思うこと、感じたこと。
月凪あゆむ
ぎりぎりの10代編
1. 矛盾の先に ―病気―
最近、メディアで「心の病」や「統合失調症」というワードを聞くことがある。
かくいう私は、クリニックで「統合失調症」という診断を受けた人間だ。
この病との付き合いは、わりと長いほうだ。私も両親も、「精神の病」について、前より関心を持つようになった。
もともと、我が家には、「自閉症」という病気を持つ兄がいる。だから、余計になのか、私の診断の時も、素直に病気を受け入れられた……つもりだが。
時々、気持ちが落ち込むと、「本当は怠けてるだけなのかも」などと考えてしまうことがある。
――本人が、そう思ってしまうくらいだ。周りの病気への理解も、得づらいのかもしれない。
よく、メディアで取り上げられるときに、「統合失調症患者との付き合い方は?」なんて質問がある
が、あれの回答は人それぞれではないかと、個人的に思う。
確かに、理解してくれる方がいいと思うが、なかには、「特別扱い」を嫌がる人もいるのではないか。
私の言う意味合いは、障がいを持つ子どもの親が
「できるだけ普通に接したい」とテレビで話すのに近いかと思う。
――けれど、人というのは矛盾する生き物だ。
病気を持つひとが、ものすごく落ち込んだり、パニックや、発作を発症すると、簡単な励ましや、ただ寝かせるだけでは、太刀打ちできない面がある。
それが、特別扱いになったとして、仕方が無いのかもしれない。放っておいたら、時に命に関わることもあるのだから。
ストレス社会で生き抜くのも、介護生活を続けるのも。どうあっても、一人ではやりきれない、と私は思う。
ひとの、不意に起こる「死にたい」、「あの人がいなければ」などという負の感情は、だれにでもある。それを、行動に移すか、踏みとどまるか。
……それは、何かしらの「助けて」というサインではないか。
負の感情を、持ち続けるには、ひとは脆い。耐えられなくなるのだ。そんな感情は、重荷だ。とても、重い。
……これは、人によるかもしれないが。
追い詰められた時に、「頑張って」や「もう少しだから」などは、本人には更なる重荷ではないだろうか。
もちろん、励ます自体は、活力を与える。通常なら。
追い詰められたひとは、もう十分に頑張っていて、疲れている。けれど、「もう少し」がどのくらいなのかわからない。不安を煽りかねないのだ。
……本当は、助けてほしい。手伝ってほしい。
けれど、人様に迷惑はかけられない。自分がやらなければ。
……そんなふうに、思うことが、ないと言いきれるのか。
……人の世は、持ちつ持たれつだ。たまには、荷物のいくらかを、持ってもらっても、聞いてもらっても、バチはあたらないんじゃないか。
形は様々でいい。現実でも、なんでも。
ただ、「助けて」
その言葉を、待っているひとが、きっといるから。
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