第六章 太陽が顔を隠し、月が顔を出す頃

「ようやっとこの時が来たかぁ」

 夕暮れ時、俺は九尾の番と犬神、青行燈、そして全ての区のあやかしと共に、例の丘にいた。

「…あ」

「ん、どうした鋭峰」

「人間…妖退治軍…集まった」

 …ついに人間共も動き出したか。

 相変わらずボーッとして何を考えているか分からない無表情の鋭峰だったが、こういう時は炯眼ともに夜でも効く九尾の目が頼りになる。

「戦はまだかぁ?」

「そう焦らないでください犬神様…」

 傍では今すぐにでも人間を殺して喰いたいとでも言うような形相でぼたぼたとよだれを垂らす犬神と、それをなだめる青行燈の姿が。

「まぁ慌てるな犬神。もう少しすれば月が顔を出し、夜になる。そしたら存分に腹を満たせるだろう?」

「へへっ、そうだったなー!」

 この犬は永遠に成長期なのだろうか。

 食べ物(人間)がうじゃうじゃひしめく城下町を見ている犬神の頬は、楽しみと興奮から紅潮していた。

(…いや、俺もよく喰うし言えたもんじゃねぇか)

「鬼神様、そろそろ日が沈みます」

「…よし。炯眼、鋭峰、お前らは戦が始まった時に町に一際でけぇ狐火を放て。そして…俺とともにあのクソみてぇな大名を殺しに行くぞ」

「「あい」」

 待ってました、というように滅多に笑わない番はニッと笑った。

「おー、珍しいなあんたら番が笑うなんて」

「そうね、そんな顔見たのいつぶりかしら」

「わ、笑ってません」

「…」

「まぁまぁお前ら、もう日は沈んだ。これから暗くなるぞ」

 その言葉に番も、番をからかっていた犬神と青行燈も、他のあやかしも真剣な顔になった。

 ふと見れば、町の人間共は慌てふためき、徳見家の軍と妖退治軍がいつでも戦えるよう構えているのが見えた。

 今からこいつらを殺して回れると思うと、犬神じゃねぇが楽しくて仕方がねぇな。



「さぁ始めようじゃねぇか…人間共に我らあやかしの脅威を知らしめてやれ!!」



 俺のその掛け声の後、獣の姿となった犬神の遠吠えと同時に、青行燈は地を這う鬼火を放ち、九尾の番のそれぞれが放った青と紫の狐火は江戸の町を囲む結界のように広がる。

 そして周囲の妖気と自らの妖気を込めた俺の鬼火は、一度天に上がってから江戸の家屋を燃やし尽くすように、町の中へ突っ込んでいった。

 そして八岐大蛇やまたのおろち烏天狗からすてんぐぬえ猫又ねこまたといった各区の門番をはじめ、隠世かくりよのあやかしたちも一勢に町へ出て、ついに人間への総攻撃が始まった。



 *



「…っ!?あれは…犬神の遠吠えっ!?」

「戦が始まったってことか…っ!!」

 あれから妖退治軍と私たちは江戸城付近に行き、徳見家の軍と少し戦の話をして、例の丘よりすこし遠いところで戦の始まりを待っていた。

 ──しかし、始まるまでゆっくり待つことは叶わなかった。

「あ、あれ…もしかして…っ」

「ああ、間違いない、九尾の番の狐火に、鬼神様の鬼火だ…!」

 犬神の遠吠えが聞こえてすぐ、空には青と紫の見覚えのある狐火が江戸の町を囲むように浮いており、鬼神のものと思われる真っ赤な鬼火が空に浮き、家屋を焼くべく町中へ突っ込んできた。

「あの狐火…鋭峰さんがお社に結界を張っていた時と同じ広がり方…」

「そうなのか!?」

「鋭峰さんは青かったけど、炯眼さんは紫だったから、あの狐火を操っているのは九尾の番に間違いない…!!」

 私は闇夜に煌めく二色の狐火を見つめた後、おそらく青行燈のものと思われる鬼火が地を這い、それと共に数々のあやかしが攻撃を始めていることに気がついた。

「冷乃さん、あそこ…っ!!」

「わかったわっ!」

 私が言うと、冷乃はなにやら懐から札を出し、それを手に持ったその時…

「「「「わっ!?」」」」

 突然そのお札が淡い灰色の炎に包まれた。

 そしてその燃え盛るお札をこちらに向かってきているあやかしに向け、放つと…

 お札は物凄い勢いで飛んでいき、そのあやかしに貼り付き、その体を燃やした。

「…あの、それって…」

霊力符れいりょくふ。あなたの持つ妖力札より遥かに妖力は弱いけれど、これでも私の戦うための立派な武器よ。低級や中級、上級くらいならほぼ楽勝ね」

 冷乃はさらっと言ってのけたが、私たちからすれば、「え?この人、人間だよね?なんであんな強いの?なんで炎でるの?」という疑問しかない。

 すると横で、「冷乃はああやって戦うの。私たちは何かしらの能力、って訳じゃないけど、あやかしと戦うための力があるんだよ」と言った麗生が、手から水色の妖火を出し、ちなみに私はこの妖火を五つまで操れること、と付け加えた。

