第七章 戦火の中の、それぞれの戦

「こ、ここまで来れば大丈夫…だよね…」

「あぁ、多分な…」

 冷乃と麗生の協力により、何とか九尾の番の目を掻い潜って江戸城の中まで来たわけだけど…

「こんなに酷いことになってるとは思わなかった…」

 薄暗い城の中は壁や床、天井まで血が飛び散り、そこらに武装した徳見家の軍と思われる者達の死体がごろごろと転がっていた。

(この人達を殺しながら徳見直康のところまで行ったってことだよね)

 思わず気分が悪くなるほどむごい殺され方をした者達を前に立ち止まっていると、

「って、こんな惨状を目の当たりにして固まるのは分かるけど、早く鬼神様探さなきゃなんじゃないか…?」

 子憂は一人、あまりその光景に動じることなく冷静に判断を下した。

「そうだ…急いで鬼神様探して、私が…私がちゃんと戦わなきゃ」

 元よりここへ来た目的は鬼神を倒すこと。

(何のために守尋かみひろさんから妖力札ようりょくふだもらったと思ってんの、侑都…!)

 私が妖力札を出し、ギュッと握りしめていると、

「で、でも侑都、本当に倒せるのか…?」

 やっぱり不安になってきたのか、真が急に弱々しくなり、私のほうを心配そうに見てきた。

 それを見た子憂は呆れたようにため息をつくと、腰に差していた刀を指さし、「そういう時のための俺達だろ」と当たり前のように言った。

(そういえば冷乃さんにそんなようなこと言われてたような…)

「とにかく、うだうだしてないでさっさと徳見直康のところ…いや、鬼神様のところへ行くぞ」

 本当にこういう時は頼りになるなぁ…

 私と真は二人顔を見合わせ頷くと、先頭をきって早足で歩いていく子憂のあとを追った。



 *



「初めて来たけどすごいなぁ…隠世かくりよ

 まだ一度も自身の足で踏み入ったことのない隠世の地をゆっくりと踏みしめ、歩きながら私は鬼火と共にその景色に魅入っていた。

(私があやかしになっちゃってからずっと住んでいたところよりいい所かもしれない…)

 なんてったって、長いこと現世うつしよ暮らしだったんだから。

 こういうあやかしだけが住まう世ってのはいいものだ。

「それにしても誰もいないなんて…」

 わざわざ全力で妖力を消費して隠世に来たのに…

(…でも、理由はわかってるんだよね)

