第4話
世界で一番醜い娘は悪魔と別れたその足で、世界で一番美しい若者のいる塔へ向かいました。
若者はいつもの時間になっても娘があらわれないことを大変心配していたので、ようやく娘が来たことにほっと息をつきます。
「なんだか今日はえらく遅かったね。何かあったのかい」
「ええ、それについてはお茶を飲みながら話しますよ」
そう言って娘は手早くお茶を用意し、若者の前に置きました。
目が見えない分人よりも気配に聡い若者は、娘がなんだか沈んでおり同時にいつになく緊張していることを訝しく思いながらも、入れてくれたお茶に口をつけました。
「それで、なにがあったのか教えてくるかい」
「実はここに来る途中で、わたしに助けて貰ったと言う悪魔に会いましてですね」
「ふむふむ」
若者はうなずきます。そんなとんでもない告白をすんなりと納得するあたりこの若者、やはり人並み外れた美しさを持っているだけあって平凡な人生は歩んでいないようです。
もっとも娘はそんなことには何も頓着せず、ずばりと核心を述べました。
「あらゆる欠点を治す魔法の薬というものを貰ってきたので、ぜひともあなたに飲んでもらいたいと思いました」
するとどうしたのでしょう。若者はとつぜんお茶を吹き出してしまいました。むせる若者が落ち着くのを神妙に待ちながら娘は思います。
例え欠点が治る魔法の薬を飲んでこの醜い顔が人並みになったとしても、それを一番知って欲しい人に見てもらえないのでは何の意味もありません。ならばその薬は娘にとっては無用の長物です。
だったら例え悲鳴を上げられ唾棄される結果に終わろうとも、せめて愛しい若者の役に立てて貰いたい、――と娘はそんな風に考えたのでした。
ようするに恋をしたことで娘はほんの僅かでしたが、リリカルなセンチメンタリズムを身に着けるようになったのです。
若者は激しく咳き込みながらも、それでもなんとか呼吸を整えるとまだ若干掠れた声で娘に尋ねます。
「まさかこのお茶の中にその薬が入っているのかい!?」
「最初はそうしようと考えていたのですが」
娘は淡々と答えます。
「とりあえず本人がどうしたいのかを聞いてからの方がいいと思いましたので、薬はここにあります」
テーブルの上にこんっと音をたてて薬の瓶が置かれました。
例え恋に目が眩んでいたとしても、娘は悪魔から貰った怪しげな薬を問答無用で人に飲ませようとはしないくらいにはやっぱり常識人でした。
「――なるほど賢明な判断だね」
若者はにっこりとうなずきます。
そしてこっそり胸を撫ぜ下ろし、「あぁ、焦った」と小声で呟きました。
「気持ちはありがたいけれど、私は今のままで何の問題もないと思っているよ。だからその薬は必要ないんだ」
「わかりました」
娘はあっさりとうなずき薬瓶を引っ込めます。
本人が必要ないと言っているものを無理に飲ませる理由はどこにも見当たりませんから。
「それでは悪魔から貰ったこの薬ですが、必要がなくなってしまいましたね」
娘はどこかほっとした面持ちで薬を眺めそう言いました。覚悟していたとは言え、さすがに若者に悲鳴を上げられ怯えられることを考えるのは、辛く哀しかったのです。
そんな娘に優しく微笑みかけながら若者は言います。
「悪魔から貰った薬を使わなければならないほど、我々はどうしようもない状況にある訳では無いですからね」
「そうですよね」
世界で一番醜い娘と目の見えない世界で一番美しい若者はそう言って顔を見合わせると、どちらともなく笑ってしまいました。
例え傍からどう思われても自分さえ構わなければそれは不幸とは呼ばないのです。娘は久しぶりにそのことを思い出しました。
「しかし勿体無いですね。こんなすごい効能を持った薬ですのに」
薬瓶をまじまじと見ながら、娘はしみじみと呟きます。
もはや自分にも若者にも必要ないものです。捨ててしまってもなんら問題はないのですが、孤児院育ちの哀しい性なのでしょうか。身についた貧乏性の所為で、どうしても勿体無いと思ってしまうのです。
「何かに使えはしないでしょうか」
若者もそれに付き合ってうぅむと唸っていましたが、やがてぴんと指を立ててくすくすと笑い出しました。
「ありますよ。とても素晴らしい使い道を思いつきました」
そう言って若者は、世界一美しい相貌ににやりと不穏な笑みを浮かべたのでした。
数週間が過ぎたころ、国にはある噂がささやかれておりました。
それは世界で一番醜い娘と世界で一番美しい若者が、世にも不思議な魔法の薬を持っているという噂です。
その噂は飛ぶ鳥よりも素早く国中に広まり、やがてそれは大人から子どもまで知らぬ者など一人もいないという程になりました。
その広まり方、そして速度はあまりに完璧すぎていささか不自然なほどでしたが、そのことに気付く人間は一人もいませんでした。
