6帖 鉄オタの憂鬱

 時刻は5時半を回ってるはずやのに、待合室のガラスのから見える空はまだ明るかった。


 そっか、中国は日本より1時間遅いんや。まだ5時前やん。時計、合わせとこ。


 ポケットに入れておいた銀色の腕時計を取り出して修正する。僕は時計を見て重要な事を思い出す。


 そや、電車の時間を確認しとかなな。美穂のコスプレ撮影会ですっかり忘れとったわ。


 さっきマフィアから高値で買うた切符を取り出す。

 日本では殆ど見ん様になった硬券切符。昔、鉄オタやった僕は、ニヤニヤしながらその切符を眺める。ほしたら大変なことに気づいてしもた。


「多賀先輩! この切符、天津ティェンジン行きですよ」

「うん、何?」


 僕が持ってる切符を覗き込んでくる。


「ほんまやな。ちょっと待ってや」


 多賀先輩も自分の切符を取り出して確認する。


「俺のも天津って書いたるわ」

「えぇー、ホンマやねぇ」


 着替えに行った美穂が戻ってきてた。


「そやけど北野」

「はい?」

「天津ってどこや?」


 おいおい、分かってへんのかいな。


 僕は地図を取り出して多賀先輩に見せる。


「ここ。天津は、北京ベイジンの少し手前ですわ。そやし北京まで行けませんで」

「ベイジンの手前か、やばいな」

「それやったら天津で乗り換えたらええんとちゃうの?」

「そりゃそうやけど、また切符買うの大変やで」


 日本やったら自動券売機で簡単に買えるけど、今日みたいな辛い思いは二度としとない。


「やられましたねぇ」

「そやな、あんだけ苦労して手に入れたのに天津までとはな。笑うなぁ」


 多賀先輩はなんか楽しそうに見える。なんでも楽しむ方向に持っていく変わった人やと呆れた。

 まぁそれがええとこなんかも知れんけど、僕は段々憂鬱になってきたわ。


「笑ろてる場合とちゃいますやん。どないしますぅ。もうあいつらとは関わりとうないですわ」

「しゃぁない、取り敢えず天津まで行こや」

「そ、それしかないか」

「ほんで、電車の時間は何時なんや」

「ちょっと待ってくださいや」


 危険な目に合った上に北京まで行けんとは、ほんま情けないわ。あの時に確認せんかった僕らも悪いけど、あの状況でそんな事をする余裕はあらへんかった。


「あっ! あいつ、切符が天津までやって知ってたさかい、さっきここへ来とったんとちゃいますか」


 陳がガラスの前まで来て必死に何かを話してたのを思い出す。


「そやな。ほんで天津から北京までの切符をまた買わそうと企んでたんやろ」

「なるほど」

「そうかなぁ。渡した切符が天津までやったから、その先の事を心配して来てくれたんとちゃうかなぁ」

「なんぼ優しいねん美穂は」

「そやかて帰っていくとき、悲しそうな顔しとったで」

「それは儲からんから残念やぁって顔してたんとちゃうか」

「どうですかねぇ……。まぁ天津から北京までの切符持っとるんやったら値段次第では買うといた方が良かったかも……」

「そうそう憲さん。2階に電車の時刻表みたいのがあったで」


 美穂がトイレに行った時、電車の出発時刻の掲示板があるのを見たらしい。

 僕は早速見に行ってみる。


 その掲示板には、列車番号と種別、行先、発車時刻、番線などが書いてあった。

 そやけど、それには天津行きの電車が載ってない。他の電車の行先は知らん地名やし、それが天津の向こうなのか手前なのかも分からんかった。

 そもそも北京行きっていうのが書いてない。


 日本みたいに過密ダイヤでぎょうさん運行してるとは思い難い。それにしても一つも書いてないって、今日はもう北京行きの電車は無いんかなぁ?


 やばいんとちゃうの……。


 でももしかしたら、京都から東京へ行くときみたいに、米原・浜松・熱海と乗り継いで行く様な感じなんやろか。

 せっかく手に入れた切符やのに、乗れへんかったら100元もしたのに無効になるやん。

 僕はかなり焦ってきた。


 落ち着け憲太、お前は鉄オタやぞ。大丈夫や、考えろ。


 と自分を励ます。


 そや、時刻表が売ってるやろ。それ見たら分かるんちゃうか。


 僕は階段を下りて待合室の売店に行ってみる。のんびり撮影会してる場合と違ごたな。


 売店を覗いてみると、やっぱり売ってましたわ「全国チュェングゥォ铁路列车ティェルーリィェチュァー时刻表シークァビァオ」って本が。B6判で2.8元。

 おっと人民幣レンミンビィ(中国のお金)がもう無いわ。さっきマフィアのとこで全部使こてしもたんやった。


 米ドルで買えへんかなと期待して、10ドル札を出してみる。

 売店のねえちゃんは嫌そうな顔しとったけど、お釣の計算をし始めたし、どうやら買える見たい。


 お釣りは人民幣で渡してくれる。18元と硬貨が5枚。


 なんでこんなお釣りになったん? この硬貨は一体なんぼなん?


 どういう計算になったんか分らんけど、取り敢えず買えたし「謝謝」と言うて戻る。

 时刻表には日本の有名企業の広告も載ってる。広告も含めて全部中国語で書かれてた。


 当たり前か……。


 昔、鉄オタやってた時、時刻表を愛読してたし中国版でもわかるやろとをくくってた。

 まず路線図から上海と天津そして北京の位置を確認し、路線名を割り出す。上海-北京間の路線は「京沪线ジンフーシィェン」と言うらしい。

 それで京沪线のページを見る。


 あったあった。

 始发站シィファヂャン(始発駅)上海、終到站ヂョンダオヂャン(終着駅)天津とか北京って書いたる。


 そやけど、なんぼ見ても発車時刻や、到着時刻が理解できへん。

 数字は書いたるのに、各駅の発着時刻が合わん。


 これは……。


 暫く悩んむ。


「あっ、なるほどね。こういう事ね」


 やったー、鉄オタ復活や!


