150帖 パキスタンが嫌いになりそう

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 Dasuダスーと言う村に着いたんは、朝の7時半前。ここでお祈り兼朝食休憩になる。キーマカレーを食べ、チャイをゆっくり飲んでからの再出発になった。


 ここから先がグニャグニャ道で、僕は今まで寝んと起きてたし、それに加えてバス酔いでめっちゃ気持ち悪かった。風景など見る余裕も無く、ただひたすら耐え続ける。


 バスの行程も大分遅れてるみたいで、運転がめっちゃ荒くなってた。無理な追い越しを掛けるけどカーブが迫って減速したりで、グニャグニャ道でただでさえ気持ち悪いのに加減速が加わる事によって更に気持ち悪くなってしもた。


 Thakotターコットの村で昼食休憩になるが、僕は何も食べられへんし、バスで寝てた。


 ターコットからはインダス川を離れ、低い山間の道を走る。やっぱりグニャグニャ道で、また耐え続けるのみ。


 Mansehraマンセラの大きな街まで来ると、道は比較的真っ直ぐになり、気分も落ち着いてきた。ただ、ここの時点で到着予定時刻の16時を大幅に越えてる。気温もどんどん上がり、窓から入ってくる風も生温かった。


 地平線に大きな夕日が沈む頃、Abbottabadアボッターバードという大きな街に入る。ここで晩飯兼お祈りの時間があるのかと思てたら、遅れてるからということで通過した。

 街を出ると、明かりの無い暗闇の中を走る。道も穏やかで、僕は疲れ果てて眠ってしもた。



 バスが信号で停まった時に目が覚めた。


「ここはどこなん?」

「ここはもうRawalpindiラワールピンディだ。もう少しで着くぞ」


 時計を見ると、夜の10時を回ってる。日本のバスみたいに正確では無いと思たけど、6時間の誤差には呆れ返るしかなかったわ。


 駅の近くのバスターミナルが終点。そこで降りた乗客達は、三々五々タクシーや馬車でご帰宅なされた。

 既に街は人気が無く、後に残されたんは僕らだけやった。


「ホテルって何処でしょうね」

「何ちゅうホテルやったかいな」

「みんながオススメしてくれたホテルは、Asians Innアジアンズ インです」

「ほんならそこいこか」

「そやけどこの地図に載ってないんですよね」


 僕はガイドブックの地図を見せる。


「うーん、どこやろ。分からんなぁ」


 丁度そこへ1台の馬車がやって来た。


「お前たち、ホテルへ行くのか?」

「アジアンズインや。知ってるか?」

「何処にあるんだ」

Committeeコミッティー Chowkチョークや」

「OK、分かった。そこへ行こう」


 さーて、ここから値段交渉や。ただ、何処にあってここからどれ位の距離なんか分からんし苦戦しそう。


「なんぼですか?」

「10ルピーだ」


 多分吹っ掛けてくるて聞いてたし、半額以下スタートした。


「高い。4ルピーや」

「おお、高くない。8ルピーだ」

「駄目や。まだ高い4ルピーや」

「うーん、7ルピー」


 僕はまだ下がると思たし更に言い寄る。粘ること5分。やっと5ルピーで決着がついた。

 荷物を積んで馬車に乗る。まさか馬車に乗るなんて……。初めての馬車は、なんか偉くなった様な気分がして、気持ちよかった。


 街中の店は全部閉まってるし、少しの街灯があるだけでほぼ真っ暗。そんな中、まだ歩いてる人や自転車に乗ってる人も居たけど、車は走ってへんかった。

 静かな真夜中の街に、馬蹄の音だけが響いてた。そんな中おっちゃんは、いつもされる質問をしてきた。以下省略。


「そうか、そうか。ようこそパキスタンへ。パキスタンはいい国だ。観光するのには良い所がいっぱいあるぞ」


 親しげにパキスタンの観光案内をしてくれたけど、このおっちゃんの英語はもの凄う訛ってて解り辛い。それでも僕らの質問に対して、丁寧に答えてくれる。


 鉄道を越え、15分程でIqbal Roadイクバール ロードMurreeマリー Roadロードの交差点に着いた。


「この辺がコミッティーチョークだ」


 辺りを丁寧に見渡すと、明かりは消えてたけど「Asians Inn」と書いてある看板があった。


「おお、おおきに。おっちゃん助かったわ」

「はいこれ、5ルピーね」


 とお金を渡そうとしたら、おっちゃんは急に怒り出した。


「だめだ、こんな遠くまで来たんだ。10ルピー払え」

「ええ! 乗る前に5ルピーで約束したやん」

「いや、10ルピーだ」

「ちゃうやろおっちゃん、5ルピーやて言うたやないか」


 多賀先輩も応戦してくれた。


「ここまで来た。夜も遅い。15ルピーだ」

「おいおい、値段上がっとるがな」

「5ルピーしか払わんしな」


 そのまま5ルピーを投げつけて立ち去ったら良かったんやけど、なんか騙されたみたいで納得いかへん。そやし、腹も減って眠たかったけど、5ルピーで納得いくまで応戦した。


 そのうち多賀先輩の声が大きくなり、静かな街に結構響いてた。

 するとどこからともなく、何事やとちょっとガラの悪そうなパキスタン人が集まってくる。みんなパキスタン人やから馬車のおっちゃんに味方をするやろし、これはまずいなと思た。

