スレイマニヤ→アルビル

284帖 迂回路

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 薔薇の香りがいつまでも消える事なく、それと同じ様に僕らの燃え盛る気持ちも消えることは無いと思てた。そやけど窓の外が少し白み掛かってきた頃、いつの間にか僕らは眠りに就いてた。勿論しっかりと抱き合い、お互いの体を温めながら……。



 9月3日、火曜日。目が覚めたんは、ハミッドさんとロビーでの待ち合わせを約束してた10分前やった。


「ミライ、起きてや」

「うーん」


 眠気眼を擦りながら背伸びをするミライ。まだ薔薇の香りが仄かに漂うミライを眺めてると両手で首を捕まれ、そのまま接吻。


「ほら。そろそろ行かんと待ち合わせの10時やで」

「ううんっ。もう一回……」


 もう一度キスをする。


「ほんなら僕が先に行ってハミッドさんに言うとくから、シャワーでも浴びて降りといで」

「うん……、分かったよ。続きはアルビルでやりましょ!」

「よし、よし」


 笑顔でせがまれると断れる訳も無い。


 僕が下着を着てると、バスタオルを巻いただけのミライが僕のリュックを漁ってる。後ろ姿がとてもセクシーで、また燃え上がりそうになってしもたわ。

 ミライは、リュックの中からクルディッシュの民族衣装を取り出すと、


「今日はこれで行きましょ!」


 と、服をベッドに並べる。


「そうやな」


 その服をミライに着せて貰ろて、荷物を持って先にロビーに向った。


 なんとか10時ギリギリにロビーに着いたのにハミッドさんの姿は無く、数人のおっさんたちが難しそうな顔をして何やら話し合ってるだけやった。


 きっとハミッドさんも寝坊してるんや。


 と思て、ソファーに座ってボーッとおっさん達の様子を眺めた。別に喧嘩をしてる風では無いけど、なんや只ならぬ雰囲気を醸し出してる。


 なんかあったんやろか?


 解りもせんけどおっちゃん達のクルド語を聞き入ってると、外からハミッドさんが入って来る。僕が声を掛けるよりも先に、おっさん達に囲まれたハミッドさん。険しい顔つきで、おっさん達を話をしてる。


「どうかしたの?」


 やっとミライが降りてきた。


「分からんけど、なんかあったみたい」


 そう言うてたら僕とミライを見つけたハミッドさんが寄ってきた。


「お早うございます」

「ああ、おはよう……」


 そこまで言い掛けてハミッドさんは僕とミライの匂いを嗅ぐ仕草をする。そして笑顔になって、


「おお、昨夜はいい夜だったみたいだね」


 と勝手に想像してニヤニヤと、それも嬉しそうにしてる。


「え……、ええ」


 と、曖昧な返事の僕。


「まぁそれはさて置き、キタノ。大変な事になったんだ」

「どうしたんですか?」

「昨晩から戦況が激しくなり、どうやらKirkukキルクークには行けそうにないんだ」

「と言う事は……、戦闘が起こってるって事ですか」

「すまない。私の認識不足だったよ。さっき、軍の詰め所に行って聞いてきたんだが……」


 ハミッドさんの話に依ると、ハミッドさんが従軍してた時にはキルクークも占領して奪還したと聞いてたらしいけど、ほんまはそうや無いらしい。キルクークは政府軍の支配下のままで、それどころか政府軍が徐々に前線を拡大してるとか。そやからキルクークから伸びる幾つかの街道も押さえられてて近づく事すら出来ひんそうや。


「ほしたらSarsankサルサンクへ戻るしか無いですねー」

「うーん、それが安全かもな」


 僕とハミッドさんが話してるところへミライが口を挟んできた。

 どうやら「キルクークを迂回してArbilアルビルへ行きたい。どうしてもアルビルに寄ってパスポートを取りたい」と言うてるみたい。

 少し考えたハミッドさんは、心なしか不安そうな顔で、


「分かった。かなり遠回りになるがアルビルへ行こう」


 と決まったみたいや。


「ヤッター!」


 と喜ぶミライ。僕も少しでも前線に近い所も見てみたいし、まぁええかなぁと思た。



 ホテルをチェックアウトして外へ出てみると驚いた事に、遠くやったけど微かに爆発音が聞こえてるし、昨晩のお祭り騒ぎの街ではなく、なんとなく慌ただしい感じがしてる。

 車を走らせると所々で交通規制みたいなんをやってて、軍(Pêşmergeペシュメルガ)の車両が優先されてた。そのせいでSulayスレイmaniyahマニヤの街を出る頃には昼を過ぎてしもた。


 来た道を途中まで戻り、小さな村のドライブインで遅めの昼食を食べ、そこから山岳路へ入る。これが迂回路らしい。


「ここからアルビルまでどれくらいですか?」

「そうだなぁ。普通なら3時間ってとこかな」


 だいたい200キロってとこか……。


「だけど分からないぞ。随分と迂回するからな」

「夜までには着きますかね?」

「ああ、それは大丈夫だ」


 それを聞いて僕とミライは顔を見合わせて喜んだ。


 道は僕ら以外に走ってる車は無く、のんびりと砂漠の山の中を走る。騒然としてた街の事は忘れ、僕とミライは後ろの座席でお互いの顔を見つめてはニヤニヤしてた。


 流石にハミッドさんの居る車内ではキスは出来へんさかい、ミライは目を瞑り唇を尖らせてはキスをする仕草をしてる。それがなんとも可愛らしく、早くアルビルのホテルに入りたいと願うばかりやった。


 たまにキルクークへ向かうトラックとすれ違う。どれも軍用車両みたいで、後ろの荷台には銃を携えた兵士が乗ってる。兵士て言うても見た目は普通のおっさん達。

 ハミッドさんは、道端に停まってる軍用トラックの運転手に道を聞いて、ちゃんと確認しながら進んでた。先週まで従軍して前線で戦ってたハミッドさんがめっちゃ心強く感じたわ。


 峠を越えて暫く下ると軍の検問所があり、そこで停められた。

 ハミッドさん曰く、この先で戦闘が起こってるらしく、少し戻って別の道を行くとの事。


 30分程戻って脇の小路に入る。これが酷く荒れた道で、車は上下左右に揺れまくった。そんな状況にも関わらず、その揺れを楽しむかの様にミライはケラケラと笑ろてたわ。



 つづく

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