 ぽかんとする私たちに対して、今度は波奈がその手に持つ木刀に妖気を纏わせ、煇利が冠か何かを模したような妖気の塊だという輪を腕の辺りに出現させ、雷飛が背中の弓に緑の宝石のようなこれまた妖気の塊だというものが付いた矢を構え…

「つ、ついてけないです…」

 私たちの頭はパンクしそうだった。キャパオーバーだ。



「そう?でも今はそんなこと言ってられないわ、行くわよ、みんな」

「「「「了解」」」」

 妖退治軍はその冷乃の合図で、鬼火によって家屋などが燃え盛っている江戸の町へ駆け出していった。



 *



「ねぇ子憂、私たちどうすればいいんだろう…」

「完璧に置いてかれたな…」

 妖退治軍が町へ駆けて行ってから、数分が経った頃。

(人間の悲鳴やらあやかしの悲鳴やらが増えたような気がする…)

「妖退治軍について行ってもお荷物になるだけだよね…」

「でもいつまでもここにいるわけにもいかないよ…もうすぐここにもあやかしが来る…」

 優花の言う通りだ。ここでうだうだしていたってあやかし達に殺してくださいと言っているようなものだ。

 …特に犬神には気をつけないと…喰われる…


「あっ、おい優花…っ!」

 私が何をすべきか考えていた時だ。

「私は行くよ。だって…せっかく水刃家に伝わる蛟の水晶があるんだから。ある程度身は守られるし」

 優花が突然炎に包まれつつある町へ行くと言い出した。

 確かに優花の家には先祖代々受け継がれてきた蛟というあやかしの作り出した特別な水晶があり、それはあやかしの攻撃や人間の攻撃から少しは持っている者の身を守ってくれる、と言われているが…

