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●テクストと翻訳

 Circa hanc quaestionem, haec difficultas potest poni : Deus est omnipotens, ita quod ille potest facere id quod non continet contradictionem ; sed in hoc non contradictio quod duo homines sunt idem non solum in figura sed memoria et ingenio ; ergo Deus potest facere tales duo homines ; manifestum autem est quod intellectus humanus non potest distinguere tales duo homines ; igitur intellectus humanus non potest cognoscere individuum in quantum individuum, ita quod amare.


 この問題を巡って、次のような難題が措定され得る。すなわち以下の通り。神は全能であり、何であれ矛盾を含まないことをなすことができる。ところで、ある二人の人間が、容姿のみならず、記憶や性格を含めて、まったく同じであるということは矛盾しない a)。したがって、神はそのような二人の人間を創造し得る。ところで、人間の知性はそのような二人の人間を区別することはできないことは明らかである。したがって人間の知性は個別者を個別者として認識することはできず、それゆえ愛することもできない b)。


●註釈

a) 第三段落、および第五段落の箇所でも少し述べたことでもあるが、この部分は第二段落の直後に書かれたものではないだろう。或いは少なくとも、第三段落と第六段落とに共通して現れる、まったく同じ性質を有する二人の人間についての問題、「完璧なクローン」についての問題は、無名氏が第九段落を書き終えた段階か、あるいは書いている最中に思い浮かんだ想定反論であろう。つまり、執筆の順序としては、第九段落執筆完了時まで、第三段落と第五段落はその前半部しか有しておらず、第六段落に至ってはまだ書かれていなかった。そして第九段落執筆後、問題に気づいた無名氏は全体のバランスを取るために第三段落後半、第五段落後半、そしてこの第六段落を執筆した。初めからこの問題が意識されており、第一段落から、この「第二問題」として校訂された形そのままが無名氏によって執筆されていたのであれば、この「完璧なクローン」の問題が解決されるまで、無名氏も執筆を開始しなかったであろうということが容易に予想されるからである。現に「第二問題」のテクストが残されていることからすれば、無名氏の執筆の順序、および思考の経路は以上のようになっているはずである。

 私たちは、すでに見てきたように、この難題を以下のように言い換えることができる。「すべての性質がまったく同じである二人の人間が存在することは矛盾を含まない」。つまり、そのような二人の人間が存在することが可能であるというわけである。この世界には、まったく同じ色をして、まったく同じ虫食いがあり、まったく同じ葉脈を持つ二つの落ち葉が存在と考えるのである。考えられる以上は、そうした可能性を排除することなく、実際にまったく同じ性質を有した二枚の落ち葉が存在していても成り立つように理論を組み上げようとするのが形而上学者の常である。無名氏もまた、悲しいかな、この問題に立ち向かわなくてはならなかった。


b) この段落で考察された、まったく区別されない二人の人間についての問題は、不可識別者同一の原理に疑義を呈するものである。なぜならその二人は、彼らが持っているいかなる性質を取ってみてもまったく区別することができず、それゆえ彼らは総体としてまったく区別できないからである。そのような状況において、不可識別者同一の原理はまったく機能していない。考えてみれば非常に奇妙な想定である。オリヴィエ・ベルナールという私は世界に一人しかいないはずなのに、背格好、容姿、さらには性格や知性に至るまで、私とそっくりである人間が存在するとすれば、それは本当に私と異なる存在者であるのだろうか? がいるということではないのだろうか? しかし、形而上学的には別々の存在者で。なぜなら、同じ一つの存在者が時空上、異なる位置を占めることは不可能だからである。だが、それを見分ける手立てが存在するのだろうか? 無名氏が挑む問題の困難さは、このような現実離れしたとさえ言えるような例にでくわしたときに判明となる。彼の問題とは、繰り返し見てきたように、彼の愛する人が突然二人になってしまったときに、その二人のうち、方を、彼は選び出し得るのか、確実に選び出し得ると言えるための根拠は、いま生きている私たちの知性に存しているのだろうか、ということである。

 この追記部の問題が無名氏にとって顕在化したことは決定的であった。容易に解決可能であると考えていた「第二問題」が、ここに至ってきわめて困難な形而上学的な問題へと変貌したのである。彼はこれを避けることができたはずであった。事実、彼の精神はどこかでこの困難を避けようとしていた。だが彼はそうしなかった。この困難の先に存する、至上の悦楽に目が眩んでいたからであろうか? おそらくそうした一面もあろう。だが、それだけではない。彼はこの問題を前にして、形而上学者であれば誰でもそう考えるであろうことを思ったのである。「」と。彼には問題を避け、それを忘れ去ってしまい、清々しく生きることなどできなかった。彼の秘められた憂鬱が彼の臆病な精神を脅しつけていたのである。「さぁ、問い続けよ! 精神をすり減らし、求め続けよ! 呪われた奴め!」至上の幸福を求めて地平の果てまで探求せよとどこまでも追い詰められる彼は果たして幸福であっただろうか?

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