クエッタ

172帖 ブレーン

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 PeshawarペシャワールからバスでQuettaクエッタに到着した僕らは、喜びの余りバスから降りてお互いの健闘を称え合った。それぐらい辛い旅路やった。


「ついにやりましたね、山中先輩」

「やってしまったねー」

「めっちゃ辛かったわ……」

「いやーよう着いたなぁって感じやん」


 みんなはクエッタに着いた嬉しさで笑顔で語り合ってたけど、僕は睡眠不足と疲労と頭の中で渦巻いてるパキスタン音楽の影響で半分死にかけてた。


「ほんなら取り敢えずホテル探そか」

「ホテルなら任せて下さい」

「前に来た時に泊まったいいホテルがあるんですよ」

「ほんまかぁ。ほなそこ行こか」

「じゃーついてきて下さい」


 僕は話しかける事も出来ず、疲労で重くなったリュックを肩から半分ずらしながら、トボトボと3人の後を足を引きずってついて行く。クエッタの街がどうなってるかとかどこを歩いてるとか、周りの状況が頭に一切入ってけえへん状態で3人に遅れと取りながら歩いてた。


 早よ寝たい。


 それだけが今の望みやった。


 駅からすぐのとこにあるホテル「Muslim Innムスリム イン」に入ったけど、白い建物という印象しかない。どうやって受付をして、どうやって部屋に行ったかも覚えてない。ただ多賀先輩が「飯食いに行くぞ」と言うたんに対して、「僕は寝ます」と言うたことしか覚えてない。僕はそのままベッドで仰向けになって寝てしもた。それくらい辛かった。



 夕方に僕は目を覚まして起きたんやけど、隣ではやっぱり疲れたんか多賀先輩も寝てた。僕はまだ身体が重くてしんどかったけど朝から何も食べてないし、身体より空腹の方が辛く感じてたんで思い切って多賀先輩に声を掛けた。


「多賀先輩っ!」

「うん?」

「どっか行って来はったんですか」

「いやあー、飯食ったら眠となって、そのまま寝てしもたわ」

「なーんや、そうなんや」

「今何時や」

「もうすぐ6時です」


 おお! 7時間も寝てたんや。


「そろそろやな」

「何がですか?」

「山中くんらと6時になったら晩飯行こうて言うててん」

「ああ、僕も腹減ってますわ」

「ほな行こか」


 僕らが部屋を出る時に、丁度2階から山中くんらも降りてきたとこやった。晩飯はホテル付属のレストランへ。中庭を通って行けるらしい。


 ホテルの記憶が全くないんで改めて全容を知った僕は驚いてしもた。中庭には池とちょっとした築山がある公園の様になってて、それを取り囲む様に2階建ての客室がある。白一色で統一された壁は何となく欧米のホテルを思わせた。しかもこんな綺麗なとこに30ルピー、つまり200円ちょっとで泊まれるさかいにびっくりしてしもた。


 レストランは宿泊客以外の人も大勢居るようで結構賑わってる。今日は奮発してビーフカレーを頼んだんやけど、多賀先輩でも辛いと嘆いてたくらいこれが結構辛くて食べるのに時間がかかってしもた。そやけど今まで食べた中で一番美味しかった様な気はする。


 食べ終わった後、僕らはその場で明日の打ち合わせをする。山中くんらはなるべく早くにイランに行きたいらしく、国境の街Taftanタフターン行きの列車を探した後、博物館でも行ってゆっくりすると言うてたんで、僕らもいずれイランに行くんやからと一緒に行動することにした。


 ところがその晩、バス旅の無理が祟ったのか猛烈に身体がしんどくなり、特に喉が痛くで堪らん様になってしもた。直ぐに風邪薬を飲んで寝たけど結局次の日は大人しくしとく事になって、僕は一人でお留守番になってしもた。



