第四章 秋風に乗り夏の夜を駆ける
「わぁぁ…こりゃまたすっげー門だなぁ…」
鵺に見送られて沙冬の区を出た一行は、辿り着いた秋風の区の艶やかな茶色の門を前に立ち止まっていた。
「ここからは本っ当に危険になりますよ…覚悟はよろしいですか?」
五人が頷いたのを見て、豆狸は意を決したように手のひらをすっとかざした。
「誰だぁ?俺らの区に来た輩はぁ」
黒い烏の羽が降ってきた直後に、漆黒の羽で風を起こしながら現れたのは…
「…こんにちは、烏天狗様」
「よぉ豆狸。珍しいな、お前が来るなんて。しかも人の子を連れて来るとは」
そう言ってニヤニヤしているのは、秋風の区の門番であろう烏天狗だった。
「何かうちの区に用か?」
「犬神様にお会いしたくて…」
「そうかいそうかい、犬神様ねぇ…まぁ良いだろう、お前一人ならこの区に入った瞬間食われてそうだが、なんか特殊な人の子連れてるみてぇだし。ちゃんと燈提灯も持ってるな?よし、ひさびさの秋風の区を楽しんでこいよ〜?」
これまたあっさり入区を許可され呆気に取られる私たち。
「あ、燈提灯ならそこにいる
まぁ、青行燈様の鬼火だから熱いってことはないとは思うがなー!と言って笑う烏天狗。
少し苦笑いしながらとりあえず行きましょう?と手招きする豆狸の後に続いて、私たちは秋風の区に入った。
*
「珍しい、人の子じゃないですか」
「わぁ…綺麗…」
烏天狗に言われた通り、私たちは以津真天と呼ばれるあやかしのもとに来ていた。
鳥のあやかし…だろうか、にしてもすごく綺麗…
「そんなに見ないでください、人の子とはいえ、少し嫌…いえ、だいぶ嫌です」
そう言って口元を手で覆う以津真天。
その手は肘より少し上のほうから橙色と青色の羽に覆われており、まさに鳥の翼、といった見た目だ。
よくみれば足首あたりも羽で覆われていたり、濃紺の髪を束ねている髪飾りも羽でできていたりと、その美しい羽の良さを上手く取り入れた容姿をしている…
(でもなんだろう、結構毒舌なところがあるって豆狸から聞いていたけど、そんなことない…)
「どれだけ見るんですかそろそろはっ倒しますよ」
…前言撤回、そんなことある。
「ああ、えっと、すみません、あのー…」
「燈提灯ですか?」
「あっ、そうですそうです」
そんなことでしたら先に言ってください、と言いながら、彼女は私の手にあった燈提灯を自らのほうへ引き寄せると、懐から取り出した薄い橙の札を提灯に
「…ふぅ、青行燈様の鬼火はやはり火力調節がしやすくていいですね、鬼神様の鬼火は調節しようとするとこっちの札と手がやられてしまうので…」
(そんなにやばいの…?鬼神様って…)
なんだか少し身震いが…
「というかその燈提灯、この後どうするんだ?」
「あぁ、これならしっかり後処理をしてから、もう一度青行燈様にお返しするんですよ」
「…子憂、それって再利用するってことか?」
「まぁ…そういうことだろうな」
「さすがにせっかくのこの提灯を一度通行料として使用しただけで廃棄するのはもったいないですから。確かに鬼火の使い回しは効かないので後から青行燈様が消してらっしゃいますけど。もうずーっと前からそういうやり方をしてます」
「へぇ…なるほど…」
確かにこんなに素敵で、しかも長持ちしそうなものを一回使っただけで捨ててしまうのはもったいない気もする。
以津真天はその燈提灯をいつも運ぶのを任せているという牛鬼に渡すと、私たちのほうへ向き直り、秋風の区を歩く上での注意点を話してくれた。
(やっぱり沙冬の区よりもそういう危ないことが多いから、こうやって注意点を話してくれるのかな…)
「ただ、何かあれば犬神様に言うことが一番ですね。…まぁ、殺されてしまう可能性のが高いですけど」
「こ、殺され…っ!?」
「そんなに怯えなくても大丈夫です、あなたがいる限りは、ですけど」
「わ、私??」
どうして私なのだろうか…
「とにかく、そういうことなので」
「あ、は、はい…」
私たちはそう言う以津真天に後を押され、怖い思いを抱えながら秋風の区の歩みを進めた。
*
「お前ら喰っていい?」
以津真天と別れてそうそう目の前に、獲物を狙うような、底光りした金にも似た黄色の瞳がぬっと現れた。
きゃっ、と後ずさりして尻餅をついてしまった私は慌ててはっと顔をあげると、そこには…
白の着物に、黄色の袴を履き、頭には灰色の獣耳、背後では同じ色の大きな尾をゆらゆら揺らしているそれはまさに──
「…犬神…様??」
「ん?何?」
少し首を傾げて聞く彼は、正しく犬神だった。
そろそろお腹すいたんだけど、と言いながら犬神はくわぁとあくびをする。
そんな彼の口には牙があり、私たちは震え上がった。よく見れば獣耳は片方が何かに噛まれたように欠けていた。
(もしかして喧嘩っ早い…とかそんな感じ?)
