと殴り込んでくるのだが、俺があまりに集中していたこともあって気を回してくれたのかもしれない。

 空が茜色に染まった頃。

 熱く真っ赤に染まっている刀身を、一気に水槽の中へ入れる。

 数百度にも及ぶ高熱を宿していたがため、常温である水は激しく泡立ち、水蒸気が室内を満たす。

 刀身から熱が抜けるまで数十秒待ち、表面上の色が完全に変わったところで水槽から取り出した。


「……思い切った甲斐があったな」


 断魔鋼と流星石を組み合わせ始め、今日までに何本も刀を打った。

 しかし、性能を引き上げる効果を持つ流星石を使っても断魔鋼製の刀の効力はさほど上がらず、どうしたものか迷ったものだ。

 流星石は貴重な魔石。次いつ手に入るか分からない。それだけに一度に大量に使うことは躊躇われる。だが結果を見れば、断魔鋼に混ぜる量を多少変えたところで成果は得られていない。

 ならば一度思い切ったことをしてみるか。

 そう思った俺は、それまで断魔鋼と流星石の割合を1:1から1:2の間で行っていたのにも関わらず、断魔鋼を1に対して流星石を5という割合に試みたのだ。

 ――その結果。

 今しがた出来上がった刀身は形状はこれまでのものと大差はない。だがこれまでの鋼色ではなく、淡い青みが混じったものへと変わっている。

 刀身の色が変わったり、思いがけない波紋や紋様の出現は、魔剣グラムの性質に大なり小なり変化があったことを意味する。


「切れ味や魔を断つ性能がどれほどのものかは検証しないとならないが……さすがに今日は限界だな」


 一息吐いたからか凄まじい空腹が襲ってきた。

 もうそろそろ夕食の時間なので研ぎといった作業は後日にするとして、刀身の歪みや曲がりを修正したら終わりにしよう。

 さすがに夕食まで抜こうとしたらユウが怒るだろうしな。

 家主は俺であり、ユウは居候の身分なので本来立場はこちらが上のはずだが……家事を担う者が家庭内ヒエラルキーでトップに立つというのはよくある話。

 それにうちの居候は、口は悪いが純粋に俺の身体を心配してあれこれ言ってくるのだ。それに対して謝罪はすれど、文句を言うのは筋違いというものだろう。


「…………よし」


 刀身の調整を終えた俺は手早く片づけを済まし、工房から出る。

 扉を開けた際に吹き込んできた風は、汗ばんだ体には涼しく感じられた。

 また風に乗って香ってきた匂いには、食欲を大いに刺激され、無意識に腹の虫が鳴る始末。出来れば今すぐにでも食事にありつきたいものだ。

 そんなことを考えていると、厨房の方から料理を抱えたユウが出てきた。


「わぅ? ようやく出てきたのかよ。ま、飯時だし呼びに行く手間が省けたからいいけど」


 いいと言っている割にはどことなく不服そうな顔だ。

 どう考えても朝だけでなく昼まで食事を抜いたしまったことが原因だろう。


「悪いな」

「……別に謝られる理由ねぇし」

「その割には、食事を作っている時に何度もルークに文句を言っていた気がするが。それは私の気のせいだろうか?」


 颯爽と無駄のない無駄な回転を入れつつスバルが現れる。

 エプロンと両手に料理が盛られた皿を持っているあたり、ユウを手伝っていたのだろう。


「べ、別に文句とか言ってねぇし!?」

「ふ……そうだな、すまない。ユウはただルークのことを心配をしていただけ。ルークと一緒に食事できないのを寂しさを口にしていただけだものな」

「そう言われる方が余計に恥ずかしいだろうが!」


 ということは……今スバルが言ったことが本音か。

 とすれば、やはり悪いのは俺だろう。

 今の俺はユウの保護者みたいなものだ。見た目以上に大人びていてもユウはまだ子供。子供に余計な心配や寂しさを感じさせてはいけない。


「ルーク、勘違いすんなよ! オレは別に寂しいとか思ってねぇかんな。大体ルークよりもそこの羞恥心のねぇ野郎と居る時間の方が多いし」

「ユウ、確かに私は人から慎みを持てだとかよく言われる。しかし……断じて野郎ではない! 私は女だ!」

