忘却くんと喪失ちゃん
神崎乖離
第1話 檻の中の二人
「ただいま」
私は家に帰った。
家と言っても国が管理するマンションの一室で、玄関より向こう側は電気が付いていない。廊下もダイニングも居間も消えていて、電気は出来る限り付けた。必要の無い場所でも電気を付けたのは彼が目を醒ました時、明るい方がパニックになりにくいからだ。彼はスイッチの場所を覚えていない。目が覚めたら暗ければ誰でも混乱する。
私の部屋を含め彼の部屋以外すべての部屋に明かりを付け探索したが、彼の姿は無かった。
彼は部屋にいる。いなければ脱走ということで管理者(ブリーダー)に連絡しなければならない。
彼の部屋の前に立ってから30秒心の中で数えた。部屋に入るのは覚悟が必要になる。
脱走していた可能性、自殺していた可能性、あるいは、
あるいは、
ありえないけど、私の能力が暴発して、彼を無くしてしまった可能性。
喉がカラカラになる緊張と生唾を飲み込んで扉を開ける。
「わっくん、居る? 居たら返事して。寝てたら起きて」
ノックは必要ない。ノックはしなくていい約束をしている。
彼はチャイムとノックが大嫌いだからだ。チャイムとノックをするヤツは敵と彼は体で覚えている。忘れない記憶。体に染みついた警告。
「わっくん?」
彼の名前は『ワスレタ』なので愛称として『わっくん』と呼んでいる。
彼は忘れる。どんな事もどんな事をされても。
だから私は、彼と一緒にいられる。私を怖がらないでいられる唯一の友人。
「わっくん?」
ベッドの毛布をはぐと、そこに、丸まって眠る彼がいた。
小柄な体をさらに小さく丸め、真っ白な白髪は敷いてあるシーツと同化してしまうほど白い。
「起きてわっくん、今が夜だよ。どうして寝ちゃったの?」
私は彼の素肌に触れないように揺さぶる。
何度かの揺さぶりで深い眠りから彼は目を醒ました。
「ん? ぅん……」
一度開いた瞳は私を見据えて、何秒か見て、目を見開いて、凝視して、
「誰」
そう言う。わかりきった、彼からの目覚めの挨拶。
「私は和音だよ」
「かずね」
「和の音って書いて和音。わをんと書いて、和音だよ」
私の名前の由来は日本楽器から来たのではない。
この名前の由来は……わをん、ひらがな最後の、わ、を、ん、から来ている。
彼に何度もこの話をしているけど、一度として覚えていない。
「そう、僕はどうすればいいの」
「私と一緒に居てくれればいいのよ。ご飯を作るから居間に来てちょうだい」
「はぁい」
彼はベッドから体を起こし、居間に行こうとしたが、あることに気付く。
「あれ、服が『無い』」
彼は全裸になっていた。
「…………そうね」
彼は辺りを見回す前に私を見つめて聞いた
「服を着ていいですか?」
「もちろん、クローゼットの中に服はあるから」
「はぁい」
自らが全裸でいることになんの不思議も不満も持たず、服を着ると、彼は居間へ行った。
部屋を出て行ったのを見届けて、私はポーカーフェイスを崩した。
どっと嫌な汗と嫌悪感、平行感覚を失う。
「また、私は……『無くした』のか」
私は物を無くす能力がある。
ベッドで寝ていた彼は、私に起こされた一瞬で『着ている服を無くした』のである。シャツだけではなく、着ている服全てを、着ている本人が気付けないほど、一瞬で。
昔は服一枚だったのが、服全部。
忘れたくて忘れたくて忘れられない、人独りを『無くして』しまった『事故』が思い出したくも無いのに頭に焼き付く。
震える両手で何も触れない。壁に手を付けば壁を無くしそう。
私の顔に手を当てれば顔を無くしてしまうのではないか、
私は立っているだけで床を無くしてしまうのではないか、
私は呼吸だけで空気すらも無くしてしまうのではないか、
私はいつか無くしたことを無くしてしまうのではないか、
私は『無くす』何でも『無くす』何度でも『無くす』所場所をかまわずに『無くす』、『無くす』『無くす』『無くす』『無くす』『無くす』『無くす』『無くす無くす無くす無くす』――
「ねえ」
幼いその声に、私は私を取り戻す。
「お腹すいたけど、何か食べる物はありますか?」
「ええ、今用意するわ」
「やったー!」
笑顔になる彼を見て、つられて笑みが出る。
……うん、大丈夫。
どんなに物を『無くす』私でも、私の側に居てくれる人がいるから大丈夫。
私はこれからキッチンに行き、食材か調理器具を無くす覚悟をして、彼の為に料理を作ることにした。『無くしたくない人』の為に。
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