「でも…それでも危険だって!」

 その水晶と、徳見家の軍から貰ったという脇差だけではあやかし達に立ち向かえる訳はない。

 第一向こうは人間ではない。こちらの攻撃などものともせず向かってくるあやかしの方が多いだろう。

「低級あやかしくらいなら妖力がそれほど込められてないものでも倒せるよ」

 でももう何を言っても無駄だった。優花は「私が死んでも頑張って鬼神様のところまで行ってね」と言い笑うと、たった一人、妖退治軍が駆けていった道を走っていった。

「ほんとに行くのかよ、あいつ…っ!」

「俺ら止めた方が良かったんじゃないか…!?」

 光が殺されてしまった今、さらに優花まで殺されてしまったら…私たちはもとの平成に戻っても心のどこかにずっと穴があき続けることになる。

 止めたかった。

 だけど…優花のあの目。

 あの目を見てしまっては、何も言えなかったのだ。



 ──優花が走り出す時に見えた、少しの涙と水晶の煌めきが、月夜と戦火に照らされていた。



 *



「この量ならいけると思ったけど…割と多いわね」

 まぁ私が勝てない相手では無いけど…

 麗生もみんなもバラバラになって戦っている。

 私はここで頑張らないと。

「何てったって、この場が一段落ついたら鬼神のところに行くんだから、ねっ!」

「ぐはっ…!!」

 あ、渾身の一撃が見事に向かってきていた化猫ばけねこにヒットした。

「ふぅ…中級あやかしくらいまでなら札の消費が早くなくていいわね」

「おい冷乃っ!そっちどうだ!?」

「雷飛…そんなとこに登って戦ってるなんて…」

 私に声をかけてきた雷飛は、戦場に突っ込んでから自身の弓が一番本領発揮できるという高い場所を探していたが…

「何も燃え盛る家の屋根の上じゃなくてもいいんじゃ…」

「うっさいなっ!今はそれどころじゃないんだよ!」

 半ギレでそう返す雷飛だったが、わからなくもない。今はもうこの町も、ほとんどが大火に包まれている。

「そんなことよりさっさとここを片付けちまわないと鬼神が江戸城に向かい始めるぞ!」

「あーあーそんなこと分かってるわよ!というかこんなの倒しても倒してもキリがないわ、波奈!!いる!?」

「何ですかー!?」

 ここでずっと戦っていても、鬼神が徳見直康を殺しに行くのをどうぞどうぞと勧めているようなものだ。

 ここは…波奈に任せるしかないわね。

 幸い、波奈は声が届くほどの距離にいた。

「私と麗生はここでもう少しあやかしを倒してから鬼神を追って江戸城へ行くわ!そうなったら、こっちの雷飛と煇利含め、まとめるのは波奈に任せるわよ!」

「分かりました!私なりに頑張ります!!」

 これでひとまずは安心だわ…

 麗生にはいつでも江戸城に行けるようにとここへ来る前に言ってある。

 あとは…

「ここを少し片すことね…」

 と思ったその時。

「れ、冷乃さんっ!!!」

「!?あ、あなた…どうしてここにっ!?」

 息を切らして駆けてきたのは…

 妖退治軍でも無い、徳見家の軍の者でも無い…あの例の人間四人組のうちの一人、水刃優花だった。

「私も…私も戦わせてくださいっ!!」

「そんな…ここは危険よ、早く戻ったほうが…」

「いえ、私だってこの水晶を上手く使って戦います…!!」

 そう言って、ペンダントのように首にかけてある、蛟の妖力の淡い光を発する水晶を握りしめ、片手の脇差を鞘から抜いた。

(本当に戦う気なのね…ここまで来るということは自分の命を落とす覚悟でいるということ…)

「…わかった、戦いたいなら戦ってもいいわ」

「本当ですかっ!?」

「ただ…もう二度とあの他の三人の元へは帰れない可能性が高いわよ」

 その言葉に優花は一瞬躊躇ためらったようにも見えたが、すぐにまた真剣な顔になり、「承知の上です」と言った。

 波奈も戦いながらこちらを見て、その子もできる限り見ておきます、と目で知らせた。


 …さぁ、いよいよあと少しで鬼神の後を追って江戸城へ行くわよ…!



 *



「いい眺めだなぁ、九尾」

「そうですね、こんなに大変なことになってる江戸の町を見るのは久しぶりです」

「家。燃えてる。面白い」

 犬神の遠吠えで始まった戦は、もう既にピークを迎えようとしていた。

 あちこちで家屋が燃え、人間が死んでいる。

 俺は横で獣の姿となった九尾の番とその様子を見ていた。

「にしてもやっぱお前ら結構でけぇな」

「そうですか?」

「??」

 とぼけた顔をしているが、この番、獣の姿になると四足で立っている時の高さが俺の腰上くらいにある。

(まぁ犬神のほうが若干でかいけどな…)

 そして普段から尋常じゃないくらいもっふもふな九つの尾も、この姿となると余計にもっふもふに見える…

「おっ、誰やー思たら隠世の鬼神様やんか。久しぶりやな〜」

「ん…?あぁ、なんだ刹鬼か」

「なんだってなんやねん」

 背後から急に聞こえてきた聞き覚えのある男の声に、俺は顔をそちらへと向けた。

 赤の着物に、腰から垂れる三枚の呪札のろいふだ、そして左だけ欠けている金の鬼の角。

 目尻の赤い猫目を細め、にぃっと口を笑いの形に歪める彼は、現世妖怪うつしよようかいの、言ってしまえばあるじである刹鬼せっきだ。

「俺もいるぞ」

 後ろからぬっと現れた狐面の女も、不気味な黒ずくめの、黒布で顔を隠した男もそう。

知千ちせ子鳴しなまで一緒か」

 世の狐妖怪のトップである九尾狐神きゅうびこがみの知千。

 そして、辻斬りの達人であり、あやかしの中でも名の通った刀の使い手である野狐やこの子鳴。

「あたり前よの。…っと、そこにおるのはかわいい九尾の双子かね。大きくなったのう二人とも。俺と力比べするかえ?」

 にこりと嫌な笑みを浮かべる知千を前に、番は少し眉間に皺を寄せ、後ずさる。

(俺はこいつらが知千から離れたがる理由くらい知っているがな…)

