第十八話 花、開く

 文字通り部屋の隅で丸くなっているボクを見て、タクトは大きなため息をつく。……ラルさんに似ているなあ、と思う。他人に無関心なつもりでとっても気にしているところとか。なんてそんなこと考えているだけでなんだかもやもやしてきた。目に見えない何かにお腹と胸をきゅーって抑えられてるみたいでクラクラする。幸せなような、辛いような、そんなよくわからない感情の波みたいなものが、ラルさんと居る時は感じないけど、彼がボクを離れたところで、まるで津波のように押し寄せて、気持ちをぐしゃぐしゃにして去っていく。

(ここのところ、ずっとだ)

 最近は気の浄化にも慣れてきて、パニックになったりすることも少なくなった。まあ、それはすごくいいことなのだけれど、かわりに別の問題が浮上するようになったのだ。部屋にずっと二人でいると、前までは無理してしゃべらなきゃ! って気持ちにはならなかったのに、ラルさんが黙っているとなんだかよくわからない感情が押し寄せてきて。それが頭の裏で響く声とマッチするようでしないから、頭がパンクしそうになる。それが嫌だから喋ろうとするんだけど、面白い話が出てくるわけもなく。ボクのする話なんて、大抵は小さいときしていた旅の話ばかりだ。ダネスネーラにいた頃の話をするわけにもいかないから自然とそうなるのは仕方のないことで。で、話をするとちょっと笑ったり不思議そうにしたりする顔を見るとやっぱりさっきみたいな感じになる。

「……」

「ご、ごめんねタクト。ちょっとだけ、ほんとにちょっと、ここで休憩させて……」

 この原因不明の奇病にすっかり参ったボクは最近かなり仲良くなったエルスに相談しに行ったけど、彼は興味深そうに話を聞いたのちに病名を宣告する直前に、オルフに「病人に密着しすぎです」と神術で吹っ飛ばされて追い出されてしまった。それにしても彼は人の話を聞きながらニヤニヤする癖でもあるのだろうか。

 さて、それはともかく頼りにすべき医者にもそんな対応をされたボクはとうとうどうしていいのかわからなくなってしまったのだ。ソリスはなんだか違う気がする。ノースに人生相談っていうのもなんだかなあ。ラルさんに直接言うなんてことはできないし……。

「話くらいなら聞ける」

「え?」

「でもきっと、俺にアドバイスは出来ない」

「……あのね、あの、ボクにもよくわかってないんだけどね……」

 そうして言葉に甘えこれまでのことを話した。話して解決することはないけれど、なんだかそれでいつも心がちょっとだけ楽になるような気がした。……なんというか、定期的にこうして誰かに話したりしないとなんだか本当に、さっき言った洪水みたいな、津波みたいな気が体から溢れて爆発しそうになるから。……外に出ることが少なくなってよかった。多分戦う羽目になったら味方もみんな巻き込むような衝撃波を出しちゃったかもしれない。ノースに無意識にやった、あれみたいに。

「ねえ、どう思う? タクトもこんなふうになったことある? ずっとラルさんと居なくちゃなんないのに、こんな状態ずっと続いちゃったら、辛いよ」

「……そういうのは、俺じゃなくてラッツに言った方がいいと思う」

「え? タクトって、ラッツと仲良しなの?」

 思いがけずラッツの名前が出てきて驚く。よく見かけるし挨拶もしてくれるいい人程度の認識しかないが、ボクよりここに後に来た彼が彼女とそんなに仲良くしているなんて驚きだった。と、そんな顔をしていたのか彼はそれを読み取ってそんなことはない、という。

「たまにしゃべったりする程度の仲だ。ソリスは甘いものが好きだから、よく作ったものを貰う。あとは……武器を改造されそうになったりもする」

「それって仲良しなんじゃ……」

「俺の衝気銃が珍しいらしい。多分、本当にそれだけだと思う」

「たしかに、タクトの武器は変わってるよね」

 竜族に伝わる高度な技術をもとに作られた……らしいが、詳しいことはよく知らない。これをタクトに授けたソリス自身もよくわかっていないと聞いた。料理に武器の改造……本当に手先が器用なんだなあと感心してしまった。

「とにかく、そういうのは悪いが俺にはわからない。……ソリス、分かったか?」

「……うむ。次はここじゃ」

 部屋の奥で何かをしていたソリスがふう、と汗をぬぐって歩いてきて、地図を見せる。タクトはタオルをそっと彼女に手渡し、ソリスはそれを何も言わずに受け取って説明を始めた。