「うん、どうしたん?」

「中国の时刻表は日本のと違ごて、のぼりは下から上に駅が並んどるんや」

「へー、そうなん」


 気のない返事。美穂さんは余り興味が無いみたいですね。まあええわ。


「多賀先輩、判りましたで」

「おう、やるやんけ。ほんで何時なん?」

「えーっと……、ん? あれ、あれ……。今日はもう電車ありませんわ」

「なんやてー。やられたんか俺ら。使えん切符を握らされたんか」


 どないしょう。この切符使えへんやん。だまされたか!

 と血の気が引いて困ってたら、


「なぁなぁ。この日付、明日とちゃうん?」


 と、美穂が僕の切符の数字を指差す。


「あっ! ホンマや。この日付、明日になってますやん」

「どれどれ……、ホンマや。俺の切符も明日の日付やんけ」

「そっかぁ、これ明日の切符やったんや。今日は電車無いから、明日の切符を手に入れてくれてたんかぁ」

「えっ、そいたら行けんのん」

「そや。明日乗れるわ」

「ほら、ちゃんとしてくれてたんやで陳さん」

「助かったなぁ。で、電車は何時?」


 陳さんおおきに。「こいつやりやがったー」と疑ってしもたわ。すんません。


「と言うことは……。朝の10時25分発、天津行きの電車がありますわ」

「おっしゃ、ほんならそれに乗ろかぁ」

「電車あって良かったっすねー」

「これでひと安心やな。いやー良かった良かった」


 ……、あれ?


「そやけど、今晩はどないしますのん」

「うん、夜か?」

「ホテルの予約なんかしてませんで」


 上海で泊まるなんて予想外やし、何より泊まるお金がもったいない。


「そやな、ほんなら今日はここで野宿や」


 待合室で寝ても、野宿って言うんやろか。


「僕らは慣れてますけど、美穂がおるしなぁ。美穂はどうする?」


 僕や多賀先輩はワンゲル部やったし、よく信州へ山登りに行ってた。下山した後は、松本の街で銭湯に入って居酒屋で飲み食いし、店が閉まったら始発の電車まで松本城で野宿するんが我ワンゲル部の恒例やった。

 そやし僕らやったらマイナス10度の雪山でも寝られるから基本どこでもOKやけど、美穂は女の子やしどうしよ……。


「私も予約してへんよ。そやけど野宿でええよ。憲さんも一緒やし。ここで寝る」

「大丈夫かぁ」

「うん、大丈夫やで。前に憲さんと雪山でキャンプしたみたいに朝まで喋ってたらええやん」


 そう言えば行ったなぁ去年。二人で冬の武奈ヶ岳(滋賀県・標高千二百十四m)へ登山に。テント張ったけど、結局一晩中話してて一睡もせんかった事を思い出した。

 当然、二人とも寝不足でフラフラやったから、頂上まで登らんと下山したけどね。


「まぁ美穂がええんやった、ええけど」

「よっしゃ、決まりやな。ほんなら話戻すけど、天津には何時に着くんや」


 昼飯の事や天津に着いてからの行動を考えとくには、何時に着くか分らんとあかんわな。


「えーっと、うん?」

「何々、どないしたん?」

「えーっと、到着時刻が7時42分って書いたる。どういうことや?」

「それって明後日に着くってこと?」


 时刻表の発着時刻を下から順番に追っていくと、やっぱり途中で日付を越えてる。


「そやなぁ、泰安タイアンの手前で日が変わっとるわ」

「ちゅうことはやで、20時間以上乗るってことか」

「そうなりますね」

「嘘やろぅ。まじかぁ」


 もっかい时刻表を見たけど、やっぱり間違いない。ちょっと中国の鉄道を甘く見てましたわ。地図で見てたら4、5時間で着きそうに感じてたけど、やっぱ中国はスケールが違う。それに中国には新幹線なんかないしなぁ。

 僕はもう少し事細かに時刻表を見つめる。


「えーっと、天津まで営業キロが1千3百キロですわ。日本で言うたら東京から熊本ぐらいとちゃいますか。寝台特急『ブルートレイン』が走る距離ですよ。14系とか24系とかの青い客車を電気機関車が引っ張るんですよ。本州では青い機関車でEF65とかEF66ですね。九州は赤のED76です。関門トンネルだけは電気の関係でEF81が牽引しますけどね。えーと例えば『はやぶさ』って言う寝台列車やったら東京を夕方の18時03分発で、次の日の午後、15時10分やったかな、西鹿児島着って感じですわ。そうそう、丁度真夜中に家の近くを通過するんで……」

「憲ちゃん!」

「ん?」

「もういいよ」

「あっ、ごめん」


 我に返った。もうちょっと話したかったけど……。久しぶりに鉄オタ全開してしもた。


「ふふふ、まあええわ」


 多賀先輩は笑顔で聞いてくれてた。


 もしかして多賀先輩も鉄オタ?


 まぁそんなことは置いといて、切符は大事にしまっとこ。


「ほんなら天津までの計画が出来たちゅうことで、会議はこれで終わりや。そろそろ外へ行ってみいひんか」


 会議やったんか。


「うん、行く行く」

「ですねー、ぶらぶらしましょかぁ」


 ちょっと心配やったけど、警備員も居るって事で荷物はベンチに置いて外へ出る。


 上海の街には、もうそこまで黄昏が迫ってた。


 つづく

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る