 江戸の町をちらっと見てきたから分かる。

 とんでもなく大きな炎に包まれ、刀らしき金属が強く当たる音や、人間の叫び声が響き渡っていて…


 今の江戸の町はまさに戦の真っ只中だった。


「わざわざあんなことをするなんて…あの戦をくわだてたあやかしは、よっぽど人間に対して恨みがあったんだろうなぁ…」

 確か中心となったのは青行燈、犬神、鬼神…だった気がする。


「…ん、何、どうしたの鬼火」

 色んな区を転々として、夏夜なつのよの区あたりを歩いていた時。

 ふいに私の淡い橙色の鬼火が何かを伝えようとしているのか強く燃えだした。

「江戸の世で何かあった?」

 鬼火の様子がいつもと違う。


 少しの違和感を抱いたその直後だった。


 鬼火を伝って脳内に入ってきた情報に私は驚き、固まってしまった。

「え…あの人が…?いや、そんなはずは…」

 その情報は、私の生きていた頃の記憶の中に色濃く残る、とある人物の現状だった。

 私がこうしてあやかしと成り果ててしまってからも、決して忘れることのなかった存在。

 そんなあの人が…なんで…

 私が死んでしまった後のあの人のこと、何も知らなかったけれど…


「…私が…止めなくちゃ」

 よく分からない強い感情が頭の中を支配する。

 私はその感情のままに、現世…江戸の町へと駆け出した。


 ──どうか、大好きだった彼がまだ、私のことを覚えていてくれますようにと願いながら。



 *



「は、波奈さん!これ、キリがないですよ…っ!!」

 …本当にどっから湧いてくるんだこのあやかし達は。

 さっきから倒しても倒しても次々と現れるあやかしに私は手を焼いていた。

 例の人間四人組の一人、優花も自身の身につけるみずちの水晶の力を上手く使いながら戦ってくれてはいるが…

 その水晶にもヒビが入りつつある。

 あれが割れてしまったら、彼女はあやかしと戦えなくなるだろう。


「波奈っ、雷飛が土蜘蛛つちぐもに…っ!」

「えっ…!?」

「深めの傷を足に…!あの土蜘蛛、女郎蜘蛛じょろうぐもに雷飛の注意を引き付けさせておいて…やりやがった…っ!」

「…っ!?あのあやかしは厄介だな…」

 夫婦と見紛うほどの息の合った戦い方と、江戸にしろ隠世にしろ、すべての地理事情を知り尽くした土蜘蛛と女郎蜘蛛は、気をつけなければならない超上級あやかしのうちの二人だ。

 しかも雷飛は弓使い。

 遠くを狙っているうちにやられた、というのなら納得がいく。

「とにかく、今は治癒にも長けた妖力を使えた麗生もいないから…煇利、あんたが何とかするしかない」

「お、俺が…!?」

「一応あんたも妖力使いなんだから…味方のピンチ救うくらいの努力はしてよ?」

「それはわかってる…!」

「じゃあ頼んだからっ!」


 …これはまずい…雷飛が十分に力を発揮できない状態なら、私と煇利と徳見家の軍勢だけじゃこの量のあやかしには太刀打ちできないかもしれない。

 今だって向かってきた天狗を倒したばっかりなのに、また新たに霊鳥のあやかしの大群が空を飛び始めた。

 しかしこの量、隠世だけじゃない。

 現世の妖怪も動いてる…!?

(どうして………)

「っ!?」

「オネーサン、気張ってんねェ」

 トン、と肩に置かれた冷たく骨ばった細い手に違和感を覚えたその瞬間。

 聞き慣れない声が耳元で言葉を紡いだ。

 硬直した体のまま、なんとか目玉だけを精一杯動かして、声の主を捉えようと試みた時。

「なんか、あんたあんま美味なさそやなー?殺す気失せたわァ」

(しっ、失礼なっ!?)

