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「お待たせいたしました」
滑らせたショートグラスを前にしてエミコさんはゆっくりと瞬きをする。サーブしたのは赤いスカーレット・オハラだ。
「わぁ、綺麗ね。まるで私みたい」
いただきます、と呟いてグラスを傾けて、一口飲んで恍惚のため息。
「美味しい」
ぽそり、と独り言のように言うと、お喋りなはずの彼女の口がきゅっと結ばれた様に静かになった。
もしかしてダウンした? お迎えどうしようか、なんて思っていると俯き加減だった視線がスッと上に上がる。バチンと合うと、その表情は見たこともないくらい複雑なものだった。
「今日はね、どうしても酔いたかったの」
「どうしても酔いたかった?」
そんなになるまで、どうして。
「今日はねぇ、私の大好きな人が星になった日なの」
星になった日、ということは誰かの命日ってこと?
「あの人が居なくなって、今日で十年になっちゃった。私もおばさんになったわね」
ふふ、と乾いた笑みを零してエミコさんはまたグラスを傾ける。その左手の薬指にはゴールドの指輪がはめられていた。
「昔の男、何て言ったら格好つけすぎだけど。昔に好きだった人がね、事故でなくなっているの」
「そう、なんですか」
「大好きで大好きで、大好きだったのに私を置いて先に逝っちゃった。ずっと傍にいるって言っていたのに、嘘つきよね。私があっちへ行ったら怒ってやるんだから。何年経っても絶対許してあげないの」
クルクルと遊ぶようにグラスの脚を回しながらエミコさんは続ける。
「でも旦那はもう許してあげろって言うのよ」
「旦那さんが?」
「あぁ、うちの旦那はね、亡くなった彼の兄なのよ」
「え」
「言っておくけど、彼が亡くなったから兄に乗り換えたわけじゃないわよ。本当はあの人からも離れるつもりだったのよ。彼の面影があるから傍にいるのが辛くて。でも、あの人は私を一人にはしなかった。どんなときも一緒に居てくれたから」
そう言って見せたくしゃりとした笑顔は、感情を押し付けているようにも見えた。
「だめね、本当はこんなこと言うつもりなかったのに。ごめんなさい」
エミコさんは微笑んだまま頭を下げる。
「これでもね、もう吹っ切っているのよ。あの人はいつだって私を支えてくれるし、私もあの人を支えたいし、毎日幸せだって本当に思ってる。でも、今日くらいは」
エミコさんは思っていたよりも気丈に店を後にした。見送った夜空は夕方の雨を忘れたように星が煌めいていて、どうしてか良かったと安心した。多分、エミコさんが言ったから。『今日くらいは彼を思い出してあげないと可哀相でしょ?』今日くらいは、誰もあなた達を責めはしないだろうから。
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