「うちの狐を舐めてもらっちゃ困る。これでも既に子鳴は越えられんがお前よりは強いぞ」

「んーそうなぁ…鬼神様も一緒、下手したら俺の上かえ?」

 困り眉で小さく笑う知千の横で、この中でも唯一の凄腕の剣客の子鳴はすっとぼけ。

 傍を飛んでいた蝶々を捕まえて羽根をもいで食べている。

 黒布の下の顔はわからないが、食べている口元は女のような綺麗なものだった。

「そりゃあなぁ。鬼神様は隠世妖怪のトップなんやろ?この刹鬼、あんたの手助けをしにきたっちゅうわけや」

 ええか?と俺の顔色を伺う刹鬼に、「いいぞ。頼んだ」と言う。

 すると彼は、一度こちらににかっと笑って刀を抜き、町の方へ駆けて行った。

「…お前らは行かなくていいのか?」

「もちろん行くぞ。なぁ、大天狗」

「あの方のご意向とあらばって感じですねぇ」

 バサッと俺達の前に降り立った大天狗だいてんぐは知千と目を合わせ頷くと、こちらに一礼をしてから刹鬼のあとを追って行った。

 その大天狗のあとを追うようにふらふらと、長い垂れ帯と腰あたりから下げられた黒い刀を揺らして、子鳴も歩き出す。

「……油断しなさんなよ、鬼さん」

 大天狗が飛んで行った後、知千はこちらを横目で見るなりそう告げ、九尾を揺らして町の方へと消えた。


「鬼神様…奴ら、確か関西の…」

「ん?あぁ、そうだ。西の国の現世妖怪…東の国の現世妖怪は素直じゃねぇ奴が多いんだが、あっちは素直でいい奴もいるらしいなぁ」

(そしてその反面、純粋な悪の心を持っている奴らでもあるらしいが……)

 まさかこんなところで会うとは。

 炯眼と鋭峰と出会ってからしばらくして、九尾として力がさらについた頃に手合わせをしたのは先程の知千であった。

 それに、一度は俺と戦ったが、今では酒を酌み交わす仲となった鬼は、あの刹鬼…

 人間共やそこらへんのあやかしの中のような現世妖怪と隠世妖怪の区別もろくにつかんような輩の中では、俺が関東大妖怪、刹鬼が関西大妖怪なんて言われている。




「あっ、鬼神様。そろそろでしょうか」

 俺が彼らとの出来事の懐かしさに浸っていると、炯眼が俺の顔を覗き込んできた。

「あぁ、そうだな…」

 彼の言葉に町を改めて見返した俺は、

「まぁそんなに焦らなくとも、お前らもちょっと人間殺ってくるか?」

「あい!!」

 少し番を町に放したらどうなるのかというちょっとした出来心でそう提案してみた。

 …のだが、腹も減っていたのだろう、いつも殺すという言葉に敏感な鋭峰が今回も真っ先に元気よく返事をした。

「え、鋭峰…女の子なのに人殺しで気分が上がるなんて…」と、鋭峰のことなら何でもかんでも心配する炯眼がボヤいていたのは聞かなかったことにしよう。

(…この双子、性格と性別逆で生まれてきたんじゃねぇか?)