 ちらりと視界の端に写った目元の赤い猫目の、凍てつく金のまなこに射貫かれ、欠けた同色の角がチラついたその瞬間…

 金縛りが解けたかのように私はがくっと前のめりになり、膝に手をついた。

 ほんの一瞬だった。

 が、私はを知っている。

 そう、紛うことなき刹鬼、奴で間違いない。

 刹鬼は現世妖怪の大半を統率している。

 つまり…

「…そりゃ、現世妖怪がいてもおかしくないわ」

 そういうことだ。

 って、あんな大物が平然といるんだから、このままだと絶対大物と鉢合わせする気がする。

 あぁほら、言ったそばからもう向こうのほうで大蛇が徘徊しながら町の人間殺しまくってる。

 八岐大蛇と遭遇するのは刹鬼と対峙するよかマシだろうが、ちょっとキツい…



「あれ、退治軍以外にも人の子がいる」

「しかもあの水晶…蛟様のものだ」

「人間のくせにえらいすんげーの持ってんじゃん」

「あ、あんたらもしかして…」

 …全く。嫌な風が吹いたと思ったらこれだ。


 鎌鼬かまいたち。奴らの目に引っかかってしまった。

「波奈さん…このあやかしは…?」

「鎌鼬だ。優花、あんたを狙ってる」

「わ、私を…!?」

 蛟の水晶を持ってたのなら、あやかしから狙われて当然。

 だってあれはそう簡単に手に入るものじゃないんだし。

「いやぁ、青行燈様にここら一帯の炎強くしてもらって正解だったなー」

「…だな」

「あのお方の力がなかったらここに来るまでに妖退治軍の目に止まってたかもしれない」

 そう言ってへらへらと笑う鎌鼬三人組。

 こいつら青行燈に頼みに行くとは…結構考えたな…


 鬼神の放った鬼火が威力を失うことは無い。

 しかし私たちのような妖退治軍の者の独特の妖力で稀に、火力が弱まることがあるらしい。

 それで鬼火を扱うのが専門の青行燈のところに頼み込んだ、ってわけか。

 でも…

「私を容易に殺せると思わないほうがいいよ」

「「「…!?」」」

 私は手に持っていた妖刀とも呼べる木刀を力いっぱい振り、三人いっぺんに、とはいかなかったが、二人の胸あたりを斜めに斬った。

 木刀とはいえ妖力を込めれば普通の刀のように斬れる。

 殺り損ねた一人が反撃しようとしてきたが、優花の刀と蛟の水晶の力でいとも簡単に死んだ。

 いかにも私たちを楽勝に殺せますよといった余裕の表情で話しかけてきたくせに、今となっては血溜まりの中では…格好が悪い。

 …鬼神がもしこの現状を知ったら激昂を通り越して呆れるだろう。

 青行燈に至っては、せっかくこの三人に言われて鬼火放ったのに簡単に死ぬなんて、と嘆くかもしれない。

「…命知らずはあんたらだったね」

「人間だってやる時はやるんだから…!」


 それは、鬼神や九尾の番と面識があるからといって、自分たちも超上級あやかしになったと思い込んでいたであろう哀れな中級あやかしの末路だった。



「なかなかやるじゃないか人間」

 やけに嫌な響き方をする声と、何か鱗のあるものが地を這う音が聞こえてきた。

「…うげっ、やっぱ出てきた…」

「うげっとはなんだ、うげっとは」

 鎌鼬を倒した直後なのに…

 角の生えた大蛇を連れ、現れたのは…

「なんでよりによって八岐大蛇なの…」

 私が最もめんどくさいと思っていた八岐大蛇だった。

 …これは鎌鼬のときのように一筋縄ではいかないな…

「そんなに嫌がらなくとも良かろう」

「「いや、普通に嫌です」」

 優花も夏夜の区に行く時に会ったのだろう、奴が纏う嫌な妖気に顔をしかめていた。

 かく言う私もこの妖気は苦手だ。

 …鬼神の妖気よりも嫌なほど。

「その人間を連れているってことは、あの時うちの区に来た際のほか数人もいるんだな?」

「…いえ、今はいません。私一人、あやかしを戦うべくここにいるんです」

 驚いた。八岐大蛇の金が混じったみどりの蛇の目に睨まれても動じず、むしろ覚悟を決めたというように言葉を発する優花を見て、私は「とんでもなく強いな…」と思った。

 なぜかって、あの目に見られて正気を保っていられる人間は少ないという程なのだから。

「妖退治軍の女よ」

「…何だ」

「その木刀に纏う妖気を見るに、この八岐大蛇と戦う覚悟はできているようだな」

「…ええ、勿論」

 私をじっと見据える八岐大蛇に対して、不安になったわけでも、妖退治軍のみんなが恋しくなったわけでもないが、何となく冷乃の真似をして返事をしてみた。


「…波奈さん」

 いざ戦わんとした時、優花は私に、「私はもうこの戦いの中で死んでしまっても構いません、まだ水晶も割れていませんから」と。

 遠巻きに、庇いながら戦う必要はない、ということを耳打ちした。

 私はそれに対して小さく頷き、改めて木刀を構え、八岐大蛇を見た。

 この恐ろしい蛇に勝てるかはわからないが…

 やれるだけやる、ただそれだけ。

 私はこの蛇を倒したら次は犬神だな、なんて呑気なことを考えながら、目の前の大蛇に向かっていった。



 *



 …これは本当に辿り着けるのだろうか。

 先を歩く子憂についていっているのだが、九尾の番のものと思われる狐火がそこらで燃えていて通りにくかったり、ところどころで燃えている鬼神の鬼火周辺の妖気が濃すぎて真がフラついたりで、なかなか目的地に辿り着かない。

(真、この妖気でフラついてたら、鬼神様本人に会ったとき大丈夫なのかな…?)

