第17話 「救えない命」

 静寂な月下に異形の腕が異物と認識した衣類を吐き出す音が不快に響く。


「まったく……お前は器用というか好き嫌いが激しい奴だな」


 若者は自身の左腕――異形に我が子のような目を向けている。

 状況だけ見れば、子供を誘拐し人ひとりを殺しかけているようなもの。返り血を浴び、左腕が異形と化しているのにあの平然な態度は脳に支障があるのか、それとも何度も経験して慣れているかだ。

 この状況に恐怖を抱いているアシュリーが小枝でも踏み抜いたのか、パキッという乾いた音が鳴り響いた。


「誰だ! ……なんだアシュリーじゃないか」


 若者は笑顔を浮かべ、彼の気持ちに賛同するかのように異形の腕から笑い声が漏れる。

 それにアシュリーはさらに顔を青ざめさせるものの、騎士として意地か逃げ出すようなことなせず、自身の中にある疑問を吐き出した。


「ヨ、ヨルク……あなた何してるの?」

「え、何って……見たとおりだけど?」

「見たとおりって……」

「こいつはね、大して仕事もできないくせにいつも偉そうにしてたんだよ。そして口癖のように最近の若い奴は……、なんて言ってたけどさ。僕からすれば無能な上司に下で働いてやる気を出せって方が間違ってる。無能な大人が夢を見る若者を潰すんだ!」


 八つ当たりをするかのようにヨルクは瀕死の男を蹴り抜く。

 顔を蹴られた男は悲鳴を漏らし、鼻からも血を吹き出し始めた。出血が増えるのは悪いことだが、まだ意識があるのは喜ぶべきことだ。


「げ……あんたまだ生きてたの? うざいなぁ、さっさと死んでよ。見苦しいんだよ。このこのこの……!」


 ヨルクは瀕死の男の顔を連続で踏みつける。

 よほどストレスを溜め込んでいたのか、感情的になっているのか、男の顔が腫れて変形し始めてもお構いなしだ。


「やめて……やめて! やめなさい!」

「――っ……おっと、僕としたことが。ごめんねアシュリー、君との話を中断してしまって」

「そんなことはどうでもいい! 早くその人を手当てしないと」

「その必要はないよ」

「な、何を言って……」

「だってこいつは無能なんだよ? 生きていたところで僕のような有能な若者に嫉妬し、優位に立ちたいがために先輩面を吹かせ、時としてその立場を利用して陥れたり八つ当たりの対象とする。そんなのが生きていても世の中にとって害悪にしかならない」


 今の言葉が真実なら人が出来ているとは言えない。

 だが昼間の様子を見る限り、あの男は自分の仕事に誇りを持っているように見えた。これまでに犯罪を防ぐことに貢献している可能性は十分にある。

 そもそも無能や害悪というのはヨルクの主観。

 仮にその主観が正しいことだとしても、戦時や正当防衛でもないのに自分の判断基準で人を殺していい道理なんてあるはずがない。


「故にこいつは死んだ方がいいんだよ」

「違う! 死んだ方がいい人なんていない!」

「アシュリー……君は優しいね。うん……君はいつだって優しかった。愚図だのろまだって虐められる僕を守ってくれた。助けてくれた。そんな君に僕は憧れた。そして思ったんだ……大きくなったら強くなって君を守れる男になろうと」


 会話が噛み合っていないような気がするが、正直今はどうでもいい。

 奴の意識は今アシュリーに向いている。本気で踏み込めば一太刀は浴びせられるはずだ。

 しかし……あの左腕が気になる。

 俺がこれまで見てきた魔人にも生き物のような腕を持つ者は存在した。だがそれらは本人の意思で動かしていたように思える。

 だが奴の腕は、まるで自分の意思を持っているかのような動きだ。

 ヨルクの年齢的に考えて、魔竜戦役時代に魔人になったわけではないはず。魔人にされたのは最近のことだと考えるべきだ。

 となると……俺の知る魔人とは異なる恐れがある。

 これまでの魔人は一部は魔物でも大半は人だった。だから治癒力などが高くなっていても首を斬り落としたり、心臓を貫けば殺すことが出来た。

 奴の場合もそれで終わるのか?

 首を断ち斬った瞬間に左腕だけが自立して行動を始めたりはしないのか?