「鬼神様。早く。殺す。腹減った。喰う!!」

「あぁわかったわかった、またちょっとしたら戻ってこい。…一番の目的を果たすべくな」

「あい!」

「炯眼、お前も行くか?」

「よろしいのですか…?」

 少し遠慮がちに聞く炯眼だったが、鋭峰が今にも町へ飛び出そうとしているのを自分も行きたそうに見ていたので、「行ってきな」と言うと、ぱあっと顔を明るくした。

 そして二匹の銀の九尾狐は戦火の中へ飛び込んでいった。



「犬神も暴れてんなぁ」

 その番を見送ってから、視線をさ迷わせていると、遠くで獣の姿と半獣の姿に交互になりながら血の海を駆ける犬神がいた。

 青行燈は静かに、けれど確実に、向かってくる者を鬼火で焼き尽くしている。

 八岐大蛇の操る蛇が地を這っているのも、烏天狗が台風まがいの風を起こしているのも、鵺と猫又が作戦を立てながら敵を殺しているのも見えた。

 一瞬光った金色は、おそらく酒呑童子。

 黒く伸びる影と青銀の光は子鳴、真っ白の狐火は知千だろう。


「妖退治軍はなかなかに上手くやってるみたいだが、あの人間四人はどうなったんだ」

 そこが気になる。白澤はあの四人を信用して、ある意味頼りにしていたが…

「あいつらのうちの一人は戦ってるが…残り三人はどっかに隠れたみてぇだな」

 情けない。あいつらのことは普通の人間とは違うと思っていたが、所詮人間は人間か。

 そんなことを思いながら腰に下げた瓢の酒を呷っていると、

「鬼神様ただいま戻りましたー!」

「ましたー」

 銀の毛並みを血で濡らした九尾の番が帰ってきた。

「お前ら早くねぇか?」

「でもこれでも三十人近く殺したんですよー?」

「五十人。喰った。美味かった」

「鋭峰…太るよ?」

「…炯眼」

「ん?」

「…うるさい」

「…まぁまぁお前ら、喧嘩すんじゃねぇぞ?」

 …本当にこの番の殺戮能力は相変わらず高いな。

 とてつもない短時間だったにも関わらずそんな人数を殺ってくるとは。

「でも確かに…鋭峰喰いすぎじゃねぇか?」

「ううん。まだ。喰える」

「ああ鬼神様大丈夫です、だいぶ食べ残しありますので」

 …いや、食べ残しがあったとしても鋭峰の胃袋はどうかしているな。


「ところでお前ら、町の人間共の状況はどんなだったか?」

「妖退治軍に会うのもなんか嫌で、ほかのところにいたのですが…初めと比べれば人間の数も減りました」

「江戸城、行ける。徳見……いる」

「…そうか」

 もうそろそろ江戸城に向かい出してもいい頃合なのかもしれないな。

 二人は俺がそう考えているのがわかったのか、城に行くのに目立ちにくい半獣の姿に戻った。

「九尾」

「「あい」」




「江戸城へ行くぞ。…あのクソ野郎を殺すためにな」

「「…あい」」



 そして行かせまいと立ち塞がる大して強くもない敵を次々なぎ倒して行く九尾の番の少し後ろのほうを歩き、江戸城へ向かった。

 途中何人かその二人の目を掻い潜って俺に向かってきた奴らもいたが、刀をたった一振りしただけですぐに死んでいった。


「鬼神様、そろそろ着きますよ」

「もうすぐ。近い」

「そうか。あ、妖力使いすぎんなよ?城の中にも面倒くさい敵はいるだろうからな…」

「「あい」」

 この双子は割と妖力消費も燃費が良いほうだが、時々使いすぎることがあるのが難点だ。使いすぎたらどうなるか懸念することは無いのだろうか…




 …そうこうしているうちに目の前に江戸城が現れた。

(ついにあいつを殺せるのか…)

 念願の望みが叶おうとしている事実に、無意識でぐっと拳に力が入る。

 殺したら鬼火で燃やしてやろう。…この世からやつの死体も、存在も消してやる。



「なんだお前らっ!!ここは通さんぞっ!!」

「そうだそうだ!!」

 ……ったく、めんどくせぇのがいるなぁここも。

 目の前に無駄に図体ずうたいのでかい、刀を二本携えた男がぬっと立ち塞がった。周りにはいかにも手下といった見た目をしたヒョロい男が数人いる。

「お前らのその角、あやかしだろ!?おぞましい見た目をしやがって!親方に敵うわけねぇんだ、とっとと失せろっ!」

 一番気の弱そうな男が俺を指さし、そう言うと、親方と呼ばれたその図体のでかい男は、その声に反応して俺に刀の切っ先を向けると「かかってこいっ!!」と叫んだ。

 …こいつら九尾の番のこと見えてねぇのかよ…

 番は自分たちのことを相手にしてもらえていないと思ったのか、少し苛立ちを含んだ様子で男達に「黙れ」と言うと、男達の喉元や顔面に牙を立て、狐火を放ち、一瞬で葬った。

「…お前ら殺傷能力高いな」

「いえ、まだまだそんな…」

「…」

 そんなことを言いながらも、血溜りの中の男達の死体を見れば、この番の凄さは一目瞭然。

 俺は哀れだなと思いながら刀でぶすりと一刺し、男の体を突き刺した。

「ここからは物凄い数のこんな奴らが出てくるぞ」

「その時は任せてください!」

「全部殺す」

 そう言って城へ向かって歩みを進める番の目は、動く物を見つけた時の犬神の如く爛々としていた。



 *



「冷乃っ!!」

 優花が危ない時は少しかばいつつも多くのあやかしを相手にしていた時、酷く焦った様子の麗生が私の名を呼んだ。

「何、何かあったの!?」

「奴が…鬼神が江戸城に…っ!!」

「なっ…!?」

 ついに動き出したか…!!