 急に倒れるか何とか持ちこたえるか、ってところかもしれない…

「お前大丈夫なのか?」

「な、なんとか…」

 子憂も鬼神に会った時のことを案じたのだろう、すごく心配そうな顔をしている。

「でも…俺、死ぬ気で頑張るよ。侑都を守れるように戦わなきゃ…」

「そんなの真だけじゃなくて俺もだ」

「二人とも…」

 確かに私しか妖力札を扱えないし、多分鬼神様と最後まで対峙するのは私だと思うけど…

 こうやって実際に二人からそういう言葉を言われると何だか目頭が熱くなってくる。

「ありがとう…あっ、私は刀の扱いが上手くないから、そこは二人に任せるね」

「「そりゃ勿論」」


 鬼神と戦えば、おそらくこの私含む三人の中の誰かは帰らぬ人となってしまうだろう。

(でも、冷乃さん達とも約束したんだから…!子憂と真に負けないように、私だって…っ!!)


 ──たとえこの命が尽きようとも、最期まで戦い抜いてみせる…!!





 …とは意気込んだものの。

「…やっぱり妖気濃くなってきてるかも」

「なんか死体の量増えてきたな…」

「う…ちょっとグロテスクがすぎるぞ…」

 徳見直康がいる付近まで来たが…

 一歩踏み出すごとに強まる妖気の濃さに、否が応でも体が反応する。

 人間に直接的な影響はほとんどないが、それでもやはり悪寒がしたり冷や汗をかいたりしてしまうのだ。

「夏夜の区に行った時みたい…」

「あぁ確かに、あそこもこれぐらいなんか嫌な空気漂ってたよな」

 夏夜の区や鬼神のお社に行った時のような感覚。まさにそれだ。

「それだけ鬼神様が近くにいるってことだろ…?」

「そうなるね…」

「鬼神様だけじゃないぞ、きっと徳見直康もいる」

「…こんだけの人間が死体としてそこら中にこうやって転がってんだぜ?これ、徳見なんちゃらって人生きてんのかな」

「さぁ…?でもそこにはだいぶ強い人達がいて護ってるだろうし…」

 この城に入ってすぐのところや今この場に来るまでにも数え切れないほどの死体を見てきたにも関わらず、一向に死体の数は減らず、むしろ増えるばかりだ。

 ところどころ雑に抉り取られたような傷があるものが多く、九尾の番か鬼神が喰ったことがわかる。

(九尾の番だったら、あの鋭峰っていう人かな…)

