128帖 気持ちのええスストの朝
『今は昔、広く
6月15日、土曜日。窓の外が明るくて目が覚めたけど、何となくしんどかったしそのまま二度寝をする。部屋は寒かったけど、シュラフは暖かく気持ちがええし目を瞑ると直ぐに寝られた。
その2度寝からも目が覚めたんは、8時43分やった。
喉はカラッカラに乾いて身体はまだ少しだるかったけど頭は冴えてた。ペットボトルのミネラルウォーターを飲み多賀先輩を見ると、シュラフに頭からすっぽり入ってまだ寝てる。そやけどもし今日中に移動が出来ひんのやったら宿泊の延長の事もあるし、僕は声を掛けることにした。
「多賀先輩っ」
シュラフから目だけ出して僕の方を見てきた。その目は昨日と変わらずしんどそうやった。
「大丈夫っすか?」
「うん!? あかんで」
あかんのかいな。声は昨日より少しマシな感じやったけど、今日の移動は無理やと思た。
「ほんなら、一泊延長しますか」
「そやな。後で延長しに行こ」
そう言うとまたシュラフの中に潜ってしもた。
「ほんなら、後でまた起こしますね」
「おお、そうしてくれ」
シュラフの中からひ弱な声が返ってきた。そうとう参ってるな。
僕はウインドブレーカーを羽織りカメラを持ってテラスに出てみる。朝の冷たい空気が身に凍みる。そやけど登山の時の朝にテントから出た雰囲気と似て気持ちは良かった。
テラスのテーブルでは、ホテルで注文した朝食やろ、オーストリアの家族がサラダとトーストを召し上がって居られた。なかなかリッチですな。携帯コンロでお湯も沸かしてた。
僕は隅っこの椅子に座り、朝の山々の風景を楽しむ。朝日が山頂の雪を照らし、昨日とはまた違う表情を見せてくれた。
山の写真を取ってると、オーストリアの少年が寄ってきた。
「コーヒーを飲みますか?」
と言うてるみたいやった。久々のコーヒーに嬉しくなった僕は、
「おおきに。ちょっと待っててや」
と言うて部屋に戻り、自分のシェラカップを持ってきた。パパさんにコーヒーを入れて貰い、一礼してさっきの席に座ってゆっくりと味わう。
かなり濃い目のコーヒーやったけど、なんか懐かしく思てしもた。貴重なコーヒーを少しずつ口に入れながら山を眺める。
日本では見られん様なカラコルムの山容はずっと見てても飽きへんかった。オーストリアの家族が朝食を終え部屋に戻って行った後も僕はずっと山を眺めてた。日差しが身体に当り始め、温められると眠気が襲ってくる。
ほんまやったら二ヶ国目に入って緊張すると思うんやけど、この山の中の雰囲気がいつも登ってた日本の山々とよく似てて逆に気が緩んでしもたんやろ。今までの疲れがどっと湧き出てきて、身体中が気だるい感じで覆われたみたいやった。僕はまだ軽いさかにええけど、多賀先輩は完全に回復するまでここで休養した方がええんとちゃうやろか。
僕は部屋に戻り多賀先輩にその事を提案した。気持ちも弱なってる多賀先輩は、あっさりと提案を受け入れてくれた。
ほんでその足で受付まで行き宿泊の延長を頼みに行く。
「何! もう一泊する?」
受付のおっちゃんはびっくりした様子やった。そらそうやろ。ここはただの旅の中継地で観光するとこは無いて草雁兄さんが言うとった。そやし連泊する客は居らへんのやろ。おっちゃんは、
「なぜ連泊するんだ」
と不思議そうに聞いてきた。
「そうやな。景色がめっちゃいいよ、ここは。それに体調が悪いさかい、ちょっと休養するは」
「そうなのか。ここは休養するには静かでいいところだ」
僕らは本日の宿泊費10ルピーを払って部屋に戻った。
多賀先輩は朝飯を食べんと寝るて言うてるし、カメラを持って僕一人でホテルを出た。
外はほんまに静かやった。耳を澄ましてやっと鳥の声が聞こえる程度。風の音すら聞こえんぐらいの無風状態で、もちろんカラコルムハイウェイを走る車は1台も無かった。
高台を下りてハイウエイ沿いの商店街に向かう。近くまで来て、やっと人の声が聞こえてきた。
「おはようございます」
店の中から声を掛けてきたんは草雁兄さんやった。
「もう、バスのチケットは予約しまししたか?」
「まだです。出発を延期したんですよ」
「おお、そうなんですか。それなら、今日あなたは時間がありますね」
「はい」
「それなら父のレストランに来てください。映画が見れますよ」
どんな映画やろ?
