猫と愛しのワンルーム

「おい音子ねこ。今日帰り遅くなるからな」

「なんでー」


 デカいビーズクッションで寝転がる音子へ、私は鞄を肩にかけてそう言った。


「飲み会があんだよ」

「飲み会」


 飲み会と言っても、いわゆる合コンというヤツだ。


 ……正直、人数合わせだから全然行きたくないが。


 ローヒールを履きつつ、私がそんな風に思っていると、


「嫌なら止めればー?」


 それを察したらしい音子は、身体をねじってこっちを見てきた。


「人間様はそういうわけに行かねえの」


 自分に言い聞かせる感じでそう言った私は、ちゃんと戸締まりしろよ、と言って玄関のドアを開けた。


「いってらー」


 すると音子は、雑に手を振って私にそう言ってくる。


 戸締まりしそうにない感じだったから、私が玄関の鍵かけた。



                    *



 いつもの様に、上司のパワハラに耐えつつ仕事をし終えた私は、会場の居酒屋へ向かう。

 ウチと会社の中間ぐらいの駅近くにあるそれは、いかにも合コン向け、といった感じで席が個室になっている。

 

 女側の面子は大学の同級生3人で、男側は女側1人の知り合いと、その知り合い4人だった。


 男も女も全員下心見え見え、と言った感じの見栄えだった。その一方、私はというと、ほぼ化粧なんかしてないし、格好も地味なパンツスーツだ。


 当然、男共は挨拶もそこそこに、通路側に座った私を放置して、他の3人に鼻の下を伸ばす。


 早く終われ、と思いながら、たまに振られる話題に社交辞令で答えつつ、私はひたすら料理のとりわけをする。


 ……どうせ私は、そういう要員で呼ばれたんだろうし。


 全員、ありがとうの一言も無く、自分のアピールで必死になっている。


 料理をさばききった私は、連中の会話を聞き流しながら、ちびちびチューハイを飲む。


 ……音子のヤツ、今頃なにしてんだろうな。


 一応、カロリーメ〇トは置いといたから、腹をすかせてる事は無いだろうけど。


『嫌ならやめればー?』


 そんな風に音子の事を考えていると、アイツに今朝言われた言葉が脳内で再生された。


 マジでアイツの言う通り、断りゃ良かったかな……。


 ちょっと後悔しつつ、ボケッとテーブルを見ていると、


 ……。……ん?


 1番奥の方に座る男が、メニュー横のちり紙を取ろうと手を伸ばした。その際、近くにあったグラスに、何か白い錠剤を入れたのが見えた。


「おいお前。今、何入れた?」

「はいっ!?」


 私が強めの口調でそう訊くと、見られたと思ってなかったらしく、その男は裏返った声を出した。


「なっ、何のことかな?」


 そいつは顔を引きつらせてすっとぼけたが、錠剤が酒に溶け、その色が青っぽい色に変わっていった。


「やっぱり睡眠薬か」


 夜のニュースで、最近の睡眠薬は色が出る、と言ってたし、まず間違いないだろう。


「――ッ!」


 言い逃れ出来ないと思ったのか、男はテーブルの上に跳び乗って、物を蹴散らしながら逃げようとする。


「まてゴラァ!」


 素早く立ち上がった私は、男の襟を掴んで通路の方に引き倒した。


 少し遅れて、他の男3人が立ち上がり、背中を打って呻く男を取り押さえた。




 10分程すると、店の人が呼んだ警官がやってきて、男を連行していった。


 警官と被害者になりかけた子からも、私はめちゃめちゃ感謝された。


 そんなわけで、ちょっと良い気分になりつつ、私はトイレで用を足していると、


「もうマジびびったんですけど!」

「こわーい」

「マジでいるんだね、ああいうの」


 声からして、別の部屋で事情聴取されていた、女3人が入ってきた。


西浦にしうらさん呼んでてホント良かったよねー」

「ねー」

「うんうん」


 あんまり褒められ慣れてないから、そう言われるとちょっと気恥ずかしい。

 ちなみに、西浦は私の名字だ。


 だけど、私のそんな気持ちは、次の一言で吹き飛ばされてしまった。


「あのゴリラ、なんかやってないと落ち着かないから、ホント便利なんだよねー」

「あー、そういえばアイツ、頼んでないのにサラダとか取り分けてたわ」

「ホントいいパシリだよねー。アレ」


 3人はそんな陰口を叩いた後、ギャハハハー! と汚らしい笑い声を上げた。


 ……は? なんだよ、それ……?