 麗生は妖火を五つ操っているのだ、鬼神が江戸城に向かったという事にいち早く気づいたとしてもおかしくはない。

「それは確かなの!?」

「九尾の番も一緒にいる…!しかも半獣の姿で…!!」

「…ま、まずいわね…」

 九尾の番が一緒にいると厄介だ。

 しかも獣の姿ではなく半獣の姿ときたか…

 あの番は他の獣系のあやかしと違って、獣の姿のときの体が大きく、多くの人間や強力な何かと戦う際には立ち回りが難しくなり、戦いにくくなる。

 故に半獣の姿であることが、あの番が最大の力をいつでも発揮できる状態ということになり…

 より一層、我々人間が不利になるということに繋がる。

「冷乃、これはあの妖力札を扱える侑都っていう子と一緒にいた男の子二人に鬼神は任せて、私たちで番を相手にした方が良さそうじゃない…!?」

「それもそうね…」

 九尾の番は超上級あやかしとではあるが、強さ諸々は鬼神が認め、側近的立場に抜擢するほどのもの。

 これは私たち妖退治軍二人が、協力して全力で戦ったとしても骨が折れるだろう…でも、侑都たちが鬼神と戦っている間の番の足止めくらいはできるかもしれない。

「じゃあもう早速侑都たちに声をかけて、鬼神のあとを追うわよ!!」

「了解っ!」

 ──そうして私たちはその場を波奈に任せ、侑都たちのものへ向かった。



 *



「侑都っ!早く戦いに行く準備をして!」

「あ、冷乃さん!…って、ええっ!?戦い!?」

 私たちが侑都たちのもとへついた時、彼女ら三人は妖力札の扱い方を再確認しているところだった。

「もう鬼神が江戸城へ向かったの!だからその妖力札持って、早いとこ追いつくわよ!」

「あ…は、はいっ!!」

「冷乃さん、俺達も行っていいんだよな…?」

「もちろんよ!何、侑都一人で鬼神と対決させる気なのかしら?」

「ち、違っ…!!」

「行って邪魔になったらどうしようかって思っただけで…っ!!」

 そう言ってぶんぶん首を横に振る男子二人。

 そんな邪魔になるかどうかなんて気に病んでる場合じゃないんだけどね。

「…そういえばあなた達、侑都も含めて戦うもの無いわよね?」

「あ、えっと…無い…ですね」

「俺まずあんな物凄いやつ相手に戦う戦い方がわかんない…」

「真、それ結構まずいんじゃないか…?」

「はぁぁ…そんなことだろうと思ってたわ。…そこの刀もってきなさい、あんな化け物みたいな鬼神相手だから大して効果はないだろうけど、持っとくのと持ってないのとでは全然違うわ」

 まぁまず鬼神に刀をぶっ刺したところでダメージを与えられるかも不安…それに仕返しはとんでもないでしょうし、何か刀で攻撃されたときその一撃の重さに耐えれるかわからないっていう心配はあるけど…

 そして三人はせっせと刀を腰の帯に差すと、「もう行けます」というような覚悟を決めた表情で私を見た。

 それを見た私は麗生と頷き合い、

「さぁ…みんなで鬼神をぶっ倒しに行くわよ」

 と言い、江戸城を目指し駆け出した。





 …思ったより敵が多い。

 それが江戸城付近に行ったとき、一番に出た率直な感想だった。

「こいつら数多い上に地味にめんどくさいなぁ」

 麗生も不満を零し出した。

 それもそうだろう。何せ、この辺りは上級から超上級あやかししかいないのだから。

 ただ、私たちとて妖退治軍のトップ二人だ。

 侑都たちを守りながら戦うのは少ししんどいが、それほど気にはならない。

「ここで犬神様がいないといいけど…」

「犬神様…」

「あぁ…あの物凄い性分の…」

 侑都の〝犬神〟という言葉に反応し、子憂と真は何か思うところがあるのか、苦い顔をしてボヤいた。

(その予想が当たっていたとしたら…犬神を相手にするのはちょっと…いや、だいぶキツいわね…)

 そこら辺は倒す、というより上手く撒くしかない。


 不意に麗生が妖火を操る手を止めた。

「どうしたの、麗生。なんか顔色悪いけど」

 サーッと彼女の顔が青ざめていっている……

 …嫌な予感がする。

 麗生が震えながらゆっくりと指さした先を見ると…


「れ、冷乃、あれもしかして」

「……あぁ…」

 ちょっと待て。

 色々なことが的中しすぎだ。

 あの灰色の毛並みの欠けた耳と、大きな一尾を持つあやかしは…一人しかいない。

「い、犬神…いた…」

「んー?おーおー妖退治軍じゃねーかぁ!久しぶりだなぁ!」

 久しぶりだなぁ、じゃないわよ。

 …後ろに下がって奴を見ている侑都たちも青ざめている。

「あれ、なんか見覚えある人の子連れてんなぁ?」

「ど、どうも…お久しぶりです…」

「あー!あんたらまだ生きてたんだなー!」

「は、ははは…」

 侑都たちはどうやら人間を殺しまくって返り血まみれになっている犬神の姿は見慣れていなかったらしく……

 特に真なんて泡を吹いて今にも倒れそうだ。

「いやぁ、現世にはなかなか骨のある奴が多くてなー、俺もちょびっと怪我したんだよー…」

 そう言う犬神の頬や腕は何ヶ所か切れていた。

(徳見家の軍、結構強い奴が数人いたってのにそいつらと戦ってこれだけしか傷が出来てないとか…)

