266帖 転機

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 今日の晩ご飯は、大広間でハミッドさんを囲んでの凱旋祝賀会として催された。皆、ハミッドさんの話しに夢中になって聞き入ってる。

 僕はムスタファの隣に座り、ハミッドさんの武勇伝を翻訳して貰いながら宴を楽しんだ。


 ハミッドさんは、Sulayスレイmaniyahマニヤの街からKirkukキルクークに入り、主に後方支援で弾薬や食料等の供給の任務に付いてた。

 それなら安全やなぁと思てたけど、実はそういう補給部隊を狙った爆撃も激しいらしく、トラックを爆撃された時は間一髪で無事生き延びられたそうや。補給活動をしてた仲間が何人も死んでしもた事もあったらしい。


 敵、つまりイラク政府軍が優勢になった時は、ハミッドさんも銃を取って応戦した。自分より若くて勇敢な兵士が敵に撃たれて死んでいくのを見るのんは、なんとも言えんかったそうや。


 そやけどなんとかキルクークが落ち着くと、今度はArbilアルビルの街へ派遣される。そこでも敵との激しい戦いがあった。

 激戦地アルビルでは物資の補給と負傷者の輸送をしてたそうや。逆に友軍が優勢になると前線まで行かなあかんようになって、何度も爆撃に遭うたそうや。


 そんな中を何体もの死体を運んだ時は気が狂いそうになったとか。負傷した兵士を運んでる途中で亡くなったり、看病してたのに気が付いたら死んでたりする事も何度かあったらしい。

 また住宅街には逃げ遅れた人達もたくさん居て、爆弾が落ちた後は悲惨な光景やったそうや。


 話しを聞いてた皆は悲しむと共に、政府軍、とりわけフセイン大統領に対する怒りの声を上げてる。1日でも早く我々の国を持ちたいもんやとガディエルさんやハディヤ氏は言うてた。


 そんな話しの最中、ラビアの目の色は違ごてた。

 彼女は女性Pêşmergeペシュメルガへの入隊を目指してるし、ハミッドさんの話しを真剣に聞いては頷いてたし、積極的に質問もしてる。


 僕もそんな話しを聞かされると、早く南の街へ行ってみたくなる。


「今やったら、アルビルやキルクークの街へは行けますかねぇ?」

「そうだな。我々が奪還したのが先週だから、もう大丈夫だと思うぞ」

「そうですか。何とか行く事は出来ませんか?」


 と、思い切ってハディヤ氏に向かって言うてみる。初めハディヤ氏は苦笑いをしながらちょっと困った顔をしてたけど、僕が真剣な顔でお願いするとハミッドさんに話しをしてくれた。


 ハミッドさんは村にある実家に戻って暫く休養する予定みたいやけど、来週ならぐるっと南の街、所謂Kurdistan《クルディスタン》(=北部イラク)を案内してもええよと言うてくれた。2、3日もあったら周って戻って来れるそうや。


 そこでハディヤ氏は旅の準備を進めるべく予定を組んでくれる。車もハディヤ氏のものを貸してくれる事になった。


「それと、誰かキタノのお世話をしてくれる者は居らんか?」


 みたいな事を皆に話し掛ける。


 そこまでして貰わんでもええのにと思てたけど、ハディヤ氏の顔を見るとその目はミライの方を向いてる様やった。そやけど、いち早く立ったのはゼフラ。それを見てミライも立ち上がる。


「それじゃ、ミライ。ミライに、キタノの身の回りの世話を頼むぞ」

「はい、分かりました。お父さん」


 ミライがそう言うとゼフラが前に出てきて、


「私が行く! キタノと一緒に行く!」


 みたいな事を言うてる。


「そうだなぁ。でもゼフラはまだ小さい。もう少し大きくなってからだ」


 ハディヤ氏はそんな事を言うてたみたいやけど、ゼフラはダダを捏ねて泣きそうになってる。それをアズラやメリエムが止めに入って宥めてる。


 男の子達は、


「ゼフラが行ったら余計にトラブルになるわ」


 みたいな事を言うて笑ろてる。ゼフラの気持ちはありがたかったんで、


「セフラ、おおきにやで。大きくなったらまた頼むわ。英語の勉強もしといてな」


 と言うたけど、ゼフラは泣きながら、


「それだったらキタノがクルド語を勉強したらいいのよ……」


 みたいな事を言い返される。それを聞いて皆は笑ろてたけど、僕は笑えんかったわ。


 ありがとう、ゼフラ。


 そんな後も皆でハミッドさんと話しをしながら、宴を楽しく過ごす。


 夕食後、部屋でのんびりしてたらミライがやって来て、


「お父さんが呼んでるよ」


 と言うて僕をハディヤ氏の書斎に連れて行く。ミライが部屋を出て行って二人っきりになるとハディヤ氏は椅子から立ち上がり、ソファーに座り直すと僕を手招きする。


「さぁ、キタノ。ここへ座って」

「はい」


 僕がソファーに座ると、ハディヤ氏はニコニコしながら話し掛けてくる。


「どうだい、ここの暮らしは?」


 なんかありきたりな質問やなぁ。


「ええ。毎日が楽しいです。畑の手伝いも、日本でもやってましたし。皆と勉強したり遊んだりするのもいいですね」

「そうか! 気に入っててくれたか」

「そうですね」


 すると今度は少し真剣な顔になって話してくる。


「どうだ。このままここで働かないか。いや、働かなくてもいい。いつまでも食客のつもりでもいいんだ」


 なんの事かさっぱり先が読めへんかったし戸惑ってると、ハディヤ氏はとんでもない事を言い出してくる。


「この土地と畑、いや全財産をキタノに受け継いで欲しいのだ」

「えぇっ! それはどう言う事ですか?」

「つまりだなぁ……。ははは」


 なんか言いにくそうな雰囲気や。

 クルド語で何やらゴモゴモも言うハディヤ氏。


 この後僕は、ハディヤ氏から衝撃的な言葉を聞く事になる。



 つづく

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