ゲームティーチャー「斉藤太」の鬼畜プロゲーマー調教講座

7限目 点呼の完了報告方法

　それが岩切灯里（いわきりあかり）だとわかったのが、翌日の4限目だった。

　窓側の前から3列目。ここは教師にとって意外と死角だ。

　背は高く、姿勢が良いので女子生徒の中では頭一つ抜ける。それに気が付いてしまえばいくらでも目に入ろうものだが、不思議とそうならない。

　一つは先程の死角の問題。もう一つは彼女のその地味さだ。

　黒髪をいまどき珍しく中分け、編み込んだ髪を後ろで束ねている。寒がりなのか指定のカーディガンの内濃紺の物をしっかりと着用し、ネクタイもぴったり締めている。そして眼鏡だ。これがまた大変地味なもので、厚さを感じるそれがガリ勉臭を漂わす。

　道理で気がつかない訳だ。俺の食指フィルターにその手のジャンルが無い。

　しかしノートを取るその美しい姿勢だけで、彼女が優等生なのであろうことは理解できた。

「…この時の「忸怩（じくじ）たる思い」、とは、圭佑（けいすけ）の過去を考えた時、主にどのことがらを指しているか、これを考えてもらいたい。そうだな、今日は…」

　岩切灯里を見ると、彼女は目をそらさず、しかしなぜか物凄いオーラで牽制していた。

さしたら殺すぞ、と言わんばかりである。

「そこの寝てる田中！お前だ！」

　と別の人間を指すしかなかった。田中は後ろの男子に蹴り起こされ、あたりを見渡している。

「お前のようなやつにこそ、忸怩（じくじ）たる思い、を勉強してもらいたいのだがな…」

　田中が丸坊主のその頭をかきむしりながら謝ると、クラスがどっと湧いた。

　横目でみるが、岩切灯里は校庭を遠く眺めていた。

　その目はひどく、美しかった。

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「キョーツケー、レー」

　授業が終わり、灯里に声をかける。

「岩切、ちょっといいか」

　灯里は一瞬固まったが、すぐに荷物をまとめて胸に抱くと、足早に教室から出ていった。

「おい、ちょっと、岩切！」

　俺はすぐに追いかけるが、それに気が付いた岩切は全速力で廊下を走り出した。その様子に周りの生徒がざわめくが、気に留めず俺も全速力で走る。この際教材は教室に置きっぱなしだ。

「岩切！ちょっとまて！話をしよう！」

「わ、わたしからするお話はありませんっ！」

「その前に走るな！岩切！」

「先生がっ！走って追いかけて来るからっですよ！！」

「お前が走るからだ岩切！止まれ！このままでは俺が変態扱いだ！」

　中身がすでに変態な事はこの際どうでもいい。社会的な話だ。

「そ！そんなことぉっ！し、りませんっよぉおー！」

　そんなやり取りは以外にも数分で終わった。体力の無い灯里は四回まで駆け上がった所で力尽き、屋上へと続く階段の中腹にもたれ掛かっていた。俺の心臓もまるで恋でもしているかのようにトゥンクトゥンク言っている。もちろん恋はしていない。

　ここは特別授業教室が並んでおり、人影はない。

「はっ、はぁっ…なっ…なんで…ついてくるん、ですかぁ…っ…」

　呼吸が整わない灯里の声は、なかなか扇情的（せんじょうてき）だ。エロゲーに抜擢したいくらいだ。

「だから、お前と、話をするためだと、言ってる、だろうが…」

「だから…わたしには無いって、いってるのにぃ…」

「だから、俺にはある、って言ってるだろうが…」

　すっかり酸欠の二人は会話がまともに進まない。

　しばらく、二人の肩で息をする音が続いた。

「わたし、ゲーム部には入りません」

　固辞（こじ）。告白する前にフラれるというのはこういう事を言うのだろう。告白じゃなくて本当に良かった。

「そうか。俺は無理強いしない、安心してくれ。だが、訳を聞かせてくれないか」

　実際理由が気になった。テニス部を辞めた井出がわざわざ連れてきたのだ。連れてきたのも、逃げていったのも、何か理由があると思うのだ。そしてそれは井出にとっても大切なことのような気がする。