「た、食べないでください、犬神様…」
私たちが必死で哀願すると、犬神はなぁんだ喰わしてくんねぇの?と残念そうにその耳をぺたんとさせた。
「あ、あの、私たちは鬼神様のところに行きたくて…!そのために犬神様に話を聞こうとしてい」
「鬼神〜??」
優花が説明しようと話し出したが、言い終わる前に犬神は鬼神、という言葉に少し耳と尾を揺らして反応した。
「何、鬼神サマんとこに行きたいの?あんたら」
すっと目を細めて怪訝そうに聞く犬神は、やはり上級あやかしを束ねるだけあって、何もかもを見抜くような目をしていた。
その姿に私たちは「ひっ…」と怯んだが、
「…まぁいいや、とりあえずそんな急がずさ。まずはうちの区見てかねぇ?案内してやるよ。社に行くのはその後な」
そう言って犬神は二ッとその牙を見せて無邪気に笑った。
*
犬神について歩いていた私たちは、隠世きっての大きな湖、
「この桃水湖には人魚が住んでるんだぜ」
と言う犬神に催促され、よく見てみると、湖の水は澄んだ色をした綺麗な水で、水面近くを泳ぐ人魚の鱗が月明かりによってキラキラと輝いて見える。
「おーい人魚〜」と犬神が湖に向かって言うと、一人の人魚が顔を出した。
「犬神様、何か用ですか??」
「
「いらっしゃいますよ、お呼びしますね」
何やら犬神はその人魚に姫魚、という者を呼んでくるよう頼んでいた。
そしてその人魚が水中に潜ってから数秒後…
「お久しぶりですね、犬神様」
水中から現れた、ところどころ皮膚に桃色と水色の織り成す綺麗な鱗を持ち、同じ色の髪に、耳のあたりから
「姫魚は、この桃水湖の人魚の頂点に立ってる人魚さ」
「ええ。その姫魚がこの
どうぞよしなに、と言った姫魚の姫は自分に見惚れている私たちが可笑しかったのか、自身の透き通るような鰭を口元に添え、コロコロと笑った。
「は、初めまして…」
私が慌てて忘れていた挨拶をすると、ほかの皆もバラバラに挨拶をしだした。
「こいつら鬼神サマんとこ行きたいんだってさー」
「鬼神様のところへ…?」
「ああ。んで、何かすぐ夏夜の区にやるのもなぁと思って、秋風の区観光してもらってるって感じ」
「まぁ!そうだったのですね」
桃水湖を選ぶとはさすが、よくわかってらっしゃいますねと笑う姫魚は、本当にとても美しかった。
(あやかしと言えど同じ女だよね…見習わなきゃ)
自然と自分の見た目におかしなところがないか自分の服装などの身なりを確認してみる。
…よし、それなりに大丈夫そう…多分。
「まぁ、桃水湖には九尾の番も来るからなぁ、有名どころだぜ本当に」
豆狸はその〝九尾の番も来る〟ということに反応し、「それ、ひょっとしてここが妖気で大変なことになるのでは…」と言ったが、姫魚は
「いえ、鬼神様がいらっしゃるとここの水温がびっくりするほど一気に下がってしまうのですけれど、あのお二人でしたらそれほど気にならないのですよ」
と言って苦笑した。
そうしてひとしきり話した後、私たちは桃水湖を離れた。
そうして次に辿り着いたのは…
「な、何ですか、このお屋敷…」
「なんかすげーでかいけど…」
「あぁ、ここは座敷童子の家だ」
白澤や青行燈のお社ほどのサイズのお屋敷、という表現の相応しい座敷童子の家だった。
「座敷童子については結構人の子も知ってるだろうけど、古い民家とかによく出るとか言うだろ?だから俺が秋風の区で誰も住んでなかったこの屋敷に住むよう言ったって訳さ」
犬神に言われてみれば、確かに洋風ではなく古民家の巨大版のような見た目をしており、座敷童子がいると言われても納得のいくような造りをしている。
「あれ!?人間のお客さんー!?」
犬神の話を聞いていたら、お屋敷の玄関から一人のあやかしが飛び出してきた。
見た目的に女性というより女の子、といった言葉の方が合っているような彼女は、桃色のリボンの髪飾りを揺らして私たちの前に出てきた。