パキスタンはイスラム教の国やし、女性は顔を出せへんから女優さんは顔を隠して出てるんやろか。それとも……、おっさんばっかりの映画?
そんなんを想像してたら、ある意味パキスタンの映画に興味がわいてきた。
「今から、朝飯を食べに行きますが」
「そうなんですか。困ったなぁ。映画は昼からになります」
なんで昼からなんやろ。
「昼飯も食べに行きますから、大丈夫です」
「それはいいね。ありがとうございます」
「じゃ、また後で」
一旦、草雁兄さんの店を出て商店街を歩く。そう言えば、さっきの映画の話や無いけど、スストに来てから地元の女性を見たことないわ。商店街の店主はみんな男の人やし、買い物してるんも外国人の観光客か中国の商人、それと地元の男性ばかり。
やっぱりイスラムの女性は出歩かんのかなと思てたら、いましたがな。服の色で遠くからでも直ぐに判る。あれはお母さんとその娘達やろか。
基本的に服装は男性と同じ様なシャルワール・カミーズを着てるけど、まず色が綺麗や。お母さんは薔薇の花の様な赤い色で、その横のお姉さんは水色で、妹はピンクの服を着てる。お母さんは頭に綺麗な刺繍の帽子を被り、白い半透明の布を頭から腰辺りまで巻いてた。小さい姉妹は何も被ってないし、布も巻いてない。小さい子は被らんでもええんかな?
だんだんこっちへ歩いてくるし、僕はマジマジと見てしもた。
お母さんもベッピンさんやったけど、姉妹もめっちゃ可愛かった。丸くて白い顔に大きな目がクリっとして彫りも深く、やっぱりヨーロッパの雰囲気が漂ってた。
あまりに可愛かったんで写真を撮りたかったけど、女性の写真を撮ってええんか分からんかったしそのまま素通りする。すれ違いざま、妹さんの方が僕の視線に気付いたんか手を振ってくれるし僕も振り返すと、ニコッと笑ってくれた。無邪気な笑顔がとても可愛らしかった。
草雁父上のレストランでは、写真に載ってたナンとヨーグルトとチャイのセットを頼んだ。写真の下に英語で「
出てきたナンは何か油の様なもんが塗ってあってテカってる。少しちぎって食べてたらめっちゃ美味しかった。塗ってあったんはバターの様なもんや。多分、羊か山羊のバターなんやろ。ちょっと塩っけがきついけど、それが焼き立てのナンに絶妙にマッチして美味かった。甘いチャイとバター付きナンを交互に食べると抜群に美味かった。知らん国に来ても、食で癒やされるんはめっちゃ嬉しいわ。
「おっちゃん。これ、めっちゃおいしいわ」
「そうか。それは良かった」
父上はまた得意そうな顔になった。煽てた訳やないけど機嫌を良くした父上は、チャイのおかわりをサービスしてくれる。
カレーは辛いけど、パキスタンの味覚は僕好み。なんか長いこと居れそうな気がしてきたわ。
レストランを出る時、父上に「また昼に来てくれ。その時に映画を見るから」と草雁兄さんと同じことを言うてた。僕は「また来ます」と言うてレストランを後にする。
朝の山の景色、爽やかな空気感、可愛い少女の笑顔、美味しい朝食。めっちゃ満足のひと時やった。いつの間にか疲れも忘れてたわ。
ついでに体調の悪い多賀先輩の事もすっかり忘れてた僕は、一人で気持ちのええスストの朝を堪能してた。
つづく
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