突発的短編集

@isiyeaaaaar

その1熟れた柿

季節は十一月を過ぎ、行き交う人混みも俯きながら背を丸めて歩く季節となった。早朝、表を走る子供達は、霜柱や薄氷を踏みわってはコロコロと笑いあっていたが、若くして肺を痛めた私は、冬の空気に肺をやられぬように暖炉の火を絶やさぬことにただ苦心する日々を送っていた。

 齢、十三の時に気胸を患ってからは、寒気を吸うと肺がきりきりと締め付けるように痛んだ。その為か日頃は塞ぎ込みがちになり、十五にもなると貪るように本を読み、あてもなく思考を巡らすことにもっぱら時間を費やすようになった。私の故郷は田舎の雪国で、図書館などと言うものは隣街へと行かねば無かったが、祖父が残してくれた書斎のおかげで読む本が尽きるということは無かった。書斎には、八畳ばかりの洋室に溢れるほどの本が詰め込まれ、常に若干の湿気を孕んでいる、如何にも世俗的な爺が余生を全うするのに丁度良い部屋だった。陰鬱とした目立った物も何もない部屋だったが、そんな部屋で、東に向いた窓から庭の柿の木を眺めるのがたまらなく好きだった。

 柿の木は自分が生まれる何年も前から庭に生えていた。この部屋に通う前までは、折檻の際に磔にされたり、稲穂が実を含みだす頃には夥しいほどのシバムシがついたりといった厭な記憶から畏怖の対象となっていたが、この部屋から見る木は実に様々な表情を見せてくれた。冬はその枝と実に雪を積もらせ子供達の遊びに使われ、春はその花によって季節の訪れを告げた。夏はその渋く輝く葉によって強い日差しをろ過し、憩いの場をもたらし、秋は、ろ過した日差しを実に集め、橙の綺麗な実をつけた。一年を通し、その命の循環とも言える変化を見るうちに、段々とその木を好いていった。

 あるとき、読書中にふと休憩がてら柿の木を眺めてみると、綺麗な橙色の実の中に、どす黒く腐った実を一つ見つけた。その実を見つめていると、なぜか段々と嫌悪感が込み上げてきた。まるでこの木までもが自分から離れるために、わざと腐った実をつけたとしか思えなかった。思い立つが早いか、私は羅沙鋏と脚立を持ち庭へに飛び出していった。

 柿の木に脚立をかけ、柿の実へと手を伸ばした。ぐずぐずに腐った柿の実は赤子の肌のように柔らかく、指先から今から命を奪うと言うことを実感させてくれた。

 枝を切り実を落とすと、その腐った肉体は赤色に弾けとんだ。キリキリ痛む胸が自分を攻めるように強くなり、呼吸が荒くなる。なぜだか自己嫌悪にも似た感情が沸き上がってくる。健常者をこの傷の無い柿だとするのならば、自分は…寒さに肺を痛め、まともに外にも出れぬ自分ははたして傷の無い柿なのだろうか?一寸考えた私は、柿の枝を切るように私の喉に鋏を突き立てていた。

 周囲に血が飛びちり、私の首からは破れた縫いぐるみのように管が飛び出し、ひゅうひゅうと笛のような音を立てた。飛び散る血に澱みは無く、こんこんと赤い血が流れていた。

 そこに後悔の念はなく、ただ自身が腐っていないことに対する安堵しかなかった。

 段々と意識が遠のいていく。柿以下の体にしては良く持ったほうではないかと思い、この後に起こる騒ぎを想像してはにかむ。願わくばこの身が熟れる前に誰かに見つかるとこを祈り、私は地面に落ちた。

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