第2話 覚醒
翌日、目を覚ました俺はエルの家に向かった。昨日レナシーに頼まれたお使いを果たすためである。
エルの家は俺の家から歩いてすぐのところにある。と言っても、この村自体五分ほどで端から端まで歩ける大きさなのだが。
エルの家に着いて入口をノックすると、母のアドリーが出てきた。
「あら、サラム。どうしたんだい?」
「母さんに頼まれてアラネの葉を採りに行くんだけど、アドリーおばさんのところも尽きそうだって言ってたからエルも誘って行ってきなって」
「ああ、そういうこと。じゃあエルを呼んでくるからちょっと待っといておくれ」
そう言ってアドリーは家の中に入っていった。家の中からどたどたと音がして、少したってからエルが勢いよく家から出てきた。
「おはようサラム。お待たせ」
「……エル、寝てたのか?」
「いや、全然? 起きてたよ?」
そう言い張るエルの頭からは、ぴょこんと髪がはねている。
「ごめんな。寝てたところを起こしちゃって」
「起きてたって言ってるでしょ! ほら、アラネの葉を採りに行くんでしょ。早く行くよ!」
そう捲し立てるとエルはずんずんと村の入口の方へと歩き出した。仕方ないな、と思いながら俺もそれについていく。
村の入口には、基本的にいつも見張り番が立っている。外からの猛獣の襲撃に備えるためという理由だそうだが、現実は村に猛獣が襲ってくることはほとんど無く、村の子供たちが外に出ないための見張り番と化している。
その日の見張り番はクシーという男だった。アラネの葉を採りに行くことを伝えると、クシーは「気をつけてな」と言って送り出してくれた。
入口は村の北側についており、アラネの葉の生息区域は村の壁沿いを時計回りに五分くらい歩いたところである。
村の周りは草原が広がっているが、北から東にかけての遠方には、鬱蒼とした森が広がっているのが見える。さらにその向こうには、西の方まで続く大きな山が連なっている。
俺たちは目的の場所に向かって歩き始めた。
「世界から見ればこの村なんかちっぽけなものなんだろうな」
目の前に広がる雄大な景色を眺めながら、その広さを想像する。
「でも、村の外にはそれだけ危険なことがいっぱいあるって村長が言ってたよ。あの森にも、恐ろしい猛獣がいっぱいいるんだって」
「それはそうなんだろうけど……。エルは外の世界を見てみたいと思ったりしないのか?」
「うーん。私はこの村が好きだし、村のみんなが好きだし、満足してるよ」
「そっか」
確かにエルは毎日楽しそうに生きている。いつも村に笑顔を与えているエルは、みんなからも愛されている。
「でも」
「ん?」
「一度でいいから、海っていうものを見てみたいかな。大きくて、広くて、キラキラしてるの。話には聞いたことあるけど、見たことないし」
この村は大陸の端に位置しているため、南に進めば海はそんなに遠くないらしい。それでも村にいる限りは、それを目にすることはない。
「……そうだな。いつか見れるといいな」
俺が大人になってもっと世界を知れば、村のみんなにもその世界を教えることができるだろうか。世界を見せてやることができるだろうか。
「あ、そろそろ着いたよ。アラネが生えてる草むら」
アラネはロゼット状に生える草本植物で、大きいもので幅三十センチほどになる。
「どうせすぐ無くなるんだし、多めに採っていくか」
「そうだね」
俺とエルは持ってきた籠に摘み取ったアラネの葉を放り込み始めた。
籠の八割ほどまで入れて、そろそろいいかと立ち上がる。見るとエルの籠にも俺と同じくらいまで入っている。
「エル、もうそろそろいいんじゃないか」
声をかけるとエルは俺の存在を忘れていたかのように、はっとこちらを見た。
「そうだね。夢中になっちゃってたよ」
「これだけ採ればしばらくはもつだろ。それに、そろそろ戻らないと母さんたちも心配するぞ」
「そうだよね。じゃあ村に帰ろうか」
籠を抱えて二人で歩き出した、その時だった。
バサッっという大きな音とともに、一瞬自分たちが何かの影に入った。
すぐに空を見上げる。なんだあれは……、鳥か……? しかし、鳥だとしたら、まるで遠近感がおかしくなったのかと感じるほどに大きすぎる。
謎の巨大飛行生物は、俺たちの方へとぐんぐん下降し、五メートルほど離れた位置に着陸した。
近くで見るとその生物は鳥ではなかった。体長は二メートルほどで大きな翼と鋭い牙を持ち、頭には大きな角が生えている。話に聞いたことしかないが、この生物はもしかして竜と呼ばれるやつか?
「なっ?!」
なんてことだ。その生物から人が降りてきた。この生物は人を乗せて飛んでいたのか。降りてきたのは自分よりも顔一つ分ほど身長が高く、そのわりには線の細い男だった。
はっと気付いて隣を見ると、エルが、そのまま飛び出るんじゃないかと心配になるほど目を見開いていた。驚きすぎて声は出せそうもないみたいだ。
男はじっと俺の方を見つめ、そして口を開けた。
「その眼……。ようやく見つけましたか」
眼、だと……? それに見つけたって一体何を?