「そういう意味で言ってねぇ! スバル、てめぇはそんなんだから男受けしねぇんだぞ」

「なっ……ユウみたいな子供に何が分かる! 男と女というのはそう単純なものではないんだ」

「だとしても、スバルが今のままなら絶対オレの方が早く恋人は出来るね」

「何だと!」

「何だよ!」


 これは女の争いという見るべきか、それとも子供と大きな子供のケンカと見るべきか。個人的には後者に見える。

 ふたりの関係は悪くないように思えていたが……。

 これも距離が縮まったが故に起きていることだろうか。それならばそこまで気にすることはないとは思うが。しかし……


「言いたいことがあるなら互いに言うのは構わないが……せめて料理くらい置いてからにしたらどうだ?」

「正論だけど、元はと言えばルークが飯食わねぇからこんなことになってんだろうが!」

「そうだそうだ! 君はいつになったら私を嫁にするつもりだ。ユウとの距離も縮まって家庭を築いても何も支障はなくなっているというのに」


 ユウの方はまだ良いとして……スバル、お前の言っていることは筋道が通っていない。

 俺の記憶が正しければ、俺はお前に好きだと言われた覚えはある。

 だがそれは友情の域での話だったはず。なのにどうして嫁だとか家庭を築くとかいう言葉が出てくる。

 いったいお前の脳内では、ユウを含めた俺達の関係はどうなっているんだ?

 興味がないわけではないが、とんでもない返答が来そうなので今は聞かないでおこう。さっさと食事がしたいし。

 

「ああ、俺が悪かった。だから食事にしよう」

「ふん……つうか頭撫でんな。料理落としたらどうすんだ」

「そうだな」

「ルーク、私にはないのか?」

「ない」


 何故だ!?

 と言いたげな顔をスバルはしているが、それはむしろこちらのリアクションだ。

 どうして俺がお前の頭を撫でないといけない。褒められることをしたわけでもなければ、落ち込んでいるわけでもないのに。

 そもそも……ユウにするのとお前にするのとでは難易度が違うだろ。女子と女性は違うんだから。

 そんな俺の気持ちなど知る由もない……根本的にノリと勢いで言っただけなので気にする素振りがないスバルは、ユウと一緒に料理を並べていく。

 冷静に考えると、少し前までは俺ひとり。ユウを拾ってからふたりになり、いつの間にかスバルも住み着いて最低でも食卓には3人分並ぶようになっている。ずいぶんと華やかになったものだ。


「ルーク、何か言いたいことでもあるのかよ? オレはこれといって心配なんかしてねぇぞ」

「ひとりで料理させてるんだからそのへんの心配はしてない」

「ルーク、私も手伝っているんだが?」


 スバルよ、そこで入ってくるな。

 普段一緒に居るユウからスルーされることが多くなっているのかもしれないが、その不足を俺で補おうとしないでくれ。補うにしても時と場所を選んで。お前ももう音なんだから。


「スバル、ルークは今オレと話してんだ。ちょっと黙ってろ」

「……最近ユウが私に冷たくなった気がする。親しくなったからなのか、それとも……はっ、もしや反抗期!? そうかそうか、ならば仕方がない」


 何でちょっと嬉しそうなんだよ。

 あれか、子供が大人への階段を上ってるようで嬉しいのか。

 ユウに母性を刺激されているのか知らないが、過ぎた構い方をすると煙たがられるだけだぞ。ユウと良い関係を築きたいなら少しは自重しなさい。


「んでルーク、オレの料理見ながら何考えてたんだよ」

「大したことじゃない。うちの食卓も華やかになったと思っただけだ」

「うむ、少し前までルークはひとり暮らしだったからな。そこに可愛い女の子がふたりも同居したのだから華やかになるのは当然」

「ルークはそっちの意味では言ってねぇと思うぞ……なあルーク、もしかしてあんまり金がないのか? 最近一段と鍛冶に打ち込んでるし、そういうことならオレちゃんと節約するぞ」