 しかも今日は見たところ腹がまだ空いている模様。

 これは撒くのにだいぶ時間を取られそうね…

 侑都たちは私と麗生が戦おうとしているのを察したのか、まだ燃えていない家へ逃げ込んだ。

 その様子を犬神が一瞬物凄い目で睨んだが、すぐに私たちのほうへ向き直ると、「殺るかー?」と言ってにかりと笑った。

 そう。これ。

 奴の子供っぽい無邪気さの中に垣間見える犬神特有のおぞましい部分が、戦う者の戦意を失わさせるのだ。


「えぇ、勿論よ」

「その気だからここに留まってるんじゃん」


「へー、そっかぁ」

 奴はそう言っていつでもかかってこいという態勢に入った。

 私は行くわよ、と麗生に目配せをし、犬神を倒す…いや、撒くためにできる限り疲れさせるべく、奴の方へ向かっていった。



 *



「こりゃすげえ数の人間だなぁ」

 江戸城についた俺と九尾の番は、その敵の多さに辟易としていた。

 どいつもこいつも大して強いわけじゃねぇのに数だけは一丁前に多い。

「こんなの玩具も同然だな」

「鬼神様、もう全部殺っていいんですよね?」

「早く。殺す。腹減った」

「鋭峰、お前はどんだけ食うんだよ……まぁいい、徳見直康のところに行くまでに出てくる奴らは一人残らず殺せ」

「「あい」」

 番の体力は有り余ってんなぁ、本当に。

 犬神には負けるだろうが、これは人間からすればかなりの脅威だ。


 炯眼は俺が拾った時から、ずっと一思いに斬るだけの面白みのない奴だったが、こういう場面では量が多い故に役に立つ。

 一方で鋭峰の殺し方は俺の殺し方に似てきていて、一瞬で葬ることもじわじわ葬ることも得意になったが…何よりの強みはあの喋りだ。

(あれは俺でも暴力禁止の口喧嘩をしたときには負けたからなぁ)

「…この双子やっぱとんでもねぇな」

「何か言いました?」

「?」

「いや…何でもねぇよ」

 首を傾げて俺を見た二人だったが、何も無いとわかるとまたすぐ向かってくる敵を殺すことに専念した。


(…なんか外から変な感じがするな…)

 ふいに妙な妖気を感じ、城の外へ鬼火を向かわせると…


「なるほどな…犬神が妖退治軍のトップ二人とやり合ってんのか」

 あの妖退治軍の二人は人間のくせして妖気を操れる。

 この変な妖気があいつらのものなら納得だ。

「犬神、あいつ結構疲れてんな…ちゃんと殺したやつは全部喰っとかねぇと妖力持たなくなるじゃねぇか?」

 この感じなら犬神は恐らく妖退治軍のどちらかの肉を少しもらいにいくことになるだろう。

 いや…喰いにいくことになる、か。

「…炯眼、まだ来るか?」

「はい…キリがないですね、これ」

 相変わらず無表情だが、炯眼は量を殺ることに慣れていないのか、少し妖力消費の調節が難しそうだった。

「お前が無理なら先頭を突っ走ってくのは鋭峰に任せな」

「えっ…そ、それは…」

「仕方ねぇだろ、こういう場はお前より慣れてんだから。なぁ鋭峰?」

「あい」

 そう言うと鋭峰はスッと炯眼の前へ移動し、向かってきたいた敵を狐火で殺した。

 炯眼は少しの間固まっていたが、すぐに鋭峰のサポートにまわった。


 ──番の九つの尾や着物は人間を殺りすぎた為か、血で濡れて赤かった。



 *



「なんだ、結構やるじゃねーか」

「…そりゃそうよ」

 何てったって、私と麗生が死力を尽くして戦ってるんだもの。

 戦い始めてからもう数十分ほど経っただろうか。

(…なんか疲れてきてる…?)

 スタミナ切れというものを知らない犬神のはずが、奴は何故か少し息が荒い。

 ぜぇぜぇと変な呼吸もしているし、眉間にもしわが寄っている。

(これ…上手く撒けるかもしれない)

