第4話 『微睡みから』(執筆者:平沢 沙玖羅)
(あったかいなぁ……)
幸せなぬくもりに包まれているみたいで、とても気持ちがいい。
ひまりは自分の置かれた状況のことなど何ひとつとして頭にないくらい、その温もりに身をゆだねていた。
一度浮上しかけたその意識を、もう一度沈み込ませようとした時、誰かの自分を呼ぶ声が聞こえた気がして、ひまりは閉じようとするまぶたを、ゆっくりと押し上げた。
「ひまり、朝よ。朝ごはんを食べましょう?」
ひまりに呼びかけていた女の子・ルビィは、そう言ってひまりを揺り起こした。
「ルビィ……おはよう……」
まだ少しぼんやりとした様子ながらも、ひまりは笑顔で朝の挨拶を告げた。
「ふふ、ひまりはお寝坊さんね」
「お寝坊さんだな!」
「お寝坊さん!」
ロリィとエルフィスもそう続いて、ひまりはゆるゆると首を振った。
ひまりは、こんなふうにいつも優しく揺り起してくれた人のことをふと思い出し、沈みそうになった心を引き止めて顔を上げた。
「大丈夫。もう起きたわ」
焚き火の上に置かれた鍋からは、シチューのようなおいしそうな香りが漂って、ひまりの意識を完全に浮上させた。
「今朝はきのこのスープよ。果物もあるわ」
「おいしそう!」
ルビィの言葉に目を輝かせ、ひまりは早速スプーンを握った。
「今朝とってきたんだ!」
「すごいだろ!」
自慢げに胸を張るロリィとエルフィスに、ひまりは素直に頷いた。
「うん、すごい!」
そんなひまりたちの様子を、ルビィも楽しそうに見ていた。
4人で楽しく食事をし終えると、ルビィが立ち上がって言った。
「お散歩に行きましょう!」
「行こう!」
「行こう!」
ルビィたちはいつも散歩をしているようで、そのこともあってこの辺りのことに詳しいようだ。
「お散歩ついでに、北へ行く道に案内してあげるわ」
「ありがとう」
ルビィの言葉に笑顔で礼を言うひまりだったが、ルビィたちと別れることを思うと、少し寂しいような気持ちにもなった。
「よーし行くぞー!」
「行くぞーひまりー!」
いつでも元気なロリィとエルフィスの2人に引っ張られるようにして、ひまりは立ち上がって歩き出す。
「あらおはよう、スペード! 今日も異常はないかしら」
「おはようルビィ。今日もこの辺りは平和だ。君のおかげでもあるのだぞ。……おや、見かけない子がいるな」
「はじめまして!」
ひまりはスペードと呼ばれた馬上の騎士に、元気よく挨拶をした。
彼は、全身を覆う黒い鎧を着て、腰には剣、背には槍を背負っていた。そうして馬にまたがっているので、ひまりからは大きく見上げる形になる。
「元気のいい子だな。ルビィと仲良くしたまえ」
「はーい!」
「もう友達よ。じゃあまたね!」
「バイバイ!」
「バイバイ!」
ルビィたちは、スペードに手を振った。
そのあとも4人は楽しげな様子で散歩を続ける。
「まあウサギさん、こんにちは。今日もいいお天気ね」
ルビィは出会う動物たちにも笑顔で挨拶をして歩く。
そんなルビィたちと歩きながら、ひまりは何かを忘れているような気がしてきていた。
(何か……誰か……忘れてるような……)
ひまりがそう思って、首を傾げた時だった。
自分たちの後ろの方から、聞き覚えのあるような慌ただしい足音が聞こえることに気がついた。
そしてその足音は、だんだんと迫ってくるようだ。
4人の最後尾を歩いていたひまりは、音のする方へ振り向いた。
するとなにやら黒っぽい大きな影が、自分たちに向かって全速力で駆けてきているのが見えた。
「グオォ!」
そしてそう遠くないところで怒りの咆哮が聞こえて、ひまりは慌てて前を行くルビィたちに声を掛けた。
「ちょ、ねぇルビィ! 後ろ! 後ろからなにか追いかけてきてる!」
そんなひまりの声に、ルビィたちはさして慌てる様子も見せずに振り返ると、にっこりと笑って言った。
「大丈夫よ、ひまり。何も心配いらないわ」
そう言うと、ルビィは立ち止まった。そしてハーモニカを取り出す。
「そっか! ルビィの贈り物ギフトで!」
今日は昨日と違って、ひまりも一緒に踊れそうだった。
ルビィは頷くと、ハーモニカで音楽を奏で、楽しげに踊り出す。
「すたこらさっさっさーのさー、すたこらさっさっさーのさー」
ロリィとエルフィスも楽しそうに音楽を奏で、ひまりも怖いものなどなかった。
近づいて来ていたその影は、ルビィの音楽に触れた途端、怒りを鎮めてルビィと手を取り合った。
「熊さん、私と踊りましょう!」
4人に向かって駆けて来ていた影は、一匹の熊だった。
やはり大きな身体に似合わない優雅な踊りをくるくると踊ると、熊は満足した様子で走り去っていく。
「ほらね、大丈夫。……いつも何かあって怒ってるのよね、熊さんたちも大変ね」
ルビィは去って行く熊の姿にそう苦笑した。
「踊ったら少し疲れたわね。お昼休憩にしましょ」
「えっ、もうそんな時間だったの?」
ひまりは驚いて目を丸くした。
「そうね、この森ってば結構広いのよ。それに楽しい時間って、早く進むものでしょう?」
「楽しいな!」
「楽しい楽しい! ひまりも楽しいってことだな!」
「うん、そういうことだね!」
3人の言葉に、ひまりも笑顔で頷いた。
朝ごはんはスープと果物だったけれど、お昼ご飯は一体なんだろうと、ひまりは準備を始める3人の様子を眺めた。
3人は持っていたカゴから色々と取り出し始める。カゴに入っていたのは、それぞれの楽器だけではなかったようだ。
ルビィが地面に広げた布の上に、ロリィとエルフィスが手際よく食べ物を並べていく。
「お昼ごはんは、パンと果物よ。私が作ったジャムもあるの」
ルビィは言いながら、小さな可愛らしいジャムの瓶も取り出し、ひまりを手招いた。
柔らかい草の上に敷物を敷いてご飯を食べるなんて、まるでピクニックのようでひまりはまた楽しくなる。
「ルビィはジャムも作れるの?すごいね!」
「ありがとう。さ、食べましょ」
「うん、いただきまーす!」
食事中もロリィとエルフィスは元気で、ひまりには分からない言葉で歌を歌ったりしている。ひまりはルビィたちに助けられてから、ずっと楽しくて幸せな気分だった。こんなに楽しいのは随分と久しぶりな気がして、ふと心に浮かんだここには居ない人の背中に、少しだけ胸を痛めた。
(そうだ……兄さんは。兄さんは今頃どこかで、危ない目に遭っていたりはしないかな……。この世界は、あまり安全っていうわけじゃないみたいだし)
おいしいお昼ごはんを食べ終わると、ルビィたちはごろりと寝転んだ。お昼寝タイムのようだ。
たくさん歩いてご飯を食べると眠くなってしまうのは自然なことだ。まして静かで優しい陽の光が降り注ぐこの場所は、殊更に穏やかな眠りへと誘う。
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