 不安混じりの顔でこちらを覗き込むユウ。

 ユウ達が食事や掃除といった家事全般をしてくれることもあり、前より鍛冶に打ち込んでいたのは確かだ。アスカが訪ねて来てからは特に。

 体調の心配をされるとは思っていたが、下手に精神が成熟している分、どうやらユウには余計な心配に掛けてしまっていたらしい。


「ユウ、お前は将来良い嫁になるだろうな」

「わぅッ!? ちゃ、茶化すなよな。真面目な話してんだからちゃんと答えろよ」

「別に茶化してるつもりはないが……まあ金があるかと言われたらない」

「なら明日から」

「節約はしなくていい。金はないと言ったが、それは貯蓄的な意味でだ。今の生活を続けるだけなら困ってはいない」


 ただ……そこで何気なく飯を食べてるボーイッシュな奴に関しては、ユウの手伝いばかりしてないで騎士団でも手伝って金を稼いでこいと言いたい。

 ユウは拾った手前、自分で出ていくまで面倒を見る責任があるが……スバル、お前に関してはないからな。

 昔からの友人だから追い出すような真似はしないが、お前はよく食べるんだからそのぶん何かしらで補填くらいしなさい。働く場所ならいくつかあるでしょ。騎士団とか、吸血鬼が営んでる酒場とか。


「なら何で最近忙しそうなんだよ?」

「それはだな……少し前に付き合いのある騎士から武器の注文を受けてな。それに平行して自分の刀も打ってたから忙しくしてただけだ」

「だったら前もってそう言えよな。それならオレも色々と心配せずに……って、今のなし! 何も言ってねぇかんな!」


 人の心配をするのは別に恥ずかしくないことだと思うのだが。

 ただそう切り返してもユウは余計にムキになるだけ。ここは大人としての対応をするべきだろう。


「ああ、ユウは何も言ってない」

「わぅぅ……」


 これはこれで思うところがあるらしい。むしろ怒鳴れないだけに純粋に恥ずかしそうだ。

 ユウがここに住むようになってしばらく経つ。あれこれ言い合える関係になってきたのだから、もう少し素直になってくれても良い気はする。まあ素直じゃないところもユウの可愛いところではあるが。

 ただユウ本人はどうにか空気を変えたかったのか、ふと何かに気が付いたように口を開く。


「なあルーク」

「ん?」

「何で仕事で武器作らなきゃならなくなったのに自分の刀もやってたんだ? まあルークの気分次第なだけかもしんねぇけど」

「確かに気分が乗ったのもあるが、単純に遠出する予定があるんでな」

「遠出? 魔石でも取りに行くのか? いつ行くんだよ!」


 さすがは自由にあちこちを旅するのが好きな種族。遠出と聞いて目が輝いてらっしゃる。

 こうなりそうだったから言うのが躊躇われたんだよな。

 とはいえ、留守を任せる以上はどっちにしろ言わないといけない。多少の駄々は覚悟するしかないか。


「出発は予定が変わらないなら3日後。今回は魔石とは別件だ」

「じゃあ何しに行くんだ?」

「それは言えない。そもそもお前を連れて行くつもりはない」


 目に見えてユウの顔が不機嫌になる。

 盗賊や自然発生の魔物と外に出れば危険性はある。ただその程度ならば獣人であるユウは撃退可能だ。子供とはいえ並の騎士よりは戦えることは分かっている。

 しかし、今回の行き先はかつて実体実験が行われていた場所。

 奴らが潜伏し、何かしら行っていたなら非人道的な光景を目にする可能性だってある。そうでなくても危険性は高い。

 また黒騎士の存在は、あまり人に知られて良いものではない。故に今回はどうしても連れて行くわけにはいかないのだ。


「わぅ……ルークのケチ」

「ケチで結構だ」

「やれやれ……ルーク、そこで嫌われるような言い方しか出来ないのは君の悪い癖だ。ユウだって口ではケチだとか言っているが、君に連れて行けない事情があるというのは察しているだろう。だがしかし、待つ方の身にもなってみろ。デートなのか騎士団の手伝いなのか、何かしら言ってくれないと落ち着かないのだぞ!」


 あのスバルがまさかの正論!?

