インビジブル・スター

K島

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 「名は体を表す」という言葉があるように、部屋という空間もまたその人の内面を映し出す鏡だと思う。


 家具の配置、配色、スペースの有無、散らかっているか、いないか。そういった要素に目を向けると、その部屋の主が何に重きを置いて、どのような生活を送っているか、なんてことが多少なりともにおうものだ。


 その点、クラスメイトであり友人でもある尚京華の部屋を訪れた時、そこにあるべきにおいの一切が欠如していることに、野茨ケイは驚いた。


「殺風景な部屋だな」


 思わず心の声が口をついて出る。


 京華が一人暮らしをしているということは、入学当初から知っていた。都内屈指の進学校である二人の高校には、地方からの上京生も決して珍しくはない。一応、そんな生徒たちのために相部屋寮が用意されてはいるものの、中には勉強に集中したいという理由で一人暮らしを選択する者もいたから、京華もその口だろうと思っていた。実際、京華は入学以来この方、一度として学年首位の座を譲ったことはない。とはいえ


「色がない」


 十七の高校生男児の部屋にしては、そこはあまりにも整いすぎた空間のように思えた。


 部屋の広さは、おおよそ十二畳。比較的広めのキッチン付きワンルームには、勉強机、古典や歴史書などが中心に並ぶ本棚(背表紙はみなきっちりと揃えられ、しかも全て帯付きときた!)、コンパクトなクローゼット、そしてベッドが窓際に置かれているほかに、特に目立った物は見当たらない。


 それでもあえて特筆することがあるとすれば、これらの家具すべてがモノクロで統一されていることぐらいだろう。ケイが発した言葉通り、この部屋に色のついたものは皆無に等しい。


「色なんてあってもうるさいだけだ」


 ぴしゃりとそう返すと、京華は一気にネクタイを解いた。そしてそれを放ったりせず丁寧に二つ折りにしてベッドの上に置き、自身もそこに腰を下した。


「ここまで隙がねえと逆に清々しいわな」


 半ば感心しつつそう呟いたケイの目が、ふと、視界の端に濃紺色をした何かを捉える。本棚と壁の僅かな隙間に落ちていたそれを拾い上げてみると、水彩画のイラストが描かれたポストカードだった。


(…綺麗だ。)


 濃紺色の画面には、天の川と、それを見上げる一人の少年らしき人物のシルエットが確認できた。


 ほの暗く、しかしヴィヴィッドな色彩を放つその一枚は、どことなく堅苦しい雰囲気の漂うこの部屋で、唯一まともな温度を持ったやわらかな存在に感じられた。


「それはそうと、お前のルームメイトはどうなっている」

「ん?…ああ。」


 不意の質問にケイははたと我に返り、声の主の方を振り返る。


「案の定、インフルだと」


 のんびりとした調子でそう返すと、


「もうすぐ模試だってのに…」


 呆れたように京華が顔を顰めた。


「お前も災難だな」


 そう付け足された一言には、ほんの少し、同情の色が垣間見えた。


「ま、そういうわけだから。悪いけど数日世話になるぜ」

「俺は別に構わないが…勉強の邪魔だけはしてくれるなよ」


 回転いすへと腰を移し机上の参考書を物色し始めた京華を横目に、


「はいはい。大人しくしてますよ」


 ケイは宥めるようにそう返事を寄越すと、手に持っていたポストカードを畳まれたネクタイの上へそっと添えた。



 ★



 ふと誰かに呼ばれたような気がして京華が手元の参考書から顔をあげると、置き時計がちょうど九時を指していた。さっき見たときは確か六時だったはず、と少なからず驚いていると、突然肩に生暖かい何かが触れ、ゾワッと全身に鳥肌が立った。


