魔力0の無能魔術士

霜月 紫水

プロローグ 時間を遡る

「ねぇ、兄さん。そこで何をしてるの?」


 僕は暗い部屋へと続くドアの前で言った。そこには兄さん──カイ・ティグルスが剣を持つ右腕を上げ、背を向けて座り込んでいる女性を泣きながら、見下ろしていた。


 その女性はナタリア・ティグルス。

 僕と兄さんを今までずっと愛情を注いで育ててくれた母さんだ。


 だから、今の状況が僕には理解出来なかった。


 何故兄さんは母さんを殺そうとしているのか。

 何故母さんは逃げようとしないのか。

 何故兄さんは泣いているのか。


 この場にいる僕だけが何も知らない。僕だけが取り残されている。


「答えて! 兄さん!」


 僕の叫びは、暗い部屋で反響した。

 それを聞いた兄さんは、剣を持つ右腕を震わせながら僕を見てきた。

 僕には兄さんの瞳が絶望の一色で塗り潰されているように見えた。


「……悪りぃな、ロイ。俺が何故母さんを殺そうとしているのかは言えない。ただ……」

「ただ、何?」

「これは、国家騎士長から直々に課せられた命令なんだ。これには流石の俺でも逆らえねぇ」

「な、何で? 国家騎士は人を守る事が仕事なんでしょ? それで、何で母さんを殺す事になるの?」


 僕は聞いた。僕が母さんから聞かされていた国家騎士の話と今、目の前で起きている事が矛盾しているから。


「母さんが人間じゃないからだ。母さんは……」

「やめて、カイ。ロイには言わないで」

「母さんは……魔神族なんだよ」


 兄さんは母さんに口止めされたのにも関わらず言った。

 僕には兄さんが最初、何を言っているのか分からなかった。母さんが魔神族なはずないから。


「母さんが……魔神族? そんなはず無いよ! だって、魔神族はみんな、封印されたって……母さんが言ってたよ?」

「ロイ。お前は騙されてたんだよ、母さんに。母さんは知られたくなかったんだ。お前にだけは。自分が魔神族という事を。自分が人間を惨殺し、人間を恐怖のどん底に突き落として、人間を喰らっていた魔神族という事をな」


 兄さんの言う事が一切理解出来なかった。母さんが魔神族なんて信じられないから。それに、母さんからは魔神族特有の禍々しく、多大な魔力が感じられない。


 だから、違うと僕は信じたかった。

 だけど、僕はそれを信じなければならない事が、今起きてしまった。いや、見せつけられてしまった。


 母さんの身体を赤黒い魔力が覆う。その直後、母さんの身体はみるみる変化し、口にはギザギザの歯、額の右半分には見たことも無い模様が浮かび上がり、肩甲骨辺りからは魔力で構成されているだろう真っ黒な翼が生え、そして頭から二本の半透明な角が生えてきたのだ。


「……母さん。何で、何で僕を騙していたの?  僕は母さんが魔神族だろうが、魔族だろうが、どうだっていいのに」

「ごめんね……ロイ」

「今謝られても……母さんはもう……」


 その先が言えない。言おうとしても、言葉が詰まる。母さんが殺されるなんて思いたくないから。


「兄さん。本当に母さんを殺すの?」

「……あぁ、命令だからな」

「そんな……」


 僕は兄さんに聞くと同時に覚悟を決めていた。兄さんの返答次第では、たった数パーセントしかない確率にかける事を。


 そして、兄さんは言った。母さんを殺すと。だから僕はたった数パーセントしかない希望へと縋る。


「……母さんは殺させない。僕が母さんを守るから」

「お前には守れない。母さんどころか、自分さえな」

「確かに今の僕には守れない! 魔術士なのに魔力0、魔術適性0の僕には。でも兄さん。僕をあまり舐めない方がいいよ」

「ふーん。で、お前は何が言いたいんだよ」

「僕には母さんも、兄さんも知らないスキルが一つだけある。それは運命を捻じ曲げる事の出来るスキル、【時間遡行】だ。これは僕しか知らないし、この世界には知られていない。僕にしか使えないスキルだ」


【時間遡行】

 その名の通り、時間を遡るスキル。遡る事に制限は一切無いが、その代わり遡る時間が長ければ長いほど、遡れる確率が低くなる。もし、遡る事が出来なければ死ぬ。


 僕が遡ろうとしている時間は今から十四年前。僕がまだこの世界には存在せず、女神と面会している時。


 もし、【時間遡行】が成功すれば、【時間遡行】は二度と使えなくなる。だが、その代わりに今起きている状況を打破出来る環境を整える事が出来る。


 そう、今の僕の知識とこれから女神に貰う二つのスキルと一つの職業スキルで。


「……そうか。まぁ、頑張れや」


 兄さんがそう言った直後、僕は【時間遡行】を発動した。僕の意識が少しずつ薄れていく中、兄さんの振り下ろされていた右手に握られる剣が母さんの右肩から左脇腹に抜けて、鮮血が舞った。


 母さんは力無く倒れ、兄さんは顔を涙、鼻水、母さんの返り血で汚していた。それを僕は忘れないように凝視して脳に焼き付ける。そして、意識が途切れた。


 

 

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