「初めまして人間さん!あたい座敷童子っていうんだー!よろしくね!!って、あれっ?犬神様もいたんだ〜!こんにちはっ!!」
すごい勢いで自己紹介と挨拶をしてくれた彼女…座敷童子は、可愛らしい鈴が底に付いた真っ赤な下駄で飛び跳ね、澄んだ鈴の音を辺りに響かせた。
優花はその音に魅了されたのか、「綺麗な音…!」と言い、目を閉じうっとりした表情でその音を聞いていた。
「あっ!お姉ちゃんいいとこに目付けたね〜!実はこれ、
そう言ってまた飛び跳ねた座敷童子の下駄から鳴るその音は、確かによく聞いてみれば氷に何かがあたるような音がしていた。
「座敷童子〜、その鈴もいいけどお屋敷のこと紹介してやらないのかー?」
犬神がそう言うと、あっ、そうだった!と思い出したようにハッとした座敷童子は、お屋敷を紹介してくれた。
まずお屋敷の中のこと。実は色んなあやかしが泊まりに来たりもするお宿的な役割も果たしているという。座敷童子が住んでいるということで福を招きたい系のあやかしとやらがよく来るとのこと。
「この間は姫魚さんも来たんだ〜!姫魚さんって実は水から出ると普通の足に魚の尾が大変身するんだよ!!」
……それは初耳だ…
あの美人な姫魚のことだ、美脚に違いない…!
…私と優花は二人揃って自分たちの足を確認した。
そして次にお気に入りの部屋のこと。
座敷童子専用のお気に入りの部屋があるらしく、その部屋は大好きなもので埋め尽くしていると言う。
…実は兎のぬいぐるみとかあったりするのだろうか。
「そのお気に入りの部屋には一回だけ犬神様が入ったことがあるんだけど、犬神様の毛が舞っちゃって大変だったの!!」
犬神は申し訳なさそうに「それは…ごめんな…」と謝った。
聞いていれば、実は換毛期でさーとかいうびっくりするくらい犬らしい理由で毛が舞うそうだ。
この二人にそんなエピソードがあっただなんて…
…でもあのもふもふの尻尾に抱きついたらどれほど気持ちがいいことだろうか…
(もふってしたい…)
いやいやダメダメ。しっかりしなさい侑都。
第一にそんなことしたら私の命がない。
そんなこんなで座敷童子の面白エピソードなどを聞いた後、「そろそろ俺の社行くかぁ」と言ってニコニコしている犬神のあとを追って、私たちはようやくお社に向かった。
*
「ここが俺の社なー」
「わ、わぁ…」
案内された先は、橙色の鳥居が印象的なお社だった。ただ…
「あの…噛まれた跡のようなこれは…?」
「ん?あぁそれ、全部俺が噛んじった跡」
鳥居にもお社の木の柱にも、鋭い牙で抉られたような跡がついていた。
聞けば自分で腹減ったから噛んだ、というのだから、何という性分をしているのかと私は目眩すらおぼえた。
そして普段から秋風の区に入ってきた最低級から中級あやかしを手当り次第次々に喰らっているというのを聞いて、怖いと思う反面、私と優花は顔を見合わせ、犬神の華奢な体のどこにそれだけの食べた物が消えていくのか不思議だと思った。
…羨ましい限りである。
「どうせ今、何ちゅう性分してんだ、って思ってんだろうけど、俺まだマシだから。鬼神サマのがやばいから安心しな」
「「「「「安心できません!!」」」」」
豆狸は既にこのことを知っているようだったが、全く知らない私たちはそのことにひたすら驚いた。
「俺でビビってるんじゃあ、鬼神サマや
「け、けいがんとえいほう…??」
聞きなれない名前に戸惑っていると、
「ん、何、知らねえの?九尾の番の名前だぞ、炯眼と鋭峰って」
「な、名前がおありなんですか…!?」
豆狸も初めて知ったのか身を乗り出して、詳しく聞かせてくださいと言った。
「ああ。あの番…あの双子は生きていた頃から名前が無くてなー…鬼神サマしかあの双子の過去は知らないから何とも言えないけど、人間に対する恨み憎しみが大きかったのか、尋常じゃない強さになっちまって、名も無き最強あやかしとしてふらふらしてたり、隠世荒らしたりしてたんだよ。そこを鬼神サマに拾われて、名前をもらったってわけ」
