翅
K島
翅
夏休みを間近に控えた校内は、どことなく掴みどころのないエネルギーが渦巻いている。昼休みともなれば、みなわれ先にと外へ飛び出し、暑さを振り切るようにして走り回る。
─そんな校庭の片隅にひっそりと佇む大木の木陰に、少年がふたり。
「タクミ、一回だけ過去に飛べるとしたら、いつに戻る?」
「なんだよ、ヤブカラボウに」
タクミは、弾む息を整えながら額の汗をシャツで拭い、日陰に転がって空を仰ぐ親友の隣に腰掛け、そばに転がる水筒を拾い上げた。先日覚えたばかりのちょっとばかし難しい言葉を披露してみたが、それは華麗にスルーされた。
「タイムトラベルってやつ。なんかねーの?」
空一面の青天幕をのろのろと横切る雲を目で追いながら問いを繰り返すアキラに、タクミはううん、と唸り声をあげ、腕組みする。
過去に戻ってやり直したい。そう思ったことは結構ある。…あるにはあるはずなのだが、急に問われると案外思いつかなかったりするものらしい。
「…とりあえず去年の夏休み初日に戻って、宿題を真っ先に終わらせるよう俺自身を説得するかも」
ありきたりな発想かもしれないが、小学生にとって貴重な夏休みの終盤を宿題にさげるというのは、なんとも哀れな話ではある。
「宿題さえなければなあ」
苦々しい表情を浮かべ、大げさにため息をつくタクミを横目に、
「今年努力すればいいだろ」
と呆れ半分、おかしさ半分で笑うアキラは、ふと、砂泥にまみれたタクミの素足が目に止まり
「ケガするぞ」
と、ぽつり、呟いた。
「靴履いてると汗で蒸れて気持ち悪くてさ。さすがに炎天下のコンクリートは足の皮がむけるけど、それもまた季節限定って思えば、そんなに気にならない」
そういって笑うと、タクミは水筒を置いて立ち上がり、
「気が向いたら、いつでも入って来いよ」
と言い残して仲間の待つグラウンドへと戻って行った。
「…」
さわさわと木の葉の間を縫って吹き抜ける風の音を聞きながら、アキラは一人、目を閉じる。
─新学期の校庭。ピンクの衣を身にまとう大木。笑い転げながらグラウンドの端から端へとせわしなく駆け回る仲間は、皆、裸足。
「アキラ!おまえ、なんか踏んでない?」
誰が言ったのか、その声に驚いてふと視線を足元に落としたのと、足の甲に鋭い痛みが走り、そこから飛びのいたのは、同時だった。
「カマ、キリ…?」
体半分がひしゃげ、苦しそうに鎌を振り上げのたうち回る、緑。それは確かに、カマキリだった。アキラは、その姿を視界にとらえた瞬間、頭のてっぺんから足のつま先まで肌が粟立ち、スウッと血の気が引いていくのを感じた。
その後のことは、あまり覚えていない。
「あのカマキリ、桜の根元に埋めといたから」
その日の放課後、唯一事態を目の当たりにしていたらしいタクミは、そう呟いたのを最後に、その話題について触れることはなかった。─
カラン、と水筒が倒れた音で、アキラは束の間夢の世界へと飛んでいたことに気づき、目を開ける。ひらひらと音もなく散る青々とした葉っぱが、どことなく、あのひしゃげた翅を連想させた。
アキラは、大木の根元、ほんの申し訳程度にこんもりと盛られた土の傍らに二枚のちっぽけな青葉を添えると、そのまま一人白々と日の光を照り返す校舎へと消えていった。
翅 K島 @RK_Shimma
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます