186帖 羊の飼い方を知らない
『今は昔、広く
7月19日金曜日。
朝早くに目が覚めるも、いつもやったら隣に居った多賀先輩の姿は無いし、またシュラフに潜って寝る。
それでも昼過ぎには目が覚め、少し身体が重いんで外を歩いて解してみることにする。
ホテルを出て坂道を登る。空気は乾いて涼しいけど日差しはきついし、少し登っただけで息が直ぐに上がってしまう。まだまだ体調はよろしくない様や。
途中の売店で水を買い、それを飲みながら更に坂道を登ると小さなレストランに着く。中には暇そうな欧米人が飯を食べたりチャイを飲んだりしてのんびりと過ごしてる。
僕は中に入り、昼飯にフライドポテトとオムレツを頼んだ。オムレツの中身は勿論羊肉。余り相性は良くなかったけど辛くないもんはこれとフライドチキンぐらいしか無い。因みにフライドチキンはカレーが3杯も食べられる値段や。山の風景を楽しみながら飯を食べ、チャイを飲みながらゆっくりと過ごした。
レストランを出ると再び坂道を登り、前来た時にゆっくり見れなかったお土産屋さんに立ち寄る。
まず目に入ったんはフンザの男性が被ってる羊毛の帽子や。その帽子を見て不意に頭に浮かんだんは、京都の下宿の隣りにある喫茶店のマスターの顔。かなりの高齢で勿論頭に毛はない。この帽子があったら冬も寒くないやろなと思い、買うことにする。
ついでに喫茶店のおばさんにと、この辺の女性が被る綺麗な模様のドゥバッタも買うことにした。
お金を払おうとレジに行くと、レジの横に写真の絵葉書が売ってる。その中には薄桃色の花が満開のカリマバードの春の風景が写ってるもんがある。美穂に居場所を伝える為に使おうと思てこれも買い求めた。
店のおっちゃんに郵便局の場所を聞き、店を出て向う。
今登ってきた道を少し下り、右に細い路地に入ると「オールドロード」と言う小さい通りに出る。そこを左に曲がって少し下ると郵便局らしき小さい建物があった。その中に入り、カウンターで絵葉書を書く。
『今日は7月19日です。暫くここフンザの
とだけ書き、美穂の住所も書いて4ルピーの切手を買うて貼り、ポストに投函した。
これだけでひと仕事終えたみたいに満足してしもて、僕はもうホテルに戻ってしもた。
夕方まで「情報ノート」を読み耽り、晩飯はまた日本人の学生さん2人と長々と旅の話で盛り上がったけど、それ以上はなんも無かった。もう少し仲良くなれたら山登りにでも誘おうと思たけどそれは言わんかった。2人は明日
7月20日の土曜日。
朝に学生さん2人を見送り、またベッドに横になる。大分体調も良くなってきたけど、あんまり動きたいとは思わんかった。
昼過ぎになって漸く動き出す。昨日と同じ様に坂の上のレストランに行き、朝昼兼昼飯を食べるとカメラ片手に村の上部カリマバードに行ってみる。
「バルティットフォートに行って来たんか?」
「いや、
「そうか。それでどうやった」
「素晴らしい眺めだったよ」
「それは良かったなぁ」
「それにしても暑いなぁ」
僕はドイツ語の教科書に載ってた例文を思い出した。
「
「おお、私もだー!」
ドイツ人2人は、そう言うと天を仰ぎ見て笑ろて去って行った。
二叉路を右に登って行く。すると上から2人の小学生の男の子が下りてきた。まだ1年生ぐらいやろか、肩から掛けたカバンがやたらと大きく見える。
「Hello」
「こんちはー」
「Where are you from?」
おおー。小学生で英語が話せるんや。学校で習ろてきたとこなんやろか、得意そうに聞いてきた。
「ヤパンやで」
「What's job?」
「うーん、大学を卒業したとこや」
僕がそう答えると、「あっそう」みたいな顔をして、そのまますーっと歩いて行ってしもた。
何やったんやろう? あっ、写真を取らせて貰うのを忘れてた!
と思てたら、今度は後ろから女の子の3人組がやって来る。男の子と同じ1年生っぽい。なんか恥ずかしそうにこっちを見てたし、僕から声を掛けた。
「アッサームアライクン」
「Hello」
と小さな声で応えてくる。すると別の女の子が、
「Where are you from?」
と聞いてきた。さっきの男の子と同じや。
「ヤパンや」
「What's job?」
同じ事を聞いてくる所をみると、やっぱり今日学校で習ったんやな。
「大学を卒業したとこや」
と答えると、3人でクスクス笑ろてる。僕は、
「写真を撮ってもええかなぁ」
とカメラを見せると、急に髪の毛をいじりだした。おめかししてるんやろう。ほんで3人は横一列に並んで、3人とも胸の前で腕を組んだ。
なんやこれ。ポーズをとってるつもりなんやろか?
