第8話 『ハートアイランド』(執筆者:美島郷志)


 私がこの国に来て、一番初めの印象は「綺麗な国」だった。見たこともない、分厚い石段がどうやったのかもわからないぐらいの高さまで積み上げられた門に、落ちてくればひとたまりもないような木の杭で組み立てられた柵扉。まばらな大きさの石が敷き詰められている、雨が降れば滑って転びやすそうな通りはたくさんの人でにぎわっている。


 女王の妹だという彼女は、長靴を履いた猫に連れてこられただけの私を快く迎えてくれた。事情を話したら、なんと住む場所や食事まで用意してくれた。そこはテレビの中で見たような、薄い石壁と石畳を引いただけの簡素な作りであったが、なんだか大昔にタイムスリップしているみたいで興奮した。出てくるご飯も、お箸が無いのはちょっとアレだけど、程よく燻されたローストハムの厚切りソテーは、久々のご馳走で興奮した。


 今思えば、そんな優しい世界に、私は舞い上がっていたのかもしれない。


 私は今、真っ暗で冷たい部屋の中にいる。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 まだ遡る事数日前、私は妹姫様とお知り合いになった後、この国で密かに生活を始めていた。どうやら妹姫様のいるお城からそう離れてはいないらしく、私は度々妹姫様の話し相手になっていた。


「本当にヒマリのお話は面白いわ。まるで夢のようなことばかりで興奮する。」


「あはは……私には当たり前だったんですけどね。」


 この人といると気が緩んでしまうようで、私の口からつい弱音のような一言が出てしまった。


 実際に暮らしてみると、これが案外厳しいものだ。石鹸や水場はあるのでとりあえず体は洗えたりするのだが、水道やガスがあるわけではないのでお湯は沸かさないと無い。そしてお湯を沸かすのは薪を燃やすところから始まるので、気が遠くなるほどしんどい。幸いにも気温が丁度良く、水もさほど冷たくないので苦にはならないが、もし寒い時期が来たら大変だとは思う。食事はお世話になりっぱなしで、とりあえず働けばいいのだろうか?と思って相談はしてみたが、このままでいいと言われてそのままだ。


 なんというか、凄い過保護なホームステイをしている気分だ。


「あの……妹姫様はずっとここに?」


「スノウで良いわよ。あなたとはお友達でいたいわ。」


「え、えっとそれじゃあ……スノウ様はずっとここに居るんですか?」


「ええ、そうよ。私は妹だけど、この国の姫だから。私の事は別に良いの。こうしてたまに、外の世界の人の話を聞けるだけで……。それよりも、ヒマリは何か用事があってここに来たのでしょう?」


 スノウ様が膝までの高さしかない高そうなテーブルの上から、受け皿ごとティーカップを持ち上げた。


「それで、この国へはどんなご用事で?」


 妹姫様が優雅に紅茶を口に付けた。高そうなティーカップの装飾は、それだけで妹姫様を華やかに魅せる。蒸気から漂ってくる紅茶らしい香りは、なんだか自分が場違いな場所にいるようで落ち着かない。


「……もしかして、お紅茶はあまりお好きではなかったかしら?」


「い、いえそういう訳じゃなくて! あ、あの素敵なアッサムの香りが!」


「……あの、これアールグレイと言うのだけど?」


「あっ……。」


 すみません日本人は緑茶しか飲まないんです。知ったかぶってごめんなさい。


「ふふふ、少し困らせてしまったみたいね。でも仕方ないわ。紅茶の種類なんて飲み親しんでいる人にしかわからないもの。」


 まさかの大失態をやらかしてしまった私にも、妹姫様は優しく微笑んでくれる。なんというか、本当に目の前に女王様がいるみたいで、というかなんでこの人が女王様じゃないんだろう?


