第12話 『悲劇の女王』(執筆者:美島郷志)

 事態は最悪と言ってよかった。既に民衆はクーデターに気づき、セブンが事が大きくならないように取り計らっているものの、女王が倒れたという噂はたちまち広がって、城の前には多くの民が集まってしまっている。こういう時、本来なら妹君であるスノウ様が出て行くべきなのだろうけど、クーデターの首謀者であるとされているスノウ様が出て行けば、どうなるか知れたものじゃない。


 それに、スノウ様も民衆の前に出て行けるような状態ではない。女王様がスノウ様を庇って倒れたのだ。


「お姉さま……どうして「贈り物ギフト」を使ったのですか? あなたにはもう、そんな力は残っていないはずなのに……。」


 目を覚まさない女王様の隣で、スノウ様は延々と泣き続けている。スノウ様が泣き続けて、もう外は陽が沈みかけている。


 何か事情があるようだけど、誰もそれについて教えてくれようとはしない。みんな口を揃えて、「知らないままの方が良い」と言うのだ。でもこれだけの大事になって、もう知らないままではいられない。


「……ヒマリちゃん、どうしてか知りたい?」


 隣で一緒に女王様を見つめる南方さんが、私の心を察したかのように尋ねてくれた。


 私はそれに、力強く頷いた。


「あのね、昔この世界を、一人の英雄さんがまとめて回ってたんだって。丁度この国ができるぐらいの頃だって、女王様は言ってた。でね、他の三つの国にも掛け合って、別の世界との橋を繋ごうとしたんだって。でもその時に、協力してたはずの向こうの王様にその人が殺されちゃって……怒った四つの国の主は、英雄さんの仇を取ろうとしたんだけど……その時に力を奪われちゃったんだって。」


 南方さんは女王様の冷たい手を握りながら、祈るように手を握りながら擦って温める。


「女王様の贈り物ギフトは【旋律を歌う者シング・シング・シング】、女王様はずっと、歌で国民を励まし続けていた。でも歌えなくなってからはずっと、今みたいな調子なんだって。そして、今日みたいに無理して歌うと……歌うと、死んじゃうかもしれないって。」


 私は、あまりに驚いて目が飛び出そうだった。じゃああれは、あの死体たちは、全部女王様がやったってことなの? それも命がけで、あの場にいた人たちを守るために?


 私が驚愕を顔に浮かべていると、泣きはらした後で真っ赤になっているスノウ様が顔を上げていた。


「それだけじゃないわ。この国にとって、お姉さまの歌は国の歩みそのものなのよ。元々貧しかったこの国は、お姉さまの歌があったからここまで頑張ってこれた。お姉さまの歌と、ジョーカー様の支えがあったからこそ、四つの国のなかで唯一の王国となれたの。」


 スノウ様の言葉を聞いて、あの突き飛ばされたおじいさんの言葉が脳裏に浮かんだ。そうか、おじいさんが女王様を庇ったのは、おじいさんたちは女王様の歌と一緒に、この国を作って来たからなんだ。一緒に苦労してきたから、その苦しみがわかるんだ。


「でもあの日、向こうの世界の王はお姉さまからすべてを奪った! 平和も、ジョーカー様も! そして……お姉さまの大事な歌声さえも!! 更にお姉さまの心までも奪おうと!! お姉さまは病んでしまわれた! それでこんな……あんなに優しかったお姉さまが、こんなむごたらしい事まで!」


 もうそれは、私の知っているスノウ様ではなかった。ただ純粋に、傷ついた姉を思い、傷付けた人に復讐したいと妬み続ける妹そのものだった。


 私の知らないなにかが、ずっとこの国の人たちを苦しめ続けている。スノウ様の優しさも、女王様の凛とした美しさも、全てこの憎しみの裏返しなのだと、彼らの思いを聞けば聞くほど胸の奥に突き刺さってくる。