それならと、僕はカメラのファインダーを覗いた。彫が深く、まだ幼いのにツンとしてる表情は大人顔負けの色っぽさや。白い肌に青い目で、少し茶色い髪の毛が中央アジアの雰囲気を醸し出してる。将来はベッピンさんになるやろなぁと見てたら、なんと3人は髪型は違うけどみんな同じ顔をしてる。
「3人は姉妹なんか?」
「Yes、Yes!」
3人とも声はそろってた。聞けば3人は同じ歳やし、この子らは三つ子なんや。お父さんは大変そうやなぁ……。
写真を撮ったお礼を言うと3人は笑いながら駆け出して行ってしもた。ちょっと緊張した面持ちやったけどええ記念になったわと思て歩いて行くと、学校の校門前に先生らしき人が立ってる。
目が合うと声を掛けられた。
「アッサームアライクン」
「アッサームアライクン」
「日本人ですか」
「はいそうです」
「仕事は何をしてますか」
生徒と同じ事を聞いてきたんで思わず吹き出しそうになってしもた。
「僕は、大学を卒業したところです」
「おお、それは素晴らしい」
「大学では教師の資格をとりました。なのでもし良ければパキスタンの学校の事を聞かせて貰えませんか」
「ああ、いいとも。歓迎するよ。どうぞこっちへ」
学校の中に入ると校長室に連れて行かれた。
「アッサームアライクン」
「アッサームアライクン」
簡単に自己紹介をした。で、本題に入る。
「どういったお話がいいかな?」
「そうですね。私も教師の資格と少しだけ経験があります」
「おお、それは素晴らしい」
「どうもです。ここではどんな教育をしてるんですか?」
「ここはイマーム(地域の宗教的指導者)の指導によって積極的に教育を進めています。男の子も女の子もです」
イスラム圏では女子は学校に行かない地域もあると聞いたことがあるけど、ここはさっきの三つ子ちゃんみたいに女子も学校に行ってる。
「おお、それはすごいですね。1年生でも英語を学習してるんですか?」
「ええ、そうですよ」
「だから1年生でも英語を話すんですね。さっき道で生徒と英語でお話をしましたよ」
「ほほう、そうですか。でも我々は更にその先の事を考えています」
「えっ! まだ何かあるんですか。日本では小学校ではまだ英語の学習はやってませんよ(当時)」
「いやいや、そういう事では無いんです」
「と言うと……」
「我々は貧しい。だから早くから英語を学び、話せるようになると外国に行ってお金を稼いでいた。その結果どうなったと思いますか?」
「お金は手に入りましたよね。うーん……。良いことではないんですか」
「そうですね。お金が手に入るのはいい事なのですが……、その結果我々に取って大事な事が失われつつあります」
「えっ、それは?」
「はい。例えば羊の飼い方を知らない子どがもいるんですよ」
「羊の飼い方……」
「そう。それに野菜の育て方も知らない子が増えてます。我々は野菜や羊を食べて生きています。その育て方を知らないという事は我々の生活や伝統の危機なのです」
「なるほどー」
「だから我々は生きるための教育を進めていきます」
大学の教育学の先生に話を聞いてるみたいで、僕は興奮して僕は手に汗をかいてた。
「日本でも『ふるさと教育』と言う視点はありますが、実施されるのはまだまだ先だと思います」
「そうですか。本当に大事なのは何なのか、それを見極めてこれからの教育を進めたいと思っています。それが最終的には我々の豊かさに繋がるのです」
目から鱗が落ちるとはこのことか……。
ただ単にお金を稼ぐ為に、経済的に豊かになる為に英語を勉強してたらええわと言う僕の浅はかな考えは、こんな山奥の小さな小学校において完璧に打ちのめされた。
確かにパキスタンは発展途上の国やけど、ここの地域の教育に対する考え方とか熱意は、日本より遥かに進んでると思う。期待以上の話が聞けて僕はここに来て良かったと思った。
そんな話の後は、チャイを飲みながら校門に立ってた先生も交えてリラックスした雰囲気で雑談をした。
ただ最後に校長先生から、
「日本に帰ったら是非、学校の先生になりなさい」
と、しつこく勧められてしもた。
日本に帰ってからかぁ……。どうするんやろう。
自分でも日本に帰って何がしたいんかまだよく分かってない。そんな事を考えさせられる小学校訪問やった。
つづく
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