188帖 驚きと怒りの声

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 7月22日の月曜日。今日も昼前に起きて外へ出てみる。やっぱり今日も何かしたいという気持ちは無かったんで、なんとなくやけど麓のGanishガニッシュに行ってみることにした。急な坂道をとぼとぼと下り、特に用事は無かったんやけど、はっさんにでも相手をして貰おうとでも思てたんやろか、僕ははっさんの店の前までやってきてた。

 店に出てたんはお父さんの方やった。


「アッサラームアライクン」

「アッサラームアライクン」

「はっさんは居ますか?」

「ああ、申し訳ない。あいつは今、Gilgitギルギットに行ってるんだ」

「そうなですか」

「4時位には帰ってくると思うが、何が伝えておこうか」

「いいぇ、別に大した用事では無いんで」


 ほんまに用事は無いし丁寧にお断りして店を出て、フンザ川の橋の方へ歩いて行く。

 コンボイとまではいかへんけど数台のトラックが列をなし、砂埃と排ガスを残して中国の方へ向かって走り去る。その煙たい中を進むと、いい匂いがしてきた。

 肉の焦げた匂いと甘いバターの様な匂いを嗅ぐと食欲が急に湧いてきたんで、僕は直ぐにその匂いがする店に入った。


 小さなレストランは、2人しか客は入ってへんかった。まぁ満員でも7,8人しか入れへん様な小さい店。挨拶をして厨房と言うか、調理台みたいな所を覗くと焼き上がったナンをもう一度バターで炒めてる。


 おおっ、Sostスストの草雁父上の店で食べたんと同じやつや!


 懐かしく思て、僕は直ぐにバターナン2枚とチャイ、シシカバブーを1本注文する。

 バターナンはほんのり甘く、しかも塩味が効いててあっという間に2枚とも食べてしもた。シシカバブーは肉は美味しいのに、味付けの香辛料の組み合わせがイマイチなんか期待した程の味やなかった。まぁチャイは間違い無かったけど、こんだけ食べて5ルピー、つまり35円なんやし良しとしよう。

 食べ終わってからは数件並ぶ店を冷やかしながら時間を潰しす。暇そうな金物屋のおっちゃんは、


「チャイでも飲まんか」


 と言うてきたんで一緒に座って世間話をしてた。

 暫く話をしてると1台のバスが、と言うてもただのワゴン車やけど、バス停に停まって4人の客が降りてくる。服装と顔からどうやら日本人っぽい。僕は直ぐ様その4人に駆け寄った。


「こんにちはー」

「ああ、どうも」

「こんちわーっす」


 よかった日本人や。久し振りに話す日本語にウキウキしてしもた。


「中国から来たんですか?」

「ええ。昨日スストについて、今朝のバスでここへ」

「お疲れさんです。Karimabadカリマバードへ行くんですよね」

「はい」

「何処に泊まるんですか」

「えーっと、何処だったかな?」

「いやー、まだ決めて無いのです」

「何処か良い所ありますか?」

「安いほうがええんか?」

「ああ、嬉しいですね。僕ら貧乏学生なんで」

「ほしたら、僕の泊まってるHunzaフンザ Hotelは安いですよ」

「いくらですか?」

「1泊10ルピーで、オーナーも優しいでー」

「どうする。そこを紹介してもらおか?」

「いいっすよ、そこで」

「確か日本人が良く泊まるホテルですよね」

「そうやねー」

「じゃーそこで!」

「ほしたらいきますか。大丈夫?」

「ええ、どういうことですか」

「カリマバードは丘の上やから、今から20分位坂道を登るで」

「まじですか?」

「うん。知り合いがおったら車で送って貰えるんやけど、今ギルギットに行ってて居らへんしなあ」

「わー、なんだか旅慣れてますよね」

「すごーい」

「いやいや、長いことここに居るだけやし」


 結局ちょっと休憩してから登るらしく、久し振りの日本人が嬉しかったし「旅慣れてる」やなんて言われて気分が良かったんで、僕ははっさんの店でみんなにジュースを奢ってしもた。


 その後、みんなであの急な坂道をゆっくりと登り始める。

 この4人は、もともと2人2人で旅をしてたけど、中国の喀什噶爾カーシェーガーェァー(カシュガル)のホテルで一緒になってから4人で行動してるらしい。

 4人とも関東の大学生で夏休みを利用して中国、パキスタン、インドを旅して日本に帰るとか。もう日本では、学生は夏休みのシーズンなんやと思うとまだ卒業して4ヶ月やのに学生時代が懐かしく思てしもた。


 ホテルの前まで来ると丁度オーナーのじいさんが宿泊棟から出てきたとこやった。


「オーナー!」

「おお、我が息子よ。どうしたんだ」

「お客さんを連れてきたんやけど、泊まれますか」

「そうか。それは嬉しい。流石は我が息子。ちょうど今、部屋が開いたところだ」


 4人を紹介し、食堂に連れて行って宿泊手続きをさせる。このホテルの部屋からは綺麗な山が見えるよと自慢したけど、余り山には興味は無いみたいやった。その後部屋を案内して、夕食時間の6時にまた食堂で会おうと約束して僕は自分の部屋に戻る。これで今晩は一人で寂しく飯を食べる事はなくなったと思うと、少しワクワクしてきた。


 その日の晩飯は、日本人5人で旅の話をしながら大いに盛り上がった。嬉しくてついつい自慢話と言うか、これまでの僕の旅の話をしてしもた。この4人は中国の移動にかなり疲れたらしく、いっぱいぼったくられて散々やったらしい。


「パキスタンも街へ出ていくと大概やで」

「そうなんですか」

「そしたらこの辺に居たほうがいいかなぁ」

「まぁ暫く山で休養を取ったほうがええかもね。僕は街に疲れてここへ戻ってきたんや」

「なるほどねー」


 そんな話をしてたら、僕はつい最近まで中国に居た4人に聞いてみたい事が頭に浮かんだ。


「ところで吐鲁番トゥールーファン(トルファン)では、何処に泊まったん?」


 4人の中の2人は吐鲁番宾馆ビングァン(トルファンホテル)に泊まったと言うてた。


「そこに小さくて可愛いウイグルの従業員は居らんかったか?」

「ああ、居ましたねー」

「もしかして、黄色い布を被ってたとか? パリーサって言う子やねんけど」

「えーっと、そこまで憶えて無いですが、日本語を少し話してましたよ。なんでも日本人の彼氏が居るとかで……」

「まじか!」

「北野さんもそこに泊まっていたのですか?」

「うん、そう。ほんで多分その……、えーっと……、なんと言うか……」

「ええっ! もしかして日本人の彼氏って北野さんの事なんですか!?」

「まぁ……、そんな感じやね」

「ええっー!!!」


 みんなの驚きの声が食堂に響いた。晩飯を喰ってる欧米人がびっくりしてこっちを見てきたわ。

 その後パリーサとの経緯を話すと4人は目を丸くして聞き入ってくる。調子に乗って話をすると、時々驚きの声を上げる4人。だんだん欧米人に変な目で見られてきたけど、懐かしくてパリーサとのいろいろな思い出を話し込んでしもた。

 まぁ僕は、パリーサが元気に仕事をやってる事を聞いて安心してたけど。


 そんな中国での話に盛り上がってると、厨房の方から大きな声がしてくる。普段は優しいオーナーが怒ってる様な声やった。怒られてるんは多分無口なおっちゃんやろう。ちょっと気になったけど、そのまま話を続けてたら、それからも何度かオーナーの怒りの声が聞こえてくる。


 大した事、無かったらええんやけど……。


 とちょっと心配になってきた。



 つづく

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