 私は些細な疑問に捉われて、紅茶の味がよくわからないまま適度な熱さになるまで舌で転がしていた。


「それで……どうしてこの国へ?」


「あっ……えっと……友人に勧められて。」


「ご友人に? どこからここへいらしたの?」


「うーん……森、です。すごく、森……。」


 しまった、ルビィにあそこがどこなのか聞いておくべきだった。あれ? 聞いたんだっけ? なんかよくわからないままになってるような……。


 私がうまく言葉にできないでいると、妹姫様はティーカップを置いて、膝の上に手を組んで姿勢を正す。それがまた、きちっとしていて美しい。


「凄く森……でしたら南かしら? この辺りで森と言われると、「フォレストクラブ」以外に浮かばないもの。」


「「フォレストクラブ」? あの森はそう言うんですか?」


 私が尋ねると、妹姫様はこくんと頷いた。


「この世界はその昔、たくさんの小さな村が点々とあるだけでしたが、今は大きく四つの国に分かれています。」


 妹姫様はそう言うと、辺りをごそごそと物色し始め、どこからかA4サイズぐらいの古ぼけた紙を取り出して机の上に広げる。


 そして、ちょうど真ん中辺りにある平べったい区域を指差した。


「私達がいるのはここ、「ハートアイランド」と言って、お姉さまが治めているの。この北にあるのが「ダイヤシティ」で、このティーカップを持ってきてくれた商人たちが拠点にしているの。ここよりもはるかに賑やかだと聞くわ。」


「へぇ~……。」


 私は妹姫様の言葉にうんうんと頷いていた。確かにお城の外観とかに比べると、このティーカップや急須は随分派手に見えるし、薄々ここじゃないどこかで作られたんだろうなとは思ったけれど、結構近場にあるのね。


「そしてここより南西が「スペードキングダム」。南東が「フォレストクラブ」よ。あなたの体力や行動時間を考えたら、この国境付近から来たと思うのが妥当かしらね。」


 妹姫様は一つずつ指を指しながら説明してくれた。私がルビィと出会った場所は、丁度スペードなんたらとフォレストクラブ、そしてハートアイランドを反復横跳びで行ったり来たりできそうな位置だった。私は妹姫様のお話に、ただただほえ~、と間抜けな相槌を打つしかできなかった。


「いいお友達に出会えたのね。「スペードキングダム」は今、いろんな王を自称する者たちが独立しようとしているせいで大荒れなのよ。下手をすれば捕まえられて殺されていたかも。フォレストクラブから出てきた理由はともかく、ハートアイランドはお姉さまのお陰で統治されているから安全よ。……比較的、ね。」


「……ん?」


 最後になんとなく引っかかる物言いがあった気がするが、きっと深く入り込まない方がいいいだろうと踏み込まなかった。


 それよりも、気になる物があったからだ。


「ねぇ、この北東にある場所は?」


 ハートアイランドとダイヤシティの国境から東、だ円のような国境線を書いて、それから東が陸続きになっているのに何も記されていない。そして、何やら梯子のような絵が描かれている。


 その時、場の空気が険悪になった気がした。冷たい風が二人の間を吹き抜けたのだ。


「……ヒマリ、あなたは何も知らなくていいわ。」


「あ……はい。」


 妹姫様の微笑みが消えた。隠してはいるが、その表情の裏側にただ事ではない怒りを感じる。


 ここに何があるのだろうか。私はその疑問をそっと胸の奥にしまった。


「姫様、そろそろヒマリを帰らせないと……。」


「あらチェシャ、もうそんな時間かしら?」


 こうしてお話しできる時間は限られている。まだ理由は教えてもらえないが、いつも一時間ぐらいこうしてお話をしたら帰るのだ。時間になるとチェシャが迎えに来てくれるので、うっかり過ごしてしまったなんて言う事もない。


「ではヒマリ、気を付けて。くれぐれもよろしくお願いしますよ? チェシャ。」


「心得ました。」


「スノウ様、また明日ね。」


「ええ、また明日。」


 妹姫様はいつものように、優しい柔らかな微笑みを向けて手を振ってくれた。妹姫様の部屋から出る時は、人目を忍んでチェシャの後を付いて行くから、なんだかスパイ映画みたいでドキドキする。


 また明日。こんな約束をしなければ、あんな事にはならなかったかもしれない。

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