「その名前が…」
「男の方が炯眼、女の方が鋭峰」
初めて耳にするその事実は、一介のあやかしや、人間なんかが知りえないことだった。
「まぁとにかく、あんたら鬼神サマのとこに行きたいんだったな」
「はい…そうです」
「別にいいぜ」
「「「「「「えっ?」」」」」」
「どうせ会ってちょびっと話すだけだろ?」
「そうですけど…い、いいんですか!?」
予想外のとんでもなく嬉しい言葉に、沈みかけた気持ちは舞い上がったが、
「…まー、できることならあんたら喰いたかったけど」
そう言って私たちを舌なめずりしながら見回す犬神の目は、今までの落ち着いた、どこか子供っぽい黄色の瞳とは違う、明らかに人喰い犬、といった目をしていて、一同はサーッと自身の血の気が引くのがわかった。
しかしその直後、
「冗談だって〜!大丈夫、俺はあんたらみたいな特殊なやつらや痩せっぽちの狸なんて喰わないから」
今までの恐ろしい雰囲気はどこへやら、にぱっと笑って犬神はそう言った。
…いや、言ってることは恐ろしいんだけどね。
「とにかく。ほんのちょっとだけだけど秋風の区のことを知ってもらったし、ちょっくら鬼神サマのお社まで行くかぁ」
「えっ?」
「
「も、もう行くのか…?」
「犬神様…まだ心の準備ができてないですよ僕…」
私たちが戸惑っているのが面白かったのか犬神は大丈夫だってー、と言ってくすっと笑うと、お社から出て、境内に出るよう手招きした。
大人しくそれに従って境内に出たその時──
「よいしょ…っと」
「「へ??」」
ふわっと体が宙に浮いた。
犬神が軽々と私と優花を担いだのだ。
状況が理解出来ず、「え、何ですか急に…!?」と聞いたが、犬神は、
「あんたらはちょっと待っててなー」
と、残された真と子憂と光、豆狸にそう言うと、一度ぐっと体を沈め、ビュンっと風を切り空高く飛んだ。
眼下に桃水湖や座敷童子のお屋敷が見えたと思ったら、大蛇が地を這う門が見え、禍々しい雰囲気を醸し出す夏夜の区らしき場所を一瞬にして通過した。
突然のことに頭が真っ白になった私と優花が「あ、空飛んでたんだ」と気づいたのは、鬼神様のお社と思しきお社の前に降ろされた時だった。
…全く持って何がなんだか訳が分からない。なんだ今のは。
「待ってて」と一言残して再び空へ跳んだ犬神は、二回ほど往復して残りのみんなも鬼神のお社の前に連れてきた。
犬神がそうして往復している少しの間にぱっと見ただけでも、巨大な蜘蛛が歩き回っていたりする夏夜の区であろうここは、妖気の濃さからして凄まじいことがよくよくわかった。
私たち鬼神様と話したあとまたここに来ることになるのかな…
さぁ…?でも来るとしても絶対殺されちゃうよこんな区…
と優花と話していたら、横でふらっふらになった男性陣が死んだような顔をしてその夏夜の区を呆然と見つめていた。
まぁふらふらになるのは無理もないけど…
すると犬神が白目を剥く私たちに「ほら、よく見てみなよ、ここが鬼神サマのお社さ」と声をかけた。
そう言われてよく見てみれば目の前に鳥居がある…
「ここが…鬼神様のお社…」
…そこは私たちが想像していたものよりもずっと凄かった。
朱の鳥居が真正面にあり、その鳥居の先は長めの石の階段になっていて、その先がお社だと思われるのだが…とにかく彼岸花の量がすごい。
鳥居の根元から石段の終わりまで、彼岸花が咲き誇っている。
「なんでこんなに彼岸花があるんだよ…?」
「まぁ鬼神サマといえば彼岸花だからな。これ隠世での常識」
そう言って笑う犬神は涼し気な顔をしていたが、私たちはずっと「夏夜の区ってこんなに暑いの…!?」という驚きと、噴き出す汗をどう対処しようかということに頭の中を支配されていた。
とにかく石段を上がろうと言うことになり、ゆっくりと上がり始め、やっとの思いで石段の終わりの二つ目の鳥居に辿り着くと…