 ……ちょっとだけ、ちょっとだけ。

 もう行きたくないな、なんて。そんなことを想ったのは、秘密。


 *


「ドリラ、頼むぞ」

「……うん。頼まれた!」

 ふん、と気合を入れて膝を折る。……頭の中が静かだ。なんだか、いつもより。本当は倒れてしまいそうだったけれど、なんとか笑えた。すうっと鼻から息を吸って、それから吐く。それを何回か繰り返してから、白い地面に手を置いた。

「大丈夫」

 小さくつぶやくと、気は一気にボクの中に飛び込んでくる。それをいつもの様に受け入れて、まっさらになったそれを出す。周りが光って、瞼の裏が赤い。

 ――が、急に光が止んだ。

 ボクに入ってくるはずの負の気が読み取れない。頭の中で聞こえていた声が、フェードアウトしていく。そしてそれも完全に消えた。

「……ドリラ!」

 声に驚いてはっと目を開けると、見慣れた青い目があった。「大丈夫か!?」そう、肩に触れようとする手をまた無意識に払おうとしたけれど、それはボクに触れる前にきゅっとしめられて、地面に降りた。何が起きたのか理解できない。今のこの状況も、さっきまで起きていたことも。周りは依然白い空間のままだし、雰囲気は緊迫しているし。

「だい、じょ、うぶ……じゃないや……水、あるかな?」

「待ってろ」

 喉がからからだ。オルフはソリスに指示されてなにか作業をしているし、タクトは周りの状況を見に、そばにある木に登ってあたりを見回している。ラルさんはすごく真剣な顔で水筒を探し、見つけたそれを手渡す。常温のそれが喉を通って静かに降りていった。ほ、と息をつくとそれと同時に視界がぼやける。

「わっ」

「えっ」

 ラルさんの声に驚いて瞬くと、冷たい雫が頬を伝った。驚いて頬に手を当てると濡れていた。伝ったそれを舐める。味なんて感じなかった。でもなんだかそれを合図にしたように喉の奥が熱いものを飲んだみたいに熱を放って、苦しくなった。それにまたびっくりしてると、ほっぺたはどんどん濡れていって……。

「だ……いじょうぶじゃ、ねえな」

「えっ、わっ、なんで」

 なんでボクは、泣いている?

 呆然と座り尽くすボクの前で、ラルさんは同じように座り込んで、ただじっとしてくれている。いや、どうしていいのかわからないだけなのかもしれないけど。ぼろぼろ零れて、溢れて、止まらない涙を服の袖で強引に拭いていると、ふと頭に重さを感じて顔を上げる。視界が真っ黒になる。帽子を押さえられているんだって気づくまでちょっとかかった。

 と、名前を呼ばれて返事をする。オルフは隠そうとする目を、帽子をそっと持ち上げて覗いてきた。ふむ……と低い声でつぶやいてから帽子を戻してため息をついた。

「もう限界ですね。これ以上は許可できません」

「……仕方ない……。撤退じゃ」

 ソリスが憮然とした声をあげる。待って! と声を掛ける。

「まだ、大丈夫だよっ! それにここはどうなるの!?」

「お前に死なれては困る。少々の犠牲は仕方なかろう」

 それに事実、お前は此処を浄化できなかった。それのどこが《大丈夫》じゃと? とそんな澄んだ目で言われたら、何も答えられなくなってしまう。唇を噛んで、ぎゅっと握った拳を勢い良く地面に振り下ろした。


 *


 自室に戻る暇も無く、医務室に呼び出されて検査。結果、やっぱり外出禁止令が出された。しばらくゆっくりできる時間ができたじゃん、ゆっくり休みな。なんてエルスには言われたものの、そんなプラス思考になれるほどボクは馬鹿じゃなかったようだ。静かになった頭の中に、なんだか違和感を感じる。とりあえずお風呂にでもはいろうか、と裸になって気づいた。

(ボク、こんなに痩せてたかな?)

