29帖 ロスト

『今は昔、広く異国ことくにのことを知らぬ男、異国の地を旅す』



 二人で話しながら歩いて行くと太和殿タイフェァディェンに着いた。映画「最後の皇帝」で見覚えがある建物や。映画のシーンが思い出され、それと同時に僕の頭の中にはその映画のBGMが流れてくる。


「そや、ミョンファって『末代皇帝ムォダイフゥァンディ』っていう映画見た?」

「見ました。ちょっと話の内容は難しかったけど、音楽が良かったよ」

「そうそう。僕はあの映画音楽を作った坂下龍一バンシャロンイーが大好きやねん」

「知ってるよ。黃色フゥァンスェァ魔術ムォシュ电子ディェンズー樂團ラトゥァンの人でしょ。今、中国でも人気があります。私も好きです」

「よかった、一緒やねー。僕はCDをたくさん持ってるで」

「いいなー。聞いてみたい」

「いつか聞かせてあげるわ」

「ほんまに。嬉しい!」


 あれ? ミョンファって、嬉しい時は照れて下を向くんと違ごたん。

 今は僕を笑顔で見てくれてる……。


 そやけど、ミョンファにいつの日かCDを聞かせて上げることができるんやろか。来週には北京を去ってしまう事はまだ告げてないし、どないしたらええんや。僕は悩んでしもた。


 暗い顔をしてたんやろか、ミョンファが気にしてきたさかい雰囲気を変えよと思てわざとらしい程明るく話す。


「そうや、ミョンファ。写真撮ってもええ?」

「そうね。ここは写真撮ってもいいところです」


 故宮グーゴンは、写真を撮ってええ所とあかん所があるけど――。


「そうやのうて、ミョンファの写真を撮りたい!」

「私の写真?」


 と言うと、プッとふく膨れて下を向いてしまった。やっぱりか。


「私、可愛くないから……」

「そんなこと無いよ。えっと、とっても素敵……です。……可愛いよ」

「……」


 本音やけど、余計な事を言うてしもたかな? ミョンファはあっちを向いてしもた。


「ミョンファ?」


 呼びかけても下を向いて体を左右に振るだけでこっちを向いてくれへん。

 覗き込んでみたけど、反対へ向かれてしもた。


「ふー。ほんなら一緒に撮ろか」

「そ、それなら、写真を写しても、いい、かな。その方が嬉しい……」


 そうか、よっしゃ!


 僕は人の良さそうなおっちゃん人民を見つけて、ここのボタンを押してと頼んでカメラを渡す。


 太和殿タイフェァディェンをバックに二人で並んだけど、なんでか二人とも棒立ちやった。よう考えたらミョンファと初めてのツーショットやん。

 隣をチラっと見たら、ミョンファの顔はこわばってる。


「ミョンファ、写真に写る時は笑ったほうがええで」

「そ、そんなの無理。どうやって笑うのよ」

「そうやなあ」


 僕はミョンファを覗き込んでふざけた顔をしてみたら、プッと吹いて笑ろてくれた。


「よし、それでええで」


 並び直してカメラの方を向き、横目でミョンファを見ると、やっぱり固い表情をしてた。


 なんでやねん……。



 その後、中和殿ヂョンフェァディェン保和殿バオフェァディェンを通って内廷ネイティンに入る。


 内廷は、それこそ通勤ラッシュかと思うほど人が多い。本来は広い場所やのに、とにかく団体さんが多くて一ヶ所に人が集中すると無茶苦茶や。人に酔ってしまいそうや。

 もちろん写真を撮る余裕は微塵もない。とにかく歩く。もう見学せんでええわ。


 歩いてる間、ミョンファは初級中学チュジーヂョンシュェ|(中学校)の時の話を聞かせてくれる。相変わらず僕は、関西弁講座をちょくちょく挟みながらミョンファを鍛えてやった。


 内廷を出て神武门シェンウーメンの前まで来た時は結構くたばってた。ミョンファもしんどそうやって、笑顔は消えてる。


「ミョンファ、しんどい?」

「しんどくはないけど、少し疲れました」


 それをしんどいって言うねん。まだまだ甘いなぁ。

 時計を見たら、もう12時や。


「ヨンファ、お腹空かへん?」

「そうね、そろそろお昼ご飯の時間ですね」

「そしたら食べに行こか」

「そうしましょう」

「どっか美味しいもん食べられる所ない?」

「うーん、北京地图ベイジンディトゥ(地図)を見せて」

「ああ、ええよ」


 地図を出して、紫禁城ズージンチォンの周辺の所を開く。

 それを見ようとしてミョンファが僕の横に来た。体がピタッと密着して、ミョンファの柔らかさが伝わってきたし、何かええ香りもする。


 あかん、異世界に召喚されそう……。


「少し離れているけど、王府井ワンフーチンに行ってみよう。ここは美味しい小吃シャオチーのお店、いっぱいあるよ」

「よし……そこにしよか。い、いっぱい食べよな」


 現世に戻って来れたわ。


「うん!」


 と言うて笑顔で歩き出した。



 故宮グーゴンの外周をお堀沿いに歩いて小さな路地を曲がり、少し行くと王府井大街ワンフーチンダージェ(王府井大通り)に出る。

 大通りと言うても、全然広くはない。通りの両脇には出店でみせがあって、道は歩行者天国になってる。しかも人民が故宮並に溢れてる。さっきと一緒で団体のおのぼりさんもいっぱい居る。


「ミョンファの知ってる美味しい店があるんやろ」

「うん、あるよ」

「そしたらミョンファが先に歩いて教えてや」

「うん、わかった」


 幼い子が喋る様な言い方で愛らしく微笑む。ここに来れたんが嬉しいみたいや。


 僕らは人の流れを逆行する様に進んで行く。


 みんな何処向って歩いてるんや?


 時々押し戻される時もあった。ミョンファは、そのたびにこけそうになったんで、僕は両手で肩を抱える。

 その瞬間、ヨンファの体がビクッとした。

 ミョンファはうつむき加減に、


「おおきに」


 と小さい声で言うてた。


 ほんまに人が多過ぎてなかなか進めん。体の小さいミョンファは、するするっと抜けて進むこともできたけど、僕は無理。

 次から次へとタックルを食らって押し戻され、今度は僕がこけそうになってしもた。

 なんとか体勢を立て直して前を見たら、もうそこにミョンファの姿はなかった。


「ミョンファ!」


 と呼んでみたが、返事がない。


 やばい。気付かずに進んでしもたか?


 人をかき分けて前へ進む。こんな所で離れてしもたら見つかるかどうか分からへんし、僕は少し焦った。


 ミョンファは……、何処へ行ってしもんたや。


 とにかく人をかき分けながら10分ぐらい進んだやろか、それでもミョンファの姿は見えへん。もしかしたら通り過ぎたかも知れんさかい戻ってみる。


 折角、ミョンファと楽しい時間が過ごせてたのに、このまま会えへんかったら今日のデートはこれで終わりになってしまう。それだけは絶対に避けたかった。


 それから暫く、通りを上がったり下がったりしてミョンファを探してみる。

 

 そやけど、やっぱ見つからんかった。



 つづく

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