174帖 柳川さんという人

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 なんか怪しい人が居るなぁと思て僕は部屋に入った。ベッドに横になり少し休憩した後、ちょっと一服でもしようかと僕は中庭へ出た。多賀先輩と同室やし、多賀先輩はタバコを吸わへんからや。


 中庭に出てみると、さっきの怪しい人はまだベンチに座ってタバコを吹かしてた。そのラフな格好の日本人らしきおっちゃんは、僕の方を見て手招きしてる。僕は中庭を通って恐る恐る近づき、小声で挨拶をしてみた。


「こんにちは……」

「おお、やっぱり日本人だ。こんちはー」

「あっ、どうも」


 痩せた顔は結構日焼けしてて、顎には無精髭が伸びてた。髪の毛も長く、一見浮浪者みたいな風体やけど身体はガッチリしてそうや。


「もう旅は長いの?」

「そうですね。日本を出てもうすぐ2ヶ月かなぁ」

「そうなんだ。じゃーこれあげるよ。もう無いだろう。日本のタバコ」


 ウエストバックからさら・・の日本製タバコを2箱取り出し、僕に渡してきた。


「ええ、いいんですか?」

「いいよ、いいよー。僕はよー、昨日パキスタンに着いたばかりだからさー、まだまだいっぱいあるから」

「はー、ありがとうございます」

「まぁ、ここに座りなよ」


 隣に座りタバコに火を付けると、その人は身の上話をしてきた。


 東京からきた33歳の柳川さん。もうパキスタンは6回目らしい。昨日、パキスタン南部のKarachiカラーチに飛行機で着いて、今朝クエッタに列車で着いた。建設現場でバイトをして、お金が貯まったらこんな風にぶらっと旅に出てるらしい。結構旅慣れた感じがラフな服装から滲み出てた。


「世界中を旅したけどよー、やっぱりインドとかパキスタンは面白いね」

「そうなんですか。何処行く時もそんな格好なんですか?」

「そうだねー」


 首が伸びたボロボロのTシャツに、ハーフパンツ。足元は雪駄やった。


「この方が動きやすいっしょ。金持ちにも見えないから安全だよー」

「なるほどね」

「ところで北ちゃんはさー、明日どこか行くの?」

「ええっと……、まだ決めてないと言うか、一緒に旅してる人が居るんですよ」

「そうなの。ああ、さっき歩いていた人達ね」

「はい。それで晩飯の時に明日何処行くか相談すると思います」

「そうなんだー。じゃーさー、僕も一緒に飯食べるよ。その時に相談するね。いいとこがあるんだよー」

「はい、分かりました。じゃぁ、6時にレストランで」

「6時ね。それじゃまた後でねー」

「はい、また後で」


 と僕は柳川さんと別れた。初対面の僕を「北ちゃん」って呼ぶくらい人懐っこい感じの優しい人やったけど、どことなく胡散臭い印象が僕の中に引っかかってた。


 6時になって多賀先輩とレストランに行ってみると、もう既に柳川さん、中山くん、南郷くんが来てて話に盛り上がってた。


「お待たせです」

「いらっしゃーい」

「それでさー、今も話してたのよー。明日なんだけどね、SUZUKIをチャーターしてChamanチャマンまで行かない?」

「チャマンって何処なんですか」

「えっとねー、アフガニスタンの国境の街でよー、バザールなんかも面白いよー」

「ってことは、Tribalトライバル Areasエリアですか?」

「いや、確か違ったよー。前に行った時はすんなり入れたからさー」

「そうなんや」

「どう、山ちゃん南ちゃん行く?」

「はぁ、水曜日まで暇ですから……、行ってもいいですよ」

「いいですよ」

「北ちゃんは?」

「いいっすよ」

「えっと……」

「多賀です」

「多賀ちゃんね。行くよねー」

「別にええっすよ」

「よっしやぁ。じゃー明日の朝、10時にホテル前でいいかな」

「はい」

「じゃー、飯食うかぁ」


 みんなでカレーを注文して食べながら今までの旅の話で盛り上がった。柳川さんは旅の経験も豊富でそれに話し方も面白く、僕らを楽しませてくれた。カレーを食べた後も、柳川さんの奢りでチャイを飲みながら長いこと話してた。