突然訪れた全くの理解不能な状況に、体が言いようもない恐怖に支配される。ただ本能だけが、この男はヤバいと警鐘を鳴らしている。
「お前は誰だ?!」
俺の言葉を無視して、男は話を続ける。
「大陸中をしらみ潰しに探していていたんですけど、なかなか見つからなくてね。やはり眼の持ち主がもうほとんどいないというのは本当だったと諦めかけてたんですけど、まさかこんな辺境の村にいるとは思いませんでしたよ」
「何を言ってるんだ……? 眼の持ち主って」
「何も知らないですか。ということは力も発現してないってことですかね」
男の言っていることは何一つ理解できなかった。この男は何を知っているのか。
「でも、それならこちらとしては好都合です。生きて連れて帰るのが命令ですが、少しばかり弱ってもらいますね」
男はそう言いながら、腰に差した短刀を抜いた。
まずい。こっちが持っているのは薬草の入った籠のみで、短刀相手には分が悪すぎる。そもそも俺は、リーガンと模擬刀で軽く打ち合いをしたことがあるくらいで、誰かと闘うという経験がない。
男が短刀を構えてこちらへと走ってくる。俺の体は動かない。未知の状況に何も頭が回らない。ただ男が近づいてくるという視覚情報だけが俺の脳へと伝わる。
やられる、と思ったその時、横から「危ないっ」というエルの声が聞こえた。その刹那、視界が突然横にぶれ、そのまま体が飛ばされる。
何が起こったのか一瞬分からなかった。が、すぐにエルに突き飛ばされたのだと気付く。慌ててそちらを見ると、まず男の短剣が赤く染まっているのが目に入った。次にエルが肩を押さえて倒れこんでいるのが目に入る。押さえた肩からは血が流れている。
「エルっ!」
とっさに叫び、俺は男に向かって全力で体ごとぶつかった。急な不意打ちに男は数メートルほど飛んでいく。
すぐにエルに駆け寄り、上半身を抱き上げる。
「――つうっ」
エルが痛みに顔をゆがめる。だけど、血は出ているが傷はそこまで深くないみたいだ。
くそっ。びびって動けなかった俺をかばってエルが傷ついた。なんて情けない。
「邪魔ですねえ、その女」
俺の体当たりで吹き飛ばされた男が、起き上がりながら言う。
「お前! 何てことを……!」
「私が欲しいのは、あなたのその眼だけで、そちらの女は要りません。……殺しますか」
エルを、殺す……?
男が言った言葉を理解した瞬間、俺の中で何かが切れる音がした。体が燃えるように熱くなる。
「サラム……? その眼……」
抱えていたエルから声が聞こえてきた。
「エル、大丈夫か?!」
「うん、少しかすっただけみたい。サラム、逃げて……」
「お前を置いて逃げれるわけないだろ! もう喋らなくていい」
エルをそっと寝かせると、立ち上がって男の方へ一歩前に出る。先ほどまでの恐怖は消えていた。目の前の男に対する怒りの感情しか湧かない。
「ほう、その眼は。この状況で覚醒しましたか」
覚醒? 相変わらず訳の分からないことを言う奴だ。それにエルも言っていたが、俺の眼がどうかしたのか。
だが、そんなことはどうでもよかった。
「お前は……絶対に許さない」
「覚醒したとなると、私も少し本気を出さないといけませんね」
男は再び短剣を構える。
どうする。短剣を持った相手に素手の俺はどうやって太刀打ちする。怒りの感情が渦巻いているものの、頭は冷静だった。
視覚から入る情報が、普段より何倍もクリアに見える感覚になる。風に揺れる草、向こうの空を飛ぶ鳥、俺を見据える男の目の玉まで、全てがはっきりと見える。
男がやや前のめりになったことを認識した。と同時に、男がそのまま俺の方へと走り始める。
来る! と思ったその時、俺の目がカッと燃えたように熱くなる。
俺は己の感覚が示すままに、右の掌を男の方へと突き出した。燃えるような目の熱さは、体全体に広がり、突き出した右手へと集束していく。
すぐそこまで迫ってきていた男に向かって、右手の熱を放つイメージで力を籠める。なぜかは分からないが、そうすればよいと体が伝えてくる。
「はああっ!!」
叫び声とともに、右の掌から燃え盛る業火が放たれた。火は手の届きそうな距離まで来ていた男の右腕に直撃する。
「ぐああっ!」
男は右腕を押さえながら後ろへ飛び、膝をついた。
自分の手から火が出た理由はまるで分からないし、普段なら到底信じられそうもないが、感じたことないほど熱を帯びた今の体を考えると不思議と違和感はなかった。
とりあえず男には効いたみたいだ。俺は男に向かって再び右の掌を突き出す。両の目の熱が右手に集まるのを感じて、先ほどと同じように叫びながら男に火を放った。
今度は間一髪で横に避けられる。しかし、その動きは明らかに先ほどまでよりも鈍くなっている。
「……やはり、覚醒した眼の力は反則級だ。油断はしていなかったのですが想像以上です。これは分が悪いですねえ。一旦引きましょう」
男はそう言うと後ろの方に待機していた竜に飛び乗る。
「しかし、私は必ずその眼を手に入れる。また来ますよ、近いうちにね」
竜が高い声で鳴き、大きな翼をはばたかせて飛び立つ。俺は竜が飛んで北の空へと消えていくのをじっと睨んでいた。
竜が見えなくなってから、エルのもとへと駆け寄った。
「エル、大丈夫だったか?」
「うん。傷は痛むけど、意識はしっかりしてるよ。それより、サラムは大丈夫? その眼……」
「うん、どうしてあんなことができたのか、自分でもよく分からない。けど今は考えても分からないし、とりあえず村に戻ろう」
エルを起き上がらせようとしたその時、頭がふらっと揺れて俺はそのままエルの隣に倒れ込んだ。
おかしい、体に力が入らない。
「サラム? サラム?!」
名前を叫ぶエルの声が、だんだん遠くなっていく。
目の前が暗くなり、俺の意識はそのまま消えていった。
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