「なあ、京華ってば」


 振り返るとケイがすぐ後ろに立っていた。思わず反射的に身を引いた。


「……何か用か。」


 何と間抜けな返答か、と自身にツッコミをいれつつも、心臓はこちらの意に反して早鐘を打つ。


「お前、俺がいること忘れてたろ」


 非難の視線を投げて寄越す相手に、返す言葉が見当たらない。


「……悪い」


 もごもごと言葉を濁す京華を前に、ケイは大袈裟に一つため息を吐くと、一変、ケロリと表情を変え、


「飯食いに行こうぜ、飯」


 そう笑って、手元の財布をひらひらと振って見せた。



「飯なら俺が作っても良かったのに」


 注文を取り終え、颯爽と笑顔を振りまきながら立ち去る店員を横目に京華がぽつりと呟くと、ケイが驚いた様子ですかさず口を開く。


「作るったってお前…冷蔵庫の中、何も入ってないだろ」


 そう言われてみれば、確かに。ここ二、三日忙しさにかまけて買い出しに出た覚えがなかった。


「…というかお前、勝手に開けたな」


 非難の声を上げる京華を前に、ケイは特に悪びれた様子も見せずに応答する。


「だってお前、何回呼んでも反応しねーんだもん」


 そんなに没頭していたか、と京華が内心首を傾げていると、ケイは今日一番の苦い表情を浮かべて言葉を続ける。


「勉強に夢中になるのもいいけど、お前はもっと自分の体労わるべきだな。さっきだって三時間ぶっ続けで座りっぱなしだったろ。しかもその調子じゃ飯もちゃんと食ってんのか怪しいもんだぜ。睡眠もな!」


 怒ったような、呆れたようなその言葉とは裏腹に、その声にはどこか心配の色が含まれているようだった。


「案外、自分では気付かないものだな」

「これで体調崩してちゃ、誰かさんのこと笑えねーぞ」

「…否めないな」


 痛いところをつかれて思わず苦笑いが漏れる。そんな京華の反応を受けて、ケイはふと頭を掠めた疑問をぶつけてみることにした。


「行きたい大学とか、もう決まってんのか?」


 まるで何かにとり憑かれた様に机に向かう京華の後ろ姿を思い出しつつ、


「医者になりたいんだっけ?」


 かつて聞いたような、聞かなかったような気がする答えを話題にあげると、かすかにその目に陰りが差した。


「…ない」

「…は?」


 ケイが反射的にそう聞き返すも、当の本人は視線を伏せ手元でグラスを弄ぶだけで、直ぐには返事をしなかった。

 訝し気な表情を浮かべつつ黙って様子を窺っていると、しばらくして再び京華が口を開いた。


「わからない」


 事情を聞こうとケイが口を開いたのと、顔を上げた京華の視線がぶつかったのはほとんど同時だった。


「俺は、自分自身が何をしたいのかがわからない」


 紡がれた言葉は静かに、そして、身を割くような悲痛の叫びに満ちていた。ケイは、思わず口をつぐむ。


「…今に始まったことではないがな」


 そう自嘲気味に笑って、京華は視線を窓の外へと向けた。


 二人の間を、微妙な沈黙が流れる。


(どうしたものか)


 慰めるでも問い詰めるでもなくケイが内心頭を捻っていると、まるでタイミングを見計らったかの様に、先ほどの爽やかな雰囲気をまとった店員が、にこやかに二人の元へとやってきた。


「大変お待たせ致しました。ご注文のチキン南蛮定食でございます」


 屈託のない笑顔を向けられ、湿っていた京華の表情が、ほんの少しだけ緩む。


「前に聞いた時は、医者になるって言ってた気がするけど…気が変わったのか?」


 店員が去るのを待ってから、ケイは改めて質問を投げて寄越した。


「…医者になれ、というのは親の願いであって、俺の意志じゃない」

「てっきり好きで勉強してるのかと思ったが」

「それは……単純に勉強以外、することがないからだ」


 正確には、したいこと。と、そこまで口に出すと、京華は何とも言えないもの悲しさに眩暈を覚えた。喉元までため息が込み上げてきたが、そこはぐっと胸の内に押しとどめる。これ以上、惨めな気持ちになるのはごめんだ。