 こっそりラルさんに鍛錬に付き合ってもらったりしているけれど、以前に比べて筋肉も落ちてしまったから、ぜい肉だらけになっちゃったかなあと少し心配していたけれど杞憂だったらしい。腕をあげたりしなくても、肋骨の形がくっきり見えてしまってる。腕だって骨ばっかり。まるで絵本にあるミイラみたいだな、と苦笑する目の下にはくま。

(変わっちゃったね)

 あの日と変わってしまった。全然、違うことになってしまった。のんびりギルドで任務をこなして、それなりの生活をして。それだけだった便利屋ドリラはどこかに消えてしまった。こん、とおでこを鏡に付ける。ただそれだけなんだけど、うん、それだけなんかじゃないなあ。ふふ、と苦笑すると、目の前の鏡も苦笑した。

 広いお風呂で泳いだりさんざん遊んだりしていたら、たっぷり一時間も経っていた。そういえば、こんな長風呂も久しぶりだなあ、なんて思ったりして。まだ髪の毛も生乾きのまま部屋に戻る。足首のラインを見たラルさんはちょっとだけ暗い表情をする。なんだかボクまで悲しくなりそうだ。別に、ボク自身は何も思っていなかったりするんだけど。……でも、ラルさんには、あんまり悲しい思いとかさせたくないなあ。

 無言で部屋に帰って、無言でベッドに横になって、借りてきた本を読む。ウトウトしてきたら何も考えずにあったかい布団に潜って寝ていいし、暇になったらノースと談笑してもいい。……楽しいけど、楽しくない。何もない生活。ラルさんがたまにする悲しそうな顔とか、辛そうな顔とか、そんなのを見てると、少しからよく、よくからすごく、胸がチクチクするようになった。逆にちょっと笑ったりとか、楽しそうだったり嬉しそうだったりしても、ボクが気をなんとかしないと、その笑顔も全部消えちゃうのかなって、やっぱり苦しくなった。ほかの人も消えるっていうのもつらいけど、ラルさんに対するそれは、他の比ではない。

 そうしているうちに、白い羽がここにまでやってくるようになった。


 *


「もういい、やめろ!」

 ソリスの元に、もう一度術をかけて貰いにいくよと言ったボクの腕をつかんで、彼は叫ぶように言った。

 何を、どうして? ボクがあれをやめたから、この世界はどんどん壊れていってる。環境が変わるっていうことは、作物が育たなくなったり、直接じゃなくても間接的になら困る人がたくさん出てくるということ。この状況が変わるとされている《創世ノ術》についても、分かっていることは少ない。もう、その方法を待ってばかりじゃいられない。

「それに、ボクは生贄になっちゃうんだよ。だったら、その時までもてばいいんだ」

「……何が欲しいんだよ。お前は、」

「生きる目的、かな」

 えへへ、と笑う。笑うくらいしかできないから。ボクにはこれくらいしか生きる目的がないんだ。エナトと会うために生きてきたなんて、そんなの嫌。ボクは、ボクのために生きる。そのためにはあの力が必要で。逆に言えば、何もしてないボクはボクじゃない。だからつまり、今のボクは、ボクじゃない。……と、思う。

 実際のところボクにもよくわかっちゃいないのだ。ボクがボクでなくてもボクであることに変わりはないし、ボクがボクである証明なんてきっと誰にもできないんだ。でも、なんだか最近ひとつだけ確かなものがあって。でもそれを明確に定義しようとすればするほど……そう、それこそ、まるで虚空に浮いた一筋の糸くずのように、ふわふわり、とボクを翻弄して、嘲笑って、舞う。ラルさんへの思いのように。そんな考えも知らずに、ラルさんははっきりという。

「俺は、お前が生きる目的だ。お前はそこにいたらそれでいい!」

「!」

 胸が高鳴る。そうか、そう……なんてことだ。

(それはボクの台詞だ)

 やっと気づいたそのことに、ボクは思わず失笑してしまった。ボクはなんて馬鹿なんだろう。今更かな。何がおかしいと怒った声でいうラルさん。わかったんだ。

「ごめん。さっきの無し」

「はあ?」

「ボクの生きる目的はね、キミだよ」

 そう言った瞬間声がした。つらい、怖い。騒がしくなる頭に、戻ってきたんだね。とちょっと不思議な感覚で受け入れる。おかえり。とはちょっと違うか。この前みたいに体をすり抜ける感じじゃなくて、ちゃんと中に入って、それからまっさらになったそれが出ていく。ちゃんとわかる。この前よりも、はっきりと。

「はじめは居場所が欲しかった。彼らのために生きているなんて、そんなよくわからない理由のために生きてるってことを否定したかった。でも今、分かったよ。キミに生きてもらうために、ボクが生きてるんだ。だから、」

 どうかボクから、ボクを奪わないで。


 *


「咲いたか」

 ルーテル教総本山。そこにある庭園で鮮やかに咲くクロッカスを摘むエナトを見て、モンドは呟いた。

「ほら見て、モンド。とっても綺麗だよ!」

「……そうだな」

(さて、その花がつけるのは何色の実か、それとも……)

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