 私たちの友達である光を鬼神が殺した後、真っ先に喰いにかかっていた気がする…

 光のことを思い出す度に、鬼神だけでなく九尾の番に対してもふつふつと怒りが込み上げてくる…

「…侑都、なんかさっきから刀握りしめすぎじゃないか?」

「嫌なこと思い出したとか…?」


 …いけない、苛立ちが行動に出てた。

「ううん、平気」

「なら良かった。…見てみろ、もう鬼神様と徳見直康がいる場所は真ん前だぞ」

 子憂が急に小声になり、指差した方に目を向けると…

 もう数メートル先くらいの場所に、閉まってはいるものの、一際血が飛び散った襖があった。

 …そしてその前にはゴツい男数人の死体が。


 襖越しでもわかる、強い妖気と濃い血の匂いに思わず顔をしかめる。

 とうとうここまで来てしまった。

「この襖の向こうに…」

「鬼神と徳見直康がいる…」


 …もう後戻りなどできない。

 冷乃や麗生も九尾の番と戦っているのだ。

 私たちが何も戦わずにいてどうする。

 妖力札を握りしめると、その強大な妖力で少しだけ手がピリピリした。


「…行くよ」

「…ああ、いつでもいいぞ」

「もう覚悟はできてるからな」

 そっと襖に触れる。


 私は一度深呼吸をしてから、その血まみれの襖を勢いよく開けた。



 *



 ──襖の向こうは色々と凄まじかった。

 今までに見てきた強そうな男達を軽々と凌駕するようなゴツい男達が数人ほど血溜りの中にいる。

 壁や天井、もちろん床は真っ赤。

 そしてその部屋の奥の方で、今まさに〝ある鬼〟に刀を突きつけられている徳見直康と思しき人物が。



 ──〝ある鬼〟。

 それを私たちが見紛うことなどない。

 べっとりと返り血を浴びた黒の着物に、濃い赤の帯。

 額には二本の黒い鬼の角。少し長いさらさらの黒髪から覗く、冷たい色をした紅の瞳。

 その視線を私たちのほうにゆっくりと向け、口角を上げて嫌な笑みを浮かべるあの鬼は…間違いない…


「…鬼神様…っ!!」

「久しぶりだなぁ人間共。こんなところまで来たのか」

 そう言って笑った鬼神は、前に会った時より、うんと冷酷な目をしていた。

「に、人間…?お主ら人間か…!?」

 こちらを見るや否や、徳見はハッと目を見開いた。

「あなたが…徳見直康さん…?」

「あぁいかにも、わしが徳見直康だ。頼む、どうか儂をこの鬼から救ってはくれまいか…っ!!」

 しわのよった目に涙を浮かべ、徳見は私たちにそう哀願あいがんした。

 確かに血塗られた刀の切っ先を目の前に突きつけられたらそう言いたくなるのはわかるが…

(それはちょっとわからないかも…)

 真と子憂も同じことを思ったのだろう、申し訳なさそうな顔をしている。

 助けるのは無理かもしれないということを言おうと口を開いた瞬間、「黙れゴミ共」という低い声に、私は思わず口を閉じ目を瞑った。



「…おい人間。お前らは何しに来た」

「…!」

「言え」

 目を瞑った直後、そう問われ私は少し伏せていた顔を鬼神のほうへ上げた。

「…ちゃんと事実を言った方がいいんじゃないか?」と子憂に小声で耳打ちされ、私は意を決して言い放った。


「鬼神様…」

「あ?」

「あなたを…倒すため、です」


 鬼神はそれを聞いて、一瞬目を見張ったが、すぐに細めると嘲るように「ほう…俺を倒すときたか」と言った。

「…これはこの戦を止めるためでもあるんだ」

 真のその呟きに私と子憂も頷く。

 するとその様子を見ていた鬼神は急に吹き出した。

「正気か人間共」

「はい、そのつもりでここまで来たんですから」

 鬼神は少しの間、思案するように顎に手をやると、「…面白い。人間如きが反撃、ってか。まぁ殺れるもんなら殺ってみろ」と言い、徳見に向けていた刀を降ろした。


 その切っ先は私たちのほうへ向けられる。

 鬼神に片足で蹴飛ばされた徳見は、「うわっ…!!」と格好悪く部屋の端へ転がった。

 真と子憂は刀を鞘から抜き、私を庇うように前へ立った。


「侑都は殺させない」

「…最初の相手は俺達だ」

「その守りもいつまで持つんだろうなぁ?」

 しかしやはり、どうにもこうにも恐ろしいものは恐ろしい。

 なかなか一歩を踏み出せない二人に、

「どうした。俺を殺すんだろ?」

 と、鬼神はケラケラと肩を揺らして笑ってみせた。

 それが逆鱗に触れたのだろう。

 二人はグッと姿勢を低くし、刀を握りしめた。

「そうだそうだ、殺すんだからそうこなくっちゃなぁ?」

 鬼神がそう言った途端、その周りの鬼火が激しく燃え盛る。

 と同時に、真と子憂はその方へと駆けていき…




 ──金属のぶつかりあう甲高い音が、江戸城全体に響き渡った。



 *



「あんたって意外と簡単に殺れるんだ」

 優花の手助けがあったことが原因なのかわからないが、八岐大蛇をこれ程簡単に追い込めたのは驚きだ。

「…勝手に殺すな」

「あぁ、まだ生きてた」

 まぁこいつを倒したところで、取り巻きみたいになってる大蛇たちが生きてるから意味無いんだけど…

 それにしても超上級あやかし兼夏夜の区の門番にしてはいささか弱すぎではないか。

「どうせ今、俺が弱すぎだ、とか思っているのだろう」

 …恐らくここまでほとんどの人間を殺してきたことで少し疲れたというのもあるかもしれないが、ほかの大蛇に妖力を分けながら戦う必要のあるこのあやかしは、長期戦には向いていない。