「…誰。何の用。言え人間共」
背筋が凍るような雰囲気と共に、濃い青の妖火を周りに浮かばせた、銀の九尾を妖しく揺らす…
「きゅ、九尾の狐…??」
九尾の狐と思われるあやかしが立ちふさがった。
*
「人間をそんなに怖がらせちゃダメだよ、鋭峰」
突然現れた九尾の狐に私たちが驚き固まっていると、その背後からほぼ全く同じ顔の九つの尾を生やす狐が現れた。
二人の顔をよく見ると、片方は紫の瞳なのに対しもう片方は青の瞳をしており、お互いの片方の頬には三角形の模様があった。
「久しぶりだなぁ炯眼、鋭峰、元気にしてたかー??」
え、炯眼と鋭峰…?ってことは…まさか…
「ひょっとして九尾の番!?」
「ん?そうだけど…それがどうかしました?」
みんなも私の言葉に改めてまじまじと二人を見た。
「た、確かに顔同じだな…」
「聞いてた通りね…」
「そういえば双子だっけか…?」
「あ、そういや双子って言ってたなぁ…」
二人はいきなり人間五人に見つめられて嫌だったのか、その頭に生えた銀の狐の耳を反らせながら、不機嫌そうな顔をした。
…にしても不機嫌そうな顔までそっくり……
そう思っていると───
「…騒がしいなぁお前ら」
周りの空気を揺らし、より一層濃い妖気を漂わせながら現れたのは…
黒の着物に赤の帯、額に立派な黒い鬼の角を二本生やし、赤く色づいた目元に冷酷な真紅の瞳をもつ…
そう、まさしく鬼神だった。
*
「人間が来るなんて珍しいじゃねぇか。ここに何しに来た」
そう言う鬼神の目に射抜かれた途端、声が出なくなった。
みんなもそうなのだろう、体も固まって、声を出そうにも出せない。
「たかが人の子をそんな目で見ないでやれよ鬼神サマぁ」
犬神は空気を明るくしようととぼけてそう言ったが、鬼神のお前は黙ってろという一言に口をつぐんだ。
しかし鬼神が人間に対してそういう態度をとる理由は、実のところ九尾の番も犬神もわかっていた。
今まさに人間の世…現世に戦をふっかけようと企んでいるのだから当然だ、と。
「鬼神様、とりあえずなんだか特殊な人間も混ざってますし、一旦お社に入りませんか?」
「…疲れた」
九尾の番の何を考えているかわからない無表情な顔からはこちらに気を使っている様子が微塵も感じられなかったが、その言葉はしばらく休んでいない私たちにとって少しありがたいと思えるものだった。
鬼神はじっと私の顔を見つめ、一瞬何かがフラッシュバックしたのか何なのか、少しハッとしたような顔をしたが、
「…鋭峰、社の周りに結界を張れ。炯眼はそいつら連れて俺と一緒に社に来い」
「「あい」」
そう命令し、自らの社へ入っていった。
そんな鬼神の耳元で揺れる赤黒い札の金の模様が鬼神の動きに合わせてちらちらと光る。
そんな彼がこちらに背を向けた途端、私たちは緊張の糸が切れたようにふらついた。
下で待ってるからなとこちらに言った犬神のその言葉にやっとのことで頷くと、私たちを炯眼は「ほら、歩け」と急かした。
直接炯眼に背中を押されたわけでは無いのに、ぐっと後ろから何かに押されたように私たちは前のめりになり、私たちはよろよろと鬼神の後を追った。
途中後ろを振り返ると、鋭峰が空に向かって手を翳し、濃い青の狐火を放っているのが見えた。放たれた狐火はしめ縄のように横に広がり、このお社の境内含む全てを取り囲んだ。
(…もう逃げられない、ってことかな……にしても九尾の番にしろ鬼神様にしろ、なぜか血の通っていないような肌をしてた……あの時の豆狸の言っていたことは本当なのかもしれない)
私はそんなことを思いながら、鬼神様のお社へ入った。
*
鬼神様のお社の妖気は白澤様のお社の妖気と全く違った。
白澤様の妖気は心地よいゆったりしたものだったのに対し、鬼神様のお社は肌が少しピリピリするような背筋の凍りそうな妖気が漂っていた。
