268帖 ハディヤ氏の戦略

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 悩んでもしゃぁない。何れ答えは出せるやろと、悪い癖と思いながらも結論は先送りにして南の街への小旅行に期待する事に。


 今日もミライとはゆっくり話しは出来んかったなぁと思いながらも、その場で答えを迫られたらと思うと今日は会えへんかった方が良かったわと、僕はホッとして部屋へ戻った。


 部屋に戻ってドアを開けると、電気が付いてる上になんか部屋の雰囲気に違和感を覚える。


 部屋を間違ったかな?


 てのは大げさやけど、さっきまでは広い部屋にソファーとベッドがポツンとあっただけやのに、今は家具が増えてる。誰かと部屋が入れ替わったんかと思たけど、ソファーの横には確かに僕のリュックが置いてある。

 

 中に入ってみて分かったわ。僕のベッドの横にもう一つベッドが置いてあるけど、これはどう見てもミライのベッドや。いつも着てる服がベッドの上に置いてある。ということは、ここにあるタンスや衣装ケースみたいなんもんも全部ミライの物ってことか。

 僕が居らん間にミライの荷物を運び込まれたみたいや。


 ヤラれた! これもハディヤ氏の戦略? こんな事をして外堀から埋めていく作戦?


 さっきハディヤ氏がミライに指示してたんはこの事やったんや。

 結婚話しは先送りでなんとかしようと思てたけど、ここまでされると可及的速やかに対処した方が良さそうや。

 そやけど僕はミライになんて言うたらええんやろ。


 そう思いながら、壁際に置かれたミライの家具の数々を眺めてたら、


「おにちゃん!」


 と後ろから声が掛かってびっくりしてしもた。


「ミ、ミライ」


 振り返るとシャワールームから出てきたミライは笑顔で近づいてくる。それもさっき妄想してた時と同じ、いやそれ以上のとびっきりの可愛い笑顔で。思わず僕の顔もほころんでしまう。

 そやけど、これからこの部屋でミライと暮らすんやという思いと、その溢れんばかりの笑顔のせいで僕は言葉が詰まってしまう。


「おにちゃんもシャワーに入ってきて」

「あ、ああ。そうするわ」


 ミライはそう言うと小さな鏡の前に座り、タオルで髪の毛を乾かしてる。髪の毛を捲り上げながら乾かす様は色っぽく、思わず見惚れてしもたけど取り敢えずシャワーやと思いタオルを持ってシャワールームに入る。


 お湯を全開にして頭から浴びる。ひたすら浴びまくったけどなんかスッキリせえへん。

 お湯を浴びたまま僕はこの後の事を考える。


 何もここまでせんでもええのにと、少しハディヤ氏の強引なやり方に腹がたってきた。


 そう、ハディヤ氏が悪いんや。ミライは悪くない。


 そう思うとミライの僕を見つめてきたあの笑顔が気になる。勿論、ハディヤ氏の指示もあったやろけど、ミライは自ら望んでこの部屋にやってきたんやろう。

 そんなミライの気持ちもありがたいし、大切にしてやりたい気持ちもある。

 そやけどそれが結婚前提となると僕はどうしたらええかよう分からん。


 そやからと、僕はミライと結婚したいんかそやないんか考えてみる。

 確かにミライは可愛いし気立てもええ。僕の面倒もようみてくれる。逆に僕もミライにしてやりたい事もある。僕の影響で元気になってきんやったら、もっと明るく活き活きと生活出来る様にしてやりたい。

 ほんでもそれはなんもミライだけの事やない。ここに居るみんながそうなって欲しいとも思う。


 ほんなら僕はどうしたらええんや。このままずるずると、いつか僕が日本に帰る時が来るまでミライと夫婦ごっこみたいな事をしててええんか。

 いや、それはあかんやろ。ほんならどこかできっぱりと断るべきやろか?


 ほんでもそうなるとミライの気持ちが心配になる。大好きなホンマのお兄ちゃんと死に別れ、姉2人もお嫁に出て行ってしもて寂しい思いをしてたんや。それが最近明るくなってきたのに、結婚を断ってしもたらまた逆戻りしてしまうんとちゃうやろか。


 いや、そんな事で結婚を決めるもんやないやろう。僕は一体ミライを愛してるんやろか。ミライと結婚したいと思てるんやろか。

 ミライと仲良く出来るのは楽しい。ミライの笑顔を見るも嬉しい。いろいろ僕の面倒をみてくれるのもありがたい。

 そうなんやけど……、


 僕はミライをホンマに愛してるんやろか?


 こんな事になって状況的に追い詰められてるだけで、もし結婚したとしてミライを幸せに出来るんやろか。ミライのことを愛せるんやろか。どうなんや、僕……。


 そんな事を考えてたら結婚ってなんやろなぁと頭に浮かんでくる。考えれば考える程に分からん様になってしもた。


 そろそろ結論を出さんとシャワーでのぼせる。


「取り敢えず……」


 と、お得意の先延ばし理論で月曜日まで一緒に暮らしてみる事にする。月曜日には旅に出るし、また何か気持ちの変化もあるやろう。そしたら何か分かってくるんとちゃうやろかと自分自身を納得させてシャワーから出た。


 シャワールームを出ると、ミライは既に布団の中に居る。もう寝ててくれたらええのになぁと思たけどそれは叶わんかった。布団から顔だけだして僕を目で追ってる。服を着替えてるとミライが笑顔で僕を見てるんが分かる。


 なんとなく目を合わせる勇気が無くて、着替えると僕はそのままソファーに腰を下ろす。


「おにちゃーん。まだ寝ないの?」


 と言うミライの可愛らしい声が聞こえてくる。


「ああ、待って。ちょっとタバコ吸うてくるわ」

「うん。早くしてねー」


 そう言うと僕はタバコケースを持って外に出る。テラスの椅子に座ってタバコに火を付け、深く吸い込むと一気に吐き出す。煙が遠く南の山の方へ流れて行く。


 ここは戦争をしてる国。生きるか死ぬかの命の選択が行われてるとこや。そう思うと僕の悩みはちっぽけなもんに感じてきた。


 どうにでもなれ!


 そう心の中で叫び、僕はタバコを消して部屋へ戻った。



 つづく

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