ショートホラー

月暈シボ

廃ホテルの怪異

「やっぱり、こっちはまだ肌寒いな」

 車から降りた秋原誠あきはらまことは前を開けていたパーカーのジッパーを首元まで上げると、友人の中越裕也なかごしゆうやに呼び掛けた。頃は初夏を迎えたばかりであったが、顔に当たる空気は随分と冷たい。また、近くを流れる川のせせらぎの音が水を連想させるためか、より気温の低さを強調しているようだった。

「まあ、山の中だからな・・・」

 後から降りた中越は肌寒さなどお構いなしに、月明かりを頼りにカメラの準備を始めた。手持無沙汰となった秋原は携帯端末で高校時代からの恋人、西山彩香にしやまあやかにコミュニケーションアプリのリプライを送る。通信状況は最高感度5の内、2の値を示していたが何の問題なく使用出来た。

「おし、準備完了!これでさっき教えたとおりにしてくれれば、撮影できるはずだ」

 中越は気合を入れるように掛け声を上げると、手にしている小型ビデオカメラを秋原に差し出した。

「・・・カメラマンなんてやったことないんだけどな」

「大丈夫、大丈夫!今回は慣れてない方が、臨場感出て逆にリアルになると思う。それに後から編集するからあんまり気にしないでくれ、早速始めるから撮ってくれよ!」

「まあ、なんとかやってみるよ」

 カメラを受け取った秋原は苦笑を浮かべながらも、事前に教わった通りにボタンを押すと撮影を開始した。

「んっん!あっあ・・・。はろ~、皆さん!いつも見てくれてありがとう!今、私ナカゴッチは某県某市の廃ホテルにやって来ております!ここはネットでもまだ殆ど知られていない穴場的オカルトスポットです!一部のマニアの間では、白い人型の怪物を見たと話題になっているそうです!今回はそれを実際に確認してやろうと思います!果たして化物は実在するのでしょうか?そして私は生きて帰れるのか!・・・と散々煽っておいてどんなをオチを迎えるのか?!」

 懐中電灯で下から自分の顔を照らしながら中越はレポートを開始する。演出過剰とも思えるが、長台詞を澱むことなく言い放った彼の姿に秋原は感心した。さすがはプロを名乗る動画配信者である。今回初めて長年の友人である中越の付き合いで撮影に参加したが、思っていた以上に本格的であると認めるしかなかった。中越はレポーター、演出家、プロデューサー等の役を一人で熟しているのだ。

「・・・どうぞ、最後までご覧ください!そんなわけで早速向かいましょう!」

 この台詞とともに歩き出した中越の姿をカメラのフレームに収めながら、秋原もその後に続いた。


「そういえば、例の遊園地はどうだった?」

「面白かったよ!ただ、目当てのジェットコースターがメンテナンスで乗れなかったのが残念だったな」

「なんだ、あのジェットコースターに乗れなかったのか。お前の彼女、ああいうの大好きだろ?!」

「ああ、確かに最初は文句を言っていたな。けど、その後はすぐに他のアトラクションをノリノリで遊びまくった。バスツアーで行ったから、帰り道は二人でバスの中で寝てしまったよ!」

「まじか!それは、はしゃぎ過ぎだろ!」

 車を停めた場所から目的地のホテルまではしばらく細い道を歩く必要があるため、秋原は中越からの問い掛けに応じて雑談を始めた。辺りは僅かな月明かりを除くと夜の闇に包まれており、灯りらしい灯りは中越の懐中電灯とカメラの照明だけだ。特別怖いというわけではないが、何か喋っている方がお互いに気が紛れると思われた。撮影中ではあるが、こういった何気ない雑談シーンも動画配信では〝味〟になるのかもしれないし、邪魔となれば後から編集すれば良いのだろう。

「お、問題のホテルが見えて来ました。・・・更に近づいてみましょう!」

 こちらを振り返りながら、中越は声色を変えて語り掛ける。秋原もこれが自分ではなく視聴者への問い掛けと判断し、最初に中越の顔を拡大表示させながら、徐々にホテルが映るように倍率を低下させる。問題のホテルは特に変哲もない四階建ての建物だが、中越と比較させることでより大きく不気味に見えるはずだった。秋原もこの頃になるとこれくらいメリハリをつけた方が良いのだろうと理解するようになっていた。