 その点、犬神、九尾の番、鬼神は長期戦も、短い時間で集中して殺戮を行うのも得意なのだからとんでもないが。

「…あっさり殺られてくれたら良かったのに、だいぶ粘られたおかげで体中傷だらけになったじゃん」

「あ…なんか私も傷できてる…」

「…普通八岐大蛇と対峙した者がその程度の怪我で済むほうが珍しいのだ」

 よく見てみれば、戦った中であまり気がつかなかったが、切り傷や裂傷がたくさん出来ていた。

(…はっきり言ってそんなことより早く殺っとかないと、犬神が来たらめんどくさいことになる)

 私は妖力を込めた木刀を構える。

 目の前の蛇にとどめをさすべく、優花に声をかけた────かったのだが。


「あ…っ!?」

 …これはまずい。

 いや、まずいどころではない。

 ちょっと妖力を溜めようと手元に目を逸らしたその隙に…やりやがった。

 血飛沫が舞う。

 声を出すことも叶わず胸のあたりを鋭い鱗が逆立つこのあやかし特有の刀に貫かれた優花は、がくっと崩れ落ちた。

「優花っ!!」

 蛟の水晶がその命を保とうと光り輝く。

 だが…

「俺がこんな程度でやられる雑魚と思わんほうが良い」

 牙をむき出しにした取り巻きの大蛇が噛み砕いたことで、その必死の抵抗も意味を成さなかった。

「…犬神や鋭峰と違って、なんでもかんでも喰らおうとするあやかしに殺されなかったことを感謝すべきだ」

「…うるさい八岐大蛇…っ!!」

「は…波奈…さん…」

 …殺してやる、という感情が頭の中を支配したが、怒らないでというような表情で私の腕を力なく掴む優花に、やつを殺すことを止められた。

(戦い方を見ていて優花の大体の性格は分かっていたが…こんな状況でもその優しさを絶やさないなんて…)