「ゲームとか、好きなんだろう」

「それ、誰から」

「井出だ。声優志望だともな」

　灯里はうなだれるように階段に突っ伏した。

「はぁああぁあ…たっくんのアホぉ…余計なこと言わんでよ…」

　たっくん？

　なるほど、こいつ中々いいキャラしてやがる。

　どうでもいいが、うなじが素晴らしく綺麗だ。

「…恥の多い生涯を送って来ました」

　現国の教師相手に太宰治（だざいおさむ）を引用するとは、イカしたセンスの持ち主らしい。大丈夫だ、人間が失格しているのは俺の方だ。

「わたし…この声で皆からいじられて…すごい恥ずかしくて…みんなが、やらしい声だって…」

　安心しろ岩切。お前の声は最高にエロい。

「でも…ゲームとか、アニメとか…可愛くて、素敵な声の人がいっぱいいて…もっとすごい声の人とか、胸を張って仕事してていいなって…。昔、たっｋ…井出くんとゲームしてるとき、可愛い声だね、って言ってくれて…それがすごい嬉しくて…それでわたし…」

　救われた。

「小学校3年生の時に大分に引っ越して…中学卒業したらまた戻って来て、ここに来たら井出くんがいて…なんかもうすごくカッコよくなってて…人気者で…なんかもう別世界の人みたいって…なんであんな女が井出くんと、みたいな…勝手に思っちゃって…てか多分言われてて…」

　俺は頭を掻（か）いた。なるほど、面倒くさい。

　が、それは大人である俺の感想であって、この世代の青少年にはとても重要な事なのだ。我々大人は上司の評価と社会の目を気にするが、この子達は周囲の声を気にするのだ。

　それを気にするあまり、大切な人からの声が届かなくなってしまうほどに。

「なぁ、岩切」

　俺は彼女の横に座る。

「正直、俺にはそこらへんの事はよくわからん。だが、大切な事が三つある。聞いてくれ」

　灯里は体を起こし、俺の背中、少し上段に座る。

「一つ、まずお前の声は最高だ。エロい。それは間違いない。だが、これは馬鹿にしているんじゃない。とてもいい声だと思う。恥ずかしがっていることが勿体無いほどに。これはゲーム好きなら当然の感想だ」

　エロい、の瞬間、背中を何かで叩かれたが気にしない。

「二つ、その声をいいと言ってくれた仲間が、ゲーム部にいる。そいつは涼しい顔をしているが、きっと新しい居場所を探すのに一生懸命のはずだ。それをほっといて、お前は平気か」

　井出の行動は勇気があると思う。そして井出にそうさせるだけのものが彼女にはある。

「三つ、そんなお前を笑うやつは、このゲーム部にはひとりもいない。これは断言出来る」

　今のゲーム部にはなんらかの事情があるやつらばかりが集まってしまった。しかしそんな事情だからこそ、断言出来る。

「先にも言ったが、俺は入部を強要しないし、これ以上勧誘もしない。ただ、その三つだけは言っておきたかった。それだけだ。追いかけ回してすまなかった」

　俺は立ち上がった。生徒の事でアツくなるなんて、俺らしくない。採用一年目を思い出す。全速力で生徒を追いかけ回したのだから、この立ち回りは報告書ものだろう。気が重い。

「先生」

　灯里の声はやはりいい声だと思う。だがきっと泣いているだろうから振り返らない。女の泣き顔と相対できるほど俺の心は強くない。

「ありがとうな…」

　今のも聞こえなかったことにした。

　すまん井出。俺なりにやれることはやった。あとはお前が頑張ってくれ。

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　職員室に戻る頃にはすっかり膝が笑ってしまっていた。やはり運動不足は良くない。

「おはよう」

　部室の扉を開けると、すでに櫻井美月（さくらいみづき）、神崎悠珠（かんざきゆず）、井出琢磨（いでたくま）の三名は揃い、ログインを終えていた。

「おはよ、太（ふとし）センセ。なんかびこ引いてない？」

「ちょっとな、歳なんだよ」

「えー、はやくない？」

美月とのやり取りもほどほどに席につくと、井出と目があった。

「無理するから」

　井出は爽やかな笑顔だ。お前のせいだろうーが。

「さて、メンバーも揃ったし、今日からさっそく練習するとするか」

　俺がそう言った時だった。

「失礼します！！」

　バン！と扉が勢い良く開けられ、反動で少し閉まりかかる。それをそっと手で開けて出てきたのは、長身で地味で、顔を真っ赤にした少女だった。

「二年、A組、岩切灯里、にゅ、入部します！」

　何があったのか全くわかっていない美月と悠珠はその登場に驚いていた。

　そんな中、変わらぬ爽やかな笑顔で迎い入れていたのは、井出だった。

「遅刻だよ、灯里」

　全く。こっちが照れくさくてしょうがねーよ。

　かくして、白鷲高校ゲーム部第一期メンバーが揃ったのだった。

　この個性豊かなメンバーを、より色濃く、ときに「鬼畜」に育て上げてしまうことになることを、この時の俺は知らないのだった。