 演出を終えた中越が再び背中を向けて歩き出したので秋原もそれに続く。かつては整理されていたに違いないが、今では雑草が生え放題の荒れた庭を横目に二人は歩き続ける。

「裏口らしき場所を見つけました。いよいよ侵入です!・・・よし、中に入ろう」

 芝居掛かった台詞を終えると、中越は預かっている鍵で閉まっていた従業員用の通用口を開けた。実を言えば、こういった廃墟に許可なく侵入するのは立派な犯罪である。なので、事前にこの廃墟を管理する不動産管理会社に撮影許可を申請していた。何しろネットで配信するための動画だ。無許可では全世界に犯罪の証拠をばら撒くことになる。

 もっとも、再開発の予定もなく価値のありそうな内部の設備品は既に持ち出されている廃ホテルなので、ちょっとした袖の下と最低限の念書にサインすることで撮影許可は特に障害もなく認められていた。だが、動画撮影ではライブ感を出すために、そのあたりの事情は表に出さない。視聴者は今回の動画でスリルを味わいたいのであるから、配信者は無鉄砲である方が望ましい。扉を正規の鍵で開けたシーンはおそらくはカットさせるはずだった。

「うわ、・・・中は埃臭く、ねっとりするような嫌な気配を感じます!」

 ホテル内に入ると中越は再びテンションを上げた声で呟いた。内部は秋原の思っていたよりも整然としており特に変な匂いを感じさせなかったが、演出のためであろう中越は誇張気味にレポートを口にする。


「・・・奥から何を擦るような音が聞えないか?」

 しばらく内部を探索していた中越だったが、従業員用の休憩室か控室だったと思われる質素なテーブルが置かれた部屋に入ると驚いたように呟いた。これも盛り上げるための演技だと思っていた秋原だったが、声のトーンにこれまでのような芝居臭さはない。

「俺には何も聞こえないけど・・・」

「いや・・・、今なんか鐘を鳴らすような音がしただろ!誠!お前には聞こえないのか?!」

「聞こえないな・・・。緊張による幻聴じゃないか?」

 困惑しながらも、秋原は素直に答える。そもそもこの廃ホテルに出る白い化物自体が中越の創作であったし、秋原は大学で電子工学を学ぶエンジニアの卵でもあった。闇に対する本能的な恐怖心はあるが、それで客観的な視点を失うことなかった。

「いや、間違いなく聞こえるって!つか、近づいてくるぞ!」

「・・・とりあえず、一旦外に出ようか?!」

「うわぁぁ!!」

 顔を引き攣らせながら狼狽する中越に秋原は最善と思われる提案を行うが、中越は突如叫び声を上げて走り出した。

「お、おい!待て!走るなよ、危ない!」

 想定外のことに驚きながらも秋原も部屋を飛び出した中越の後を追う。急いで廊下に出た彼だが、照明を消した中越が奥に向かって走る足音が廊下に響くだけだった。

「何やってるんだ!早くこっちに戻って来いよ!」

 腹立たしさを堪えながら秋原は廊下に向かって呼び掛けるが足音は徐々に遠のいていき、やがて辺りは静寂に包まれた。

「クソ!」

 何回か呼び掛けを繰り返した秋原だが、効果がないことを知ると悪態を吐いた。先に車に戻って待っていようかとも思うが、頭でも打って倒れていたら大事になる可能性がある。パニックを起こした友人を見捨てるわけにはいかなかった。秋原はカメラの照明を最大光度に設定すると中越の後を追って歩き始めた。警察への連絡も考えるが、この程度で通報しても逆に説教させるだけだろうと考えを保留する。この時秋原は闇に消えた中越を直ぐに見つけられるだろうと考えていた。


 壁から崩れ落ちたモルタルを靴で踏みつける音が響く。昼間なら気にするまでもない些細な音かもしれなかったが、カメラの照明を頼りに廃ホテルを孤独に探索する秋原の耳には不気味な嫌悪感のある音として届いた。中越はかなりの距離を駆け抜けたと思われたので、秋原は左右の扉には目もくれず廊下を真っ直ぐに進み、終点となるホールの前にやって来ていた。現在では開けっ放しにされているものの、ホールに繋がる扉は鋼鉄製と思われる防火扉で区切られている。建築関連は秋原の専門ではなかったが、おそらくはこのホールは厨房と繋がるレストランか食堂にあたる場所だと思われた。

「・・・裕也!大丈夫か?!返事をしてくれ!」

 開けた空間に入ることに一瞬だけ躊躇するも、秋原は友人の名前を呼びながらホールに足を踏み入れる。足元には赤いカーペットが敷かれていたが、テーブルと椅子のような丁度品は一切なく、時折現れる四角い柱がまるで墓標のように思えた。