 7月6日、土曜日。この日は、朝飯にナンをチャイで食べ、薬を飲んで一人部屋で寝てた。これが意外と寝られるもんで、起きたんは多賀先輩らが帰ってきた夕方やった。


「イラン行きの列車って見つかりました?」

「おお、あったんやけどな、水曜日と土曜日しか出てないねんて」

「へー」

「そやから山中くんらは来週の水曜日に乗るらしいは」

「そうですかぁ……。ほしたら僕らはどうします? まだパキスタンで周ってない所結構あるし……」

「そうやな、南部のKarachiカラーチとか、インド洋も見てみたいしなぁ」

「そうや、Mohenjoモへンジョ Daroダロも行ってみたいですわ」

「おお、ええなぁそれ」

「ほんなら水曜日に一緒にクエッタを出ましょかぁ」

「そうしょか」


 その後6時にまたレストランで山中くんらと落ち合う。大分調子が良くなったんやけど、まだ少し喉が痛いんで僕はなるべく辛くないカレーが食べたいと言うたら、山中くんが「厨房で選んだらいいですよ」と僕を厨房に連れて行ってくれた。

 幾つかあるカレー鍋を見せて貰って、余り辛くなさそうな色の鍋を見つける。中身は卵とじみたいなもんが入ってて他のカレーの倍の10ルピーやったけど、まあええわと思てそれを頼むと、他の3人もみんなそれを注文した。


 暫くするとテーブルにカレーとライスが運ばれてくる。ウエイターのおっちゃんに、


「このカレーは何カレーですか」


 と南郷くんが聞くと、おっちゃんの答えは、


「羊のbrainブレーンカレーだ」


 と返ってきた。


「ブレーン?」

「ブレーンってなんや?」

「プルーンか」

「いや、違うでしょ」

「プレーン? 素のカレー?」

「いやいや、ブレーンって言ってましたよ。ブ、レ、ン」

「うん……、何やったかな?」

「まぁ、食べてみましょうや。食べたら分かるかも」

「そやな」


 その卵とじみたいなものにカレーを添えて、ライスと一緒に食べてみた。ふわふわで口の中でトロっと溶ける食感が堪らん。それでも少し辛くて喉がヒリヒリするけど、久々に激辛やないカレーを食べられて満足やった。

 みんな「これ何やろうなぁ」と言いながらも殆ど食べ尽くした所で、山中くんが大声を出した。


「思い出した! ブレーンって脳みそのことですよ」

「ええ!」

「脳みそって、頭の脳みそかいなぁ」

「いや、頭にしか脳みそはありませんで」

「脳みそだったんかぁ……」


 今まで美味しそうに食べてたのに、みんな急にスプーンを置きだした。南郷くんは、生の脳みそを想像したんか嗚咽を漏らしてた。

 僕は平気やったし、


「そやけど他のカレーより高いんやから、貴重で珍味なんとちゃうの?」


 と言うたけど、みんなの顔は青くなってきてた。取り敢えず部屋に戻ろうってことになって、僕以外は少し残して会計を済ませ、各自の部屋に戻った。


「あれ、あきませんか?」

「あほー、脳みそやぞ。そんなもん喰えるかぁ」

「そうかなぁ、卵とじみたいなホルモンみたいなぁ……柔らかくてトロっとした食感がよかったんですけどね」

「それが、気持ち悪いっちゅうねん。あー気持ち悪っ!」

「そうかなぁ」


 そんな事を話しながら部屋に戻って僕らはベッドに横になる。美味しかったなぁと思てたんはそこまで……。

 横になって暫くすると激しい吐き気がしてきて、僕は直ぐにトイレに駆け込んだ。ほんでさっき食べたカレーをめっちゃ苦しみながら全部吐き出してしもた。


 トイレから戻ってきた僕に多賀先輩は、


「ほれ、見たか」


 と言うてきたけど僕は、


「いや、まだちょっと体調が戻って無かっただけですよ。ブレーンは美味しかったもん……」


 と反論した。

 それに対して多賀先輩は、


「俺は二度と食わんからなぁ」


 と言い放った。



 つづく

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