 そもそも人を殺すやり方で殺せるのか?


「だからねアシュリー、僕は強くなったんだ! こいつを……誰にも負けない力を手に入れたんだ!」

「そんなの……そんなの強くなったなんて言わない! 自分の力なんかじゃない!」

「いや、僕の力さ。僕は強くなった! その証拠に今までに何人も殺してきたけど、誰も僕には敵わなかった」

「何人も……殺した?」

「あぁ殺したよ。世の中には無能な奴は腐るほど居るからね」


 さらりと言い放たれた言葉にアシュリーは絶句する。

 だがヨルクはそんな彼女に構うことはなく、自分に酔ったように語り続ける。


「それに……仕方がないじゃないか。こいつはどうやら子供の肉が好きみたいでね。時々与えてやらないと食わせろ食わせろって表に出てこようとするんだ。最初は奴隷を買っていたけど、僕の安月給じゃそう何度も買えなくてね。まったくあいつら人の足元見やがって……だから次に素行の悪い子供をエサにしたのさ」

「な……」

「それでも頻繁にいなくなると問題になってね。誘拐しやすい子供が減って困ったよ。こいつも味を覚えたのか、日に日にエサを寄こせってうるさくってね。いやはや良かったよ、人を警戒しないバカな子供と今日会うことが出来て」


 つまりあの左腕はすでに我慢の限界。いつリーシャを捕食してもおかしくないということか。

 なら迷っている時間はない。

 一太刀で奴を殺せるなら瀕死の男の方も助けられる可能性はある。だがあれだけ出血……助かる可能性は極めて低い。

 もしかすると彼はリーシャの父親かもしれない。亡くなるようなことがあれば、後で悲しみを背負うことになる。

 しかし……俺の身はひとつ。

 選べ。選ぶしかない。ふたりが助かる可能性に掛けるか、それとも確実性上げるためにひとりを助けるかを。

 そのとき――不意に瀕死の男を目が合った。


「た……のむ……あの…………子を……リー……リーシャを」


 ……ああ、分かった。必ず……必ずあの子だけは救ってみせる。


「だからいい加減死ねって言ってるだろ! どんだけしぶといんだ。害虫並みのしぶとさだ……あぁもう、どうせ死ぬだろうから放置しようかと思ったけどやめだ。この僕の手で殺してやる!」

「やめろぉぉぉぉッ!」


 アシュリーは怒声を発しながら腰から剣を抜き放ち、その切っ先をヨルクへ向ける。

 目には先ほどまでの怯えはない。それどころか剣を人に向ける恐怖さえも感じない。頭が血に昇っているのか、今のアシュリーなら躊躇うことなく人が斬れそうだ。斬った後に死ぬほど自分を責めるだろうが……


「ヨルク、今すぐにその人達から離れて! さもないと」

「僕を斬るのかい? アシュリー、君が……あの優しい君が僕を斬るのかい? どうして? 確かに君は騎士という仕事はしているけれど、別に社会に貢献もしていない子供や無能な大人が死んだところで困りはしないだろう?」