 おっちゃんは案の定、集まってきた人にウルドゥー語でアピールしてた。それを聞いていたちょっと太ったおっさんが僕らの方へやってくる。


「いくらで契約したんだ」

「僕らは馬車に乗る前に、駅からここまで5ルピーで契約したんや」

「こいつは10ルピーだと言ってる。だから10ルピー払え」


 とこんな有様やった。それでも僕らは「5ルピーで約束したんや」と主張すると、今度は馬車のおっちゃんの所に行って話してる。

 その後も「10ルピーだ」「いや5ルピーや」と口論は続いた。人集りは初め5人やったのに、いつの間にか10人ぐらいに増えてる。

 それでも誰も危害を加えようとしてこんかったんで、僕らは諦めずに交渉した。たぶんもう30分以上話し合うてると思う。


 馬車の馬は、何食わぬ顔でぼーっと立ってたかと思うと、急に糞と尿を漏らした。この匂いはちょっときつかった。「臭ーっ」と思いながらも、僕らは「5ルピー」を主張し続けた。


 そこへ黒いアタッシュケースを持ち、綺麗なオールバックに髪まとめた紳士風のパキスタン人のおじさんが人集りに入ってきた。


「どうしたんだ。こんな夜中に」


 この人の英語は馬車のおっちゃんや野次馬のおっさんと違ごて、しっかりしてた。もしかして、仲裁に入ってくれるかも知れんと期待してしもた。


 そのおじさんに僕らの主張を伝えると、馬車のおっちゃんに話を聞きに言った。紳士のおじさんは結構長いこと馬車のおっちゃんと話してたけど、話がついたみたいで僕らのとこへ戻ってきた。


「あなた達は5ルピーだと言ってる。あの人は10ルピーだと……」

「いいえ、僕たちはちゃんと5ルピーで約束したんや。これは間違いないです」

「分かった。ちょっと聞いてくれ。もう夜も遅い。これは私の経験だが、駅からここまでの相場は高くても6ルピーだ。だから6ルピーで手を打たないか?」


 まぁ6ルピーなら観光案内もしてくれたし、それにホンマに眠たくなってきたしもうええかなと思てたら、そこはきっぱり多賀先輩が否定してきた。


「俺らは5ルピーで契約したんやで」


 紳士のおじさんは天を仰ぎ見て、「また振り出しや」みたいな顔になってた。これには僕も少し気の毒な気がしてきた。折角自ら進んで間に入って来てくれたのに申し訳ないと思たけど、


「なぁ北野。俺らは5ルピーって言うたやんな」


 と多賀先輩に振られてしもた。渋々やったけど、さっきから僕の思てたことを言うてみた。


「僕は、パキスタンが好きです。パキスタンに来られて嬉しいです。でも、こんな事があるとパキスタンが嫌いになりそうです」


 まぁこれは本心やったからか、もうこれで最後にしようと思てた。

 


「おお、それは申し訳ない……。分かった、こうしよう。私が1ルピー出すから、どうかパキスタンの事は嫌いにならないでくれ」


 紳士のおじさんはこう訴えてきた。それは馬車のおっちゃんにも伝えられても納得してるようやった。

 そこまで言われたら逆に申し訳無くなって、


「それは駄目です。貴方の親切は良う理解しました。6ルピー払います」


 と言うた。


「多賀先輩、この人の顔に免じて払いましょ」

「分かった。それでいこ」


 良かった。多賀先輩もゴネへんみたいやわ。


「では6ルピー払います」

「それで良いのか」

「はい、貴方に迷惑は掛けられませんわ。ここまで話してくれて感謝してます」


 そう言うて僕らは6ルピーを馬車のおっちゃんに払ろた。おっちゃんは嬉しそうにニヤニヤしてた。それが多賀先輩には気に食わへんかったみたいやけど、僕らは改めて紳士のおじさんにお礼を言うた。


「ありがとうございます」

「いや、いいんだ。さー、ホテルでゆっくり寝なさい」

「はい、本当にありがとうございました。それと、パキスタンはやっぱり好きです」

「ああ、ありがとう。では、良い旅を!」


 そうして人集りも解散し、僕らはホテルへ向う。

 もう日付も変わり、6月26日水曜日になってた。



 つづく

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