 まぁあわよくばここで倒してやろうなんて命知らずなことは考えないけど…

「冷乃…なんか犬神やばくなってきたね」

「そうね…」


 …なんだか、さっきからやけに私たちを凝視している。

「へへ…腹減ったなー…」

 そんなことを言いながら、下げていた顔をバッと上げ、ギンとこちらを見る犬神の目が鋭くなったと思った次の瞬間。

「…?…って、ちょ、麗生、危ない…っ!!」

「え…?」

 麗生の左腕に犬神が噛み付いた。

 いや、噛み付いたというレベルではない。

 肉を抉りとった、という言い方の方が正しい。

 鮮血が溢れ出し、麗生はガクッ、と膝から崩れ落ちた。

「…うんめーなぁ」

 麗生からもぎ取った肉を地面に胡座をかきながら乱暴に、子供のように喰らう。

 その真横にいた私に上目遣いでやってやったと言わんばかりに嫌な笑みを浮かべるやつの口の周りは、既に麗生の血で汚れていた。

「よっ…と」

 奴はそこから私たちと距離を取るべく離れると、四つん這いの体制になった。


 …これはまずい。

 犬神が四つん這いになる時は大抵相手を確実に殺しにかかる時だ。

 それに……

 さっき人肉を喰らったおかげで、最初から物凄い妖力がさらに上がり、抑えきれなくなったのか、周りに妖気がゆらゆら視認できる煙のように出始めている。

「麗生…」

「…わかってる」

 麗生は血が流れる左腕を抑えながらも、犬神に気づかれないように妖火を隠れている侑都たちのほうへ向けて放った。

 麗生の妖火は人間の匂いを少し消してくれるのだ。

(まぁこの犬神にそれが効くかわからないけど…)

 何せ相手は犬神、基本形は獣だ。

 私は、念には念をで、素早く地面に犬神との境界線を引くように札を飛ばすと、自らの妖力をフル活用して燃やし、侑都たちを連れて江戸城の真ん前まで走った。




「麗生さん大丈夫なんですか…?」

「す、すっごい痛い」

 なんとか犬神から離れ、江戸城の前まで来たが…

「俺…その傷口直視できない…」

 麗生の左腕がとんでもない状態になっていた。

(骨が見えるほど肉を削がれてるなんてことに身内がなったのは初めてよ…)

「どうする…?うちで手当なり何なりできるのは波奈だけだけど…」

「波奈のとこまで行ってる余裕は無いし…私、別に刀を扱うわけでもないから…まだ戦える」

 麗生の妖力は妖退治軍の中でも私を上回るんじゃないかっていうくらい強力だから、何とかなりそうね…

 実のところ、麗生の妖力があれば傷口を塞いだり血を止めたりすることができる。

 今回のこの傷に対応できるかは分からないが…戦うという中で不自由はしないだろう。

「って、こんなとこでうだうだしてたら青行燈の鬼火で焼かれるかまた犬神に喰われるハメになるから早く江戸城の中入ろう?いいよね、冷乃」

「えぇ、そうね…」

 そう言う麗生の提案に、一同が江戸城のほうへ体を向けたその時。

「ちょっと、何してるんです?」

「来んな。人間共」

「…っ!?」

 や、やばい、とんでもないものに見つかった…

「九尾の番…?」

「あ。あんたらあれだ、鬼神様のお社に来た人間五人…いや、四人組の」

 侑都たちとは面識があるのか、番の男の方である炯眼はその声に反応した。

「なんでまたここに」

「え、えっと…」

 炯眼に迫られて、鬼神様を倒しに来たなんて答えていいのか迷ったのだろう、固まっていた侑都だったが、

「鬼神を倒すためだよ、九尾の僕」

「鬼神様を倒す…?」

「…は?」

 言ってはいけないと思って口にしなかったことをいとも簡単に麗生が幼子に話しかける口調で口にしたため、失神しそうになっていた。

「そのままの意味よ」

 私も麗生に続くように言った。

 …後ろで三人が震え上がっているけど。

「へぇ…なるほど」

「…命知らず」

 番は無表情の中にも明確な敵意を顕にし、そう言うと、「なら殺すまで」と狐火を手に灯した。

「れ、冷乃さん…私たちはどうすれば…」

「…鬼神のところまで行きなさい。私たちはこの番とやり合わなきゃいけなくなったからね」

「でも俺たちをこの番はそこまで行かしてくれるのか…?」

「その点は大丈夫、麗生の札があればなんとかなるはずだから」

 麗生は侑都と子憂からの質問にそう答えると、完全に戦う姿勢になった。

「…私の札だけじゃダメだわ、麗生の妖火も無いと」

「…わかった」

「侑都」

「はい…!」

「…鬼神のことは任せたわよ」

「…わかりました…私なりに最後まで頑張って戦います」

「頼んだわ。子憂と真は死ぬ気で侑都のサポートしてあげてね」

「それは勿論」

「最初からその気です」

「それなら安心ね」

 多分おそらく、この中の誰かは確実に命を落とすことになるだろうが…

 私はそんな恐怖を前にしても真っ直ぐな目をして答える三人を信用し、番を一度キッと睨むと、犬神を撒いたときのように札を勢いよく地面に放った。

 札は、私の妖力に反応して炎を上げる。

 もう後はこの番とやり合うだけだ。



「さぁ…かかってきなさい!!私たちを舐めてると痛い目みるわよ…っ!」



 戦火に包まれる江戸の世に、一際大きな妖火が上がった。

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