「困る困らないとかそういう問題じゃない! あたしは騎士だ。人を守るのがあたしの役目なんだ!」


 自分を肯定してくれる。否定はされない。

 そう心から思っていたのか、アシュリーの気迫にヨルクが怯む。それと同時に俺は魔法で身体能力を強化し全力で踏み込んだ。

 リーシャの壁になるように彼女とヨルクの間に入る。鯉口を外した刀を右手で握り、横腹から肩口に掛けて一閃。白刃は月光を纏いながら吸い込まれていく――はずだった。


「――ッ」


 ヨルクは俺の動きに全く対処出来ていなかったが、左腕の異形だけは彼の意思を関さずに行動。

 軟体動物のような不規則な動きで宿主をかばうように纏わりつき、威嚇だけでなくあわよくば捕食しようと牙を剥いてきた。

 しかし、白刃の一閃は異形を先に斬り裂く。

 断裂とまでは至らなかったが、中程まで斬り裂き深手を負わせたのは間違いない。

 その証拠に異形は暴れまわり、自立行動していても神経は繋がっているのか宿主であるヨルクも悲鳴を上げている。

 その隙に追撃も出来たが、男から頼まれたことを優先し傍に倒れていたリーシャを抱きかかえ後退。その瞬間に男が安堵した顔を浮かべ、力を失っていくのを目撃した。

 後退した俺は、リーシャを半ば強引にアシュリーに押し付ける。


「その子を連れてお前は逃げろ」

「え、いや、でもあの人が……!」

「あっちはもうダメだ」


 俺が来た瞬間に迷わず踏み込んでいたなら、魔人になった経緯や異形に警戒し過ぎなければ、彼はまだ息をしていたかもしれない。

 慎重になることで守れる命がある。助けられる命がある。

 だが反対にがむしゃらに進まなければ守れない命。助けられない命もある。

 どっちが正しいのか。

 それはどちらも正しい。時と場合で変わるだけだ。

 そんなことは分かっている。分かっていたはずだ。何度あの戦いで経験したと思ってる……。

 だから今は後悔するな。

 前を見ろ。敵を見据えろ。救える命を救え。


「いいからさっさと行け」

「だけど! ルーくんは……ヨルクをどうするつもり?」

「殺す」


 アシュリーの顔に驚きはない。ただ目を落とし唇を噛み締めるだけ。

 俺の答えなんて分かっていたのだろう。ヨルクがもう普通の人間ではないことも。斬り捨てられても仕方がない罪を犯しているということも。

 ただそれでも……騎士として、アシュリー・フレイヤとしてはヨルクも守るべき対象だった。

 罪を犯したのならば捕まえて更生し、生きてその罪を償わせる。

 それがどこまでも真っ直ぐな心を持つ彼女の考えなのだろう。


「……それしかダメなの?」

「魔人になった奴はいつか自我を失う。そうなれば被害が出るだけだ。そもそも……お前のあいつの話を聞いていたんだから分かってるだろ? あいつの考えは異常だ。人としてもう壊れてる」

「でも……でも!」

「魔人になった奴を救う術はない」


 魔人となった者を何人も見てきた。何人も殺してきた。

 救う術があったなら救いたかった。だがそんなものは存在しない。一方通行でしか行えない倫理に反した実験。魔物の細胞による侵食と暴走。だから魔人の開発は禁止された。

 だが現実はこれだ。

 また新たな魔人が現れた。

 魔竜戦役であれだけの犠牲を出しながらどうして……


「……人として終わらせてやるには殺すしかない」

「……何で……何でこんなことに」

「現実はいつだって唐突に残酷だ。だが……お前にも出来ることはある」

「え……? でもあたし……人を斬るかと思うとまだ……覚悟は決めたつもりだったのに」

「人を斬るとか斬らないとか今はどうでもいい。さっき自分で言っただろ? 人を守るのが自分の役目だと。なら……今お前の手の中にある命を救え。守ってみせろ」


 その言葉にアシュリーは力強く頷いた。

 抜いていた剣を鞘に納めると、リーシャを背負って来た道を戻り始める。


「ルーくん、この子を安全な場所まで連れてったら加勢に戻るから。それまでに死んだら許さないからね!」


 死ぬつもりは毛頭ないが、せめて死んでいたなら許してほしいものだ。アシュリーに対しては、死んでまで何かされるほど恨みを買った覚えはないのだから。


「……さて」


 素早く手首を返して刃についていた血を振り払う。

 なかなかの深手を与えたつもりだったが、見たところすでに傷口が塞ぎかけている。やはり魔物の部分は回復力も馬鹿にならない。

 それに……さっきはアシュリーに気を取られていたが、次からは確実に俺を殺しに来るだろう。

 また異形は宿主の意思がなくても自動で攻撃や防御を行う。しかもこちらの動きについて来れる速さだ。何かしらの能力も持っている可能性があるだけに油断は即死に繋がりかねない。

 とはいえ、俺は魔法でドンパチやれるわけじゃない。

 使えるものはいくつかありはするが、正直斬った方が確実にダメージを与えられる。自身のスペック的に考えてもやはり英雄とは思えない。


「痛い……痛い痛い痛い……痛かった。痛かったんだからな! 僕の邪魔をしやがって。何なんだよお前はぁぁぁッ!」

「何かって?」


 そんなのは決まっている。俺は英雄ではない……


「ただの鍛冶職人さ」


 言い終わるのと同時に地面を蹴って前に出る。

 魔人へと堕ちたアシュリーの友を殺すために。



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