「それで、人間如きが俺に何の用だ」
鬼神様は私たちにそう聞くと、手に持った瓢に入った酒を呷った。
私は周りにも酒瓶や瓢があるし、酒飲みなのは本当なんだ…と思いながら、自分たちが何者か、どういう経緯でここまで来たのかなどを一通り話した。
私が話している間、炯眼の紫の狐火がほかのみんなの周りをふよふよ浮いていたので、それを怖がってなのか、私以外は誰一人として口を開かなかった。
「ほう…そんなことだったのか」
「は、はい…」
鬼神は私の話が終わった後、そう言ってしばらく何かを思案しているようだったが、こちらを見て嫌な笑みを向け、口を開きこう言った。
────お前らのここへ来た本当の理由はまだあるだろ、と。見つめられれば何もかもを見透かされてしまいそうなその真紅の瞳を細めて。
「…っ!?」
確かにまだ戦をするのをやめてほしいと頼む、という本当の目的は果たしていないが、なぜわかったのだろうか。
そのニタァ、と意味深に笑う表情の奥に隠された何かに怖気がしたが、
(このままじゃダメだ、ちゃんと言わなくちゃ…何も変わらないじゃない…!!)
と、心の中で自分を奮い立たせ、勇気を振り絞り──
「鬼神様…」
「ん?」
「戦を…人間と戦をするのは…やめてください…!」
炯眼と、結界を張り終わり戻ってきた鋭峰の、紫と青の狐火に言葉を発するのを止められそうになったが、何とか言い切った。
一時黙り込んだ鬼神を見て私たちは少しは聞いてもらえたかも…!と思った。
しかし鬼神は、
「お前らみてぇなたかが人間に何か言われたところで俺の考えが変わるわけねぇだろ」
…と嘲笑った。
そんな鬼神に対して腹が立ったのか何なのか、さっきまで黙って様子を見ていた光が、ボソッと何かを呟いた。
上手く聞き取れず、え?と一同が聞くと、光は立ち上がり、鬼神に向かって、「何が〝たかが人間〟だよっ!!」と叫んだ。
(え、何言ってるの光…!?)
光は、鬼神がはぁ?と聞き返したのも無視して続けた。
「人間と戦をする?なにバカみたいなこと言ってんだよ!いくら鬼神様っつったって大して強いことないんだろ!?人間が本気出したらどうなると思っ」
しかし光の言葉はそこで途切れた。
その代わりに赤い何かが飛び散った。
私たちは最初何が起こったか状況が理解できなかった。そして一同がハッと気がついた時、そこには誰もが言葉を失う光景が広がっていた。
さっきまで私たちと向かい合うようにして座り、酒を飲んでいた鬼神がいつの間にか私の目の前におり、そして鬼神の右腕の伸びる先には…
───心臓のあたりを鬼神のその右腕に貫かれた光がいた。
みんなが「…っ!?光っ…!!」と驚く中、鬼神は光の心臓のあたりに突っ込んだ右腕をぐるっと回し、引き抜き際にその鬼らしい鋭い爪で光のまだほんの少しだけ動いている心臓を抉り出した。
そして犬神のものより鋭利な牙をその心臓に突き立てると、今まで聞いたこともないような音を立て、鮮血でその白い頬を染めながら食べ始めた。
私たちは唖然としてその様子を見て固まっていた。豆狸に至っては震えて小さな狸の姿になってしまっている。
そして最後の一口を食べおわった鬼神は、「俺様に対して偉そうな態度をとるな愚種めが」と吐き捨てると、後ろで相変わらず無表情でその様子を見ていた九尾の番に「残りはやる。薄汚ぇガキなんざいらん。炯眼は右半身、鋭峰は左半身でも喰っとけ」と言った後、私の方を見て、まだ血の滴る牙を覗かせながら、
「お前だけはどうやら特殊な人間みてぇだな。まぁダメ元でも説得しに来たけりゃ来るがいい。戦が始まるまでに俺の気を変えられるのならな」
と嘲るように言った。
「さ、さすがにそれはやりすぎなのでは…っ!!」
と豆狸はその小さな狸の姿で抗議しようとした。しかし、「黙れ。狸鍋にされてぇのか」という鬼神の言葉と、その背後でいつの間にか土鍋や出刃包丁を持って無表情で佇む九尾の番に怯え、気を失ってしまった。