 部屋に帰ってシャワーを浴び、そろそろ寝ようかなと布団に入りかけてたら、ドアのノック音が聞こえてきた。


「北ちゃん、まだ起きてる?」


 柳川さんやった。


「はい、起きてますよ」

「一緒にタバコを吸わないか」

「いいっすよ」


 僕はタバコケースを持って部屋を出る。


「庭でさー、月を見ながら話しようぜ」

「いいっすねー」

「僕たちだけじゃん、タバコを吸うのって」

「ですよね」

「はい、これ飲んでよ」


 柳川さんはコーラのペットボトルを渡してくれた。


「いいんっすか」

「いいよー。遠慮するなよー。一緒に飲もうぜ。酒は無いけどね」


 僕らは中庭のど真ん中の芝生の上に座り、弦月を眺めながらコーラを飲む。


「柳川さんは、いろんなとこへ旅しはったんですよね」

「そうだよー」

「いろんな国の話を聞かせて下さいよ」

「そうだなぁ……」


 と言いかけて黙ってしもた。柳川さんの顔を横目で見ると、なんとなく寂しそうやった。


「えっ、どうしたんですか」

「ふふーん。北ちゃんっていい奴だよねー」

「そうですか」

「そうだよー。だってさぁ、僕なんかの相手してくれるじゃん」

「ええっ。それは別に……」

「さっき飯食ったみんなはさー、大学とか行ってるじゃない。僕なんかさぁ、高校中退でバカだからさー、あまり相手してくれないのよねー」

「そうですかぁ? でもさっきは盛り上がってましたよ、柳川さんの話で」

「そうかなぁ。みんな嫌そうにしてなかったかなぁ」

「してませんって。おもろかったですよ」

「そうなの。えへへー。やっぱり北ちゃんはいい奴だよー」


 この人は基本寂しがりやなんやと思た。だからみんなに気を使ってチャイを奢ってくれたり、面白い話を沢山してくれたんやと思うと、柳川さんが気の毒になってきた。


「あのー、他の国に行った時の話を聞かせて下さいよ」

「他の国ねー。どこがいい?」

「インドとかも行ってはるんでしょう」

「ああ、いっぱい行ってるよ」

「初めて行ったんは幾つの時ですか」

「21だっやかな。初めての外国がインドでさー、それからハマっちゃってよ。もう20回位行ってるよー」

「そんなに行ってるんですか」

「年に2回は行くからよー」

「そんなんよう行きますねー。彼女とか居ないんですか」

「へへ……」


 あっ。いらん事、聞いてもたかな?


「いっぱいいるよ。それぞれの国に居るんだよー」

「なんと! ええですやん」

「インドの彼女とかさー、もう7年も付き合ってるのよねー。それでさー……」


 さっきまで寂しそうやったけど、女の人の話になってからは元気になって楽しそうに話してた。羨ましい武勇伝を沢山聞かせて貰ろた。


「でも北ちゃんさー。僕の話を聞いて面白いかい」

「ええ、おもろいですよ。流石、旅慣れてるって感じですやん」

「それやったらいいんだけどね」


 あれ。また悲しそうな顔になってきてる。


「ほんとに、ありがとうね」

「ええ?」

「僕に付き合ってくれてさー、うれしいよ」

「そんなん、僕も楽しかったですよ」

「じゃーさー、明日はもっと楽しくするよ」

「そうなんですか」

「任せなさーい」

「ありがとうございます」

「じゃー、もう寝るかぁ」

「そうですね」

「ほんと、楽しかったよ」

「いえいえ、こちらこそ」

「それじゃ、おやすみ」

「おやすみなさい」


 初めは怪しいくて怖そうな感じの人やと思ってたけど、話してみるとそうでないことはよう分かった。

 部屋に戻って行く柳川さんの背中はちょっぴり淋しげやった。こうやってゆっくり話をする友達は居らんのやろうなと思た。そやからしょっちゅう旅に出てるのかも……。


 振り返ると、弦月は大分傾いてた。



 つづく

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