「この話はやめにしよう。今言ったことは忘れてくれ」


 そう吐き捨てるように呟き、話を切り上げようとケイを見やると、意外にもその顔は何かを納得したような表情をしていて、京華は混乱で顔を歪ませた。


「自分のことは自分で見えない、ってのはまさにこのことだな」


 唐突に放たれた言葉の意味が理解できずに黙っていると、そうだ!と何かを思い出したらしいケイがパチンと指を鳴らした。


「なあ、いいとこ連れてってやるよ」

「…何の話をしている?」


 立て続けにわけのわからない発言を並べる友人に説明を求めるも、


「その前にこれ、早いとこ食っちまおうぜ。冷めると勿体ないし」


 さらりとそうかわされ、京華は諦めからくる短いため息を一つ吐いた。



 ★



「ケイ」

「…ん?」


 後ろを歩く京華に名を呼ばれケイがひょいと振り返ると、細長の整った眉がもの言いたげに逆ハの字を描く。


「いい加減帰らないか?」


 京華は、しかし、どうしてもその一言が言い出せない。開いた口からは意図したものとは別の言葉が転がり落ちる。


「…一体どこまで行くつもりだ」

「もう少しで着くよ」


 簡単にそれだけ返して、ケイは再び前に向き直る。


「もう少し、もう少しって……もう20分は歩いてるぞ」


 行先も告げず、鼻歌を歌いながら暢気に前を歩くケイの背中を見つめながら、京華はのこのこと後をついてきたことを大いに後悔していた。時刻は既に日付を跨いでいる。


「春先とは言え、やっぱ夜は冷えるな」

「……これで風邪引いたら呪うからな」


 予定では今日のうちに(正確には昨日のうちに)先ほどの参考書を解き終えていたはずだったのに。そんな考えが頭を掠めた瞬間、京華は再び底知れぬ虚しさに襲われ、顔を顰めた。耳の奥底で、幼少の頃より呪いのように聞かされていた言葉が反響する。


  誰よりも強く、誰よりも偉くなりなさい。

  お前は賢いから、医者になるといい。

  出来のいい息子を持って、母さん鼻が高いわ。


(一体、自分はどこへ向かっているのだろう。)


 自身にそう問いかけた瞬間、すうっと体中から血の気が引いていくのがわかった。視界が揺れ、息が上手く吸えない。


 苦しい。


 そう叫びだしたくなる衝動に駆られる京華に、頭の冷静な部分がブレーキをかける。ケイに無用な心配をかけるな、と。


 モヤモヤと渦巻く感情を押し込めようと立ち止まり目を瞑っていると、前方から声が上がった。


「─…か、つ…たぞ!」


 何が、なんだって?


 重い瞼を持ち上げて声のする方を向く。きつく目を閉じていたためか、チカチカと目の前を火花が散った。


「京華」


 気付くと、ケイが顔を覗き込んでいる。


「大丈夫か?」

「ああ…悪い。ちょっと考え事をしていた」


 ゆっくりと、時間をかけて肺から息を絞り出すと、狭まっていた視界が徐々に元に戻っていく。よかった、大丈夫そうだ。


 ケイは、京華が落ち着くのを待って、静かに口を開く。


「お前さ、肩に力が入りすぎなんだよ」


 まっすぐに両目を捉えられ、京華は視線を逸らすことができなかった。


「そんなに力んでると溺れるぞ」


 その言葉を聞いた時、隠しきれてなかったようだな、ともう一人の自分が笑う声が聞こえた。


 反射的に謝ろうとする素振りを見せた京華を、ケイは素早く遮った。


「それはいいから。見てみろよ。上!」


 天仰ぎ見たケイに続き、視線を頭上に向ける。


「…星?」


 京華が間の抜けた問いを発したのは、それが都心の夜空だったからだ。


「こんなに、見えるものなのか」

「案外いいもんだろ。都会の空も」


 ピリッと冷気を含んだ空気を肺いっぱいに取り込むと、凝り固まっていた細胞が、徐々にほぐされていくような気がした。


「ここでは、星なんか見えるはずがないと思っていた」


 ケイは視線を動かすことなく、さらりと応える。


「探そうとしないやつには、一個だって見えやしないさ」

「……」

「星はいつもそこにあるよ」


 耳朶を打つケイの言葉に、京華は静かに目を閉じる。


(俺の中にも、星はあるだろうか)


 問いかけに反応するように、じわりと体の内側が疼く。再び目を開けると、ひと際輝きを放つ白い光が目に留まった。



「キレイだ」



 そう呟いた京華の姿は、かの星を見上げる少年の姿を彷彿とさせるもので、ケイは静かに目を細めた。

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