そして鬼神は、私たちの方を見て
「とりあえず今日は帰れ人間五人組。…いや、〝四人組〟」と嫌味ったらしく言った。
私は一度、キッと鬼神のほうを睨み、倒れた小さな豆狸を抱き上げ、「失礼しました、鬼神様」とだけボソッと言うと、素早く踵を返し、お社を出た。
九尾の番にバリバリと骨まで喰われている大切な友人を横目に見ながら。
*
「おっ。おかえり、人間」
既に結界の解かれたお社を出て石の階段を降りた先に、犬神がいた。何故か白澤も一緒に。
「どうでした?大丈夫でしたか?」と白澤は気を使って聞いてくれたが、誰ひとりとして顔を上げようとしない私たちを見て何があったかを察したようで、深くは聞いてこなかった。
そして疲弊した私たちをしっかりしな、と支えてくれた犬神の優しさにどこか安心しながらも、ようやく口を開いた子憂は「にしてもこれからどうするんだ…?」と心配そうに聞いた。
「その点に関してはご心配なく。春麗の区にいればいいのです」
「「「「「…っ!!」」」」」
白澤は何と素晴らしいあやかしなのだろうか。その言葉にその場にいた犬神以外の者は感激した。
「俺が白澤にあんたらが鬼神サマのお社でなんやかんややってるうちに頼んだんだぜー?まぁ俺んとこにいると色々危ないからな〜」
そう言ってへへへ、と笑う犬神に対しても、「あれ、犬神様ってすっごく怖いあやかしじゃなかったっけ?あれ??」と白澤以外の者は思った…
ただ…
(若干豆狸を見て食べたそうな顔をしたのは見なかったことにしよう…)
「とにかく。豆狸」
「は、はいっ!」
「豆狸、あなたの家でしばらく居候させるにはこの人数は厳しいでしょうから、あなたも含め、人の子よ、私の社で寝泊まりをしなさい」
「「「「えっ!い、いいんですかっ!?」」」」
そんなことを言ってもらえるなんて思ってもいなかった。う、嬉しすぎる…!!
「春麗の区の者はみな優しいあやかしです。きっとあなた方人の子が春麗の区にいても暖かくもてなしてくれるでしょう」
「あ、ありがとうございますっ…!!」
私たちはさっきまでの出来事を胸に抱えながらも、笑いあった。
*
あれから犬神と一旦別れた私たちは、白澤と共に再び春麗の区に戻り、白澤のお社にいた。
始めてきた時と違って、布団がたくさん用意してあったり、置いてあった机のサイズが大きくなっていたり、お社内のどこに何があるかがある程度書かれた紙と、春麗の区の簡易マップのような紙が壁に貼られていたりと、白澤が自分たちのために色々工夫をしてくれたことがお社に入った時すぐに分かった。
白澤に春麗の区でのことやお社での規則などを一通り話してもらった後、私たちは四人円になって、今まであったことを整理した。
丁度四人の頭の中の整理がついてきた頃、白澤から晩御飯が用意できたという幸せすぎるお呼び出しがかかった。
「わぁ…!!美味しそう…!!!」
「侑都ちゃん、私こんな豪華なお料理久しぶりに見た…!!」
「や、やばい、俺のお腹の音雷みたいになってきた…」
「真は食い意地張りすぎな」
「白澤様、こんな素敵なお料理、僕なんかが食べてもいいのですか…っ!?」
「いいのですよ、夏夜の区まで行って大変だったでしょうから。さぁ、春麗の区で採れたお野菜などをたんと味わってくださいね」
「「「「「いただきます!!」」」」」
目の前には心も体も温まる鍋料理にとんでもない数のお惣菜など、よだれが垂れてきそうなお料理たちが並んでいて、それを皆どれから食べようかとしばらく考えた後、一斉にばくばくと食べ始めた。
その後は春麗の区の河童の経営する温泉で、沙冬の区からいつも来る
────そして私たちが寝付いたその時から、〝あやかし対人間の戦〟をするのを止めさせるための鬼神との戦いは始まった。
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