 という驚きもあったが、何より心に響いたのは待つ方の身という部分。

 これまでは俺はひとりだった。

 友人や仲間は居たが、それは共に戦場を駆ける存在。シルフィあたりは俺の帰りを待ってくれていたかもしれないが、騎士であるため常に仲間を失う覚悟はしている。

 そういう意味では、純粋に待つだけの存在というのはユウが初めてなのかもしれない。

 ユウの心身の傷が治るまでの間、ユウが出ていくまでの間だけの関係と思っていた。深入りをするつもりはなかった。

 しかし、俺が思っている以上に俺は……俺達は家族という関係になりつつあるのかもしれない。


「……そうだな。俺が悪かった」

「別に謝んなよ。ルークにも事情があるんだろうし……オレはここに置いてもらってる身だし。わがまま言うのも筋違いだろ」


 お前がそういう奴だから俺は無意識に甘えてたんだろうな。お前なら分かってくれるって。ただ……


「確かにお前はここの居候だが……なんだかんだ一緒に住むようになってそれなりに経つ。俺達に血の繋がりはないし、種族さえ違う。でも……」


 言葉は交わせる。

 人間と獣人であっても同じ人だ。

 俺の家族は異世界の彼方、帰る方法があっても帰るつもりがない俺は2度と会うことはない。

 ユウの家族は、すでに天へと還っている。会いたくても会うことはできない。

 お互いに家族を失っている。深さの違いはあれ、孤独の寂しさや悲しみを知っている。なら俺達は


「今すぐには無理でも……このまま時が過ぎれば家族のような関係になるかもしれない。お前は俺に恩を感じてるかもしれないが、俺だってお前のおかげで楽をしてる。俺のわがままにお前を付き合わせることもあるだろう。だからお前もわがままを言っていい」

「ルーク……」

「ただ、今回のは俺の過去の因縁が絡んでるのもあるが騎士団の手伝いでもあるんだ。だからお前は連れて行けない。でも帰ってきたら……時間がある時にどこか連れて行ってやるよ」


 ユウに近づいて頭を撫でる。

 いつもなら子供扱いするなと拗ねたように言うはずだが、今回はただただ頭を撫でられていた。

 俯いているのは泣きそうな顔を見せたくないからなのかもしれない。


「……約束だかんな。ちゃんと帰って来いよな」

「ああ…………ところでスバル、何でお前が泣きそうになってる?」

「いや……感動的な場面だと思ってしまって。何かこう家族への1歩を踏み出したというか、あのルークが立派になったなぁっと思ったというか」


 前者はともかく後者は何目線だ。お前は俺のお母さんか。


「しかし……先ほどのセリフを考えると、何というか恥ずかしくなってしまうな。嬉しくもあるのだが……なかなかにソワソワしてしまう」

「正直聞きたくはないが……スルーしても良くない気がするから聞いてやる。お前はいったい何を考えてる?」

「な、何をって……先ほど君はユウにこのまま時が過ぎれば家族になるかもしれないと言ったじゃないか。つまりそれは……私もこのまま住み続けた場合、その……そういうことだろう?」


 確かにそういうことになるな。

 だがしかし、俺はユウに言ったのであってお前に言ったわけじゃない。

 大体いくら俺でもそういう話をするならユウが居ない時にするし、何より恋人という段階を踏む。ひとりで盛り上がるのは良いが頭の中だけにしてくれ。


「そうなれば私はルークの嫁であり、またユウの母親的存在に。つまりユウからはお母さんやママと言われるわけだ……考えると少し恥ずかしさもあるが、実に良い響きだな。そして、私としては男の子と女の子がひとりずつは欲しいからユウには最低でもふたりの兄妹が出来るわけだな。となると……」

「ルーク、このバカ止めなくていいのか? 何かオレらを巻き込んだ未来設計してるけど」

「下手に関わる方が面倒だ。聞き流しておけば害はないんだし、俺達は食事を再開しよう」

「それもそうだな」

「む、ダメだ、ダメだぞルーク。こんな昼間からだなんて。いや私は別の良いのだが……ユウや子供達が近くに。せめて場所を……」


 聞き流せ聞き流せ。

 釣られて想像してしまったら負けだ。こんな近くに子供が居るのに卑猥な妄想をするような存在の仲間にはなってはいけない。

 それ以前にやめさせるべきなんだろうけど。

 でもさ、今話しかけたら盛大に巻き込まれそうだよね。妄想がノリに乗っているだけに襲われるかもしれないよね。

 それこそ大事故。故にここはスルーが安定でしょう。

 ただ……留守をこいつに任せるのは不安になってきた。普通なら大人が一緒の方が安心なのに、ユウだけの方が心配せずに済むのは何でだろう。何で俺の知り合いってこんな奴ばかりなんだろう。

 考えるだけ悲しくなるだけだから考えるのはやめよう。今は食事を楽しもう。うん、それが良い。



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