 照明代わりのカメラを左右に向けて中越を探していた秋原の視線にうつ伏せになって倒れる人影を見つける。やっと見つけたと思い、近づこうとした彼は背後から迫る足音に気付くと慌てて振り向いた。

「うわ!」

 こちらに迫る人型のシルエットを見つけた秋原は、本能的に頭部を守るために右手に持ったカメラごと腕を突き出した。激しい痛みと衝撃を感じ、彼はカメラを取り落しながらも後ろに逃れる。次の瞬間、顔の目の前を棒のような物が激しく振り下ろされた。激しい恐怖に苛まれながらも秋原は、床に落ちたビデオカメラの僅かな光の中で自分に身に起きた状況を把握しようとしていた。振り下ろされた棒は斧であり、今自分は白いと思われる服を着た人物に殺されかけたのだ。

「何なんだよ!」

 心理的ストレスの捌け口として秋原は斧で襲い掛かった人型の存在に罵声を浴びせるが、人型は再攻撃に備えるように凶器を降り上げようとしていた。それを見た秋原はじりじりと後ろへ退く。本来なら今直ぐにでも全速力で逃げ出したかったが、それをすれば無防備となった背中に斧を叩きこまれるだけだろう。まずは柱の一つを障害物として利用してから出口に向かうべきだと、彼は直感的に思い描いた。

 だが、謎の人型は秋原の意図を見抜いたように躊躇のない動きで彼の頭部を狙って再び斧を振るう。横に飛びながら辛うじてその攻撃を躱した秋原は、予定を変更して今が逃げ出す機会だと捉えると、そのまま身体を捻って出口に向かって走り出した。おそらくはアレドナリンといった脳内物質の効果なのだろう。自分の動きが酷くゆっくり感じられ、十メートルもない距離が何倍の距離に感じられた。

 先程の防火扉を潜り抜けた後も秋原は全速力で駆け抜ける。照明を失っていたので廊下の壁に身体をぶつけることもあったが、転倒することなく従業員用の出入り口に辿り着くと、這い出るように外に逃げ出した。直ぐ後ろに迫っていると思われた謎の人型だったが、あまりにも秋原の逃げ足が早かったのか、もしくは諦めたのか既に姿はなかった。

「はあ・・・はあ・・・」

 荒い呼吸を整えながら秋原は携帯端末を取り出すと、警察へ通報しようとするが電波の感度は最低であり、緊急番号が繋がることはなかった。

「くそ!」

 秋原は悪態を吐き捨てながらも、再び走り出した。この場で繋がらないのなら、繋がる場所に移動するしかない。また仮に警察に通報したとしても、警官がここに来るまでにはいくらかの時間が掛かる。結局は車に向かうのが正解だと思われた。

 身体中から汗を拭き出す思いで車に辿り着いた秋原は、警察への通報を終えるとオペレーターの薦めもあり、やはり車を発進させて人気のある県道沿いのコンビニエンスストアを目指した。

 その後のことを秋原はよく覚えていない。コンビニの駐車場で警官達と合流した後は、廃ホテルで味わった恐怖体験のショックにより彼らの指示に淡々と従うだけで精一杯だったからだ。彼は右手に負っていた怪我を指摘させると病院に運ばれ。治療を受けた後は所轄と思われる警察署に連れて行かれて、詳しい事情を聞かれることになった。形式には通報者の任意同行であったが、実質的には限りなく容疑者の確保に近いと思われた。何しろ、警官達の捜索によって廃ホテルで中越の首つり死体が発見されたのだ。これにより、警察は秋原の通報は狂言であり、彼が中越を殺して自殺に見立てたと疑っていた。

 

「ご足労頂いてありがとうございます」

「いえ、元々は私達が遊び半分で危険な場所に足を踏み入れてしまったのが原因ですから・・・、それで犯人を捕まえたということでしょうか?」

 あの廃ホテルの恐怖から一週間が経ち、秋原は事件の捜査を担当する刑事から呼び出しを受けていた。当初は容疑者として疑われた彼だったが、直ぐに幾つかの矛盾点が見つかり嫌疑は晴れている。秋原としては自分を襲った白い斧使いが中越を自殺に偽装して殺したと信じていたので、犯人が警察に逮捕されたのだと推測していた。

「・・・ええ、まだ細かいところはまだ詰める必要はあると思いますが、全容は掴めたと思っております。・・・それで、これ以上、踏み込むとなると・・・被害者である秋原さん、あなたの同意が必要かと思われましてね・・・。ご報告しようというわけなのです」