「……スノウ、あまり大きな声を出すものじゃないわ。はしたない。」


「お姉さま……お姉さま!!?」


 その場にいる全員が振り返った。女王様が目を覚ましたのだ。


「お姉さま……お体は?」


「最悪よ。カプリチオなんていつ以来かしら? ……あぁ、そういえばそんな事もあったわね。長生きはするものじゃないわ。」


「すぐにお水を持って参ります!」


 スノウ様が立ち上がろうとしたその時、女王様がスノウ様の去ろうとする手を握った。


「いらないわ。それよりも……チェシャ、一つ頼まれてくれるかしら?」


「はっ、何か?」


 チェシャが女王様の前に跪くと、胸元から金があしらわれたハートマークのコインを取り出し、それをチェシャの頭の上に置いた。


「それをセブンに渡して、「いつものを。」と伝えて頂戴。それで全て片が付くわ。」


「……かしこまりました。」


 チェシャは女王様から預かったコインを大事そうに抱えると、窓から飛び降りてセブンの下へと向かった。月明かりだけが頼りの真っ暗な外は、猫目のチェシャでなければ歩けないだろう。


「お姉さま……私は……。」


「言わなくていいわ、スノウ。……でも、本気にしてくれてもいいのよ? 私はもう歌えない。年に一度でいいから、あなたがみんなの為に雪を降らせてくれた方がよっぽど喜ぶわ。」


 女王様の声は疲れ切っていた。南方さんやスノウ様が言っていたことは本当なんだ。


 だとしたら、今の女王様の境遇はあまりにも辛すぎる。今までも、贈り物ギフトを失って苦しかっただろうに、それでも一生懸命女王様をやってきたのに、その国民にこんな仕打ちを受けて、私だったらもう心が折れてしまっているかもしれない。


 それでも女王様は女王様でいようとしている。きっとチェシャに託したあのコインは、セブンに自分の無事を伝えるためのものなんだろう。そしてセブンがそれを、国の皆に伝えてくれると信じている。


 女王様はまだ、女王様のままだ。でも、本当はもうボロボロなんだ。女王様はもう、自分が女王でいられないことをわかっているんだ。


「バカなことをおっしゃらないでください!!」


 それでも、妹であるスノウ様は、そんな弱気な女王さまを叱り飛ばす。


「この国の女王はあなただけです! ずっとみんなと一緒に造り上げてきたじゃありませんか!! みんなあなただからついて来たんです! 後にも先にも、この国の女王はあなただけです! 他なんていません!」


 スノウ様は女王様の肩を掴んで揺らしながら、冷たい目のままの女王様を必死に見つめ続けた。


 そうだ、スノウ様の言葉は、きっとこの国のみんなが思っている事だ。スノウ様もそれを知っているから、弱気になっている女王様を何とか励まそうと必死なんだ。


 それでも、女王様の瞳はどこか遠くを見つめている。


「また死に損ねちゃった。……ジョーカー、いつになったら迎えにきてくれる?」


「お姉さま……そんな悲しい事をおっしゃらないでください……。」


 虚ろな目をして疲れ切った表情の女王様に縋り付くスノウ様の姿は、あまりにも無力で、あまりにも哀れだった。きっと二人はとても仲が良い。だから、お互いにどうしようもできないことがどうしようもなく辛いんだ。


 私には、どうすることもできない。


(お兄ちゃん……お兄ちゃんなら、何かしてあげられるのかな?)


 私は二人の姿に、私たちの姿を重ねた。もし女王様がお兄ちゃんで、私がスノウ様だったら、私はお兄ちゃんになんて言ってあげられるだろうか? もし逆だとして、お兄ちゃんは私になんて言ってくれるだろうか?