 あんまりうるさく言う気は無いけど、とても助けて貰った人に言う言葉じゃ無い。


 良いように使われてるのは察していた。だけどまさか、ここまで酷い扱いだとは思わなかった。


 その後も、連中は言いたい放題言っていたが、ショックでよく覚えていない。


 連中がいなくなってからトイレを出た私は、自分の金だけ払って、さっさと駅へと向かった。

 居酒屋から出るとき、用事があったから帰ると、嘘をいたら、全員あっさりと信じた。


 最寄り駅近くのスーパーで、私は缶チューハイとチータラ、音子用にと安売りのマグロの刺身を買った。


「帰ったぞー」


 できる限り早足でアパートに帰り、家の鍵を開けて中に入ると、


「うおー、りえー。おっかえりー」


 早かったねー、と、いつものフワフワした感じの顔と声で、音子が出迎えてくれた。

 今日は機嫌が良かったらしく、トテトテとこっちにやってきた。


「ほれ、マグロ買ってきたぞ」

「マグロ!」


 私がビニール袋の中から出したパックを渡すと、わっはーい、と喜んだ音子は、それを居間の真ん中にあるテーブルに持って行った。


「お前が全部食って良いぞ」

「えっ、いいの!?」

「おう。2人で分ける程数がねえし」

「わーい! りえ大好きー」


 ……まあ、ちょっと現金ではあるけど、間違いなく心の底から喜んでいるのは分かる。


 スエットに着替えた私は、うまうま、とマグロを食う音子を見ながら、チータラをさかなにチューハイを飲む。


 何の魂胆もなしに、ただ幸せそうに刺身を頬張る音子を見てると、コイツの言う事聞いとけば良かった、と、私は今改めて後悔した。


 コイツになら、変に気を遣う必要も、あんな風に傷つけられる事もなかった。


 なんだかんだ言っても、結局、音子を追い出せない理由は、こういう所にあるんだろうか……。


「りえー? なんかあったのー?」


 そんなことを思っていると、私の視線に気がついた音子が、首を傾(かし)げて私にそう訊いてくる。


「なんもねえよ」


 その真っ直ぐな視線に耐えられず、私は、プイ、と顔を逸らしてそう答える。


 いつもなら、ほえー、みたいな反応で終わるんだが、今日の音子は違った。


「んだよ音子」


 残りの刺身を一気に全部食ってから、音子は私の隣にやってきた。


「別にー?」


 とぼけた様にそう言う音子は、私の肩により掛かってきて、


「嫌なことがあったなら、音子をでてやされていいんだよー」


 音子は愛玩動物だからねー、と言ってほおずりしてきた。その様子は、子供の頃に実家で飼ってた猫みたいだった。


「くっそう……、なんで……、こんな時だけ優しいんだよ……、お前は……」


 私は思ってた以上に大分弱ってたらしく、それだけで涙があふれ出してきた。こんな風に人前で泣いたのは、私が小学校の時以来だった。


 私が泣き止むまで、音子は何も言わずに、傍に寄り添ってくれていた。



                    *



 散々泣いたら疲れがドッと押し寄せてきたので、残りの体力で寝る支度を調えて、さっさとベッドに入って電気を消した。


 そのすぐ後、クッションにいた音子がやってきて、布団の中に潜り込んできた。


 一瞬、また初めて会った日みたいに襲ってくるか、と思って身構えた。だけど、音子はにこにこしているだけで、一向に何もしてこなかった。


「音子を抱き枕にしていいよー。りえー」

「お、おう……。サンキュー……」

「どしたの?」

「……いや、また襲ってこないのかと思って」

「りえが良いなら襲うよー?」


 拍子抜けした私がそう訊いた途端、私に抱き寄せられている音子が、ニヤリ、と小悪魔みたいに笑った。


「んん――ッ!」


 その直後、手をスエットのズボンの中に素早く突っ込んできた。


「まてまて! 疲れてるんだから勘弁してくれ! んあ……ッ」

「えー」

「えー、じゃねえぞこのエロガキ!」


 その手を引っぺがした私が、明日も仕事なんだよ、と言うと、音子は凄く残念そうな声を上げた。


「全く……、油断も隙も……、あったもんじゃ……」


 そんな音子へ、私はそう一言ぼやこうとした。すると、その干した布団みたいな匂いと、良い感じの暖かさにやられ、あっという間に眠気を誘われた。


 これが……、夢心地ってヤツか……。


 意識を失いつつある中で、私はそんな事を考えていた。


 嫌なことがあった日は、なかなか寝付けないタチの私だけど、その夜は2分もしないうちに眠りに付けた。

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