「そうですか・・・」

 秋原は小さな応接室で相対する刑事の顔を不思議に思いながら見つめる。歳は五十代前後だろう。自分の父親と同世代と思われた。頭には白髪が目立ち始めているが、顔付きは強面で背筋もしっかりしており肉付きもかなり良い。そんな男が言葉を選ぶように自分に気を使っているのが、奇妙に思えたのだ。犯罪の被害者になるのは初めてだったが、ここまで配慮するだろうかという思いだ。

「・・・結果からお伝えしますと、秋原さん、あなたを襲った斧の人影は自殺した中越と思われます。彼は・・・かなり前からあなたに殺意を抱いていたようですな。消去された中越のパソコンのデータを復元したところ、あなたへの恨み・・・客観的に見ると逆恨みのようですが、激しい憎悪を込めた日記や今回の事件・・・あなたの殺害計画の準備をした形跡が残されていました。中越は表向きには友人であったあなたを、人気のない廃ホテルに誘い出して殺害しようとしたのです。一旦離れてから、予め用意していた殺害用の斧や白色のめざし帽、身体を覆うジャンパースーツを使って変装し、背後からあなたに襲い掛かったというわけです。まあ、これは比較的に優しい表現でして・・・データには色々と口に出来ないようなことも残されていました・・・」

「・・・裕也が俺を憎んでいた?!」

 秋原は刑事の言葉を映画かテレビドラマの人物の台詞のように感じた。過去にはちょっとした意見の食い違いで口喧嘩したこともあったが、それはその場でお互いに謝罪して水に流したはずだったし、そんなことで人殺しをするようでは一体何人殺せば良いかという程度の出来事だったはずだ。

「・・・秋原さん。あなたは西山彩香さんという女性と交際されていますね?」

「ええ、彩香とは高校時代から付き合っていますが、それが何か?」

「復元したデータからすると、中越は彼女に横恋慕していたようですな。彼と西山さんは小学生時代に同級生だったようです。中学は別だったものの高校でまた一緒になり再会したようですが、その頃には西山さんはあなたと付き合っていた。彼からすると初恋の相手を奪ったということのようです」

「え、そんな、だって彩香は中越のことは何も・・・」

「そう、我々もそれについても調べました。西山さんが中越についてあなたに何かしら伝えていたのではないかと。そうしたらですね、中越は中学時代に親の離婚で苗字を変えていたのです。おそらくはそれで気付けなかったのでしょう」

「そんなことが・・・」

「ええ、横恋慕を拗らせた中越はあなたを殺そうと廃ホテルでの撮影として呼び出しましたが、失敗したことで我々警察を始めとする法の執行者に捕まることを恐れて自殺したのでしょう。首を吊ったロープも本来は拘束用に彼が購入したものです」

 友人だと信じていた中越が自分にそのような負の感情を抱き、実行に移したという事実は秋原の心にかつてないほどの暗い影を落とした。

「・・・真相を突き止めて頂いてありがとうございました」

 しばらく俯いて、感情が収まるのを待った秋原はとりあえずにしても刑事に礼を告げる。ついでに被疑者死亡により、傷害罪での起訴を取り下げ捜査の終了にも了解した。

「・・・それで最後の確認なのですが、廃ホテルで中越に襲われる前にうつ伏せに倒れる人影を発見したのでしたね?ビデオカメラの照明を使っていたということで、現場に残されたカメラのデータを解析したのですが、撮影角度によるものなのか確認出来ませんでした。・・・この証言が正しいとすると現場には、もう一人何らかの人物がいたことになるのですが、どうでしょう?」

「ええ、最初はそれを倒れた中越だと思っていました。・・・でもビデオに残っていないのでは・・・私の見間違いだったのでしょうね・・・」

「そのようですね・・・ありがとうございます。私も非常事態におけるストレスでの見間違いだとは思いましたが、念のために確認させて頂きました」

 事件についての話はこれを最後に、秋原は担当刑事に見送られながら警察署を出た。刑事には自分の見間違いと伝えたが、倒れる人影を目撃したのは紛れもない現実のはずだった。もし、あれが本物の中越としたら、自分を襲った白い人影は他に存在することになる。秋原は一瞬だけ、皮膚が泡立つような恐ろしさを感じるが直ぐに乾いた笑みを浮かべた。長い間、親友だと思っていた人物は心の中で自分を深く憎んでいたのである。その心の闇に比べれば、多少の怪奇など気にしても意味がないと思われたのだった。

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ショートホラー 月暈シボ @Shibo-Ayatuki

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