 血を分けた姉妹が打ちひしがれている様は、どうしようもなく胸が痛む。


「すみません……紅茶を、淹れてきます。」


 涙を目元一杯に溜めたスノウ様が立ち上がり、堪えきれずに医務室を走り去っていく。廊下に落ちた涙粒の後が虚しく、私と南方さんは顔を見合わせて俯くしかなかった。


「……ナナミ、いいかしら?」


 女王様は南方さんに、傍に来るように手招きした。南方さんが慣れた様子で女王様の傍に座ると、女王様は重たそうな体をゆっくりと南方さんへと傾ける。


「あなたはヒマリ……だったかしら? 今日はあなた達二人で良いわ。今宵の相手をしてくれる?」


「……ん? こよいの……相手?」


 女王様が何を言っているのか、私にはよくわからなかった。だけど南方さんがこっちへおいでー、と手招きしているあたり、恐らく想像している感じで間違いないのだろう。


「あ、いやちょっと、私そっちの趣味はなくて……。」


「何を言ってるの? いいから早く来なさい。」


「はい……。」


 大人しく権力に従って、女王様のお隣に失礼した。


 女王様が倒れた時にも感じたが、初めて見た時の立ち姿とだいぶ印象が変わっている。背はとても小柄で、私の胸の辺りまでの身長しかない。凛々しい顔つきも、疲れ切って今にも眠ってしまいそうなほどにウトウトしている様子は、むしろスノウ様の方がお姉さんじゃないかと思えるぐらいに幼い。


「あーもう、疲れた……喋りにくいのよ本当に。なにが気品よ付き人のくせに。肩が凝って仕方ないったりゃないわ。」


「ッ!!?」


 これはどういうことだろうか、さっきまであんなにスノウ様にはしたないとかどうとか言ってた女王様が、もの凄く毒気強めの愚痴を漏らしていらっしゃる。


 こうなってしまうともはや口の悪い生意気盛りの小学生そのものだ。


「あの……女王様? さっきまでの優雅で気品のある振る舞いは?」


「ん? あんなもの演技よ演技。セブンがうるさいのよ。「もっと女王らしくしろ!」って。私どっちかと言うとアイドルなんだけど。寝る時ぐらい素でいたいわよ。」


「……わーお。」


 これには感嘆する他なかった。あんなにスノウ様にグチグチ言ってたのに、本信じゃ自分も我慢してんだからあんたもやれって言ってたって事? 本当に小学生じゃん。


「そんなことよりヒマリ、あんたもうちょっとこっちで寝なさい。」


 そう言って、女王様は自分の横に空いた空間をポンポンと叩き、私にそこに収まるように催促した。


 もうヤケだ。私は覚悟を決めて女王様の隣を失礼して寝転がる。するとどうだろう、今までの人生で嗅いだことの無いぐらい芳しいフローラルの香りが鼻腔をくすぐって、なんだかとてもこそばゆい気持ちにさせられる。


(どうしよう……凄くいい匂いがする!!)


 噂には聞くけれど、やっぱり美少女ってみんなこんな匂いを放っているのだろうか? こんな素晴らしい香りをすれ違いざまに振りまかれてしまったら、例え同性であっても思わず振り返ってしまうような、なんと言うかもう抱きしめたい!!


「ナナミ、あんたまた落ちるんじゃないわよ? 絶対だからね?」


「はーい。」


 女王様の香りにうっとりしていると、反対側から南方さんが女王様の腰に腕を回して寝転がった。


「ヒマリ、もっとこっちへ来なさい。」


「えっ!? いやその……これ以上近づくと……。」


 南方さんの幸せそうな寝顔がすぐそばに、それとは別に女王様がもぞもぞと動き出して私を抱き寄せてくる。無防備な腰に腕を回され、身動きの取れない私はされるがままに女王様に抱き寄せられていく。


 そして、女王様の小さなお顔が、私の胸の中にすっぽり収まった。


「ん……意外とふかふかしてるのね……。」


 それはまるで眠り姫のように、良いポジションがようやく見つかった子猫のようにうとうとしながら、女王様は静かな寝息を立て始めた。


 これはアレだ。全然お姉ちゃんじゃない、妹だ。甘え上手な妹だこれ。どうしよう、お兄ちゃんには申し訳ないけれど、できることならずっとこのままでいたい。


 そう、できるならずっとこのまま……。私はかわいい寝顔を見つめながら、ゆっくりと瞼を閉じていく。

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