 侑都…ごめん…ちゃんと優花を守ってあげられなくて…

 私は自分の無力さに辟易へきえきとし、なんども心の中で優花と侑都たちに謝った。

 冷乃から任されたってのにこんなんじゃダメだ。


「波奈っ!!」

「…!」

「ぐ…っ!?」

 よく知る声が聞こえたかと思うと、目の前の八岐大蛇を大きな棘のようなものがついた輪が囲んだ。

「…妖棘ようきょく使いか」

「あぁそうだ」

 煇利の操る妖棘の輪が妖しく光り出し、八岐大蛇は少し唸り声をあげたかと思うと、力尽き、倒れた。

「…さすがだね」

「まだまだだよ。…にしてもこいつ、まぁ派手にやってくれたな」

 煇利は蛟の水晶の噛み砕かれた片割れを握りしめ、息絶えた優花を見て舌打ちをした。

「あやかしってのはなんでこうも良い人間に対しても酷いことをするんだ…」

 確かにそれもそうだ。

〝悪い人間〟ならば話は別だが…

 ただ、一つ言えることは──

「そんなの決まってるじゃん」


 ──あやかし達も人間だった頃に酷いことをされたり、理不尽に殺されたりしたから。


 だから仕返しをする。

 それが答え。

 煇利はそれを聞いて「そうだったな」と言って俯いた。

 極悪非道の鬼神のような強いあやかしだって、元は恨みや嫌悪感、憎しみを抱いて死んでいったごくごく普通の、ただの人間達だろう。

 それを考えていると、私たち妖退治軍がそんなあやかし達を倒していっているのも少し間違っているのかもしれないと思えてくる。


「でも…俺達が倒すことで、何かそのあやかし…いや、その〝人〟の救いになってればいいな」

「…そうだね」



 江戸の町が戦場になってからどれほど経ったか分からないが、一向に人間の悲痛の叫び声や、あやかしの雄叫びが止む気配はない。

 空の明るさをも鬼火でどうにでもできる鬼神や青行燈、一目連なんかがこちらの世界にいる今、どれだけ時が経とうが、晴れやかな太陽が顔を出すことは無いだろう。


 月明かりと戦火に照らされる現世が、また元の姿を取り戻せるように、私たちはあやかし達と戦うべく再び駆け出した。



 *



「こいつらどうかしてるんじゃないの…!?」

「全く歯が立たないわね…」

「そっちが弱いだけです」

「雑魚」

 ダメだ、九尾の番とやり合い始めてだいぶ経つのに、一向にこちらの攻撃が当たる気がしない…

 さすが超上級あやかし…いや、もはや鬼神や犬神と同レベルに近いのではないかと疑いたくなるほどのあやかしというだけある。

(今まで相手にしてきたあやかしとは全然違うわ…)

 私と麗生、炯眼と鋭峰で二対二なのだが…

 なんだろう、この力の差は。

「冷乃…侑都たちのところへ行かせないための足止めにはなってるけど、いつまで私たちが持つかわかんないよ…」

「…弱ぁ」

「う、うるさいな…っ」

 …煽り上手と聞いていたとおり、鋭峰の言葉は一語文なのに棘がある。それに対して麗生は自身の妖気を逆立てていた。

 麗生の妖火ようかの火力がいつまで持つか…そこが心配だ。

 妖火使いの彼女は、自身の妖力を全て使いながら戦う。その妖力が底をつくことはそうそう無いのだが、今は犬神に付けられた傷からやつの妖力が入り込み、少し麗生自身の妖力が十分に使えないところがあるのだ。

 私の霊符れいふもそこそこ妖力を消費するから、体力が必要になるけど…

「…このままじゃ、こっちがやられるわ…」

 妖力消費がどうだと言っている暇はない。

 私は飛んできた青い狐火を紙一重でかわし、それを飛ばした張本人である鋭峰にむけて霊符を放った。

 しかし、

「…わ、何」

 それは虚しく鋭峰に掴まれ、ジュッと狐火に焼かれてしまった。

 か弱そうな細腕の見た目とは裏腹に、尋常じゃない力を持ってるな…この狐。

(あっ…でもちょっとダメージ食らってる…!?)

 その霊符を掴んだ鋭峰の手のひらは少しただれ、血が滲んでいた。

「あー…血」

 当の本人は特に気にしていないのか、その手のひらを物珍しそうに掲げ、凝視している。

 というかなんかすごく舐めたそうにしている。嘘でしょ。

「冷乃…もうダメだ、こいつら…」

「麗生、諦めるにはまだ早すぎるわよ…」

 確かに麗生の言う通り、少しずつ番に傷を作れてはいるのだが…

 全く勝てる気がしない。

 こちらの傷が増える一方だ。

 でも、ここで諦めてしまえば鬼神の相手をしている侑都たちの元へ番が行ってしまう。

 そうなれば鬼神を倒す、という目的が果たされなくなる…

「鋭峰、この人たち面倒だね」

「うん」

「でも、僕たちが相手しないとね」

「鬼神様、困る」

「うん、何てったって鬼神様は徳見とは一対一でやり合うのがいいだろうからね」

 相変わらず無表情で淡々とやり取りを交わす番。

 何を考えているのかさっぱりだが、周りに浮く狐火が威力を失わないところを見るに、まだまだこちらと戦うつもりはあるらしい。

「せめてあの九つの尾の一本でも落とせたらいいのに…」

 麗生が銀の尾を睨みながら言う。

 …そんなことはあまりしたくないけど…

「「無理」」

 …っと危な…っ!?

 …聞こえてたのかしら。思いっきり凄い狐火飛んできたわよ…

 ゆらりと妖しく銀の尾が揺れる。

「お遊びはここまで。…殺るぞ、妖退治軍」

「ん、死ぬ。死ね」

 …ちょっとまってなんか鋭峰がド直球すぎる気がするんだけど。

「…いいわ、こっちだって半端な気持ちで来てるわけじゃないのよ」

「冷乃、妖力大丈夫?」

「ええ、何とかね。侑都たちがやり合ってる間は絶対持つわ」

「私もそんな感じ。じゃあ…もうちょい頑張りますか…っ!」

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