そしてその噂は当然、噂好きで悪趣味な王様の耳にも届きました。
せっかく見つけた世界一醜い娘もなかなか身篭らず、単調な毎日にそろそろ飽き飽きし始めていた王様でしたので、嬉々として二人――世界一醜い娘と世界一美しい若者を呼び寄せました。
「おぬしら、聞けばなにやらたいそう面白そうな薬を持っているらしいではないか」
謁見の間に着いて早々、王様はわくわくとした顔で二人にたずねました。
「魔法の薬と伝え聞いたが、もしやおぬしらはその薬を使ってそのような顔になったのか? いやいや、さすがにおぬしは違うだろうな、娘よ。好きこのんでそんな醜い容貌になりたがる人間などいるはずもない」
相変わらずデリカシーの欠片もない王様の言動に娘はげんなりと眉を顰めておりましたが、ありがたいことに王様にばれることはありませんでした。まぁ、この仮面もたまには役に立つと言うことです。
「陛下がおっしゃっておられるのはこれの事でございましょうか」
若者は薬瓶を楚々とした動作で王様の眼前に差し出します。王様は子どものように目をキラキラさせて叫びました。
「おおっ、それだそれだ! それが噂の魔法の薬だな!」
今にも涎をたらして飛びつかんばかりの様子の王様を前に、世界で一番美しい若者は天使の様な笑みを浮かべて、つつっと後ろに下がります。
つられて王様はぐっと身を前に乗り出しました。その様子に娘と若者はこっそりと目配せを交わします。
あからさまに興味津々の王様に向かって、若者はまるで歌うような声で言いました。
「陛下のご慧眼には恐れ入ります。確かに私はこの薬の効能にて世界一美しい顔を手に入れました。なぜならこれなりますは、我が心根の善良さに目を留めて天が遣わしました神秘の妙薬、飲めば己の望むものになれる魔法の薬なのでございます」
もちろんそれは口からでまかせに決まっております。しかし若者はさらに面白おかしい逸話を並べ立て、王様の興味をガシガシ引いていきます。
その様子は楽士というよりかはいささか詐欺師じみている気もしないではありませんでしたが、まぁ気のせいということにしておきましょう。
そして当然こんな面白そうな物を前にして、この王様が我慢できるはずもありませんでした。
「なるほど、この薬を飲めば余も三国一の賢王になれるという訳だな」
なんだかかなり話が大きくなってもおりますが、そこらへんは若者のリップサービスの賜物と言ったところでしょう。
「小麦の袋を十袋やろう。だからその薬を譲ってくれんか」
王様は頼みますが、若者は首を横に振ります。
「ならば金貨の小山をやろう。あるいは宝石を散りばめた首飾りはどうだ」
しかしそれにも若者はすげなく首を振りました。なかなか手に入れられないとなると、王様はますますその薬が欲しくて欲しくて仕方なくなってしまいました。
そのやりとりをびくびくしながら見ておりましたのは世界で一番醜い娘です。
なにしろ若者は天から授かった神秘の薬などと大層なことを吹かしておりますが、その正体は悪魔が押し付けていった怪しげな薬なのです。
もしも王様に何かあったとしたら、自分たちはただではすみません。良くて水責め、悪くて打ち首獄門でしょうか。
「よし、ならばこうしよう。おぬしの欲しいものは何だってくれてやろうではないか」
だからその代わりに薬をくれ、ととうとう王様は破格の申し出をいたしました。けれどその言葉にすら若者は首を縦に振りませんでした。
「いえいえ、私は何一つ欲しくはありません。私はこの両の手の中に入るものだけで充分満足なのです」
「では余にはその薬はくれないということだな」
王様はこの世の終わりかというぐらいにがっくりと肩を落としましたが、若者はそれを救いに現れた天使のような顔でにっこりと首を振りました。
「とんでもございません、陛下。私はすでにこの薬の恩恵に預かり、非常に満足しております。ですから残りの一滴を、私はぜひとも偉大な国王陛下に飲んでいただきたく思っており――、」
それを聞いた途端、すっかり嬉しくなった王様は飛び上がって若者から薬瓶を奪い取りました。
そしてまわりの臣下が止めるのも聞かず一息に薬をあおってしまったのです。なんて警戒心のない王様なのでしょう!
王様は薬を飲み下した瞬間目を見開き、「うっ!」と声をあげ目を見開きました。娘はぎょっと顔を引きつらせます。
(こ、これは打ち首獄門決定かっ)
――びびる娘を尻目に、しかし王様はふらふらとした足取りで後退りし、すとんと玉座に腰を落としました。
そしておろおろと臣下が心配する中、ふうと大きなため息をついたのです。
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